四月 - イレギュラーな始業式1

 春らしいという気候の、見本のような日だった。朝の日差しは穏やかで、柔らかい風が吹く。学校に至る道も校舎をとりまく景色の中にも、桜色が滲んでいた。

「おぉーい、りょーぉちーん」

 そんな風景の中に、脳天気な声が響く。人懐こい笑顔を浮かべた少年が、ひらひらと手を振って歩いてきた。赤茶けた短髪は染めているわけではなく、季節を問わずほぼ年中、海やプールで泳いでいるために焼けてしまっているらしい。

「俺ら、まーたおんなじクラスさ」

 ニシシ、と笑いながら歩いてくる彼を待って、『りょーちん』と呼ばれた生徒が足を止めた。無造作な髪型、細身の体。周囲の生徒たちに比べるとやや色白なせいか、どこか力の抜けた表情と相まって少し大人びて見える。

「見た見た。サキも一緒だったろ」

 新学期初日。講堂の外壁には、クラス替えが貼りだされていた。それを確認し、昇降口へ向かおうかというところだった。二人は並んで、足並みを揃えて歩き出す。

「うん、でも今回はちょっと……ってあれ、また背伸びた?」

「ん? ああ、かもなぁ」

 そう言いながら、『りょーちん』は前髪をくしゃりと触る。

「一週間ちょい会わなかっただけで、5センチくらい伸びてない?」

「いや、そこまではねーよ……。せいぜい1、2センチってとこ」

「いーよな、りょーちんはニョキニョキ伸びてさー。俺なんて毎日牛乳飲んでたのに高一で止まっちゃったさー……って、いやいや、そうでなくて」

 短髪の少年は勝手に話を脱線させておいて、また仕切り直す。

「クラス替えだよ、クラス替え。あれちょっと……イレギュラーだよねぇ?」

「んー、うーん……。イレギュラー、なぁ」

 イレギュラー、という言葉に二人がやや微妙な雰囲気を漂わせたそのとき、

「おっはよー! クラス分け、どだった?」

 明るい声が、二人にかかった。

 声の主は弾むような足取りで駆け寄ってくると、短髪の少年と『りょーちん』の背中をバン、と叩く。

 艶のある瞳が印象的な少女だった。振り返る二人を見てニッと笑う顔立ちは、子犬のように愛くるしく、その一方で、いたずらっぽさも湛えている。ふわっと揺れる髪は少し短めで、彼女の快活さをよく表していた。

「見事に全員二組だよ。ここまで来ると、学校側もわざとでしょ」

「おー、四年連続! こりゃ完全にあっつんマジックだね♪」

 そう言うと少女は『あっつん』と呼んだ短髪男子の頭を、腕を伸ばしてワシャワシャと撫で回した。

「わ、サキおま、やめろよ朝から! セットが乱れる!」

「何言ってんの。乱れるほどの毛、ないでしょ」

「薄いみたいな言い方すんな」

「あれ。もしかして、将来の頭髪にちょっと不安あったりする?」

「洒落になんないからやめて! 傷んでんの気にしてんだから!」

 そんな二人のやり取りを横目に見ながら、確かに、と『りょーちん』は思う。

「俺らがずっとおんなじクラスなのって、篤志が転校してきてからだもんなぁ」


 島田篤志しまだあつし

 清水良太しみずりょうた

 駿河咲するがさき


 サ行の苗字を持つこの三人組は、中学二年に篤志が編入してきて以来、五十音順でぴったりと寄り添ったまま学年を繰り上がってきた。

 学区の広さに比べて生徒数の極端に少ない彼らの中学には、一学年に二クラスしか存在しなかった。だから、卒業までずっと同じクラスだとか、出席番号が近いだとかいうのは、特別珍しいことではない。

 むしろ特別なのは、ほとんど新しい人の流入がないこの街で、はるか北の土地からやってきた転校生という篤志の存在だった。

 その篤志が、転校初日に一番最初に話しかけたのが後ろの席の良太。篤志が越してきた辺りの話を聞きつけ、うちの近くだねと声をかけたのが咲。そこからなんとなく三人でいることが多くなり、一緒に過ごす時間が増え、現在に至る。そのため良太と咲は、今日まで続く関係を「篤志がきっかけだ」と認識していた。

 高校に入ってまで同じ現象が続くとは思いもしなかったが、彼らの通う高校には一学年に四クラスしかなく、そのうちのひとつは希望制の特進コースだ。実質三クラスしかないのだから、決してありえない話ではない。むしろこの三人が出席番号順に並んでいるからワンセットで目立つだけで、ただクラスが同じということなら、中学からの腐れ縁と呼べる友人はほかに何人もいるのだった。

 それでも入学式当日、まんまと同じクラスで三人並んでいたことに、彼らは揃って大笑いしたのだ。あっつんマジックだね、と。

 そんなことに良太が思いを巡らせていた矢先、咲が楽しそうに笑った。

「ふふふ、また私とあっつんで一年間、りょーたを前後から見守ってあげよう!」

 咲の言う前後とは、すなわち出席番号順のことだ。新学期の座席はもちろん、学校の諸行事においても、確かに良太の前と後ろは篤志と咲の定位置だったのだが――。

「ん?」

 なぜか気まずそうにしている良太と、その反応に違和感を覚えて小首を傾げる咲を見比べて、篤志は眉間にシワを寄せる。正直なところ、篤志も気が重かった。

「いやー、前後からってのは今年は無理っぽいんだわ。実はりょーちんと咲の間にひとり、挟まってんだよね」

 篤志のその言葉に対する、咲の反応は劇的だった。

「……っ!」

 一瞬で真顔になり、バッと駆け出していってしまう。

「……」

 無言で顔を見合わせると、篤志と良太も後を追った。

 講堂横まで来ると、生徒の人垣の後ろで呆然と立ち尽くす咲が見える。


 島田篤志。

 清水良太。

 仁野夏波。

 駿河咲。


「誰……?」

 咲は、あとから追いついた二人をゆっくりと振り返って尋ねた。

 咲の知らない、見たこともない名前だった。中学時代には間違いなく居なかったし、去年の他クラスにも、思い当たる人物は居ない。しかしそれは、篤志と良太にとっても同じことだった。

「俺もはじめて見る名前だよ。ニノ、じゃないよね、りょーたの後ろってことは。シ……ジンノ? カ……ナツ……うーん? 読み方もわかんないな」

 篤志は別段なんでもないことのように言ってみせる。だが良太には、篤志の苦慮がひしひしと伝わってきた。

 二人とも、クラス替えの発表を見た時点で予想していたのだ。

 咲が少なからず、ショックを受けるであろうことを。

「四年連続、じゃ、なかったんだ」

 咲の口から、感情の読み取れない真っ平らなつぶやきがこぼれ落ちた。

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