第20話 VSクイーン ~ライジングフォース~
ゾーン。無我の境地とも呼ばれるその現象は人間が極限の集中状態にまで達した状態のことを言い、何でも自分以外のものがゆっくり動いているように見えたり、平常時とは比べものにならないくらいに視覚や聴覚が鋭くなる。そのような状態に人が陥った時、そのパフォーマンスは飛躍的に向上する。
プロ野球選手の言うボールがとてもゆっくり見えたり、スイカのように大きく見えたりするというアレである。
このゾーンという現象は別にスポーツに限らず、勉強や遊びなんかでも起こりうるらしいのだが、これがフルダイブVRゲームで起きると事情は少々、いやかなり変わってくる。というのもフルダイブシステムは意識そのものだけを仮想現実に落とし込んでいて、自分の体は思い通り動くが、あくまで仮想現実での偽りの体に過ぎない。つまり見方によっては野球で言うところのバットやグローブのような道具として見ることも出来る。
では具体的にそれがどのように作用するのかということだが、フルダイブ中にゾーンに入ると、自分の体がいつもよりも客観的に映り、終いには自分の動きさえもスローに感じるのだという。当然そんなことになれば違和感からまともに動くことも難しいのだが、この状態を乗りこなすことが出来れば人間は全く違う視点でアバターを操作できる。
例えば、自分が行動している途中に他の行動に移るなんて芸当が可能になる。
つまり相手を大きく上回る反応速度でのアクションが可能となり、それ以上にアバターの操作精度が非現実的なレベルにまで向上する。更にアクション中に他のアクションを予約出来るのだから隙も一切生まれない。これをVR格ゲー界隈では『ゾーンを活用した疑似アタックキャンセル』と言うらしい。
そして、俺にとって何よりも重要なのは、そのゾーンにクイーンが今まさに入っていることである。
「こいつ……!」
もはや今のクイーンに対してコマンドカードを使うことも出来ない。たった一瞬でも意識を彼女から逸らしてしまえば敗北しかねない。
そう思わされるほどのスピードとパワーを兼ね備えた拳が30秒もの間振るわれ続けている。俺はそれを受けないようにするのが精一杯で土一つもつけることが出来ない。
それに今でこそ追いつけてはいるが、先に気力が尽きるのは間違い無く俺の方。こんな無理な防御をしていればいつかどこかで集中の糸は切れる。
対するクイーンは限界近い集中状態。このままだと試合が終わるまで疲労感という概念が頭から消えていてもおかしくは無い。
つまりどうにかしてクイーンをゾーンから引きずり下ろさなければ俺に勝利は無い。
その方法に心当たりはある。ゾーンが一つの物事に極度な集中、つまり没頭している状態ならその集中を散らしてやれば良い。そうすればゾーンは解除される。
ただ問題は今極度の集中をしている相手の興味を引くことはどう考えても容易では無いことだ。
「さあどうしたの? これで終わりじゃ無いでしょ? まだ出し惜しみしているならさっさと出しなさい? ようやくこっちは楽しくなってきたんだから!!」
それにゾーンに入った後の相手の厄介さはこの上無い。なんせただでさえ速すぎた1発目からどんどん動きの鋭さと力強さが増している。
最初の方は腕がしびれそうになるくらいで済んだが、今攻撃を食らえば確実に腕が使い物にならなくなる。攻撃は正面で受けることが出来ず、いなすかかわすしか無い。
それほどまでに相手の動きの質が向上し続けている。多分今もなおクイーンの集中の度合いは深いものへと移行している途中であり、現在もなお100パーセントの力を出すには至っていない。
だからこそ勝ちを拾える時間は今しか無い。ゾーンをこれ以上深くされればその時こそ攻撃を避けることは不可能になる。
ただ問題は今でも充分強いという恐ろしい事実のみ。
そしてこうして思考を巡らせている時でさえ、クイーンという強者は次の攻撃へのモーションに移っている。
「これはどう?」
放たれたのは正確に顎へと狙いを定めたアッパーカット。しかも溜めの動作なんか無かったのにめちゃくちゃ速い。これはバックステップによって回避。
更に追撃として襲い来るのは右ストレート。アッパーカットなんて動作の後にここまでスムーズに次の動作に移れることが信じられないがそれは正直今更だ。この一撃も何とか回避。
そして今度は裏拳が飛んでくる。この一連の動作に淀みは一切無い。腹が立つほどに完璧だった。しかしガンブレードを使って何とか受け流して対処する。その本当の狙いに気付くことも出来ずに。
「ハイ残念賞」
「あ……?」
そして気付いたときには全てが遅く、俺の体は宙に浮いていた。ローキックによって足を取られたと気付くのは更に遅れてのこと。
今の一連の派手な動きは全て俺の注目を上半身に集めるためのパフォーマンスに過ぎず、クイーンの思い描いていた勝利への青写真はこれだった。現に動くことも出来ず実質的にコマンドカードを封じられた俺にはその全力の拳を防ぐ手段は存在していなかった。
そしてあり得ないほどの轟音と共に振り下ろされた拳は俺の体へと突き刺さり、軽々と大地へ叩きつける。そしてボールのように跳ね返ってきたところに更に蹴りを入れて吹き飛ばす。
しかもそれでクイーンの攻撃が終わるわけは無い。吹き飛ばした俺の体にすぐさま追いつき、最速のラッシュをありったけ叩き込んで来る。しかもそれら全てが急所狙いか逃げ道をなくすのが狙いのもので適当なパンチなどどこにも無い。
まるで苦し紛れのボタン連打を計算の元にやっているような暴挙。そりゃまあ、落ち着いてコントローラーを握って考えながらプレイしている俺には当分追いつける速さでは無く、完全に思考が動きとして実現できないところにまで追い詰められる。
ついに考える時間さえも奪われた俺にクイーンが繰り出したのはサッカーのボレーキックにもよく似た跳び回し蹴り。それを俺の顔面に容赦なくぶち込んだ。
俺の体は勢いをつけてアリーナの壁へと激突する。受け身さえもまともに取れず、弾丸めいた勢いで叩きつけられる俺の体。ラッシュを受けていたせいで前屈みになっていただけに体へのダメージも大きい。
「クソ……!」
幸いVRであるが故に血が出ることも骨が折れることも脳しんとうになることも無い。それでもこのダメージだけはどうすることも出来ず、体は前へと倒れ込む。もう立っていられるのもやっと。膝をつきたくて仕方が無いくらいだ。しかも数値的にも俺のHPは一桁台。デコピンでも喰らうだけで敗北してしまいそうだ。
――ここで終わるのか?
脳裏に浮かぶその一つの疑問。答えは出たようなものなのに口には決してしたくないその疑問。けれど膝には力が入らず、そのまま倒れてしまいそうで。そんな中でも俺の息の根を止めようとする少女の足は止まらない。もう次に目を閉じたらそこで全てが終わっていそうだ。
だけど同時にこうも思う。まだ終わりたくは無いと。あと一秒、あと一瞬でもいいからまだ夢を見ていたいと。そう俺はまだ、何も初めてない。大会にすら出ていない。カナとの再戦もしていない。そして何より莉央との約束を果たしていない。
――そうだ、約束したんだ。ここでクイーンを倒してナンバーワンになる。もう、負けたくないから。
「ウオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
その時、俺は考えることを辞めていた。
祈るような想いと共に俺はただがむしゃらにガンブレードをふるって前に出ていた。計算も狙いも無い。ただ負けを一秒でも遅らせるための一手。こんなものクイーンの反応速度の前では後出しで攻撃されて終わりだ。
けれども、そうはならない。
俺のガンブレードが今、確かにクイーンのHPを僅かに削った。そしてそれだけでは無く、クイーンは今俺の背後にいた。
「え?」
一瞬何が起きたか分からなかったが、回避不能な死に直面していたことで停止していた脳が一転して回避可能な死に対処するために回り始める。それは脳の神経という神経全てを焼き切りかねない勢い。
そして気付いた。
俺が起こした行動はクイーンの体をすれ違いざまに切り裂いて前に出るという行為だったこと。
予想外の回避に反応できなかった拳がバトルフィールドの壁にめり込んでいること。
そして今この瞬間だけは使えるギャンブルに近い戦術が存在すること。
それら全てが紡ぎだした勝利への道筋は、壁にめり込んだ拳をクイーンが引き抜いたその時、俺の頭に刻み込まれる。
「これで
「《ミーティア》」
反転しつつクイーンが使ったのはコマンドカード《ミーティア》。その効果によりクイーンの速度はステータスの上でも最速になる。つまりこの攻撃は100パーセント回避できない。そして攻撃力も増している以上ジャストガードでも絶対に耐えきれない。
「なら、受けられるようにしてから受ければ良い」
俺はそのパンチをかわすこと無くこの身で受け止める。
だが負けることは無い。俺のHPは攻撃を受ける前の時点で最大値にまで戻っていたのだから。
「捕まえた」
クイーンの腕を掴んでもう片方の手でガンブレードを構える。そしてこれまでの鬱憤を晴らすようにありったけのコマンドカードを使用する。
クイーンにはその全てを回避され、さらに体を投げ飛ばされる。けれどその動きにこれまでのキレは無い。
クイーンのゾーンは切れていた。
そもそもゾーンは極限の集中状態。何らかの要因でその集中を乱されてしまえばゾーンは解ける。例えば相手に必要以上に興味を抱いてしまうとかだ。
そして倒せるはずの攻撃で倒れなかったという事実は、人間の思考に疑問という名の毒を差し込むのには充分だ。
「何をしたの?」
「《ガイアフォース》。自分のHPを全回復させるマスターコマンド。お前がミーティアをトドメの前に発動してくれたおかげで使うだけの時間ができたよ。まあ一番助かったのはお前がただのまぐれを俺の人間性能が上がったからって勘違いしてくれたことか?」
苦虫を噛み潰したような表情をするクイーンの姿に、ずっと険しかった顔の筋肉が緩む。少しは俺にも余裕が出てきたみたいだ。
「けれどまだ決着が着いたワケじゃ無いわ。むしろコマンドをほとんど使っていない私の方が有利よ」
「かもな。でもこいつはどうだ!」
俺は遠距離系のコマンドカードを目に付くだけ発射する。これ以上はクイーンに接近させずに遠距離戦だけで勝負を決めるために。
だがそんな単調な作戦に乗ってくれるほどプロゲーマーは甘くない。
「レジェンドコマンドカード《千手観音菩薩》!!」
そして現れたのは千の手を持つ菩薩像。もちろん召喚獣として出てきたそれは動かない訳は無く、今まさにその手で持って俺を打ち倒そうと構えていた。そして当のクイーンはその20メートル以上はある巨体の頭部に仁王立ちで立っていた。
「さあこれで〆と行きましょうか」
「上等だ」
そして放たれる千という圧倒的な数の手。それら全てが俺を倒すために放たれる。
けれども勝負が決したと決めるにはまだ早い。伝説の力はクイーンだけのものでは無いのだから!
「《時空神クロノス》! 《クロニクル・エンド》!!」
全ての時間が停止する。それは同じ伝説の力も例外では無い。
俺は与えられた5秒という時間を使って千手観音菩薩の手を足場にして駆け上がる。けれども頭部のクイーンに届くには時間が足りない。途中で《クロニクル・エンド》の効力は切れてしまう。
だからここでもう一つの切り札を切る。
「同時使用、《ミーティア》、《ギガ・マグナム》、《ダブルスラッシュ》。《
「マスターコマンド超動、《覇凰天烈煌星撃》!!」
猛烈怒濤の七連撃。その内6発をかわしきれない千手観音菩薩の攻撃を弾くのに使用する。千の攻撃もキャノンボールボアの試練を乗り越えた今ならさほど脅威では無い。
そしてクイーンも拳闘士が使えるコマンドの中で最も威力の高いコマンド、《覇凰天烈煌星撃》で迎え討つ構えだ。
間もなくして俺の剣と炎を纏ったクイーンの跳び蹴りが千手観音菩薩の上空で激突する。二つの巨大すぎる力が巻き起こす衝撃はすさまじい。けれども押されているのは俺の方。何せ元の威力はこちらが下だ。まともに打ち合えば押し負けるのはこっちだ。
だったらまともに打ち合わなければ良い。
「コイツも持ってけ! 《ギガマグナム》、残斬プラス1!!」
ギガマグナムを追加したことで故障寸前の工業機械のような轟音を上げるガンブレード。今にも弾けとびそうだが、それよりも先に打ち合っているクイーンのHPが尽きる!
それにクイーンも気付いていたのだろう。うれしさ半分、悔しさ半分といった様子でその顔は笑っていた。そしてそのHPは無情なまでに急激に減少していく。
それは紛れもなく彼女の敗北を表していた。
「やってくれるじゃ無い、元チャンピオン」
「悪いなプロ。これで
そして鳴り響く試合終了のブザー。この決闘は俺の勝ちで幕を閉じた。
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