四月 - 放課後の旋律4
「これ本当においしいですね、良太くん! ふ、ふ、ふらいんぐ、」
「フライドポテトなー」
「はい!」
良太と仁野は、まだ教室にいた。それぞれの座席につき、仁野の机を挟むように向かい合っている。咲の置いて行ったファーストフードの包みから漂う香りに仁野が強烈な反応を示したため、良太が思わず「一緒に食うか?」と声をかけてしまったのだ。
ところが包みからポテトを取り出した途端、仁野が「何ですかそれ!」と食い気味に身を乗り出してきたので、またしても良太は面食らうことになったのだった。
「マジで食べたことなかったんだな……」
「外で食事をしたこと自体、数えるほどしかないんです。でもそもそも私が住んでいた町には、こういう料理を出すレストランはないかもしれません」
「どこからつっこめばいいのかわからん」
「はい?」
「なんでもない」
良太はやれやれと首を振った。
「まさか初ファーストフードとはなぁ」
そう言いながら、チーズバーガーを頬張る。冷めてはいたが、いい加減空腹もピークを過ぎていたので、さして気にならなかった。
仁野はポテトを一本ずつ、ちまちまとかじりながら満面の笑みを浮かべている。
「高校に来ていきなりこんなおいしい食べ物に出会えるなんて、思ってもみませんでした! 良太くんと咲さんのおかげです」
「仁野の言ってることは、いろいろとおかしい気がするぞー」
「え、そ、そうでしょうか?」
仁野は目を見開くと、片手を口元に添えてむぐんとポテトを飲み込んだ。
「んん、でも、この街に来て高校に入ったことは、私にとっては大きな環境の変化だったので、やっぱり全部つながってるように思えるんですけど……」
「はいはい、そーかそーか」
馬鹿正直な仁野の反応を軽くかわして烏龍茶に口をつける。そうして気のない表情をしながらも、良太は少し考えを巡らせていた。
今どき高校生にもなって、ファーストフードの存在すら知らないなんてことがあるだろうか。いくら外食の経験が少ないと言っても、本当にそういう店舗が仁野の地元になかったのだとしても。テレビCMやインターネットや雑誌、家族や友人たちとの会話、とにかく何らかの形でその存在を『知る』機会は、いくらでもあるのではないか。
でも現に、仁野は知らなかった。
そもそも「財布がなければ困る」という当たり前のことさえ、仁野の概念にはなかったのだ。それはつまり、仁野が『一般的な常識』とはおよそかけ離れた環境で育ち、またそれにさしたる疑問を抱くこともなかった、ということだ。それだけで、仁野が外見に違わぬ特殊な生い立ちを持つであろうことは、容易に察しがついてしまう。
問題は、仁野がそういうことをごくあっさり、良太に暴露してしまったことだ。
小山がその圧倒的存在感を盾として仁野を守ろうとしているのに対し、当の本人があまりにも無防備過ぎる。この調子では、いくら小山が釘を差したところで、周囲が勘繰るまでもない。一度会話を始めたら最後、相手が誰だろうが、仁野はいくらでも己の特異性をさらけ出してしまうだろう。
始業式での小山の言葉は、仁野も聞いていたはずだ。にも関わらず、肝心の仁野は、小山の真意に気づいていないのだ。
でもそれこそ、そんな仁野の大ボケに、あの小山が気づいていないはずがない。
ふと脳裏に蘇る、小山の声。
『よろしくな』
仁野がボロを出さないようにフォローしろ、ってことか?
「そりゃハードル高すぎんだろコヤジ……」
「コヤジ?」
思わず声に出た良太のぼやきを、仁野がぽかんと聞き返す。あまりにも単純で無垢な反応だった。良太はちらりと仁野に目線を向けると、唇の端で笑う。
「そ、コヤジ。我らが担任様だ」
「良太くんは小山先生のことを、コヤジと呼んでらっしゃるのですか?」
「……内緒な? 目の前で呼んだら、ぶっ飛ばされっから」
良太が真顔でそう言うと、
「わっ、わわわかりました! 内緒にします!」
仁野は顔を真っ赤にして首肯し、慌てた手振りでまた一本、ポテトをつまんで口に運んだ。重大な秘密を打ち明けられたとでも思っているのだろうか、紅潮したままひたすらむぐむぐと口を動かしている。
良太は頬杖をついて、そんな仁野をまじまじと見つめた。
無邪気な言動とは不釣り合いな、その容貌。
先ほどまでの気の抜けるようなやりとりがあったからこそ、今はこんなふうに真正面に座って会話していられる。だがほんの数時間前、はじめて仁野と目が合ったときの感覚を忘れたわけではない。周りの音さえ聞こえなくなるほど、一瞬で釘付けになった。まさに目を奪われ、立ち尽くしてしまったのだ。
人から生まれ落ちたことを疑いたくなるほど、神秘的な美しさ。
なんとなく、と、良太は思う。
仁野の美しさは、自然が作り出す造形や現象の美しさに似ている気がする。たとえば、
「……っ!」
鼓動に弾かれた。
教室に入る直前の形容しがたい緊張感が、唐突に良太の胸に蘇る。片時も忘れたことのない、あの『声』の主。もう二度と聞くことは出来ないだろうと思っていた響きが、扉の隙間から漏れ聞こえたときの、あの衝撃。
思い出したように、良太の心臓が高鳴っていた。
そうだ、そうだった。俺はこいつに聞きたいことがあったんだ。
「仁野、あのさ」
「は、はいっ。なんでしょう、良太くん」
仁野は生真面目な顔つきで反応した。
だが良太の方こそ、先ほどまで仁野を茶化していたのとはまるで違う、神妙な表情になっている。どう切り出そうか――逡巡するが、あやふやな物言いをしても、この仁野には通じないだろう。
良太はすうと息を吸い、思い切って口を開いた。
「海で、溺れかけた子どもを助けたことがないか? 三年前に」
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