小西 3話

 谷内さんが塀の上で妙な動きをして飛び込んでから、すぐに着地したであろう音が響いた。

 足でも滑らしたんだろうか?

 ここまで聞こえるって事は相当な衝撃なんだろうな。

 


 俺は、何の為に「外の世界」に出る必要がある? 

 俺には「外の世界」に出たい理由が無い。 

 こんな俺がうろちょろしても、すぐに塀の中に連れ戻されておまけに刑期を増やされるのがいい所だ。

 外で「待ち人がいない」俺が協力したいと思ったのは、この内掃工場の人間の人徳なのか俺の精神がおかしくなってしまっているのかは、今では分からない。

 いや、もしかしたら両方かもしれない。

 俺は谷内さんが成功したのを確認すると、直ぐに自分も「外の世界」へ繋がる脚立へ手を掛けた。

 目的の無い俺には、斜めに立て掛けただけの二本足の脚立は酷く頼りなく見えた。


 どうするかは後から決めればいいさ。


 投げやりになった俺に罰を知らせる様に、所内のベルが鳴った。

 唐突な様で、どこか待ち構えていた俺の心臓は冷水を浴びせられた様に縮んだ。

 今の俺達の状況下で鳴り響くベルは、悲惨な結果を予想させた。 


 ふと後ろを見ると、職員である「レゴ」が青白い顔をしてフラフラとこちらに向かって来ているのが見えた。

 短時間での鎖の拘束は、相応の効果しか無かったか。

 誰も本山さんを責める事はできないだろう。


 もう、成功したも同然なのだから。


 PHSは破壊した筈なのに、どうやって異常を伝えたのだろう。

 もしかすると俺達が飾りと思っていた、塀のカメラが意外に働き者だったのかもしれない。

「レゴ」の姿を見て俺の頭を埋めた考えは、ここで時間を稼ぐ事だった。

 大して意味は無いだろう。それでも大して「塀の外」への希望も無い俺には、ここでの足掻きがしっくりきた。


 焦る振りをして、脚立をゆっくりと登る。振り返ると「レゴ」が青白い顔のまま、駆け足でこちらに駆け出すのが目に入った。奴は脚立を登り、俺を追い掛けるだろうか。

 それとも脚立を下から崩すだろうか。もし登る方を選択すれば、奴が中程まで登った所で塀を蹴り、俺共々脚立を倒せば良い。

 本当は俺が塀を登り切った所でまだ脚立にいる「レゴ」だけを地面に叩きつけるのが最善だろう。

 しかし、俺にそこまで時間はない。

 もしも下から脚立を崩されたら、それはそれで良い。

 この場所を誰も通さないのが俺の「役割」だ。


 脚立の中程まで登った所で、下の方から自分意外の負荷が掛かるのを感じた。

 下から何やら喚いているのが聞こえたが、無視して登った。

 お前が今の俺の位置に来た時に、俺の役目は終了だ。


「レゴ」の位置を確認しようと下に目をやると、視界に違和感を感じた。


 目の端を掠めたのは人の気配だった。

 遅かったが警備隊が駆け付けたのだろう。


「小西、あかん! それだけはあかん! 今すぐ戻れ! お前はそんな事してええ人間ちゃう!」


 耳に届いたのは警備隊ではなく、白井の懐かしい声だった。

 その「声」だけで、俺は決意の全てを砕かれそうになった。

 今思い返せば、何故か俺だけは特別気に掛けてくれていた様な気がする。

 勘違いであろうと、それでも俺の「恩師」に変わりはない。


 警備隊ではなく、白井が何の武装もせずに駆け付けたのは気になったが、偶然近くに居合わせたのだと勝手に納得した。


「くそっ、中西は囮か!」


 吐き捨てた白井は、もう脚立の側まで近付いていた。


「何を仲良く脚立登っとるんや! 脚立を倒さんかい!」


「レゴ」に怒鳴った白井が、俺を下から睨んでいるのが見えた。



「小西! 反省や悔い改める事に遅いなんて事はあらへん! お前はやり直せる人間や。今すぐ戻れ!」


 こんな事になっても、まだ白井は手を差し伸べてくれるのか。しかし、もう遅すぎる。


 罪は消せない──


 もう、塀の上に手が届く。


「レゴ」も脚立の中程に位置している。


 後は塀を蹴れば俺の役割は完了だ。


「ばか! 小西早くいけ!」


 その声は俺を硬直させた。



 吉田さんだった。




 下に目をやると、気絶している振りをしている筈の吉田さんが、白井と組み合っているのが見える。


「すんませんおやじ! こいつだけは逃がしてやりたいんです!」


 必死の形相で掴み掛かる吉田さんを、夢でも見るかの様に感じた。


「あほ! 日本の警察から逃げる何か無理や! ここで未遂で終わる方があいつの為やぞ!」




 逃げないさ──


 そう心で呟き足に力を込める。




 吉田さんはどうなるんだろう。何らかの罪は受けるだろうな。

 あの吉田さんが、行動を起こすとは思えなかった。



 無駄にしてしまった──




 ごめん、吉田さん。




 塀を蹴ると予想以上に重く、ゆっくりと背中から倒れていった。

 目の前が灰色のコンクリートから、青い空へと変わってゆく。





 今日は、晴れだったのか。




「あかん!」




 白井のおやじ、ごめん。




 風を切る音が聞こえた。




「レゴ」も巻き込んで、ごめん。



 背中の衝撃に備える。



 凉子──



 ごめんな。


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