11 『決戦準備』
「で、ホントに良かったのー?」
月曜日の学校にて、放課後の校庭。週末の出来事については、親衛隊の皆さんには固く口止めをしてお帰り頂いたわけだが、快く兵隊を貸してくれためぐさんにはつぶさに報告をした。わたしの額になんで傷テープが貼ってあるのかとか、馬券勝負のこととか、すべてだ。
ちなみに親衛隊の勇姿についていたく感動したという話もちゃんと伝えたところ、めぐさんも大変満足顔で「今度いっぱい褒めてあげないとね!」とのことだったので、後日親衛隊の皆さんも、涙を流して喜んでくれることだろう。
「んー、ま、もともとわたしがケツ持つって話だったからね。自分で決着が付けられるんなら、まあ、いいかなって」
と、今話しているのは、バスケット・ケースのリーダー、伊波と交わした馬券勝負についての話だ。話合いの流れとしてはだいぶおかしかったが、ともかくサクラダとウッシーの脱退を認めてもらう代わりに、わたしたちは競馬で戦うことになった。
「でもさ、もし負けたらその熊さんのオンナにならなきゃいけないんでしょ? 大丈夫なの?」
わたしの話を聞いためぐさんは、すでにリーダー伊波のことを熊さん呼ばわりであった。
「ま、勝てばいーのよ、勝てば」
「おー、流石だねえ、サトミちゃん。ついこの間まで初心者だったのに、もう自信満々って感じ」
「今も初心者だけどね。ま、なんとか頑張るよ」
そう、この馬券勝負に負けたら、わたしは伊波のオンナになるという約束をしている。これについてはまあ、昨日コトが済んだあとも色々と悶着があった。
イチはどういうわけかひどく取り乱して「ね、ねねねねね姐さんあんな筋肉モリモリマッチョマンの変態が好みだったんですか!?」とか抜かすからぶん殴ってやったし、わたしの蹴りで昏倒していたサクラダとウッシーも「俺たちの姐さんが取られちまう」だなんて泣きそうな顔をしていた。
当然「誰がお前らのだ」と頭をはたいて(さっき蹴って昏倒させたばかりなので、一応そっとだ)やったのだが、「俺たちのせいで」とろくに耳にも入っていない様子だった。よく分からないが、より深く反省したらしいので良かったのだろう。
その後も「俺も競馬勉強します!」「絶対負けられません、全力でサポートします!」とうるさいのを、無理矢理に引き剥がして帰ってきたわけだ。
「で、勝負はいつにしたの?」
「今週の日曜日、東京競馬場だって」
伊波が指定した日時をそのまま伝えると、めぐさんは
「ダービーかあ、いいじゃない。あたしも行こっかなー」
と呑気なことを言った。
「あ、ダービーってこないだ副部長から聞いたよ。なんか有名なレースでしょ」
「……サトミちゃん、そのレベルでよく勝負受けようと思ったね……?」
が、わたしの発言のほうも大概呑気だったようで、呆れられてしまった。競馬ファンでなくとも知っている、G1の中でも知名度、格、賞金ともに最高峰のレースであるらしい。
とはいえまあ、わたしはこの勝負について、実はあんまり心配していなかった。
もちろん、負けた場合のペナルティはでかい。そりゃめぐさんには強い男が好きだ、なんて言ったこともあったけれども、だからと言って熊と付き合いたいかと言われると、それは別の問題だ。わたしだってできれば相手は人間がいい。
だけどわたしは知っている。ななこ先輩が持っている、勝ち馬が分かる不思議な双眼鏡のことを。あれさえあれば、馬券勝負なんて楽勝だ。
一応、ちゃんと貸してくれるだろうかという不安はあるにはあるが、あのとき『あげようか?』なんて言っていたぐらいなので、たぶんななこ先輩にとってはそれほど大したものでもないのだろう。ちゃんと事情を説明して頼めば、貸してくれるだろうと思っていた。
「じゃあめぐさん、わたし部室に用があるから。親衛隊のみんなのこと、ホントありがとね」
「どういたしましてー! じゃ、週末のことについては、またラインするね!」
めぐさんはひらひらと手を振ると、馬鹿でかいサイドテールを揺らしながら去っていく。わたしも最後の懸案事項を解決すべく、部室へ向かうことにした。
がらり。扉を開けると、馬券師部の部室の中に人影はなかった。がらんとした空間に不釣合いな大きな長机と、乱雑に並べられたパイプ椅子。そのいちばん奥に鎮座するところの安楽椅子が、きい、とわずかに軋む。電気が点いていないので薄暗いが、窓から差し込む夕日は、壁に安楽椅子と、その上から突き出たアホ毛の陰を投げかけている。
言うまでもなく、我らが馬券師部部長、ななこ先輩だ。
「ななこ先輩」
呼びかけると、先輩は返事の代わりにアホ毛をぴこん、と傾がせる。
「実は、お願いがありまして」
「どったのー?」
と、安楽椅子の向こうから声がする。ずいぶん軽い調子ではあるが、やはりどこか水月先輩の声と似ている気がした。が、今はそのことは置いておこう。
「前に貸していただいた双眼鏡、あれをもう一度貸して欲しいんです」
「いいよー」
「あれがわたしには過ぎたものだとは分かっていますし、一歩間違えば人生を狂わせるものなのは理解してます! でも今週末どうしても負けられない勝負があって……え?」
あまりにもサラっと言われたので聴き逃してしまっていたが、今いいよって言わなかっただろうか。
「あの」
「うん」
「このあいだ、田之倉くんと勝負したときに貸してくれた、あれと同じ双眼鏡ですよ?」
「うん」
「……いいんですか?」
「うん」
これから事情を説明しようとしていたのに、その間もなくオッケーされてしまった。ともかく、貸してくれるというのならば馬券勝負に何の不安もない。
わたしはほっと胸をなでおろし、ななこ先輩は不思議そうにアホ毛をかしげていた。
「まいっか、はい」
ななこ先輩は安楽椅子の向こう側で何やらごそごそやった後、背もたれの横からにゅっと手だけを突き出した。以前貸してもらったときと同じ布袋が手に握られている。
いつも持ち歩いてるんだろうか。まあ、アイテムの重要度からすれば当然なのかもしれないが。そんなことを思いながら、わたしは部室の壁に立てかけてあったマジックハンドでうやうやしくそれを受け取った。いま以上安楽椅子側に近づくことは許されないので、このマジックハンドは馬券師部には欠かせない備品なのである。
受け取った袋を少し開けて、中身を確認してみる。うん、記憶にあるのと同じ、あの双眼鏡だ。
「あの」
目的を達成すると今度は好奇心がむくりと首をもたげてきたので、わたしは質問してみることにする。
「ななこ先輩は、どうやってこれを手に入れたんですか?」
そう尋ねると、先輩はどう答えるべきか、と考えてでもいるようにアホ毛をふらふらと左右にさ迷わせてから、こう言った。
「もらったの」
「誰からですか?」
「先輩」
「……先輩っていうと、馬券師部の先輩ってことでしょうか」
ななこ先輩(のアホ毛)はこくりと頷いた。これは何気ないことのようで、けっこうな重要情報を聞いてしまった気がする。何十年も前からこの学校にいるという『安楽椅子馬券師ななこ』の、そのまた先輩とは一体誰だというのか。
ふとわたしは、『ななこ』は世襲制なのではないか、と思いついた。安楽椅子の背もたれに遮られて姿は見えないのだから、中身が入れ替わっている可能性はあるはずだ。むろん声は変えられないが、その声を聞いたことがある生徒もやがて卒業していく。だいたい、ななこ先輩は外部の人間の前では滅多に言葉を発しない。
そしてこの、勝ち馬が分かる魔法の双眼鏡である。これを先輩から後輩にと託し続けているのなら、『ななこ』の最強伝説にも説明がつくのではないだろうか。
しかしそう考えると、心配なことがひとつある。
「ななこ先輩も、今週末馬券勝負がありますよね」
今週末、日本ダービーの行われる日。それはななこ先輩にとっては、生徒会長クルミちゃんとの大事な勝負の日のはずだった。もしこの双眼鏡を使って勝ち続けているのだとしたら、わたしが持っていたらまずいんじゃないだろうか。
「これわたしに貸しちゃって、ななこ先輩は大丈夫なんですか?」
「?」
ななこ先輩は器用にもアホ毛を『?』の形にしてぴこぴこと動かした。
「ここでやるんだよ?」
また背もたれから突き出した手が、壁を指差す。そこには大きな壁掛けテレビがかかっている。中央競馬全レース中継の有料放送に加入済みの、馬券師部の備品である。
「よく見える必要、ない」
と、ななこ先輩は言った。まあ、確かにその通りと言えばその通りだ。姿を表すことのないななこ先輩は馬券勝負の時でも当然競馬場に行くわけにはいかず、勝負はこの部室で行うことになる。そのための壁掛けテレビなのだが、双眼鏡でテレビを見る必要は、普通はない。
といえこの双眼鏡は普通ではないはずなのだが、さしもの魔法の双眼鏡といえどもテレビ越しでは効果を発揮しない、ということなのだろうか。となると『ななこ』がこれを使って勝ち続けてきたという、わたしの仮説は崩れ去ることになる。
「……そうですよね。変なこと聞いて、すみません」
なかなかいいセンいってると思ったのに、がっかりだ。まあ、そんな単純な話であれば、数十年も謎の存在のままではいないということだろうか。
しかし双眼鏡を使わないとなると、このななこ先輩は一体どうやって馬券勝負を戦うのだろうか。そこのところには多大なる興味はあるものの、いまはわたし自身の勝負がある。
「ともかく、これ、ありがとうございました」
ななこ先輩からは見えていないだろうが、わたしは双眼鏡を持って安楽椅子に一礼する。
「うん、がんばってねー」
安楽椅子の向こうでひらひらと手を振るななこ先輩に見送られて。
わたしは万の味方を得た気持ちで双眼鏡を手に部室を後にしようとした、のだが。
「賭けてるものを、忘れないようにね」
「……え?」
ドアを開ける直前、ささやくような声でそう言ったのが、確かに聞こえた。
「あの、それってどういう……?」
わたしは振り返って問いかけたが。
ななこ先輩はアホ毛をぷらぷらとさせるばかりで、それ以上なにも答えてはくれなかった。
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