4 『激突! 中山競馬場!』
そして、あっという間に一週間が過ぎ、馬券勝負の日である。
……いや、体感的にはぜんぜんあっという間じゃなくて、ぼっちに耐えたり、たまに妙な使命感を持って競馬を教えようとしてくるクラスメイトから逃げたりと、やたら長く感じる一週間だったのだが。
ちなみに毎日昼休みには屋上に行ってみたのだけれど、あれ以来水月先輩には会えなかった。ざんねん。
とまあ、それはさておき週末なのだ。競馬は土日の両方やっているらしいが、日曜日のほうが大きなレースががあるのだという話で、わたしは日曜日の朝早くから駅前で副部長と待ち合わせをしていた。
「やあサトミくん」
午前八時過ぎ、平日は人でごった返している駅前もまだ人はまばらで、その姿はすぐに見つかった。
「……何でスーツなんすか?」
「ん? 私服だが?」
副部長は緑のチェックに赤の混じった派手めのYシャツに、ライトブルーのスーツといういでたちだった。メガネもいつもの黒縁ではなく、上下縁のないオシャレなタイプのものに替えてある。長身ということもあって確かに似合ってはいるのだが、これから競馬場に行きますというと、これほど不似合いな衣装もなかなかない。
「……別にいいんですけど、ぜんぜん競馬行く感ないですね」
「競馬に行くのにふさわしい格好もないだろう。逆にどんな格好なら“競馬行く感”とやらが出るんだ?」
「……白のランニングシャツにハーフパンツで、赤鉛筆耳に差してるとか?」
「……君の競馬に対する誤ったイメージについては、一度じっくり話し合ったほうが良さそうだな」
ともかく電車に乗ろう、と歩きだす副部長について行く。ちなみにわたしの格好はベージュのニットパンツに白のカットソー、紺のデニムジャケットという平凡な感じで、特にニットパンツは友人に『それ鳶みたいでカッコいいっすね!』などと言われた色気も何もないものなのだが、あまりお洒落して競馬場に行っても浮くかな、と配慮の上のチョイスである。まあ残念ながらそんな配慮の甲斐なく、この副部長と一緒にいる限り悪目立ちしまくるだろうが。
さて電車に乗り込んで向かう所は千葉県、中山競馬場である。
少し時間があるので、ここでようやく副部長から馬券勝負のルールを聞かされた。
「まずお互いに10000ポイントずつ持ち点があるとする。これを100ポイント単位で、式別を選んで賭けていくことになる。レース後にもし当たっていれば、実際のオッズに沿ってポイントが加算されるというわけだな」
「式別って?」
「馬券の買い方のことだ。例えば『単勝』ならば指定した馬が一着になれば当たり。『複勝』ならば三着以内に入れば当たりだ。複勝の方が当たりやすいが、もちろん当たったときのオッズは低い」
「ほむほむ」
副部長はなおも「式別はその他に二頭を指名する『馬連』や三頭を指名する『三連単』などがあり~」と説明していたが、わたしは単勝だけ覚えとけばいいや、と思って軽く聞き流す。指名した馬が勝ったら勝ち、分かりやすいではないか。
「これを一日、全十二レース分繰り返して最終的にポイントが多いほうの勝ちなのだが……重要なのは、毎レース必ず1000ポイント以上は賭けなければならないということだ」
「なるほど、足りないですね」
「そうだ。最低額の1000ポイントずつ賭けたとしても、第十レースまで外し続ければゼロになる。ポイントがゼロになったら、最終レースを待たずしてその時点で負けが確定するわけだ」
「むう、それだけは避けたいですね」
「ああ。だから最初は当たりやすい複勝でポイントを節約しながら、相手との差に応じてよりオッズの高い式別に変えていくなどの戦略が必要になってくる」
なるほど。ギャンブルならお金が増えれば勝ちだが、馬券勝負には明確な相手がいる。極端な話、相手に二倍以上の差をつけられている時に、オッズが二倍しかついていない馬券を指定しても無意味ということだ。
突き詰めていけば奥の深そうなルールではあるが、ともあれ。
「難しそうなんで、わたしは単勝だけ買いますね」
さっき決めた通り、わたしは分かりやすい方がいい。副部長は「せっかく説明したんだが」などと言っているが、予想できていたのかさして落胆した雰囲気もない。
「まあ、これからサトミ君が歩んでいく馬券師道のうえで、今日の勝負はチュートリアルのようなものだ。好きにやってみるといい」
「馬券師道を歩んでいくつもりはないんですけどね……」
「なに、レースが終わるころには、その意見も少しは変わっているだろうよ」
副部長は自信たっぷりに言い、はっはっはとわざとらしい笑い声をあげた。
まあわたしとしても、ややおも高校にいる以上は競馬との関わりは避けられそうもないので、楽しめるなら楽しめたほうがいい。……馬券師にはたぶん、ならないと思うけど。
「ああそうだサトミ君、ひとつ重要なことを言い忘れていた」
と、急に真面目な顔になった副部長がずいと顔を寄せてくる。
「な、なんでしょう」
「うむ。今日の勝負では幾度となく馬券を決め、それを宣言する機会があると思うが……決して『この馬券を買う』とか『あの馬を買った』など、『買う』という言葉を言ってはいけないよ。『指名する』という言葉を使う癖をつけるように。……理由はわかるな?」
「……はい」
確かに、今日いちで重要な注意だった。
誰だって、補導はされたくないからね!
西船橋で武蔵野線に乗り換え、船橋法典駅に向かう。この辺になると車内の人の八割ぐらいが競馬新聞を持っていて、残り二割も目的地は同じ、競馬場だ。ていうか。
「人多いですね!?」
船橋法典駅に着き、電車からほとんど全ての乗客が吐き出されて、ホーム上にごった返した人が全員同じ出口に向かって進む。ちょっと異様な雰囲気である。
「あと、意外と若い人多いですね」
人の流れに沿ってゆるゆると歩きながら、きょろきょろと周りを見回す。おっさんばっかりという(わたしの勝手な)イメージに反して、大学生ぐらいの年代の人もけっこう混ざっているし、女性の姿も見える。これならわたしが浮きまくるという心配もなさそうだ。
まあもちろんおっさんも沢山いるし、何ならマジで赤ペンを耳に差してるおっさんもいた。わたしのイメージもあながち間違ってなかった気がする。
「普段はもっと平均年齢は高いがな。今日は皐月賞だから人も多いし、客層も広くなっている」
「さつきしょう?」
「レースの名前だ。競馬のレースにはグレードというものがあって、最もグレードが高いのがG1(ジーワン)レースだ。皐月賞はそのG1レースの一つだよ」
「よくわかんないけどでかいレースなんですね」
「そういうことだ」
なんで皐月なのに四月にやるんだろう、と思ったが、そこは旧暦換算で、ということらしい。
駅の改札を抜けるとすぐに地下道に入る。おうまさんの大きな写真がたくさん貼られているのを眺めながらリノリウムの地下道をぺたぺたと進むこと五分(けっこう歩いた)、そのまま地下に入場口があり、窓口に二人並んで200円の入場料を払う。わたしの方だけ「未成年の方は馬券買えませんのでご注意くださーい」と言われたのは納得のいかないところではある。
「しかしほんとに、未成年でも入れるんですね」
「扱いとしてはスポーツ施設だからな。球場なども中でビールは売っているが、未成年の入場を規制するわけじゃないだろう。それと一緒だ」
「一緒かなあ」
どこか釈然としない副部長の説明を受けたりしながら、またしばらく地下道を進み……。
ついに光の差す四角い出口から、地上部へ出た。
おお、空が広い……。
右手側にスタンド、左手側はすぐにコース(馬場というらしい)になっていて、青々とした芝生がずーーーっと奥まで続いている。馬場は一番奥でカーブして反対側まで続いている、というか楕円形に繋がっているらしいが、大きすぎて向こう側はほとんど見えない。
スタンド前も馬場ほどではないが広々としていて、狭い地下道がから吐き出されてきた人たちがばらばらと思い思いの場所に散っていく。
「ほえー……」
柵から身を乗り出して馬場を眺める。なるほど、この広大な馬場をたくさんの馬が駆け抜けていくのだ、と考えると、それだけで少しワクワクする気はした。
「サトミ君。気持ちは分かるが、とりあえずスタンドに行こう」
副部長に背後から声をかけられ、わたしははっとして振り向く。乗り気じゃない感じだったのに、到着したとたんはしゃぐという恥ずかしいことをしてしまった。
「しかし思った以上に人多いですねえ。場所取れるんですか?」
現在午前九時過ぎ。最初のレースが始まるまでにはまだ余裕があるはずだが、それでもスタンド席のほとんどは新聞などを置いて場所取りされている。
「心配ない。あそこを見たまえ」
見たまえと言われたので指さされた付近を見ると、スタンドに向かってやや右側の上段部に、四角く区切るように場所取りをされたエリアがある。かなりの距離があるが、そのエリアだけ周囲から完全に浮いていた。平均年齢がダントツで低いのである。
「……まさか」
「そう、ややおも校生ゾーンだ!」
ばーん、と副部長は得意そうに宣言した。
「よう、遅かったな! 怖気づいて逃げ出したかと思ったぞ!」
「どこに逃げ出す要素があるの……?」
ついでにまったく遅くもない。悪役っぽいセリフを言いたかっただけな田之倉くんに冷静に返して、わたしはややおも校生ゾーンを見渡した。皆私服なうえにまだ入学からニ週間なので知った顔というのはほとんど見つけられないが、高校生なのは一目瞭然な人たちが、ざっと五、六十人ほどいるだろうか。
多い、と思うのだが、むしろ全校生徒(三百人ぐらいだったはずだ)が来てなくてほっとするあたり、だいぶわたしも毒されている。
さて、そのややおも校生ゾーンの最前列ど真ん中に、四つ席が確保されていた。謎の影響力を誇る馬券師部が勝負するということで、わざわざいい場所を空けておいてくれたらしい。……急に胃が痛くなってきたぞ。
しかし、とわたしは思った。確保されている席は四つ。わたしと副部長と田之倉くんでみっつとして、あと一人は誰だろうか。
というわたしの疑問は、背後からかけられた甘ったるい声によって氷解した。
「おいっすー! あなたがサトミちゃんだねっ?」
やや舌っ足らずな、どこかで聞いたことのある喋り方に、わたしははっと振り向いた。
「どもー、初めまして! ややおも高校のアイドル、時田めぐみちゃんだよー☆」
親指を立てた逆ピースを決めながら、彼女は☆を飛ばしてそう言った。そう、この一週間、昼休みの時間にさんざんわたしを苦しめた『アンニュイ・ホーシング』のメインパーソナリティの彼女である。
その実物を初めて見て、わたしの口はあんぐりと開きっぱなしになった。
縦に白のフリルがついたピンク色のブラウス。ふんわりとしたミニのフレアスカート、こちらも見事なピンクで、やっぱりフリル。お手本のような絶対領域の下にはボーダーのニーハイソックスだが、これは左右でカラーが違う。
たまに立ち読みする痛い系のファッション誌でしかお目にかかったことのないコーディネートにも度肝を抜かれたが、圧巻は髪型である。かなり上の位置で結んだサイドテールはすさまじい存在感で右側に垂れ、腰のあたりまで伸びている。そしてその髪の色が、なんと鮮やかな赤である。『赤毛』とかいう赤じゃない、パステルカラーのレッドだ。
「? えっと、あなたがサトミちゃんよね、どうしたの?」
厚底サンダルを履いているのでだいぶわたしより高い目線を、屈み込んでわたしにに合わせてくる。ブラウスはかなりゆったりしたタイプなのに、それでもわかるぐらいはっきりとした巨乳だ。こうしてかがみ込まれると谷間が見えそうである。
わたしのすぐ目の前で首をかしげる眼をよく見るとギョッとするぐらい青く、カラコンを入れているらしい。さらには頬に当てた両手には、十本すべての指にゴテゴテした指輪が嵌っていた。
確かにかわいい。大きくくりっとした瞳で見つめられると思わずドキドキしちゃうぐらいかわいいのだが、しかし。
……痛い! あいたたたたた感がすごいよこの子!
「驚いたようだな」
わたしが口をぱくぱくさせていると、副部長が横から口を出してきた。
「彼女こそが時田めぐみさん、『かわいいけどちょっと痛い』でお馴染みの、ややおも高校のアイドルだ」
「やっぱり痛いって言われてるんですか!」
わたしはびしっと突っ込みつつ、ようやくフリーズ状態から立ち直った。
「っていうか髪の色! 絶対ダメなやつでしょこれ!」
校則的にも、社会風俗的にも。
「そんなこと言われても、生まれつきこの色よー?」
「嘘つけっ!」
「……おい、いいから話進めろよ」
呆れたように田之倉くんが言った。周りのややおも校生の様子も見るに、時田めぐみさんはこれがデフォらしい。
……まあ、この高校に入ってから理不尽の連続ですしね。いいですとも。いきなりアイドルが出てきても受け入れましょう。
「はあ、わかりましたよ。で、時田めぐみさんはわたしに何か……?」
「うむ、馬券勝負には通常、第三者の立会人がつけられるものなのだが」
と、補足に入ってきたのは副部長である。
「今回はその立会人に、彼女が名乗りを上げてくれたというわけだ。良かったなサトミ君、大物だぞ」
「そーゆーわけなんで、わかんないことあったら何でも聞いてね! あ、あとあたしのことは気軽に、めぐさん、って呼んでね?」
めぐさんはそう言って、こちらを遠巻きに見ていた数人の男子生徒に向かって笑顔で手を振る。と、見事に揃った声で「めぐさーん!」とコールが返ってきた。何の仕込みですかそれ。
「とゆーわけでよろしくね、サトミちゃん!」
「うん……よろしく、めぐさん……」
かくして、ややおも高校の誇るアイドル、『かわいいけどちょっと痛い』でお馴染みのめぐさんを立会人として。
わたしの初めての馬券勝負が始まったのであった。
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