四月 - イレギュラーな始業式6

「いやー、なかなか波瀾に満ちた初日だったねぇ」

 自転車を押しながら、篤志が言う。

「まだお昼前だっていうのが信じらんないよ」

「まったくだ。なーんもしてないのに、なんかすっげー疲れた」

 徒歩の良太はグーッと腕をあげ、伸びをした。

 そんな二人の前を、篤志と同様に自転車を押しながら咲が歩いている。咲は二人の言葉を聞いてからややあって、

「私も……なんていうか、気持ちの変化がめまぐるしかったなー」

 そう言うと、肩の荷が下りたかのようにふうと息をついた。

「今は落ち着いたの?」

 篤志はさりげなく、咲に水を向ける。

「ん……正直まだ、よくわかんないんだよね」

 歩を緩めた咲の隣に、篤志と良太が並んだ。

「最初はさ、ずーっと一緒だった席順変わっちゃって、そこに知らない人が来るっていうことに不安もあったし、寂しかったし……。こんなこと言いたくないけど、やっぱりちょっと悲しかったな。このクラス替えって多分、エリちゃんが決めたことじゃない?」

 小山を〝エリちゃん〟などと愛らしい呼称で呼ぶのは、バレー部員の女子だけだ。

「こんなの、ワガママだってわかってるけど、私があっつんやりょーたと仲が良くって、三人いつも一緒で、それは当然のことだって……みんなもそう思ってるって思い込んでたの。だからきっと、今年もそうなるはずだって」

 咲は中学時代、この高校を見学に来た際に、バレー部の指導をする小山に出会った。その女性としての美しさと気風の良さに一目惚れし、中学時代に陸上でそれなりの成績を残していたにも関わらず、高校入学後すぐにバレー部に入部したのだ。

「それをさ、よりによって、エリちゃんのクラスでひっくり返されるとは思ってなかったからなあ」

 概ねすべての女子生徒から人気のある小山だが、特にバレー部員にとっては、他の生徒たちに比して、一段特別な親近感を抱かせる存在なのだろう。

「だからもう始業式始まった頃にはね、どんなやつか見てやろうじゃないの、って気持ちになってたんだよ。かかってこいや! みたいな? でも、いざ出てきた仁野さんは……あんなにも綺麗な、おとぎ話のお姫様みたいな人じゃない?」

 そこまで言うと、咲は困ったような笑顔で肩をすくめた。

「私、ホント一瞬で諦めちゃった」

「諦めたって、何を」

 良太の問いかけに、一呼吸置いて咲が答える。

「今まで私がいた席に、これからは仁野さんが座るんだなぁ、って」

「おい」

 間髪入れずに不満そうな声を発したのは篤志だ。

 昔から、篤志は物事の機微に聡い。良太などは、なぜその能力の一欠片でも学業に生かされないのかと、そばで見ていて疑問に思うほどだ。だがそれゆえに篤志は、咲の言外の意を汲むが早いか露骨に顔をしかめた。

「何だよそれ? 咲、今、ただ教室の席の話で言ったんじゃないよね? 俺たちやコヤジが、仁野さんと咲を天秤にかけて仁野さんを選ぶって意味で言ってない?」

「篤志、落ち着け」

 一気にまくしたてる篤志を、良太は横目に見て制する。篤志は憤然と鼻を鳴らした。

「落ち着いてるよ。ムカついてるだけ」

 その怒りをいなすかのように、咲は肩をすくめてみせる。

「そんなに怒んないで。最初に仁野さんを見たときは、そういう気持ちになったの」

 正直、咲のその言い分は、大袈裟すぎるし悲劇的すぎる、という気が良太にはする。だが、実際にひとり仲間はずれのような格好になってしまったのは咲なので、それについては何も言えることはなかった。

「だった、ってことは、今は違うんだな?」

 とにかく篤志をなだめるためにも、良太は先を促す。

「うん。……まあでも、今まで自分がいるのが当たり前だった場所にあんなに綺麗な子がいるの見たら、ちょっと落ち込みたくもなるよ。一学期の間だけっていってもさ。そこら辺は、複雑なオンナゴコロだと思って分かってほしいな」

 そう言ってふふ、と笑う咲を、篤志と良太はそれこそ複雑な面持ちで見る。

 咲はどちらかといえば、人目を引く外見だと思う。何をしていても華があり、明るく気さくな性格も相まって、中学時代から今に至るまで、男子からの人気は高いほうだ。ただ、篤志と良太が虫除けの役割を果たしているせいで、咲自身がそのことに気付く機会がないだけである。

 仁野は確かに美少女ではあるが、それは咲の魅力と比べてどうこうという性質のものではなく、いわば『飛び道具』のようなものだろう。

 咲は二人の表情に気付かずに続ける。

「それでもね、教室で仁野さんの挨拶を聞いたときに……なんだろう、なんだかすごく、胸がいっぱいになっちゃったの。自分が感じてた引け目とか嫉妬みたいなものが、ものすごーくくだらなく思えてさ」

 咲の自転車が道の段差にかかり、キーホルダーについた鈴がリン、と音を立てる。

「それはそれで、やっぱりちょっと悲しいことではあるんだけど……でも純粋に、仁野さんの力になりたいって思ったんだよ」

「あ、それ、わかる! 俺も思った」

 唐突に篤志が、先程までの仏頂面が嘘のように咲の言葉に食いついた。

「あっつんも?」

「うん。俺はね~、咲が悲しいのはヤだし……でも、コヤジの考えてることもわからなくはないし。最初は、参ったなーって、思ってたんだよね」

 言いながら篤志は、自分でうんうんとうなずいている。

「でもなんだか、仁野さんのあの……一生懸命さというか、真っ直ぐさみたいなのがさ。俺たちの高校生活にとって、すげー大事なものになるんじゃないかなーって思えて。なんかこう、あー、この子のこと、ちゃんと守ってあげないとなーって」

 咲は最初、少し驚いたような表情をしていたが、篤志の言葉を聞き終わるとにっこりと笑った。そうして視線を良太に移し、笑顔のまま問いかける。

「りょーたは?」

「ん? おー……」

 相槌を打ったものの、良太はふと、自分が二人のように明確な『言葉』を持たないことに思い至った。

 力になりたい、とも、守りたい、とも違う気がする。何かを感じたことは確かだが……何がしたいと思ったのだろう。何をもって、仁野の願いを叶えようと言うのだろう。

「俺は……」


 きらめく銀の光。

 ゆらめく蒼の光。


「何ができるんだろう……」

「りょーた?」

 呆けた顔の良太を、咲が覗きこんだ。

「え、あ、いや。ごめん、ちょっと腹減ってボーっとしてきてさ」

 我に返って、良太はいい加減に取り繕った。が、今度はそれを聞いた咲がムッと頬を膨らませて良太を睨む。

「ちょっと。人が真剣に打ち明け話したってのに、上の空だったの?」

「え? うん……いや! 咲の話はちゃんと聞いてた!」

「えー? じゃありょーちん、俺の話を聞いてなかったの?」

「うるさいぞ篤志、こういうときは助け舟を出すもんだろ」

「助け舟って何! やっぱ言い逃れする気じゃん!」

 篤志の軽口が、見事に咲を焚きつける。

「わー、だから違うんだって! ちょうど咲の話が終わった頃から徐々に空腹を自覚しはじめてだな!」

「ひどいなーりょーちん、俺傷ついちゃうなー」

「篤志っっ! ほら、咲もさ、そろそろチーズバーガー食いたくないか?」

「私はチーズバーガー以下かっっ」

「だから違うっての!」

 咲の糾弾から逃れるため、良太は走り出す。

「待てえええい!」

 当然のように自転車にまたがり、咲は良太を追いかける。

「俺、先に行って席取ってるねー」

 良太にあっさり追いついた咲の脇を、篤志が自転車で通り過ぎていく。

「篤志ぃ! このうらぎいやちょっと待って咲いたいいたいいたい!」

 咲は良太の背にガシガシと自転車をぶつけながら、

「私ダブルチーズバーガーセットね! アップルジュースで!」

 走り去る篤志の背中に向かって大声で注文した。篤志がりょうかぁい、と笑い混じりに叫ぶ声が、こだまのように返ってくる。

 そんな三人をからかうように、風が桜の花びらを巻き上げた。

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