白い服を買う
「ありがとうございましたー」と言われ、服屋の店員に見送られる。
私の左手には、さっきの服屋のロゴが入った茶色の紙袋がぶら下がっていた。ファストファッション以外のブランド服を買うのは、いつ振りなのかも思い出せない。
駅の地下街は平日の昼間で人出が少ない。
雑貨屋と服屋の多い区画を通り抜け、レンストラン街へ行っても人はまばら。ランチ営業までにはまだ早く、どの店も空いているか、準備中だった。
その一画。白と緑を基調としたナチュラル系のカフェに私は入った。そこは独身で会社勤めをしていた時は週一で通うほど、お気に入りのカフェだった。
カフェの店員に席を案内される。数人いた客は、私と同じく一人の女性ばかり。お冷を持ってきた店員に「ご注文お決まりでしょうか?」と聞かれ、私は一番シンプルなパンケーキを注文した。
注文を受けた店員が席から離れると、私は先ほど服屋で渡された紙袋を開ける。
紙袋の中に、白い服がある。
あのブランド服屋で、私は白い服を買ったのだ。
私にとって、服とはただ身に着けるもので、肌や体形を隠すものになっていた。結婚し、子どもが生まれてからは特に。
自分の服は、汚れてもいいもので、できればパッと見の印象の良くて、それでいてあまり目立たないものが望ましかった。
それなのに私は、さっき白い服を買った。
その服が畳まれた状態で置かれた棚の前に立った時。店員が「それ、かわいいです。お値段も、かわいいですよ」と言った。
手に取ってみると、見た目よりも生地が厚く、ずっしりとした重さがあった。値段が書かれたタグも、店員が意訳した通りお財布にやさしい値段だった。
色は四種類あったけど、私は白を選んだ。
自分の好きな色を、突然、思い出したからだ。
汚れが付いたら確実に目立つ、眩しいくらいの白い服。
特別な日のために、クローゼットの中で常に待機させてしまっている白い服。
でもその色の服が、私は好きだった。
「お待たせいたしました、パンケーキです」
店員は私の目の前に、シュガーパウダーで真っ白にお化粧されたパンケーキが置かれる。
銀のナイフとフォークで、ふかふかのパンケーキを切って口に運んだ。濃厚なバターの香り。切った感じよりも、しっとりもっちりした触感がやさしい。口の周りや黒い服の胸元に、サラサラと粉砂糖の白い雪が舞い落ちた。
ああ、やっぱり私は白が好きだ。
誰からどう見えようが、気にしない。
自分の好きなものを、好きでいたい……
レストルームで、粉砂糖で汚れた黒い服を紙袋に入れ、白い服を着た。
鏡に白く映える自分が、高揚としているのがわかる。
私は白い服を着ている。
私は私の着たい服を着ている。
流行や世間体に染まらない自分の姿。
母親になってから、初めて見たように思える。
誰かに求められることに応えるだけではない。
自分が何を求めていたのか。
そして何を目指していたのかも、思い出せるような気がしてきた。
しかし、スマホのアラームが鳴った。
子の預かり時間が終わりが近く、お迎えに行かなければならない。
お迎えに行ったら真っすぐ帰宅して、子が食べたいもの食べさせて、眠たそうなら寝かせ、みんなのために家事をする。それが私の日常。
帰ったらすぐ、この白い服は脱いで、洗濯して、クローゼットに片付けるだろう。
だけどまた、私は白い服が欲しい。白い服を着たい。
クローゼットの中に、白い服が増やしていこう。
白い服を着よう。
私の中の私だけの部分を、増やしていくのだ。
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