四月 - 放課後の旋律3

「りょぉおぉおおぉたぁあぁ!」

「わ、咲?!」

 驚いて振り返った先に、憤然と仁王立ちする咲がいた。良太を睨みつけながらスタスタと歩み寄ってくると、人差し指をその鼻先に突き付ける。

「あんたねっ、人に物探しさせておきながら、メッセージにも気付かない、電話しても出やしないってどういうことよっ」

「え、うわ、悪ィ!」

 咲に指摘され、慌てて鞄からスマホを取り出す。マナーモードにしたままだったスマホの画面には、三通のメッセージと五件の着信、さらに二件の留守番電話記録が表示されていた。いずれも咲と篤志からのものだ。

「うわー……マジ、スマン……」

 じろりと良太を睨みつけたまま、咲は両手を腰に当てている。

「帰り道探しても結局見つかんなかったから、正門着いたところで連絡したんだよ。でも全っ然反応ないし、心配になって教室まで見に来てみれば」

 そこまで言って、咲はちらりと仁野に目をやった。その視線に気付いた仁野は、笑顔でピョコンと会釈する。咲は気勢を削がれたように、腰の手を静かに降ろした。

「はぁ……で、見つかったの?」

「あ、ああ。仁野が拾ってくれてたんだ。その……俺たちがホームルームのあとさっさと帰ったから、声をかけ損ねたんだと」

 先ほどのやり取りを一から説明するわけにも行かず、良太は事実から当たらずとも遠くない程度にお茶を濁す。

「そう……ならまあ、よかったね。んじゃこれ」

 詳しい経緯を聞く気も失せたのか、咲は特に追求もせずにそう言うと、片手に持っていた紙袋を脇の机の上に置いた。三人が先ほどまで居た、ファーストフード店の包みだった。

「もし財布が見つかんなかったら困るだろうって、あっつんが。現金も預かってきたけど、そっちはもう返しとく。あとでお礼言っときなよ」

 咲の淡々とした物言いに、かえって申し訳なさが募った。

「ん……サンキュ。てか、ホント悪かった」

「いいよ、もう。じゃ、今日はこのまま帰るから。また明日ね」

 そう言って身を翻しかけたところで、咲はふと立ち止まり、仁野を振り返る。

「……仁野さんも、また明日」

「はいっ、また明日です!」

 仁野は深々と礼をした。そんな仁野に困ったような笑顔を向け、軽く手を振って去っていく咲を、良太はただ黙って見送る。間が悪かったと言えばそれまでだが、今日は一日中、何かしら咲に対して後ろめたい気持ちを抱く日だ。

 そんなことをぼんやり考えながら、良太が静かに閉まった教室の扉を見つめていると、

「追いかけなくて良いのですか?」

「えっ」

 すっきりしない良太の顔を、仁野が覗き込んでいた。

「心配して探しに来られたのでしょう? 彼女」

「あ、いや、あいつは彼女とかじゃなくて」

 そこまで言いかけたところで、良太は仁野の表情に何の含みもないことに気付く。『彼女』という表現に、三人称単数以外の特別な意味は込められていないのだろう。なぜか妙に気恥ずかしくなり、慌てて視線を逸らした。

「咲はチャリ通で、俺はバスなんだ。寄り道がてら歩いて途中まで一緒に帰ることもあるけど、今日はもう、あいつも真っ直ぐ帰るだろうし。もう一人、外で咲を待ってる友だちもいるから」

「チャリ……そうですか」

 仁野は安心したのか、柔らかく微笑んだ。

「それなら、良かったです」

 良太はわずかに目を見張る。

 仁野はおそらく、良太と咲の短いやりとりを見ただけで、親密さや互いの距離感を推し量ったのだろう。だからこそ、余計な口を挟まず笑顔だけで咲の怒気をいなしたのだ。すっとぼけているようだが、意外と敏感なやつなのかもしれない……そんなことを考える。

「なんか悪いな、変な気遣わせて――」

 と、良太が言ったそのときだった。

「りょぉおぉたぁ~」

「……へ?」

 凄んでも全くドスの利かない、いっそ間抜けな声で名を呼ばれ、良太は目を丸くした。仁野がおそるおそる、といった感じで上目遣いに見上げてくる。

「彼女がさっき、そう呼んで……た、から」

 急に敬語のことを思い出したのか、また中途半端な口調だ。

「ああ、そういや」

 確かに、仁野が「なんと呼べば良いか」と尋ねたタイミングで咲がやってきて、鬼の形相で「りょーた」と叫んだのだった。そういうことかと合点が行く一方で、どうにも『彼女』が居心地悪い。

「あいつは『咲』な。駿河咲。仁野の後ろの席に座ってる奴だ」

 良太が咲の座席を指さしながら名前を教えると、仁野はふんふんとうなずいた。

「駿河咲さん」

「だからフルネームはやめとけ」

「咲、さん?」

 良太がそう、と笑みを浮かべて首肯するのを見て、仁野は両手をギュッと握り、よしよし、と嬉しそうにつぶやく。

「じゃあ、良太さん!」

「はは、俺に〝さん付け〟ってのもなぁ」

 こっちはとっくに呼び捨てにしてしまっているのに。さっきの気の抜けた呼び捨てを思い出し、良太は苦笑する。

「別に『りょぉおたぁ~』でも、俺は全然いいけどな」

 からかい半分に良太がニヤリ笑うと、意を決したような表情の仁野と目が合った。

「……良太くん?」

「えっ、あっ、え?? お、おう!」

 不意打ちの呼びかけは思いがけない強さで良太の胸を打ち、咄嗟の返事が間抜けに裏返る。良太〝くん〟、って。

「これであってますか?」

「あってますかって言われても……あってる、のかな」

「あは、やった!」

「いや……うん……」

 結果的にそう呼ぶように誘導したのは自分かもしれないが、概ね苗字か名前で呼び捨てにされる良太にとって、それがひどく甘く響くものであることに驚いてしまう。

「随分パンチ力あるな……」

「パンチ力?」

「いや、なんでもない。――呼びにくくないか、それ」

 良太はさりげなく回避しようとしたが、

「大丈夫です、良太くん!」

 仁野は得たりとばかりに力強く呼んでみせ、ニッコリと笑う。良太はかえって赤面させられる結果となったのだった。

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