小西 10話
目の前には肉片と、亀裂が入った骨の様な物だけが血溜まりに浸かっているだけで、焦げ茶色の壷鬼の姿は見えなかった。いや、見えてはいるがもはや壷鬼と視認できる物ではない。
皆の歓声が背後で聞こえる。
腹部に受けた鬼の一撃は、肉が破れてはいたが臓器が見える程深くは無かった。魔力を纏わずに受けた傷ではあったが、鬼も充分に魔力を練らずに放った決死の一手だったのだろう。
涼子──
元から涼子の記憶がある俺には、名を取り戻せたか自分の記憶で確認する術が無い。記憶を取り戻せて後悔は無いか、一抹の不安が胸を刺したが覚悟を決め、涼子がいるであろう方へ視線を向けた。
負傷した人間の傍で療法を施しているのが目に入り、その姿や顔からは記憶を取り戻せたのかどうかは推し量れなかった。
「コニシ、良くやったな」
「いえ、アルマさんが奴を拘束してくれなければ、捨て身の一撃になっていました。ありがとうございます。それより、記憶の方はどうですか?」
「まだ変化は無い。時間が掛かるのかもしれんな。それよりも、壷鬼は弱体化する時期だが、体格まで一回り小さくなった様に思えた」
「確かですか?」
「あぁ、見間違えはしない。壷鬼の体が縮む話は聞いた事が無いが、この森で何か起きているのならば、警戒するに越したことは無い」
「不吉ですね。もう腕と腹がぼろぼろです」
腕を見てみると、肘から下の服が破れて皮膚が爛れていた。腹部も血の流れに合わせる様に、鈍く熱い痛みが走る。
早く治療してもらわなければ、出血が酷いな──
療法が使用できるロキさんの姿を探すと、目の前を何かが横切った。
「うあ、あ」
横切った「何か」は腹の大部分が抉れ、下半身が千切れかけた隊の仲間だった。
腹筋に力が入らず声が出ないのか、言葉を話せていない。
「コニシ、あいつを連れて逃げろ。あれは悪業を積み、位が上がった奴だ。村の方へは行くな。ひたすら走れ」
アルマさんのこの状況で指すあいつとは、涼子の事だろう。畏怖を含んだ表情のアルマさんの目線を追うと、内出血時の皮膚を思わせる深紫に染まった皮膚をした鬼が、水気を帯びた瞳で「俺」を見ている。
「聞こえなかったか! あの鬼は、親だ! 子を殺したお前を狙っている!」
鬼がこちらに歩き、鬱陶しそうに腕を払う度に、仲間の胴体が下半身を残して飛び散り、一撃で命を削り取る。
「じゃ、邪鬼だ! 壷鬼が【成り】《な》やがったんだ」
誰かがそう言った瞬間に、皆に「逃走」の2文字が浮かんでいるのが見て取れた。
それ程までに鬼の威圧は、簡単に死を連想させられる。
鬼の潤んだ目を見て、感情が酷く乱れた。
鬼にも涙を流せる感情があるのか──
子を殺した罪の意識等、欠片も感じない。
俺もお前と同じだ──
今お前が腕を薙ぎ払い、仲間の命を散らしても何も感じない様に──
お前の涙を見ても、俺は殺した子に対して何も感じない。
今あるのは「憎しみ」だけだ。
お前が、奪った物を取り返す。
刺し違えようとも。
「名を返してもらう」
「コニシ君! 駄目です、このままじゃ全滅ですよ!」
ロキさんの声が聞こえたが、涼子を連れて奴から逃げ切れるイメージが湧かなかった。
「ロキさん、アルマさん、──を、あぁくそっ! あいつをお願いします!」
涼子の名前を呼べないのが、もどかしかった。奴の2メートルを優に越しているであろう巨体が、こちらにゆっくりと近付いてくるのが分かる。
それでいい──
涼子に近寄るな。
鬼の通る道にいた人間がほとんど絶命している中、俺は魔力を全力で纏い戦闘に備えた。
戦闘経験の少ない俺にできる事──
俺一人では奴の攻撃を受けて、弱点の「角」にこちらの一撃を当てるぐらいしか、思い付かない。
失敗する可能性を一切考慮しない、子供の様な閃きだと、自分でも笑えてくる。
「阿呆が」
アルマさんがそう言い残して、涼子の方へ駆け出したのが分かった。
「何とか、隙を作ります」
ロキさんは両の掌に魔力を纏って、鬼に向かい駆け出した。
「コニシ君! 目を閉じて!」
ロキさんが言い終えた瞬間に、光が満ちるのを瞼の裏で感じた。
あれは確か「光石」が魔力を過剰摂取した際に発する、目が眩む程の光を放つ現象だった筈だ。
目を開けると鬼が目を抑え、立ち止まっていた。間を空ける事なく、ロキさんの精緻な魔力操作で作られた拳程の魔力が弾丸となり、十を越える魔弾が鬼に着弾する。
「
ロキさんが放った魔力の弾は、鬼に傷一つ与えれていなかったが、着弾した瞬間に拘束する輪となり鬼の体を縛り付けていた。
「吸収します!」
鞭の様に変質したロキさんの魔力が鬼に絡まり、鬼の魔力を奪う。
これで奴は生身──
限定的な俺の技を確実に当てさせる為に、ここまでしてくれたんだ。失敗は許されない。
鬼の目が眩んだ瞬間に駆け出していた俺の目の前に、見上げる程の巨体が迫る。
狙うは、頭部に生えた「角」のみ──
鬼に接近する程に恐怖が心臓を打ち、足が震えそうになったが、何とか跳躍し、鬼の頭上を位置取る。
少し前の世界でなら、世界記録かもしれないな──
鬼の「角」を掴み、筋肉で盛り上がった肩を足場として借りた。
「
練り上げた魔力を無理矢理掌から放出し、直後に掌の皮膚と骨に鈍い痛みが走ったが、完全に技が決まった。
しかし、心臓を撫でられでもした様な悪寒を感じて、足を掛けていた鬼の肩を蹴り上げて後ろに跳んだ。
頭を消し飛ばすつもりで放った実戦での大技は、鍛練時よりも多少威力は落ちていた様に思えたが──
何故、「角」が折れただけで済んでいる?
恐怖を感じ、反射的に強く魔力を全身に纏った瞬間、鬼が自身を拘束する魔力を千切り、距離を詰められて腹に前蹴りを喰らう。
幸い魔力が練られた一撃では無かったが、蹴りを喰らった箇所が熱く痺れて、喉の奥に血か胃液か分からない、生暖かい液体が上がってきているのを感じた。
壷鬼での傷が抉られ、出血が酷くなり朦朧として追撃に備えれずにいた。
このままでは、殺される──
そう思った瞬間に、鬼が銀色の球に包まれた。
「どっちも、人の言う事を訊かん居候だ」
声の方を見ると、アルマさんと涼子がいた。
逃げていない?
一瞬の困惑が、直ぐ様アルマさんへの怒りに変わる。しかし、アルマさんの能力で助けられたのも事実だった。
「コニシさん! 一緒に倒しましょう!」
涼子の声には、本当に倒せると心から信じているのが分かる程に、悲観的な響きがない。
金属が破れる鈍い音がした。
鬼の方へ視線を向けると、金属を紙でも破る様に裂いて、這い出てくるのが見える。
「コニシ君」
ロキさんの真剣な瞳は、諦めた人間のそれでは無かった。
「内部から奴にダメージを与えましょう。コニシ君の魔力を僕では無く、鬼に吸収させます。ありったけの魔力を無理矢理注げば、パンクする筈です。アルマさん! 何とか鬼の動きを止めれませんか」
「
ロキさんが言い終えるよりも先に、アルマさんは水の様に滑らかな鉄を操り、孔雀が作られていた。
羽を広げた銀の孔雀は、鬼に迫る程の巨体で鬼へ駆ける。
「コニシ君、僕が鬼の体に触れたら、この鞭に魔力を全力で注いで下さい」
孔雀が鬼の殴打を喰らい、甲高い音を響かせながらその身を歪な形に歪ませていた。その度にアルマさんの魔力が注がれ、修復されてはいるがアルマさんの顔が苦悶に満ちている。
魔力切れが近い──
孔雀が針の様な鉄の羽毛を飛ばし、鬼の強靭な体に全て弾かれた。
「捕まえましたよ。それだけ動くと、お腹が空いてるでしょう?」
ロキさんが背後から鬼の胴体にしがみ付いたのを確認し、腕に巻き付いている俺とロキさんを繋ぐ、魔力の鞭に祈りを込めて魔力を注ぐ。
これで終わってくれ──
孔雀が項垂れて、元の鉄の塊になるのが見えた。
ロキさんの体が発光し、鬼の腹が内側から不自然に膨れる。
早く──
鬼の手が、ロキさんの頭を掴む。
「そのお腹の怪我を治す魔力、無くなっちゃうかもです」
冷たく湿った手が、俺の腕に添えられた。
震えている──
涼子の魔力が加わった瞬間に鬼の動きが止まり、深紫の体に痙攣が起きていた。
魔力を流している腕が、血を吹き出しながら裂け、涼子と俺の顔を濡らす。
腕が破裂する──
鬼が低く唸り出したが、それを掻き消す様に俺が叫んだ瞬間、こちらの腕と鬼の腹から鮮血が舞った。
腕の痛みと魔力の使い過ぎで視界が揺れる中、何とか鬼に目を向けると、腹部に空いた穴から臓器が垂れていた。
「まだ生きています!」
血に濡れたロキさんが必死の形相で叫んだが、体が動かない。
鬼は震える手でロキさんの頭を掴んだ。
「やめて!」
涼子が駆け出した──
辞めろ──
(──僕はね、この小さな村が好きなんですよ)
(──アルマさんて、意外と小鳥や甘い物が好きって知ってましたか)
(──コニシ君、生きて帰りましょうね)
「う、うぁ」
ロキさんの頭が、嫌な音を出しながら弾け飛んだ。
「いやあ!」
涼子が悲壮な声を上げ、立ち止まる。傍に行こうとしたが、俺の意識とは無関係に膝が折れた。
「逃げろ!」
アルマさんが生身のまま、鬼の首に飛び付いた。
「や、やめてくれ」
自然と声と涙が漏れた。何故、声が出せるのに動かないんだ。
「辞めて!」
涼子が叫ぶのと同時に、アルマさんの首が捻切れその手にした頭を、鬼はごみの様に放った。
「──」
涼子の名を叫んだつもりだったが、虚しく息だけが、吐き出される。
「返して! アルマさんとロキさんを返して!」
泣きじゃくりながら鬼に叫ぶ涼子に、鬼は下卑た笑みを向けた。
辞めてくれ──
お願いだから、何でもするから──
鬼は震える涼子の肩に手を置くと
頭に噛り付いた。
「い、痛」
涼子──
頭の上半分を無くした涼子の前で、鬼は血だらけの口の中で下品に咀嚼し、痙攣する涼子を蹴り払う。
憎い──
鬼も、無力な自分も、理不尽な神も──
全部無くなってしまえ──
体の周りに青白く光る何かが、水が油から跳ねる様な音と共に不規則に迸っている。
あいつを消せるなら、もう何だっていい──
体から全てを解き放つ様に、力を放出した。
辺りに青い雷が迸り、一帯が光に包み込まれた──
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