犯罪者の異世界転移

妻屋

小西 1話

 思えば鳥の鳴き声で目覚めるなんて生活今までした事なかったな。


 チャイムはもうすぐだろうか。


 ここの生活で染み付いた体内時計で予想を立ててみたが、今日も俺は狂っていなかった。


 キーンコーンカーンコーン


 見計らった様に耳をやけに刺す、チャイムの音がなる。

 録音され、電子音化した鐘の音はこの場所で何回も聞いた俺の耳でも、未だに痛かった。


 学校等で勉学に励む者。

 教師等の職に就く者。

 今の時代、普通に人生を歩んでいれば大体の人はこのチャイムの音を、聞いた事があるだろう。


 ただ俺との違いはそのチャイムを聞いて、何を連想するかだと思う。


 普通ならば昼休みや下校、はたまた終業等があるかもしれない。

 厳しい寮生活を送る寮生には起床の合図として、連想するかもしれない。

 俺の場合は厳しい寮生と、感覚は似ていると思う。


 聞く場所がこの「刑務所」じゃなければ、早々に学業を放り出しロクに勉学をしてこなかった俺が、この鐘の音を聞くこともなかったろうな。


 やけに感傷的になった自分に現実を知らせるのは、同居人の布団をテキパキと畳む姿だ。

 これももう見飽きた風景だった。

 もしかしたら相手も、同じ事を思ってるのかもしれない。

 布団を畳み終えると顔を洗うのも、この部屋の誰かが見飽きている筈だ。春先でまだ水が冷たいこの季節はチャイムで覚醒した脳を、更に目覚めさせてくれる。


 俺達受刑者は、朝チャイムがなると起床して直ぐ綺麗に布団を畳み、洗顔をする。

 普通に生活している人が見ると、びっくりする様なスピードで。

 モタモタしていると、すぐにやってくる「点検」に間に合わないし、何より部屋には二つの蛇口が付いたシンクが一つだけしかない。

 4人いるこの部屋では、素早く交代しなければ後の人間が洗顔できなくなってしまう。


 洗顔を終えたら、各々所定の位置に座り

「点検」を待つ。



「点検用意!」


 職員の通る声が廊下に響き渡る。


「点検!!」


 端部屋の1室から順に「点検」が行われていく。


 俺がいる9室は、全体で20室あるこの寮の真ん中辺りだ。


「9室点検!!」


 背筋を伸ばし、大きな声で自分の「連番」である番号を4人で順番に発声していく。


 俺の「連番」は2だ。


 「点検」とは、部屋にいる筈の受刑者が「本当に」いるかどうか、異常は無いかを確認する為に行われる。

 俺達受刑者は、異常が無い事と自分が自室にいる事を証明する為に連番を発声し、職員に伝える。

 

 この「連番」は、部屋に入った時期が古い人間が若い番号を持ち、分かり安く言えば一番の古株の連番は「1」。

 俺は「2」だからこの部屋では2番目の古株と言うことになる。


 この9室で現在「1」の連番を持つ者が、出所や何らかの理由で他の部屋に行けば、次は俺の連番が繰り上がり、「1」になるシステムだ。


 いつも通り、点検を終えたら次は食事を待つ。

 刑務所の部屋は、食器口と呼ばれる人間の顔より大きい程度の正方形の穴がある。その名の通り、食器を受け取ったり職員との物品のやり取りをする穴だ。

 食器口から配食され、各々食事を済ます。

 臭い飯とは、刑務所を関連付ける単語として良く使用されるが慣れればなんて事はない、「味の薄い満足感の無い飯」だ。

 犯罪を犯した人間が食す分には、分相応だろう。それでも閉鎖された世界のここ、刑務所ではこの臭い飯が妙に勘に触る。

 受刑者の文句の大半は、この臭い飯に矛先が向いている。

 もちろん、俺だって例に漏れている訳ではない。


 けれど、


 どんな文句を言おうと

 どんな人が外で待っていてくれようと

 この場所に来る前には、善人であったとしても

 この刑務所に来た事実が、消える訳でもないし

 刑期が劇的に短くなる訳でもない。


 受刑者はこの変化の無い場所で、自身が犯した罪に向き合い

罪を償う方法を考え罪を犯す、「弱い自分」と決別しなければならない。


 時間は絶対に、待って何かくれない。




 




 ここ初犯刑務所「山田刑務所」は、関西地方のとある場所にあり、初犯刑務所の文字通り「初犯」の犯罪者が収容され、初犯刑務所の大概が「A級刑務所」と呼ばれる。


 初犯である事。

 刑期が10年を越えない者。

 暴力団関係者、またはそれに準ずる団体に所属していない者等がこの刑務所に収容される条件だ。

 更に満25才以下の犯罪者を収容する、少年刑務所の初犯刑務所である、松田刑務所が廃所になりここ山田刑務所と統合された為に、統合以前は、26才以下の受刑者が存在していなかった山田刑務所も、現在は様々な年代を含めた1000人を抱える施設となっている。

 こんな知識、ここに来なければ絶対に俺は知らなかっただろう。


 世間ではあまり知られていない、塀の中の生活だが実際は作業と呼ばれる所内での仕事がある為、時間が過ぎるのは遅くない。

遅くないだけで、決して早くも無いのだけれど。


 作業は受刑者の適性を、様々な要素を施設が吟味し「配役」(はいえき)と呼ばれる処遇で、各工場に振り分けられる。

 中でも「経理工場」と呼ばれる工場は所謂、「できるやつ」が集まる工場で、刑務所に移送される前の施設である拘置所内でも大概の人間が、この「経理工場」に配役されるのを夢見る。


「できるやつ」が集められる事だけあって、

仮釈放が貰い易いとの噂が、尾ひれを付けて流れるのがどの地方の拘置所でも通例になっている。


「経理」と付くのは名ばかりで、実際には数字とにらめっこする訳では無い。


 受刑者の食を担当する工場「炊場」(すいじょう)

 外部からの差し入れや、受刑者が購入した閲覧できる図書等を配布する「図書」

 所内の破損した物や、施設設備の剥がれた塗料等を修繕する「営繕」

 受刑者が寝食をする場所である、「寮」の雑用をこなす「衛生係」

 受刑者の衣類を洗濯し、洗濯した衣類を各部屋に配布する「洗濯」

 所内の至る所の汚れや、雑草を処理し、主に掃除を担当する「内掃」


 刑務所では、これらをまとめて「経理工場」と呼ぶ。


 テレビ等で見掛けるミシンや、何かの流れ作業をする閉鎖的な工場とは違い、経理工場の受刑者は、作業の性質上所内を歩き回ったり、それこそ普通の受刑者は、まず見る事がないであろう場所も、見れたりする。 

 一言で表すなら、「自由」なのだ。

 

 他の工場とは違い、圧倒的な「自由性」がある。

 作業の為に、職員の死角に行かなければならない時も、職員に一声掛ければ、職員同行の上だが死角で作業もできる。

 作業の事で、従来よりも能率や効率の良い提案をすれば、すんなりと通る事が多い。

 その様な工場だからこそ、心理的なテストや自身の更正に対する姿勢や、真夏、真冬の作業に耐えうる体力や年齢、職員への反抗心の無さ等を、パスした人間しか配役はされない。



 俺が配役の審査を受けている時に、大きな作業事故を「内掃工場」内で起こした人間がいた。作業事故や怪我、所内での規則を破った者には、「懲罰」が与えられる。

 これを所内用語で「落ちる」と言い、「落ちた」受刑者は、配役されていた工場から他の工場に移り、二度と戻ってくる事はない。

 この「懲罰」を食らう事は、刑務所ですら規則を守れない者として、仮釈放の割合が著しく減少する。受刑者であれば、大概の人間が喉から手が出る程欲しい仮釈放を、減少される「懲罰」は、畏怖の対象となっていた。


 俺が「内掃工場」に配役されたのは、本当に運が良かったのだと思う。

 年齢的に若かったのも、助力したのかもしれない。

 何にせよ作業事故を起こし、内掃工場から「落ちた」人がいなければ、俺が経理工場に配役される事は、有り得なかっただろう。

 俺は特別器用な事はできないし物事を表立って主張する華もない。だからと言って、頭が切れる訳でもない。刑務所にくる原因になった罪名も、しょうもない物だ。


 それでも、そんな俺でも、早くここから出て、会いたい人がいる。


 犯罪者の俺を

 更正した俺をーー


 待っていていてくれる人が、俺にはいる。


 近頃そんな自分を運が良いのかもしれないって思い始めたのは、この刑務所に来たからなんだろうな。





 内掃工場では定例作業として、受刑者の残飯を集めて回ったり、浴槽の掃除や受刑者の寮内の掃除等をする。


 季節によっても、作業内容は多岐に渡り、

 春先から夏場は、所内の草刈り。

 冬場から春先にかけては、所内の景観を保つ為に植えられた松や、花を切り揃える剪定等がある。

 同じ作業を連日する他の経理工場とは違い、日によって作業内容が異なるので、作業する受刑者も担当職員も日々忙しなかったりする。


 配役当初は覚える事が多く大変だと思っていた内掃での作業も、近頃は考えるよりも先に行動できる様になり、時間が経つのも早く感じた。



 どんな世界でも、社会や人に関わる場に出れば、「人間関係」は重要だ。

 基本的に工場の人間とは、寝食を過ごす部屋が一緒になる。

 寝食を共にすると言うことは、家族と同じように、時間を過ごす事になると言うこと。この閉鎖的な世界の刑務所内では、どの受刑者も何かしらの不満を持って生活している。

 

 その不満の捌け口は虐めであったり、陰口であったりと他者へ向けられる事が主になる。

 何故なら、刑務所の世界には「変化」が無いからだ。

 そんな中で、自己中心的な行動や言動、中でも絶対にやってはならないのが、嘘をつくことだ。


 配役時には自身が育った、地元等も審査され共犯者が同じ工場に配役される事は無い。たまたま友人が同じ刑務所に収容されたとしても、刑務所内で同じ工場、同じ部屋になる事は様々な事が運良く作用しなければ、あり得ない。

 

 それならば、刑務所にくる前の自分を創り上げても、誰もその事には気付かないのではないだろうか。多少の嘘や、見栄ならば問題ないんじゃないか。

 それは大間違いだ。

 作業時には毎回顔を合わせ、同じ部屋の人間であれば文字通り四六時中一緒の空間にいる事になる。変化のない刑務所生活では、会話はとてつもない力を持つ。


「俺はシャバじゃ、月に1000万稼いでたぜ」

 そんな人間がいたら、根掘り葉掘り聞きたくなるのが刑務所の世界だ。

 税金対策は?

 確定申告どうしてた?

 月にどれくらい貯金してた?

 そんな質問を受け、嘘に嘘を塗りつぶした答えで答えても、すぐにボロが出てしまう。

 嘘を付いた人間は晴れて、「ホラ吹き」の渾名を付けられ、工場内でコミュニケーションを取る人間はいなくなる。


 本当に運の良い事に、俺が配役された内掃工場にはホラ吹きもいなければ、俺自身嘘を突き通す度胸も無かった。

 互いを尊重し合い、作業で助力を頼めば誰かしら手を差し伸べてくれる。そんな工場だった。


 聞けばこの環境になったのは、俺が刑務所に収容される、一年程前に先輩受刑者が揃って出所し、「番席」と呼ばれる工場内での序列が入れ替わってかららしかった。


 「番席」は部屋での「連番」と同様、若い番号の順に力を持つ。

「番席」や「連番」は、月日が経つ事に先輩受刑者が、出所や落ちたりすれば、自動的に上がっていく物だがそれはその工場、その部屋で犯罪者が集められた施設で何事も無く生活できている証拠でもあった。


 刑務所は、在籍の期間の長さが物を言い、年齢はあまり関係が無い。

 そんな内掃工場の今の環境を創ったのが

 1番席の「星さん」(ほし)と

 2番席の「本山さん」(もとやま)だった。

 この二人は配役時期が近く、年齢は違えどもお互い言いたい事を言い合える仲で下の番席の俺や他の人間、担当職員ですら信頼していた。

 それは番席だけではなく、犯罪者と言えども他人を気遣えるその人間性による物が大きいだろう。


 星さんは、刑務所にくる前に塾の先生をしていたらしくとても頭が良い。

 ジョークを言って、場を和ます場面を見ると、何故か知性を感じる。顔立ちも、控えめな男前と言った感じで棘がない。


 そんな星さんの口から、自身の罪名について「強制猥褻」や、「強姦未遂」の単語が出た時には、本当にびっくりした。


 本山さんは、小柄だがとても元気な人で、年がら年中日焼けしてる様に肌が黒い。誰とでも分け隔て無く会話しコミュニケーション能力が高く、身体能力が、異様に高い。

 そんな本山さんから、自分は人を殺めてしまったんだ。と聞いた時は、どう返せば良いか分からなかった。

 

 最初は、こんなにいい人がそんな訳無い。何かの間違いだと思った。 


 本山さんは、20歳の頃罪を犯し、懲役11年の判決を食らって少年刑務所で服役していたが運が良いのか悪いのか、その少年刑務所の廃所が決まった。

 その関係で残刑期10年を切っている事、更正に対して前向きな姿勢を認められ珍しいケースではあるが、この山田刑務所に移送された。20代を刑務所で終えそうだと、諦めが入ったその笑顔に、本山さんの罪の深さと、後悔や反省の複雑な色を感じた俺は、本山さんが犯してしまった罪を疑う事は辞めた。

 

 刑務所の世界は、犯罪者が集まる場所。


 それは、分かっていたつもりでも「つもり」でしかなかったんだろう。


 こんないい人達でも、一人の漏れなく犯罪者なのだ。


 もちろん、俺も。





「シャバに出たら一番に何したい?」


 何回聞いたであろう、このテーマを作業の合間にとられる「運動時間」と表した休憩時間に、なに食わぬ顔で、出題する星さんであったが答えは出尽くしている。


「腹一杯食いたいなあ。甘いもんも食べたい。やっぱり、生クリームが有力やな」


 関西訛りで、そう返す本山さんの答えももう何回も聞いた。それでも、まるで今初めて聞いたかの様に相槌を打てる俺も、もう刑務所の変化が無い世界に馴染んでしまっているんだろうな。


「小西君は出所したら、店出すんやろ? 刑期的に俺等より、はよ出れるんやし、小西君の店でうまいもん食べたいなあ」


 相槌を打つだけの俺に気を使ってか、以前ぽろりと洩らした俺の夢を自然にこういった場で、会話に繋げるのは単純に感心する。


「来てくれたら嬉しいですけど、来てくれなかった時の悲しみの方が大きそうです」


 そう返す俺は、多分おかしいんだろう。

 この刑務所を出たら、小料理屋を出したいのは本当だ。けれど商売の場に、犯罪者を自ら招くなんてどうかしてる。いや、犯罪者が店をやろうとしてる事自体、どうかしてるんだろう。


「そういえばあの話だけど、確定っぽいよ。どの「おやじ」が来るかは、分からないけど」


 どうやら星さんは、この話題を出す為のジャブで先程の話題を出したらしい。



「あの話」



 俺達受刑者は、どんな職員に対しても、「おやじ」と呼ぶ。


 そんな職員の中でも、各工場に必ずいるのが「正担当」のおやじだ。

 この「正担当」は俺達受刑者が世話になる割合の、大半を締める。

「正担当」と言うことは、どの職員よりも長い時間俺達受刑者を見ている文字通り、その工場の正式な担当と言うこと。

 必然的に、その受刑者の評価資料を作成するのも「正担当」になる。


「正担当」は、一定の周期で変わっていくらしいが、時期に寄って誤差があるので、「確実にこの日だ」と言うのは受刑者の俺達には、判断できない様になっている。

 しかし例年は、2年正担当を勤めたら工場を移り、他の工場の正担当になっている事からして、そろそろだと星さんと本山さんは睨んでいた。

 そんな中、正担当のおやじが一番席の星さんに、次の職員に対する引き継ぎを匂わせたのだ。


 正担当が変わると言う事は、俺達にとって重要だった。正担当次第で、作業のやり方や休憩の時間、作業内容ですら変わるからだ。

 最悪のケースでは、工場の雰囲気すら壊れる可能性もある。


 現正担当の、「白井」(しらい)は厳しくも人情味溢れる人間で、俺達受刑者の信頼を、揺るぎない物にしている。


「白井」は受刑者を、犯罪者と見るのでは無く更正し前に向かってゆく、「人」として見ていると常々言っていた。

 そんな「白井」が、担当だからやってこれたんだ。と申す受刑者も、中にはいるだろう。

 他の工場の受刑者を、ゴミを見るような目で見るおやじの話を聞いた時は俺も、胸が焼けついた覚えがある。


 必然的にこの話には、みんな飛び付いた。

 結局30分の運動時間は、この話題で消費されていた。


 1ヶ月が過ぎても、この話題の熱が下がる事は無かったが、

正確な日は未だに分からず終いだった。



 そんな、初夏のある日──



 作業終わりに、白井が俺達受刑者の前で明日から正担当が変わる事を告げた。


 決まりなので、いきなりの報告になってしまった事。

 俺達の出所を、見届ける事ができなくて申し訳ないが、無事に仮釈放を貰える事を信じてる事。

 この工場で、職員として色々な事を学ばせて貰った事。

 厳しかったとは思うが、誰一人落ちる事無く付いてきてくれて感謝してる事。


 色々な思いを、犯罪者である俺達に吐露してくれた。


 思えばここから、この内掃工場は変わっていったのかもしれない。

 いや、元々俺達は狂っていたのかもしれない。



 犯罪者が集まるこの場所で。


 同じ様な思想を持つ者が、集められたこの場所で。




 俺達はまた罪を重ねる──




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