四月 - 放課後の旋律5

 とにかく、三人揃ってよく泳ぎに出かけた夏だった。

 最初のきっかけは、北海道の東部から転校してきた篤志が、夏を前にして「ほとんど泳いだことがない」と言ったことだ。

「通ってた学校にはプールがなかったし、海水浴場なんてのも行ったことないしなあ」

 道東は、海水温が低い、遠浅の浜が少ないなどの理由で、海水浴場じたいがほとんどないのだそうだ。だがそれ以前に、小学校にも中学校にもプールそのものがなかった、という篤志の話に、咲も良太も面食らってしまった。

「プールがないって、それじゃ水泳の授業はなかったの?」

「うーん、一応授業はあったよ。水泳授業の日は、プールのある学校とか町営プールまでみんなで行くのさ」

「体育の授業のたびに?」

「夏場の体育が毎回水泳ってわけじゃなかったからねー。だいたい、気温が低いとか水温が低いとかでしょっちゅう中止になるし。隣の小学校なんて、屋内プールつっても囲いはビニールハウスみたいなもんだったからさぁ、寒いったらないさ」

「「ビニールハウスぅ???」」

 温暖な気候の元で生まれ育った良太と咲には、篤志の話が信じられないと同時に、興味深くて仕方がなかった。自分たちの知らない土地には、想像もつかない海や生活習慣がある。篤志の話は、そのことをありありと物語るものだった。

「だからさ、こんなふうに年中泳げるプールを誰でも使えるなんて、ちょっと感動」

 そんな二人の驚愕を気にも留めず、篤志はプールを見やった。

 三人が来たのは、町にある屋内型温水プールだ。それほど大きくはないが、利用料が安く通年営業もしている。スイミングクラブや町内にある学校の水泳部などが利用する事が多いが、地元の水泳好きの子どもたちにとっても、海で泳げない季節はしょっちゅうお世話になる施設だ。

 良太と咲は、夏本番までに泳ぎを教えるべく、篤志を連れてきたのだった。

 咲は最初、二人と一緒にプールに行くことをやや渋っていた。中学生にもなると、やはりそれなりに立場や恥じらいがある。だが、

「プールの授業で泳げない、ってのもアレだけどさー。それより俺、りょーちんや咲と一緒にちゃんと海で泳ぎたいんだよねぇ」

 という、あまりにも素直で篤志らしい言葉を聞いては、咲としても協力しないわけにはいかなかった。

「頼むから泳げるようにしてくれよっ、と」

 準備体操をしながら、興奮と緊張が入り混じったような顔で言う篤志に対し、

「まっかせといてよ! ビシビシ鍛えてあげるから!」

「篤志は運動神経いいし、コツさえつかめばすぐだよ」

 咲と良太はそれぞれニッと笑って見せる。

 二人とも、小さい頃から泳ぐのが好きだった。咲は、クロールや平泳ぎといった、いわゆる競泳を得意とする。一方良太は素潜りや遠泳が上手く、プールよりも海でその本領を発揮するタイプだった。

 篤志がどちらに向いているかはわからないが、もともと運動全般が得意なことは普段の体育でわかっている。二人で教えれば、きっと篤志は自然と自分に合った泳ぎ方を修得するだろう。

「スピード型なら私、海女さん型ならりょーたよ。さあどっちに教えを請う?」

「ごめん、海女さん型ってどういうこと」

「誰が海女さんだ」

 咲の質問に質問で返したあと、篤志は割と重大な告白をする。

「つか俺そもそも、顔が濡れるの嫌いでさ。ぶっちゃけ水に浮かぶかもビミョー」

「ええええ」

「そこからか。てか顔濡れるの嫌いって、風呂どうすんだよ」

「まさかシャンプーハッ」

「違う!!」

 篤志の否定に取り合わず、咲はウーンと首を傾げる。

「とりあえずだるま浮きからかなぁ……」

「いや、水に顔が浸かるのがイヤなら、仰向けで浮かぶ感じつかんだほうが早いな」

 思いの外前途多難になりそうな予感に苛まれつつも、良太と咲は篤志を伴ってプールへと入っていくのだった。 

 こうして三人の水泳特訓は、ほぼ毎日のように続いた。はじめのうちこそ、沈んだり鼻から水を飲んだりがむしゃらすぎてプールサイドに頭をぶつけたりと散々だった篤志だが、ある日を境に嘘のように綺麗に泳ぎ始め、良太と咲を驚かせる。

「あははー、なんとなくわかったさー! そーかそーか、こういうことかあ!」

 と、見ているこちらには何がなんだか全くわからないことを勝手に納得しながら、スイスイとクロールで進んでいく篤志を、二人はぽかんと見やった。

「なんとなくってなんだ、なんとなくって」

「さぁ……てかなんとなくで、あんなに速く泳げるわけ?」

 咲の言うとおり、篤志は単純なスピードだけならいっそ咲よりも速いだろうというくらい、力強いストロークで泳いでみせた。そしてそれから数日後には、あっという間に百メートルを泳ぎきれるようになってしまったのだ。

「なんかムカツク……弟子のくせに」

 プールサイドを歩きながら、咲がボヤいた。

「にひ、そう怒んなって。師匠の教え方が良かったからでないかい?」

「そりゃどうもっ! あー、ますますムカツク!」

「何さー。んじゃ俺様の実力! ってことで!」

「調子乗んなっ」

 ムン、とガッツポーズをしてみせた篤志を、咲は容赦なくプールへ突き飛ばす。ピピッ、と監視員の笛が鳴った。そんな二人の様子を見て、良太はケラケラと笑う。

「んじゃ篤志、そろそろ海デビューすっか!」

「えっ、もう? 早くない!?」

 水面から顔を上げたばかりの篤志が目を丸くした。

「この週末には海開きだし、別に早くはないだろ」

「いやいや、そういうことじゃなくて!」

 ある程度泳げるようになったとはいえ、ほとんど足のつく温水プールだ。波も深さもある海で泳ぐことがまったく別物であるということは、篤志にも想像できる。正直に言って、まだ少し怖かった。

 そんな篤志の表情を見て、咲がプールサイドから手を伸ばす。

「大丈夫だよ、あっつん。基本的な泳ぎはできるようになったんだもん。もちろん海で泳ぐのは、プールで泳ぐよりも難しいし危ないけど……やっぱり、海で泳ぐのはすっごく楽しいんだよ。それに、」

 そう言ってグイッと篤志を引き上げながら一言、微笑んで付け足した。

「海で泳ぐ良太は、本当にすごいよ」

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