ライスケーキ殺人事件

「あの! おまわりさん!」

「はい?」

「助けてくださいっ!!」


 多賀目巡査長が勤務する駐在所に駆け込んできたのは、駐在所の裏の民家に住む後田うしろだ家の嫁の和子かずこだった。


「落ち着いてください、何があったんですか?」

「おばあちゃんが、餅を! 背中を叩いたんですけど、餅が出なくて!」


 余程あせって家を飛び出してきたのか、真冬にもかかわらず和子かずこは素足にサンダルをつっかけただけの状態だった。


「わかりました、いま行きます!」


 走って家に戻るの和子かずこの後を、多賀目たがめが追いかける。駐在所の横に敷かれた砂利道を通り抜けて、裏の家の庭の垣根の隙間をすり抜ける。庭に面した縁側の窓はすべて閉まっていて、おばあちゃんが庭に出るときにいつも履いているサンダルが軒下に置かれたままだ。和子かずこは道路に面した方にある玄関から家の中に入ろうとした、ところ。


「あら、多賀目たがめ巡査長?」


 初詣の帰りらしく破魔矢をもった、探偵オバさんこと丹野程子たんのていこと目があった――が、事態は一刻を争うので丹野たんのを無視して多賀目たがめ後田うしろだ家に向かう。


後田うしろださん、おばあちゃんは?」

「こっちです!」


 引き戸の玄関を開けてすぐ、揃えられたスリッパを履いて和子かずこが冷たく冷えきった板の間の奥へ行く。多賀目たがめは玄関で靴を脱ぎ捨て、靴下のまま和子かずこを追った。

 縁側から西日が入る居間の、中央に置かれたコタツの横で、おばあちゃんがうつぶせに倒れていた。


後田うしろださん、救急車呼んで! イチ、イチ、キュー、窒息です!」

「は、はい!」

「おばあちゃん、大丈夫ですか?!」


 多賀目たがめは、おばあちゃんの状態を確認した。チアノーゼ。呼びかけに反応なし。続いて応急処置として、ハイムリック法、背部叩打法、胸部圧迫式の心配蘇生を試してみるも、反応なし。そして……


 駆けつけた救急隊員は蘇生措置を行わず。

 間もなく、警察署から検死を行うための要員が来るということになった。


「ううっ、ごめんなさい……おばあちゃん、お餅が大好きで……正月は絶対にお餅を食べるんだって……私がお雑煮にお餅を入れなければ……」

「そう、ですね……」


 ハンカチで顔を覆って嘆く和子かずこに、多賀目たがめはなんと声をかければいいかわからなかった。


 この2年間、餅による窒息の死者数は600人を超えている。特に高齢者の割合が多いため、正月の前から餅による窒息を防止する呼びかけが全国的に行われている。しかし、どんなに未然に防ごうとしようが餅による窒息死がゼロになることは難しいのだろうか、と多賀目たがめは思う。


「ちょっと、ごめんください」


 破魔矢を持った丹野程子たんのていこが、手袋を着けた手で縁側の窓を開けてきた。開いた窓から、真冬の冷たい風が室内に流れ込んでくる。


「ちょ、なにしてるんですか丹野たんのさん!」

「ねえ、後田うしろだ和子かずこさん……あなたでしょ、おばあちゃんを殺したの?」

「なっ?!」


 いつも事件現場に神出鬼没で現れてくる素人の探偵オバさんに、多賀目たがめは初めて強い憤りを覚えた。


「もう、ほんとにやめろよオバさん! 後田うしろださんは、家族を失ったばかりなんだぞ?!」


「私、玄関で揃えてあったあなたのスリッパを見たわ。素足にスリッパで、慌てて駐在所に駆け込んだのよね、きっと。でもスリッパは、ことが気になったの。あと私ね、おばあちゃんとこの縁側でよくお話してたのよ。おばあちゃん、お庭に出るの大好きだから、冬でもここにサンダルを置いといて、家にいるときはんだって。さすがにそれは危ないんじゃないの? って聞いたら、駐在所の裏の家に入ってくる泥棒なんているわけないわって、おばあちゃん笑ってたのよね……和子かずこさん、玄関から外に出るよりも、こっちの縁側から出た方が駐在所は近いわよね? おばあちゃん、どのくらい長い間、苦しかったのかしら……お気の毒様です」


 そう言うと、丹野たんのは破魔矢を脇に抱え直し、おばあちゃんに向かって合掌した。


「そんな、ことって……」


 丹野たんのの話が途切れると、ハンカチで顔を覆っていた和子かずこが変な声を上げていた。大きく肩を揺らして仰け反り、笑い声とも泣き声ともつかない奇声をあげる。


「アアアアアアアハアハアハアアア! おばあちゃんは、事故よっ! お餅でよくある事故で、死んだのよおおおおおおおおおおお!! 」


「そうね……きっと、そうよ。和子かずこさんずうっと、おばあちゃんの介護をひとりでやってて大変だったものね。お疲れ様でした。おばあちゃん、施設に入るの嫌がってたから、自分の身の回りの世話はお嫁さんの和子かずこさんに全部やらせるんだって豪語していたの、私も聞いてたから……」


「ねえ、どうして! 私なの?! 血の繋がりもない他人の、食事も排泄も入浴も病院の送迎もなにもかも感謝もされずお金ももらえず出来なかったり間違えたりしたら何日もねちねちねちねち罵声を浴び続けながら介護しなきゃならないのよお……ねえ……みんな、しんじゃえばいいのに……」


 声がだんだん小さくなっていった和子かずこは、その場にうずくまり、嗚咽をあげはじめた。

 丹野たんの多賀目たがめもすぐ近くに住んでいて、和子かずこの存在を知っていたのにもかかわらず、後田うしろだ家のおばあちゃんも和子かずこも助けられなかったことが歯がゆかった。


 遠くのパトカーのサイレンの音が、だんだんと近づいてきていた。


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