五、イエスの誕生
原題は『さんたまるや御艱難の事』
さんたまるやが我が家に帰ると、懐胎に気づいた両親が大いに怒って待ち構えていた。そして怒りに身を震わせながらこう罵った。
「お前は帝王の誘いを断り、どこの誰とも知れない者の子を懐胎したというのか。こんな話は納得がいくものか。このことが帝王に知られれば両親までも咎めを受けることになるのだぞ。もう一時たりともこの家にいる事は許さないから、早く立ち去れ」
しかたなくさんたまるやは我が親の家をあとにして、ある時は佇み、ある時はかしこをさまよい、ある時は野に附し山に附し、他所の軒先を借りるその難儀な暮らしは言いようもなかった。
霜月の半ばの頃、放浪の末にべれんの国(※ベツレヘムの事)に迷い込んだ頃になってしきりに大雪が降り始めた。しばらく身を宿らせようと思い立ち、まるやは牛馬の小屋に潜り込んで身を縮ませ寒さをしのいでいた。
そうしてこの日の昼八つの頃からぜしん(Jejuin。断食)をなされ、その夜半頃に御身様が御誕生なされたのである。
寒中の事であったので生まれたばかりの御身様は凍えておられたが、左右にやって来た牛と馬が息を吹きかけ、そのおかげで暖まり寒さをしのぐ事ができた。家畜用の桶にて産湯を使われ牛馬の情けを受けた事から、くわるた(ラテン語。Quarta。水曜日)の日に行われるぜしんでは獣や鳥の肉を食する事を禁じているのである。
夜明けの頃になるとその家の女房たちが馬小屋に居るまるやの事に気づいて「こんなむさくるしいところで出産とは大変な事だ、早く家に来なさい」と招いて様々にいたわってくれた。
産後すでに三日が経っていたので湯を借りて御身様の体を洗う事を求め、その後に「御宅の息子さんもこのお湯で体を洗えばどうでしょう」と勧めたのだが、女房は「気遣いはありがたいが私の息子は瘡を患っていて湯を浴びると酷く痛がり、命さえも危うくなるので浴びさせられないのです」と断った。
しかしまるやが是非にと言うのでそのお湯で体を現せると、その家の息子の瘡はたちまちのうちに治ってしまったのである。寿命の通りに生きられるのはなんとありがたい話であろうか。
さて生後八日目には、いずれ憂き世の恋や無情について思いを馳せるようになり、そうなれば未練の心も湧いてしまうだろうという事でしろくしさん(circumcisao。割礼)を受けさせられた。その時に血を流されたので御母さんたまるやはおおいに驚き、すがりついて泣きじゃくった。
それからしばらくして、つるこの国(トルコ)めしこの国(メジヤ)ふらんこの国(カルディア)の三人の帝王がお告げを受けて旅立ったところ、道すがらでどんどん一緒になって連れ立つようにやってきていた。彼らは星を目印にしてやってきたのでついにべれんの国へとやって来た。
この国は帝王よろうてつ(Herodes。ヘロデ王の名の転訛)の支配する場所であったので色々と尋ねてみようと三人はその王宮に立ち寄った。そしてこう尋ねた。
「この国に
ところがよろうてつはこれを聞いて「そのような話は聞いておらぬ」と言った。また三人は「よろうてつも共に拝みに参ろう」とも誘ったが、「いやぞよ。私は行かぬ。三人で行って来ればよい」と断った。それならば仕方がないと三人は王宮を立ち去った。
すると目印にしていた星が見えなくなっていたので「もしやこの王宮を訊ねたのは良くなかったのか」と戸惑ったが、三人一緒に天に向かって手を合わせ「なにとぞ光を得させたまえ」と祈ったところ、再び目印の星が手に取るようにして彼らを導き始めたのだった。
そうしてほどなくあの家について、それは生後十三日目の事であった。
出迎えた御主(※イエスを指している)が「三人は何処から来られたのか」とお尋ねになったのに対し「御主の示した星を見かけて、おぼつかないまま此処まで来たのです」と三人がそれぞれ答えると、御主はさらに「いま三人が来た道は悪人に通じる道なのだ。だから今は消えてしまっている。なので此方から三つの道を作って帰り道を示してあげよう」と仰られた。
その言葉に皆がはっとして平伏していると間もなく天の吊り橋がが三筋かかり、三人それぞれが思うがままに自分の国に帰る事ができたのだった。
さてべれんの国の帝王よろうてつはぽんしゃとぴろうとという二人の家老を呼び寄せて、こう宣った。【註.1】
「我が国に天から下った主が生まれたという事ではないか。そのまま放置すればいずれこの国を攻め取られる事になるだろう。そうなれば私はもちろんその方らまで地位を追われる事になるのだぞ。さてどうするべきだろうか」
それを聞いた両家老はこう尋ねた。「それは一体いかなる者なのでしょうか」。
王が「生まれてまだ十四五日の子供だそうだ」と答えると、家老は「そのような子餓鬼は恐れるに足りませぬ。拙者達がつまみ殺してくれましょう。ご安心くだされ」と答え、家来達を引き連れて物々しく出かけて行った。
急ぎ行けども道知れず、ある時は山を越え、野を越え、川を越え、村々の家々を一軒ずつ改めては探し始めたのだった。この報せを聞いた御身がさんたまるやと共に落ち延びるようにして逃げ出していったのは致し方の無い事であった。
どこともなく駆け回った末に御身は麦作りの農民の一団と行き合い、こう頼んだ。
「そこの方々に頼み申したい事が一つあります。私は今追手に追われているのです。だからもしも尋ねられたならば『この麦を植えた頃に通り過ぎた』と言って欲しいのです」
それを聞いた麦作りの農民たちは「今から植えに行く麦なのに、この麦を植えた頃と言えだってさ。おかしな話だ」と言って大笑いするだけだった。この麦は後に収穫の時期になっても育たなかったという事だ。
さらに先に落ち延びていくとまた麦作りの農民の一団に出会い、御主はさっきと同じように言うように頼んだ。今度の者達は「なるほど。言われたとおりに答えるとしよう」と答えたので御主は非常にお喜びになり、この麦がすぐ育つようにと願いをかけてさらに遠くへと逃げて行った。
かかるところに追手の者達がやってきて「いかに麦作りの者どもよ。
これを見た追手達はもう何カ月も前に逃げ去ったのだと思い込んで非常に落胆し、すぐに引き返していったのであった。
二人の落人は危ういところでようやく危機を逃れ去って、ようやくばうちすもふ(Bautismo。洗礼)の大川に辿り着いた。
そこでさんじわん(聖ヨハネ)に出会い、「其方はどこへゆくのだ」とお尋ねになった。するとさんじわんは「私は御主に御水をささげ奉るために、七カ月先に生まれたのです」と答えた。それを聞いた御主は大変に喜び「しからばこの川の中で水を授けておくれと願った。
実にこの時より、御主はじゆす・きりひと(※Jesus Christ)として敬われる事になったのだ。
さてもきれいな名水である。悪人の後生のたすけのためにこの水を分けようと思い召すまま、実に四万余筋に分かたれて行き、その川裾の水を授かった者は皆ぱらいその悦びを受ける事にもはや疑いはないのである。
それより後にたぼろという場所に辿り着き、それは四十日目の事であった。
天上のでうすが思うのは、下界にある御身をおそばに召し寄せたいという気持であった。それに応えるようにして御身は天に昇られ、でうすとご面談をなされたのである。
でうすは御身に位を与え、位を示す御冠を授けられた。御身はそれを恭しく押戴くと天より下って参られた。そうして元のたぼろに帰って来たのである。
ここで御身は御法体を得られ(※法体を得るは仏教用語。出家する事を指す)、この時を境にぜぜまるやの森の中に在るお堂にこもられたのだった。これが生後五十日目の話である。
こうして学問を始められたところにさがらめんと(Sacramento。聖秘跡)が天より下って来られて、七日七晩の御指南を受けるうちに御上達なされ、それとともに御上天なされていくのだった。(御上天は仏教用語。僧侶は修行と共に人間離れしていく事を指した表現)
こうしてお堂で十二歳になるまで学問をなされた。【註.2】
【註釈.1】
【註釈.2】 イエス・キリストの誕生と三賢者の来訪、イエスを恐れたヘロデ王による追跡などの聖書物語がおぼろげな形で描かれている。イエスを助けた者の麦が育ち笑った者の麦が枯れたなどの話は聖書にはない西洋の民話であり、たぶん宣教師が語って聞かせたりしたものだと思われる。
内容的には時系列にかなりの混乱が生じており、例えばタボル山で自らの受難を予告すると共に光り輝く変容の奇跡は聖書ではイエスが三十代の頃とされているし、この物語の中ではイエスも聖ヨハネもまだ乳幼児の頃に出会って洗礼を経験したことになっている。これは隠れキリシタン達の「記憶」の多くが、祭礼や儀式を通してしか伝承されなかった事による。個々の儀式にまつわるエピソードは知っていても時系列はあまり理解されていなかったようだ。
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