小西 8話



「おう、今日からよろしく頼むわ。おら、挨拶しねえか」


 雑に剃った髭が青く口周りを覆い、いつ切ったのか分からない乱れた髪が、不衛生なその男の生活を表している様だった。


「宜しくお願いします」


 俺は「父」である男に促されて、頭を下げたが、突然家からいなくなった母に対しての思いと、単純に恥ずかしかったから不貞腐れていた様に思う。


「宜しくね、今日から家族だからね」


 美人だと子供心にも分かる程、俺に優しい言葉を掛けてくれた女性は、控え目ではあるが女性らしく、透明感のある女性だと思ったのを覚えている。


「ほら、涼子。お兄ちゃんになる人だから挨拶しなさい」


「こんにちは」


 それが、涼子との出会いだった。


「まあ、お互いゆっくり慣れようや」


 俺の父は昔から女にモテたらしく、死んだ母も苦労していた。

 見た目はだらしの無いおっさんだが、女と子供に優しく、ギャンブルや酒の類いの物に手を出しているのは見た事が無い。


 ただ、絶望的に女運が無かった。

 涼子の母は、一緒に暮らして間も無く家から消えた。子供心にも涼子の母に男の影を見た俺は、父に理由を聞く事はなかった。


「涼子、何も気にするなよ。お前は俺の子だ」


 父がこう言った時から俺には守るべき存在ができ、母を無くした者同士で通じる物もあったのか、俺達は心を開くのに大して時間は必要無かった。




 転校を繰り返してきた涼子は、虐めに心が慣れてしまっていた。そんな涼子が、小学生の虐めの対象になるのに時間は掛からなかったが、クラスの中心的な存在でもない俺が虐めっ子に立ち向かえたのは、相手が涼子と同じく3つも学年が下であったからだと思う。



 月日が経っても家族三人でやっていけた。高校ぐらいは卒業しておけと言い張る父と揉めに揉めて、俺は高校を中退して父の仕事を手伝う様になった。

 涼子は高校から大学に無事進学し、皮肉にも自分を捨てた母に似て美人に育った。



「いい加減そのネックレス捨てろよ。男が寄り付かないぞ」


「別に私が何付けたっていいでしょ。お兄ちゃんだって彼女できた事ない癖に」



 大学の飲み会に行くと粧し付けた涼子を次に見た時は、無残に洋服を引き裂かれた状態で帰宅した姿だった。


 大学を中退した涼子は、程なくして父親が誰かも分からないまま志乃を生んだ。


 事件の事を頑なに喋らない涼子には苦労したが、加害者を見つけ出した時に自分が誰かを守る事よりも、傷付ける事を得意とする事に気付いたのを覚えている。


 法廷で執行猶予無しの実刑判決を受ける俺を見た時の、涼子と父の顔を俺は忘れる事はないだろう。






 壷鬼の壷変えの時期まで残り一ヶ月となった今、昔の事を思い出して感傷的になってはいるが、俺も大分この世界に慣れた様に思う。


「この世界、【インシュラ】ではコニシ君が言う【週間】とやらはありませんね。12ヶ月で1周期とするのは合ってますよ。週間ではなく1回目2回目と数えます。例えば今日は、8月の10回目ですね。コニシ君がアルマさんに助けられたのが、確か3月の20回目です」


 ロキさんとの会話と称した勉強も、もう何回目になるだろうか。

 幸い日本と特別違うのは、共存する種族が多種である事と、人間を食らう存在がいる事だ。


 この世界で初めて魔物を見た時は、本当に怖かった。

 実戦だと言われ、森の中で小学生程の体躯をした天狗の様な魔物と対峙し、恐怖で魔力の扱いがいつも以上に不安定になった所に天狗の蹴りを受け、内臓が損傷して死にかけた所をアルマさんに助けられた事を思い出すと、今でも足が震えそうになる。



「コニシ、お前は自分の体に傷を負う事に無頓着過ぎるな。魔力は感情や心の力が顕著に表れる。お前が身を守ろうと魔力を纏っても、上着一枚羽織るのとそう変わらん。これからは、触れた相手を壊すイメージで魔力を纏え」


 討伐まで残りの日が僅かとなった時に、アルマさんにそう言われた。


 200人程が暮らす、この小さな村は討伐を控えて重苦しい空気が流れていた。


 討伐に参加する者が20人程しか集まらなかったのは、討伐に反対的な意見が多かったからだ。これ以上命を散らす事よりも、年に数回である壷鬼の被害に目を瞑ると決めた人間が大半だった。


 20人にはある程度役割があり、俺は壷鬼へ止めを刺す役目を与えられた。

 自分でも自覚できる程に、魔力を操る事が苦手で、本来は様々な形へ変えた魔力を飛ばしたり硬質化させ武器としても扱える魔力を、俺は拳や足に纏って殴る事しかできない。おまけに地獄の様な鍛練を毎日行った今でも、俺に発現の能力が開花する事は無かった。しかし決定打に欠けていた討伐隊には、俺の存在は都合が良かったとアルマさんが言っていた。



「守りを考えるな。地を削り大木をへし折るお前の拳を、相手に当てる事だけを考えろ」


 いつも不機嫌な顔をしていると思っていたが、実は微妙に感情を表しているアルマさんの表情が分かる様になったのは、最近の事だ。



「誰かが死ぬなんて事、ないですよね」


 涼子は発現しないタイプの人間らしく、療法と呼ばれる治癒術が得意で今回の討伐隊にも、反対を押し切って参加していた。それでも、涼子とは一定の距離を保って接していた。


「もちろんです」


 この半年で憎しみや殺意が、錆びる事は無かった。

 魔物の命を奪った夜に悪夢を見るのも慣れたし、骨が折れる程度なら村の治療士か涼子に、療法を施してもらえばいい。



 明日は、討伐だ──


 

 




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