3 『謎の美少女現る!?』
そういうわけで。
わたしは入学式初日から馬券師部などというよくわからない部活動に入部させられ、よくわからないままに来週末は競馬場に行くという約束をさせられてしまった。
まあ、それはいいのだ。週末といったって特に予定もなかったし、競馬場というのがどんなところなのか、少し興味もある。馬券勝負といったって何をするのか分からないし、どうせ期待もされてない(たぶん)ようなので、馬ばっかりいる動物園に遊びに行くぐらいの気持ちで楽しんでくるつもりだ。
だがそれはあくまで先の予定であり、その前に明日というものはやってくるのである。
「ねえねえ羽崎さん、馬券師部にスカウトされたって本当?」
「マジで? 噂の安楽椅子馬券師に会ったの?」
「ななこって人でしょ? 馬券勝負で30連勝してるとか……」
「いや、記録に残っていないだけで、数十年に渡って負け知らずとかいう噂も……」
入学式の日の翌朝。
わたしはクラスメイトたちの質問攻めにあって、早くもげんなりとしてしまっていた。
馬券師部とその部長であるななこ先輩は(この学校という狭い世界の中では)わたしが思っていたよりもはるかに有名で、皆にとって好奇心をくすぐられる相手のようだった。皆、入れ代わり立ち代わりに又聞き孫聞きの怪しいウワサを持ち出してきて、わたしにその真偽を尋ねてくるのである。
もちろんそのほとんどは入部したばかりのわたしに分かるはずもないことばかりであり、一部に関しては確認するまでもないデマカセだった。数十年負け知らずって、どんだけ留年してるんだよ。
だがまあ、馬券師部の話はまだ良いのだ。
知らないことには知らないと言って、自分が部室に行って見てきたことだけを話してあげればいいのだから。
しかし、馬券師部の話をふんふんと興味深げに聞いた人たちは、決まって次にこんなようなことを言うのだ。
「馬券師部にスカウトされるってことはすごく競馬強いんだよね。皐月賞は何が本命?」
「今年はどの種牡馬に注目してる?」
「ニックスについてどう思う?」
「先週のダービー卿CTのラップを解析してみたんだけど見解を」
……日本語でおk。
と、そんな感じで延々青のり養殖の話を聞かされ続けたわたしは、「知るか!!!」と怒鳴りたいのをぐっとこらえて、みんな悪気があるわけではないのだから、と引きつった笑みを浮かべながら大人しくうんうんと頷いていた。こんなでも、恐れられて誰も話しかけてこなかった中学時代と比べれば(たぶん)マシだろうと思ったのである。
――余談だが、その恐れられて誰も話しかけてこなかった中学時代のことについて、昨日あの後プロフィール研究会の部室に殴り込んでみたのだが。問いただしたところ、副部長の持っていた『完全版』は極少数しか出回っておらず、一般に販売している冊子には氏名や趣味等の簡単なプロフィール情報しか書かれていないらしい。わたしの過去に関しても、『完全版』だけの情報らしかった。
副部長は何らかの方法で手に入れていたようだが、とりあえず一般生徒で『完全版』を持つものは少ないということで、わたしは振り上げた拳を下ろし、『完全版』の在庫を全て焚書に付すだけで済ませたのだ。まあ教師陣は『完全版』をちゃっかり確認しているらしく、何人かの教師は目に見えて態度がよそよそしかったが、教師なら軽々しく生徒の情報を喋ったりはしないだろう。
――というわけで、わたしは過去のぼっち経験から、何とか頑張って話を合わせようとしていたのだが。
オタクというものは、ニワカの匂いに敏感なものである。
というかわたしなんか競馬に関してはニワカですらないのだから、
(あれ? こいつ競馬ぜんぜん知らなくね?)
と気づかれるまでにそう長い時間はかからなかった。
かくして朝一番の教室では人だかりができるほどの大人気だったわたしの席も、昼休みになる頃には大不人気というありさまで、(あいつが馬券師部とか何かの間違いだろう)とかそういう視線をたまに浴びせかけられつつ、すでにいくつかのグループに分かれて弁当を食べているなか一人ぽつんという状態であった。
……。
副部長は言っていた。「われわれが保護していなければ、遅かれ早かれ君は孤立していただろう」と。
だが保護されるされないに関わらず、わたしは入学二日目にしてすでに、見事なまでにクラスで孤立していたのだった。
ぱぱぱぱーん、ぱぱぱー、ぱぱぱぱーん、ぱぱぱー。
この空気の教室で食べるのはつらいな、と弁当を抱えてうなだれていると、わたしの陰鬱な気分とはうらはらな明るいファンファーレが教室のスピーカーから聞こえてきた。
何事かとスピーカーを見る。いや、スピーカーなんだから見てどうなるものでもないんだけど、こういう時ってついそっちを見ちゃうよね。
というのはさておき、ファンファーレに続いて聞こえてきたのは、やたらハイテンションな女性の声だった。
『さー始まりましたよ! 新年度いっっっっっぱつめ! それではいってまいりましょう、時田めぐみのぉ~、アンニュ~~~~イ・ホーシ~ン!』
やや舌っ足らずの、可愛らしい……というよりは甘ったるい喋り方である。
『この番組は、ややおも高校競馬放送部の提供でお送りしてます!』
どうやらいわゆるお昼の放送という奴だったらしい。ていうか競馬放送部って何だよ、そこは普通に放送部でいいだろ。
……なんて思っていたが、内容は確かに競馬放送だった。
『じゃあまずいつものように、先週のレース振り返りからやっていくね? 先週の中山競馬場は雨の影響で芝が重、ダートが不良だったわけなんだけど……』
甘ったるい喋り方に似合わず、ハイテンションな早口のまま意味不明な内容を延々と喋っていく。いや、意味不明なのはわたしだけで、他の人たちにとっては興味深い内容なのだろう。皆おしゃべりを中断して放送に聞き入っている。パーソナリティの女の子も喋り慣れているようで、時折競馬ジョークらしきものを交えたりもしているが、もちろん何がどういうジョークなのかも分からない。そしてそれがまたクラスの皆にウケたりしているのが余計気持ち悪いのである。
放送を聞かないようにしようと思って文庫本などを取り出してみたものの、女の子の甲高い声は容赦なく頭の中にキンキンと響いてくる。
これはあれだ。英語のリスニングのテストで、意味もわからないまま英文の会話を延々聞かされてるような、あの感じ。分かってないのが自分だけだという点も余計にそれを連想させる。
わたしはとてもその場で昼食を摂る気分になれず、時田めぐみという子の声から逃げ出すように、弁当箱を引っ掴んで教室をあとにした。
『……というわけで、馬場の内側は特にダメージが大きいみたいんだよねー。そのへんの影響も考慮したうえで、次のコーナーは皐月賞のレース展望でーす☆!』
廊下に出てきたわたしだったが、廊下にもご丁寧にスピーカーが設置されていて、今にも『きゃるーん』と聞こえてきそうな声を流し続けている。別にそういう、アイドルっぽいのが嫌いなわけではない。嫌いなわけではないのだが、何ていうかフィールドの毒沼でスリップダメージを受け続けるように、心に疲労が溜まっていくのだ。
そもそも朝から、興味もない競馬の話ばかり延々と聞かされてうんざりしていたのである。昼休みぐらいは心に平穏が欲しいと思うのは贅沢なのだろうか? ……とはいえたぶん、それはこの学校では贅沢な望みなんだろう。
わたしの足は無意識に部室棟へ向いていた。一年生の教室は一階にあるので、廊下の端から外に出ればすぐに部室棟の非常階段がある。わたしはその金属製の階段をかんかんと登っていった。馬券師部の部室は三階だ。
競馬から逃れようとして馬券師部に向かうというのは何とも皮肉なことだなとは思ったが、どこもおかしくはない。この学校内で、わたしに他に行くあてなんてないのだ。
しかし、三階まで登ってきたわたしは、棟内には入らず足を止めた。ひとつには、遠ざかりかけていた『あんにゅい・ほーしんぐ』なる番組の音声が、ドアの中からも聞こえていたからである。部室棟にもスピーカーがある以上、当たり前のことなのだが。
そしてもうひとつ、部室棟は三階建であるにも関わらず、さらに上に向かって、人ひとり分狭くなった階段が続いていたからだ。
わたしはほんの少しだけ迷っただけで、すぐにその登り階段の方を選んだ。
階段の上は思った通り、というか当たり前なのだが、屋上になっていた。さすがに校舎外のスピーカーからは競馬放送部の音声は出力されておらず、どこかの教室の窓からかすかに遠く響いてくるのみである。
今どき屋上が解放されているなんて珍しいな、と思ったが、そこだけ新しいやけに高いフェンスに囲まれており、近年安全対策がなされたことが伺える。おそらく(そんなまともな部がこの学校にあればの話だが)天文部などの屋上を使う部活動があって、部室棟の屋上だけは封鎖しなかったのだろう。
ともかく、ここならは少しは落ち着けそうだ。どこかスカートが汚れなさそうな場所があれば、座ってお弁当を食べよう。
そう思ってあらためて辺りを見回したわたしの眼は、ひとりの女の子に釘付けになった。そう、屋上には先客がいたのだ。
彼女はたったひとりでそこにいた。立ったまま何をするでもなく、フェンスに片手を軽く絡ませ、どこか遠くを見ている。
女のわたしでも、思わず見惚れてしまうような白磁のような肌。小さく引き締まった顔に、それぞれの大変整ったパーツが工芸品のように緻密に細工されている。肩甲骨のあたりまで伸ばした色素の薄い髪は、日光を反射してきらきらと金色に輝いている。
そして小さいのは顔だけではなかった。わたしも同年代の平均よりは小柄なほうだが、それよりさらにひとまわりほど小さい。その目に強く理知的な光をたたえていなかったら、小学生に見間違う人もいただろう。だが、今屋上に一人佇んでいる少女は、とても大人びているのがオーラとして見えそうになっていた。
そう、一言で言うならば、彼女はめちゃくちゃキマっていたのである。
わたしはそれ以上足を踏み出すのに躊躇した。というのも、ここで色気のない弁当箱なんか抱えてずかずかと入っていって、彼女のなんていうか、世界観? みたいなものを壊してよいものかどうかと迷ったのだ。
しかし、そうやって硬直しているうちに、彼女の方でわたしに気づいてしまった。振り向いてニコリと、完璧な微笑みを投げかけてくる。
「やあ、お昼かい?」
「あ、は、は、はい」
お昼かい、だって。鈴の鳴るような、微かだけれども力強い、よく通る声で。
最近どこかで似たような声を聞いたような気がしたが、そんな疑問はこの突然の出会いにドキドキと高鳴る胸の鼓動に消えていく。
「ならそこのベンチを使うと良い。私のことは気にしてくれなくていいよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
そう言って顎で差したのは、彼女が立っているすぐ傍だった。ひ、ひー、そんなお傍に寄ってもいいんですか!? などとパニクったことを考えながら、わたしはおずおずと近づき、ベンチに腰掛けた。
風になびく金色の髪のさらさらという音が聞こえそうな距離である。わたしはお弁当を広げながら、どうしてもちらちらと彼女を見てしまうのを抑えきれなかった。
近くで見ても、間違いなくわたしが生きてきて見たなかでいちばんの美少女だった。よく現実離れした美しさを指して、お人形さんみたい、などと言うが、彼女は美術品のようだった。まるでどこかの絵画から彼女のレイヤだけを切り取って、無関係なこの屋上というテクスチャの上に貼り付けられたように、周囲から浮かび上がって見えた。
わたしに見られているのに気づいてか(まあ気づくだろう、こんだけ見てたら)、彼女は口を開いた。
「気になるかい? どうしてこんな所に一人でいるのか」
「い、いえ! すみません!」
気になっていたのはそこではなくあなたの存在そのものなんですが、と思いつつ、じろじろと見ていた不躾を詫びる。
「いいさ。ま、たまには役割から解放されたい時もあってね。そういう時はここに来るんだ」
「そう、なんですか……」
何やら謎めいたことを言って、彼女は軽く髪を掻き上げた。その拍子に、片耳だけにイヤホンをしているのに気づく。何か音楽でも聞いていたのだろうか、イヤホンのコードは制服の襟から平坦な胸元に消えている。
「私は
「あ、は、はい! 羽崎サトミといいます」
わたしがぺこりと頭を下げると、水月先輩は眼を細めて
「ああ、君がサトミか。……噂は聞いているよ」
と、どこか嬉しそうに頷いた。
「噂……馬券師部のことですか?」
「うん。それに、週末さっそく馬券勝負をするんだって?」
わたしは眼を丸くする。田之倉くんとの馬券勝負の件については、わたしはもちろん誰にも言っていないし、クラスメイト達からも一度も突っ込まれなかった。どうも「人のウワサ」みたいなものと縁遠そうなこの先輩が、意外に耳が早いのに驚いたのだ。
が、よく考えてみれば田之倉くんもこの人と同じ三年生だという話だったし、彼が持ち前の大声で三年の教室中に広めたのかもしれないと、わたしは納得した。
「……そうなんです。正直わたし、馬券勝負ってよく分からないんですけど」
「よく分かっている人間なんていないさ」
水月先輩は遠い目をして、またなんか深そうなことを言う。わたしの言った『よく分からない』はそんな深そうな話じゃなくて、単にどういうルールでやるんだろうとかそういうレベルの疑問なのだけれど……まあこの学校の生徒にはたぶん常識だろうことを説明させるのは恐れ多いので、黙っている。
「なあサトミ。君は競馬の本質って何だと思う?」
これまた難しい質問が来た。競馬の本質?
間違っても『おうまさんが走ることです』とは答えられない雰囲気なので、わたしは必死に頭をめぐらせる。たぶん本質というからには、専門知識が必要な質問ではないはずだ。
「…………ギャンブル、ですか?」
「その通り」
あってた! 心の中で小さくガッツポーズをする。
「競馬をスポーツとする向きもあるが、やはりその本質を問えばギャンブルなんだ」
水月先輩は一度言葉を切って、わたしに向き直る。
「さて、ギャンブルというと通常金を賭けるものだが、我々は未成年だからもとより馬券は買えないし、馬券勝負じたいも金を賭けるわけではないね。
ならば、馬券勝負とは何を賭けるものだろうか」
ふむ、これまた難しい問いである。田之倉くんとの勝負では『勝ったらななこと勝負させてもらうぞ!』というのが一応『賭けてること』なのだが、そういう個別の勝負のことを言っているのではないだろう。
わたしが首をひねっていると、水月先輩はとん、と人差し指で自分の左胸を指した。ヒントだろうか。胸を指すということは、たぶんアレかな。
「……心、ですか」
「いや、命だよ」
違った! しかも思ってたよりだいぶ重いもんだった!
「まさかのデスゲームですか!?」
びしっ。
……わたしは箸を持ったまま突っ込んだ右手を、左手で掴んで膝の上に引き戻した。うん、明らかにこういうツッコミが求められてる空間じゃなかったね。
「はは、面白いな。うん、デスゲームというのも悪くないけどね」
水月先輩は優しく笑ってくれた。空気壊してスイマセン。
「だが実際、人間にとって金というのは最も命に近しいものだ。普段はその『命に近しいもの』で代替して行っているギャンブルというものを、金を賭けずにやるというのならば……」
そこで水月先輩は指をパチン、と鳴らし
「馬券勝負で賭けているものは、紛れもなく命そのものなんだよ」
と言って、指パッチンをした姿勢のままぴたっ、とわたしを見て、ニヤリと笑った。
か、かっこいい……! 無駄に!
この頃になるとわたしはもうだいたい分かっていた。この人はおそらく、中学二年生が罹患するというあの病気だ。
だがそもそも中二病というのは、『自分が特別な存在である』とカン違いすることがその主な症状である。そして今目の前にいる水月先輩は、わたしの眼から見ても、間違いなく特別綺麗でかっこいい存在であった。
……つまり何が言いたいのかというと。
キマっているなら良し! ということなのだ。
「……少し脅かしすぎたかな」
だいぶ失礼なことを考えながら固まっていたわたしをどう解釈したのか、水月先輩はそう言って肩をすくめた。うん、この肩をすくめる動作とかもキマっている。
「ま、初めての勝負だし、気楽に楽しんでくるといいさ。ただし」
先輩はつかつかとわたしの前を通り過ぎ、背中を向けて言った。
「馬券勝負は、たとえそれがほんのひと欠片だとしても、命を賭けた勝負だ。それは心の片隅にでいい、置いておいてくれ」
そしてそのまま、屋上を去っていってしまう。
「……あ、えっと……ありがとうございました!」
よく分からないけど、ひょっとしたらわたしを励まそうと(?)してくれたのかもしれないので、とりあえず礼を言っておく。
水月先輩は無言で、まるで映画のラストシーンのように、片手を上げてそれに応じたのだった。
「……いろんな人がいるなあ」
がらんとした屋上で、わたしはぽつりと呟いた。
「また会えるかな……」
今日初めて会った先輩は、とびきり綺麗で、とびきり中二で、とびきりカッコ良かった。正直言っていることはよく分からなかったけれど、先輩との会話はどこか自分まで物語の中に迷い込んだようで、スリリングで楽しかった。少なくとも青のり養殖の話を聞かされ続けるよりはずっといい。
友達いなさそうだし、わたしと友達になってくれないかな。
わたしはそんな失礼なことを考えながら、お弁当をもそもそと頬張るのであった。
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