小西 5話

 学の無い俺が本場の英会話を聞いても何も分かりはしないが、この聞いた事の無い言葉は恐らくこの世界の物だ。

 凉子が喋っていた時には、様々な死者がやってくる筈の死後の世界での標準語は、英語なのかと思っていた。

 

しかし日本語を喋る俺に驚く大袈裟なあの反応は、俺の予想が間違っていない事を教えてくれている気がしている。


 先程の女性が持ってきてくれた、皿の上に乗せられている赤い果実は食べやすい様にカットされていて、微かに断面が赤く発光している。その謎の果実を食べる時に使うであろうアイスピックの様な木の食器も、俺の見聞には存在しない。


 ゼリーの様な食感の赤い果実を全部食べ終えると、少量であったのに不思議と胃が満たされるのを感じた。


 食べ終えた食器をこのままにしておくのは、無礼では無いかと今更ながらに思った時に、また扉をノックされた。

 今度は力強い響きだったから凉子では無いだろうと体が強張ったが、現れたのは見知った顔で少しだけ安心した。


 俺を運んでくれた初老の男性と、俺に治療の様な物を施してくれた男性が小難しい顔で、こちらを見て理解できない言葉を交わし合う。


 何を言っているかさっぱり分からないが、俺の体調を気遣ってくれている様な動きがあった事から、追い出される訳ではないのかと小さな不安が消えた。


 治療を施してくれた男性は俺の近くまでくると、目を見て首筋に指を当て何か呟く。

 全く理解出来ないが、死後の世界にも医者の様な者は存在するのか。


 されるがままにされていた俺を見ていた初老の男性が、医者であろう男性に何かを言った。それを聞いた男性は納得のいかない顔で頷く仕草を一つ見せて、昨日と同じ様に掌を俺の頭へ向けた。 

 小さな光の粒がふわふわと立ち上ぼり、空気に馴染む様に消えるのが見えた。不思議な光景だった。全ての光の粒が見えなくなった瞬間、頭の血管の数本が千切れた様な痛みを感じた。いや、本当に切れてしまったのだろうか。




 何をされた?



 痛みで頭を抱えた俺の頭上で、初老の男性と医者の男性が言葉を交わすのが聞こえる。



「ほら、当てずっぽで[毒の浄]何か施したから、苦しんでますよ」


「俺には、有効に働いている様に見える」


「相手は神の遣いですよ。祟られでもしたらどうするんですか!」



 何故か気持ち悪い程に、二人の言葉が理解できた。先程までは何を喋ってるか分からなかった言葉が、頭の痛みを忘れさせる程に吸収される。


「そん時はそん時だ。何もしないよりはマシだろう」


 初老の男性の言葉が俺の知る言葉ではない事は分かるのに、何故か理解できるのを俺は受け入れずにいた。


「まあ僕の腕がもう少し良ければ、状況も変わったんでしょうけど」


 居心地が悪そうに頭を掻く男性の言葉を聞いた時に妙な感覚が頭に走り、自分もこの言葉を扱える事を悟った。


「あの、すいません。少し良くなったみたいです喋れる程には」


 日本語に慣れている俺の口は、ゆっくりとだが早口言葉を言う様にこの世界の言葉を使えた。


「ほら、な。お前の手柄だ、ロキ」


「なんだかなあ……」


 初老にロキと呼ばれた男は困った様に笑ったが、そこには安堵の色が見えた。


「見ず知らずの俺を助けて頂いて、ありがとうございます。すいません、もっと、言いたい感謝の言葉はあるんですけれど」


 良い終えるより先に頭が下がった。本心からの感謝を、この不自然に遅い言葉使いで伝わるか、不安だった。


「いえいえ、アルマさんの頼みを断るなんて勇気、僕にはありませんよ。それに見ず知らずだなんてとんでもない!」


 このロキと呼ばれる男性は、俺の事を知っているのだろうか?俺に掌から光を放つ知り合いは、いなかったと思うが。


「あ、すいませんね先走っちゃって。僕はロキと言います。初めまして、神の遣い様」


 聞き慣れない単語だった。犯罪者の俺を神の遣いと呼ぶ目の前の恩人は、アルマと呼ばれた小柄で気難しそうな初老の男性とは反対に、長身で持つ空気が柔らかく、どこか掴めないひらひらとした印象を受けた。

 この二人の表情が俺をからかっての言葉では無い事を表していた。


「アルマさんから話を聞いた時は、驚きましたよ。今も勿論、驚いてますけどね。子供の頃に何度と聞かされた絵本の人物が、目の前にいるんですから」


 慣れない言葉を脳のどこかで理解する感覚には、未だに慣れなかったがこの恩人にとって自分は、絵本の中の人物なのかと不思議な心境になる。

 からかっていないのならば、勘違いだろうか。


「あぁ、お役目とかもまだ知らないままですよね」


「あの、失礼ですけど人違いではないですか?」


 悪行を働いた俺が神の遣い?不自然に発光する石や掌に、見たことの無い果実やこの世界で出会った人の目の色や髪色よりも、俺にその表現は何とも受け入れ難い。


「その髪と同色の黒の瞳、アルマさんが目撃した包玉(ほうぎょく)での出現。どこをどう見てもあなたは神の遣いですよ。ねえ、アルマさん」


「あぁ、見間違いなんて事はない」


 俺は犯罪者だ。犯罪者であり、更に罪を償う事から逃げた。その事がこの二人に知れれば、この戸惑いを理解してくれるのだろうか。

 しかし、この考えよりも先に俺の弱い心が打ち明ける事を辞めさせた。


「その神の遣い、とは何ですか?頭が良くないもんで、失礼に当たったらすいませんが全く心当たりがないんです」


 本当は全ての出来事を知っていて、この二人は俺を試す為にこんな事を言っているのかもしれない。


 それでも、助けてくれた人間に犯罪者だと打ち明けた時の顔を見る勇気が、俺には無かった。涼子の姿を見ていなければ俺の評価等気にする必要はないが、そうではない。恐らくこの二人と面識があるであろう涼子の生活を壊さない為に、俺はボロを出してはいけない。少なくとも、今は。


「あー、そうですよね。異界から来た人にいきなり神の遣いだなんて、初対面で崇めるのはなあ」


「俺を一緒にするな。崇めてなどいない。言っておくが、俺は神の遣いだからお前を拾ったんじゃない。単に死にそうに見えたから、担いで来ただけだ」


 どうやら二人の間での神の遣いとやらは、俺で間違いは無いらしい。


「あっ、そうか。アルマさんは、そうですよね。すいません」


 気まずそうに頭を掻きながら、ロキと呼ばれた男性は俺の方を興味深く見つめる。


「ナカニシ」


やけに遠い記憶に感じる中西さんの名前が、ロキと呼ばれる男性が口にしても、俺には何故か馴染んで聞こえた。


「この方の名に覚えはありますか?」


 俺は答える事ができなかった。今頭に浮かんでいる、あの眼鏡の中西さんをこの男性が何故知っている?人違いか?そんな都合の良い偶然が、無いとは頭で理解できても心の動揺は隠せなかった。


「その顔を見ると、他人では無さそうですね。ナカニシ様は80年前に神託された、神の遣いです。【守護の氷狐】として歴史に名を残し、その後は消息不明となっていますが、こう言い残されています」


 夢物語でも聞かされている様だ。しかし、俺はこの話を疑っていない。疑うにも、否定するにも、何もかも知らなさ過ぎるんだ。


「仲間が必ず現れる筈だ。ナカニシ様はそう言い残して、その事を仲間に伝える様に自身の周りに呼び掛けて、間もなく消息不明となったと伝えられています。子供の頃に良く聞いた絵本の話を、僕が伝えれるとは人生分からない物ですね」


 呆然と聞く俺に気を使ったのか、最後の方では微笑みを浮かべてくれたが、俺にはその柔らかな微笑みを返す余裕は無い。



 「中西さんは」


 微笑みの変わりとばかりに、言いかけて気付く。俺が今すべき事は中西さんについて、情報を集める事だろうか?この何も分からない、恐らくは元いた世界とは異なる世界で──

 今、俺がしなければならないのは別の事だ。








「何でもありません。それよりも神の遣いとして、命を拾って頂いた恩返しが、今の俺にできますか?」





 この世界で生きていく、決意──

 

 この世界に無知な事や、この得体の知れない体を包む違和感は、今はどうでもいい──


 涼子と会えたこの天運に、俺は図々しくても、不様だろうとも、しがみついてやる──



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