8 『過去からの追手』
せっかく水月先輩という滅多に会えないレアキャラに会えたのに、知りたかったことをまったく聞けなかったわたしは、大変もったいないことをしてしまったような気分で帰路についていた。
あの意味深なセリフの数々は何だったのか。厄介なのは、ただ単に意味深なセリフを言ってみたかっただけ、という可能性が残っているところだ。
よくある天使と悪魔の出てくる論理ゲームを思い出す。必ず正しく答える天使と、必ず嘘をつく悪魔の二人(どちらがどちらかは分からない)に、決められた回数だけ質問をして、正しい答えに辿り着くためにはどうすればいいか? というクイズだ。このテのクイズは天使と悪魔の二人だけなら比較的簡単だが、ランダムに答えを返す『狂人』が混ざってくると途端に難易度が増す。そんな感じだ。
そうやって考え込んでいたからだろうか。わたしは駅前に着いても、すぐに電車に乗る気にはなれなかった。頭の中がゴチャゴチャしているときに、人がゴチャゴチャしている都会の駅に踏み込んでいくのが億劫だったのかもしれない。わたしは駅の裏手側、人気がない方の道に足を向けた。
この辺りは地元ではないので、ひとつ道を逸れるとまったく知らない世界になる。高架脇のその道は、線路の反対側には人でごった返す駅があるとは思えないほど閑散としていた。高架側の壁面にはカラースプレーでラクガキがしてあり、逆側に立ち並ぶのも年季の入ったアパートや、営業しているかどうかも怪しい古びたゲームセンターといったものばかりで、どことなく退廃的な雰囲気が漂っている。
こういう日陰でジメジメしたところは落ち着く。中学時代、イチたち不良どもとよくこんな場所でたむろっていたからである。自分でもどうかと思うが、実際落ち着くものはしょうがない。
と、さっきまでの考え事はどこへやら、懐かしい中学時代のことを思い出しながら歩いていると、これまた懐かしい感じの光景が目に飛び込んでいた。
「テメー小学生じゃねーんだからよ、これっぽっちしか持ってないとかナメてんだろ」
「明日またここに来いよ、もちろんまともな金持ってな。とりあえずケータイ出せやケータイ」
「ご、ごめんなさい……」
壁ドンである。ビルの陰になった駐車場の片隅で、私服の男が男子高校生を壁に押し付けており、もう一人そいつの仲間とおぼしき私服が財布を弄んでいる。私服二人は絵に書いたようなチンピラといった格好で、壁ドンされている男の制服にも見覚えはない。
そういえばクルミちゃんが、カツアゲに気をつけろって言ってたっけ。都心でもカツアゲなんてあるんだな、とわたしは妙なところに感心しつつ、男たちにつかつかと近寄っていった。
状況としては、チンピラは財布をカツアゲしただけでは飽き足らず、さらに金を引っ張り出すために連絡先を聞き出そうとしており、財布を差し出した高校生もそれにはささやかな抵抗を試みているようだ。金を渡して終わりならいいが、携帯番号や住所なんか知られると何をされるか分からないからだろう。
とはいえ、その抵抗はささやかすぎて、チンピラ二人を止めることはできないだろう。
「ちょっとアンタら」
なのでわたしは、気軽に首を突っ込んでみることにした。
「あぁ!?」
チンピラは大声を出して、わたしを睨みつけて威嚇する。未知のものと出会ったときに見せる、チンピラの基本的な習性である。
「何してんの?」
「んだよ、俺らオトモダチと話してただけだっつーの」
「おう、そーそー、だろ?」
チンピラはわたしを小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、被害者生徒くんの肩に腕を回し、頷け、という風に睨みつける。生徒くんは「は、はい」と反射的に肯定の返事をした。まあ仕方ないだろう。オマワリが来たんならともかく、わたしみたいな小娘が一人やってきたところで、事態が好転したとは思えないだろうから。
「おら、コイツもそうだって言ってんだろが。分かったらどっか行けや!」
「そっか、オトモダチなんだ」
「そうだっつってんだろ!」
「そっかー……」
唾を飛ばして顔を歪めるチンピラに、わたしは言い放った。
「じゃあオトモダチと遊ぶの止めてどっか消えろ。目障りなんだよ」
軽い気持ちでチンピラを追い払いに来たわたしだったが、若干イラっとしていた。コイツ等はイラっとするタイプのチンピラだ。
だいたいカツアゲの時点でやってることがセコいのに、見え透いた嘘をついて自分たちを正当化しようとしているのが気に食わない。被害者を脅して「オトモダチです」なんて戯言に頷かせて、こちらの大義名分を奪おうなんて小賢しい真似をするのが気に食わない。自分たちは大義名分なんてなくたって、カツアゲでもケンカでも何でもやる癖にだ。
せめてチンピラもチンピラなりに、カツアゲしてんだよ文句あるか、と言うぐらいの潔さを持ってほしいものである。
「あ……?」
「消えろって言ったのよ。別に何してるかとか関係ないから」
あまりにわたしの言葉が予想外だったのか呆けている二人に、ゆっくりと同じことを繰り返してやる。
「このアマ……」
チンピラは肩を組んでいた生徒を強引に突き放すと、ずかずかとわたしに迫ってきた。背の低いわたしの上に屈み込むように、至近距離から睨みつけてくる。
「てめえ、ブチ殺されてえのか」
「……」
チンピラは怒りに顔をひくつかせているが、いきなり殴ってきたりはしない。このへんは、まあほとんどの人にはどうでもいいと思われるが、面倒くさいチンピラの習性である。
『ケンカは先手必勝』と言われる。まあこれは間違ってはいない。誰だっていきなり鼻っ柱をブン殴られたらいくらか戦意を喪失してしまうものであるし、喪失しない人はボクサーか何かを目指したほうがいい。よって先手を取ってブン殴れば高確率で喧嘩には勝てる。
勝てるのだが。だからといって『先手必勝』と出会い頭に気に食わない奴をバカスカ殴っていたらそれはもうチンピラですらない、ただの狂犬だ。目の前のコイツのように、チンピラはよく『ぶっ殺す』系のことを言うが、実際にぶっ殺すことはあんまりないはずである(当たり前だ)。
チンピラだって殴る相手と場所を選んでいるし、できれば殴らずに目的を達成したいのである。だから『ガンをつける』とか『大声で怒鳴る』とかいうチンピラ特有の文化(?)が発達したのだ。こうして、『ブチ殺す』とか言いながら、いつでも殴れる距離で睨みつける。いわばこれはケンカの前の前哨戦であり、ただの狂犬をチンピラたらしめるために必要な儀式なのである。
……とまあ怪しげなウンチクはさておき。
わたしは顔を近づけて睨んでくるチンピラを負けじと睨み返しつつ、さらに一歩を踏み出してぐいと顔を寄せた。
ただでさえ近かったのが、鼻と鼻が触れそうな位置にまで寄ることになる。
「うおっ!?」
男は面食らい、思わず顔をのけぞらせ数歩後ずさった。これが、チンピラの習性を逆手にとった、わたしが女であることを利用した必勝法である。
男同士ならデコがぶつかるぐらいのガンのつけあいぐらいは日常茶飯事である(たぶん)が、女がそれをやってくるとは普通は思わない。チンピラはビビらすつもりで睨みつけてきているわけで、別に婦女暴行を企てているわけではないのだ。触れそうなほどに女の顔が近づいてきたら、普通は面食らう。
もっと大人ならもしかすると通じないのかもしれないが、チンピラ共は見たところわたしと大して変わらない年齢であり、この作戦が一番効果てきめんなお年頃だ。わたしはこれを、『思春期殺し』と名付けている。
「な、なんのつもりだテメエ!」
心なしか顔を赤くしていいつのるチンピラに、わたしは勝ち誇った笑みを浮かべて見せた。
「何よ、ビビってんの?」
見る見るうちにチンピラの顔が別の意味、つまり怒りで真っ赤に染まっていく。
勝った。
ご存知の通り、ガンのつけあいでは最初に引いた方の負けなのだ。ネトゲ上の罵り合いで、先に落ちたほうが負けになるのと同じ理屈である。どんな理由があろうとも、睨み合った結果相手が数歩退いた。それは事実なのだ。わたしは思い切り勝ち誇った。
「てめえ、ぶっ殺してやるーーーーー!」
まあ、『思春期殺し』に弱点があるとすれば。
今の眼の前の相手のように、高確率で逆上して殴りかかってこられることかな。
そう、ガンのつけ合いという前哨戦を強制的に終了させるということは、そこから本戦に突入するということでもあるのだ!
「えいっ」
「ぶへぇ!?」
といえ、わたしにとっては今まで何百回とやってきたお決まりの展開である。大振りの拳を屈みこむようにかわすと、鳩尾に正拳突きを叩き込んでやる。
「ご、げほっ」
たまらず屈み込んで嘔吐するチンピラ。と、それまで静観していたもう一人のチンピラも財布を投げ捨て、こちらに向かってくる。
「コイツ、調子に乗ってんじゃ……」
「えいっ」
「ごっ!?」
無防備に近寄ってきたチンピラその2には、問答無用で飛び上がっての廻し蹴り。
狙い通りに側頭部をとらえ、憐れチンピラその2は昏倒した。前哨戦はもう終わったのだから、今度は『先手必勝』が正しい。諸行無常である。
「よっしゃ、こいつら立ち直る前に逃げな」
「あ、ありがとうございます!」
声をかけてやると、男子生徒くんは自分の財布を拾い上げ、小走りに去っていった。その顔が妙に赤いのでどうしたのだろうと考え、ふと今の自分がスカートだったことに気づく。
……飛び蹴りは失敗だったかな。
反省しつつ、わたしもさっさと立ち去ることにした。ケンカは引き際も大事である。獲物を前に舌舐めずりは三流のやることと言うが、敗者を前にのんびり勝ち名乗りも二流のやることなのだ。
「テ、メェ……」
と、ゲロを吐いていた方のチンピラが、上半身を起こして何か言っている。振り向いてぎろりと睨んでやると怯んだ様子だったが、それでもこう続けた。
「顔、覚えたかんな……。俺らチーム『バスケット・ケース』を舐めんじゃねえぞ……」
「あっそ」
わたしは『だからどうした』という顔をして、踵を返した。
が、内心は少し、心のざわつきを感じていた。もちろん復讐を恐れたわけではないが、チーム『バスケット・ケース』というと最近どこかで聞いた名前だ。
『なんかサクラダとかウッシーは、バスケット・ケースとかいう名前のチームみたいのに入ったらしくって』
『上でヤクザに繋がってるとかなんとか、あんまいい噂きかないんスよね』
道場で聞いた、イチの話を思い出す。そしてこの周辺で、最近カツアゲが多発しているという情報もある。さっきのチンピラ共が本当にそのチーム員で、奴らの思いつきじゃなく、組織的に金を集めているんだとしたら。想像以上にタチの悪いチームに、サクラダ達はつかまってしまっているのかもしれない。
……一度、詳しく話を聞いてみたほうがいいかもね。
足取りも重く駅に向かっていると、スマホが鳴る。
取り出してみると、やはりというかなんというか、イチからの着信だった。
呼び出しをうけて、わたしはイチの家のガレージにいる。自宅には寄っていないので制服姿のままだ。陽は落ち、とっくに稽古の始まっている時間である。
「んで? 何よ、道場じゃできない話ってのは」
わたしは工具箱の上にあぐらを書いて座りつつそう尋ねたが、まあどんな話かはだいたい分かっていた。
目の前で地べたに正座している男が二人、その傍で見張るように腕組みして立っているのがイチだ。正座しているのはサクラダとウッシー、共に同じ中学の出身で、かつては共に暴れまわった仲である。
サクラダはひょろりと白長い不健康そうな顔を青ざめさせていて、ウッシーは横に大きな体をせいいっぱい縮めて座っている。サクラダは無傷だったが、ウッシーの方は顔に大きな青痣をこしらえ、唇も切れているようだった。
「ほら、オメーら、姐さんにちゃんと自分で説明しろ」
イチに促され、二人は顔を見合わせると
「すいません姐さん。俺ら卒業してから、バスケット・ケースってチームに入ったんスけど……」
代表してサクラダが、経緯を語り始めた。
「バカ野朗共が」
「すいません……」
「っとに、バカだよなお前ら……」
サクラダの話を聞き終えて、わたしは大きなため息をついた。
細かいところはともかく、話の内容は単純至極。イナミとかいうカッコいいリーダーに憧れて、バスケット・ケースとかいうチームに入ったこと。だが大所帯のチームとあってリーダーとはほとんど接点もなく、新入りかつガキということで下っ端もいいところで、パシリ同然の扱いを受けたこと。それだけならまだしも、多額の上納金を払えと言われて、他の下っ端たちはそれを支払うためにせっせとカツアゲに勤しんでいたこと。
「もちろん、俺らはカツアゲなんてしてないです。姐さんと約束しましたし」
「アンタ等基本お人好しだしねえ」
「でも、ちょっとバイトとかして払える額じゃなくて……それで、チーム抜けたいって言ったら」
サクラダはウッシーの、可哀想に腫れ上がった顔を見る。
「ま、よくある話だわな」
中学生がツッパってるのとは違うのだ。そういうチームには、大抵カンタンには抜けられないようなルールというものが設定されている。
『バスケット・ケース』の場合は、チーム全員から一発ずつ貰うというもの。辞めたいと切り出したウッシーは今回、上の人間に一発キツいのを食らって追い返されただけで済んだようだが、これをあと数十人から受けることになる。
要するに、リンチだ。
「良くて病院送りってとこか。ヤクザとつるんでるって噂が本当なら、それ以上もありえるな」
わたしは努めて冷静にそう言った。サクラダ達の表情が泣きそうなものに変わる。
「俺らそんなこと全然知らなくて……もうどうしたらいいかわかんなくて、姐さんしか頼れる人がいねーんだよ」
「オメーらが考えなしにンなとこ入るからだろうが! せっかく姐さんはカタギに戻ったっつーのに、どんだけメーワクかける気だお前ら!」
イチが怒鳴り、二人はますます身を縮こまらせる。うんイチ、わたしのために怒ってくれるのはありがたいが、わたしがカタギじゃなかったみたいに言うのはやめろ?
「ごめんよ、本当ごめんよ姐さん。もし抜けれたら絶対チーマーなんかに関わらないし、真面目に働くからよお……」
額を地面にこすりつけんばかりにして頼むサクラダたちを見下ろして、わたしは天を仰いだ。といってもガレージの中なので、見えるのは無骨な支柱とトタンばかりだが。
なんつーか、ちょっと遠くの高校に行ってみたところで、過去からは逃げられないもんだなあ、と思ったのだ。
中学時代から、程度の差こそあれ、似たようなことはよくあった。それはサクラダ達に限った話ではない。やれ他所の中学と喧嘩になったの、窓ガラスを割ったの、先公をぶん殴ったの、補導されたの……。あらゆる問題を起こしては、どいつもこいつもわたしの所に「どうしよう」と言ってきたものだ。
今回も、明らかにわたしの手に負えない問題を持ち込んできた。お互い中坊じゃなくなって、やらかしても冗談じゃ済まなくなってきてる。それでもわたしに甘える構造はなんにも変わっていやしないのだ。
そしてそれは、こいつ等のせいばかりじゃない。他でもないわたしが、次々と持ち込まれる面倒事に、喜々として首を突っ込みまくっていた過去があるからなのだ。子供のいさかいとしか言いようがないような小さな問題を解決したつもりになって、「わたしはこいつらの面倒を見てやってる」なんて小さな優越感を抱いて悦に入っていたせいだ。だからこいつらにも「姐さんが後始末をしてくれるから大丈夫」なんて勘違いをさせることになってしまった。
要するに、こいつらが考えなしなのも、面倒な事態に陥ってるのも、みんなみーんなわたしのせいだったのだ。
「……姐さん、こんなことのために呼び出してすんませんした」
そんなわたしの表情を見てか、イチが言った。
「やっぱ、こいつらのことはこいつら自身に責任取らせますんで」
「おっ、ちょっ、イチ! 待てよ、俺らを見捨てる気……」
「うっせえ!」
イチに一喝され、サクラダが一層縮こまる。
「見捨てるも何も、あの頃とはもう何もかも違げーんだっつってんの。俺はコーコーセーだし、おめーらはフリーター。姐さんなんかジョシコーセーなんだよ。ジョシコーセーに持ち込むような話じゃねーんだよ」
そう言うとイチはわたしに向き直り、
「ほんと、スンマセンっした」
と、頭を下げた。そして、それを見ていたわたしはというと。
「……ぷっ」
耐えきれずに吹き出してしまっていた。そのまま、あははと声を出して笑う。
「ね、姐さん?」
「ジョシコーセーに持ち込む話じゃないってんならさ、そもそもあんたの頭の下げ方も、同い年のジョシコーセーに対するもんじゃないだろ」
なにしろ、それはもう見事な最敬礼だったのだから。
「や、これはなんかもう、染み付いたモンっつうか……」
照れたような顔でイチは鼻をかく。
「だよね。わたしもイチも、サクラダ、ウッシー、あんたらも、染み付いちゃってんだよ。そーカンタンに人間変われないってこと」
わたしは立ち上がり、ぱんぱんとスカートについた埃を払う。その手をそのまま、畏まって正座している二人の肩に置いた。
「でもさ、変わろうとはしないとダメだと思う。わたしら、もうチューボーじゃないんだからさ。だろ?」
「は、はい!」
背筋を伸ばして返事をする二人に、わたしはまた笑いを漏らしてしまう。
「足、痺れたろ。いつまでもんなとこ座ってないで、移動するか。そんで、詳しい話を聞かせてくれや」
「ね、姐さん! じゃあ……」
「オウ。今回はわたしが、なんとかしてケツ持ってやるよ。ただし、あんたらの望む結末になるとは限らない。いいな?」
「あ……ありがとうございますっ!」
イチまで一緒になって、声を揃えて頭を下げる三人を見て。
わたしは、こいつらもわたしもそうそう変われはしないんだなと、そう思った。
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