さっきの夢なら丸めて食べた

春木のん

続きの花園

 今年も海が真っ白になる季節が来た。

 海岸線から地平線までを覆った流氷の切れ目から、朝陽が昇るところを見るのがこの時期の一番の楽しみだ。

 市営スキー場にもなっている山のふもとからすぐに住宅地が広がっており、緩急ある山の斜面が裾野すそのの海まで末広がりに続いていてる。

 俺の家は斜面の中腹より少し上の場所にあり、二階の部屋から見える景色は海まで開けていて、窓辺に立つだけでこの街のほとんどと真っ白な海の全景を見られた。


「うーうー」


 ノックもせずに、部屋に入って来た弟。

 かたちはまだ無い。

 やれやれ、と思いながら、俺は弟を抱っこして一階へ降りる。


「おはよう」

「おはよう」

「おはよう」


 新聞を読む父と、朝ご飯を作る母さんが、俺の呼びかけに返事をする。


「また産まれたの?」

「ああ、世話はさとしに任せるよ」


 無責任だなと思いながらも、俺は前の妹が着ていたものをまとめてある透明な収納ケースを取り出して、ふよふよした肌色の全身ベビースーツに弟を入れて、背中のファスナーを閉めた。

 しばらくすると、弟はそのスーツに体を馴染ませて、ごろんと寝返りをした。その姿は、何百回見ても可愛い。


「名前は?」

「聖が決めて」


 どうせ出生届は出せないから、という母さんの心の声まで聞こえた気がする。

 俺はこれまでの弟には歩夢あゆむ、妹には歩魅あゆみという名前を付けていたので、今回も歩夢という名前を付けた。


 突然この世界に生まれて来た歩夢は、お尻と手足を床に付けた状態でしばらく頭と目をぐるぐるさせた後、近くにあったソファに掴まって、立ち上がった。

 よたよたと、バランスを取るように歩きながら母さんがいる台所へ向かって歩き、「まんまー!」と大きな声を出す。


「それじゃあ行ってくる」


 出社時間になった父が、新聞を畳んでテーブルの上に置き、上着を持って居間から出て行った。

 母さんは俺の朝食をテーブルに持ってきて並べると、父の朝食の食器を下げる。母さんの後を、歩夢が追いかけて「まんまー!」と叫ぶ。


「まだミルクあったっけ?」

「牛乳ならあるわ」


 どうせすぐ普通の食事が食べられるようになるんだから、という母さんの心の声。

 俺はマグカップに牛乳を注いで、電子レンジで人肌まで温めてから、ストローをさしてテーブルに置いた。


「おいで、歩夢」


 俺の声に反応した歩夢は駆け足で向かってきたが、テーブルの前で転んで額をテーブルにぶつけてしまった。びゃー! と泣く歩夢。テーブルの角にぶつかったひたいは少しめくれて、歩夢の中身が一斉にこちらを見ていた。


「痛かったね。大丈夫だよ」


 俺は捲れたところを元に戻して、絆創膏で二重に留める。

 泣き止んだ歩夢は、ストローを使って牛乳をチューチューと飲み始めた。


「母さん」


 台所で洗い物をしている母さんの後ろ姿に声をかける。


「大丈夫?」


 蛇口から流れる水の音、食器がぶつかり合う音で、ほかの音は何も聞こえないという姿勢を崩さない母さん。

 俺はそれ以上、言葉が出なくて、朝食の食パンを噛み砕いて飲み込んだ。


「まんまー?」

「パンだよ」

「パン!」

「そう」


 俺の朝食に手を伸ばしてきた歩夢に、小さくちぎった食パンを持たせる。

 既に小さな歯が上と下に生え始め、言葉を覚える速度も良い感じだ。


「歩夢。お兄ちゃんは、学校に行くから」

「おにー、がこー?」

「うん。歩夢は、良い子で待っててね」

「あゆー、いこー!」


 無垢な笑顔を俺に向ける歩夢の頭を撫でる。

 上着とリュックを持って、俺は家を出た。


 流氷が接岸した街は、海水の温かさの恩恵がなくなって陸地と同じ寒さになる。

 この時期の空は、青ければ青いほど、寒い。

 それでも朝陽が昇るとは気温が上がるので、家の中にいるよりもあたたかい。


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