拝啓、お義母さん

『晩秋の候。日に日に気温が下がり、朝晩は冷え込むようになってきました。富士山は初冠雪となり、今年もあと数ヶ月で終わる準備が始まったように思えます。


 お義母かあさんがいなくなったアパートの部屋を、トオルさんと片付けるのに二ヶ月かかりました。ご実家である清水しみずのお家から持ち出してきたダンボールの未開封のものはほとんど、トオルさんたちの幼い頃の思い出の品ばかりで。なかなか作業が捗らず、大変でした。結局ダンボール一箱ひとはこは、わが家へ持ち帰ることとなりました。


 お義父とうさんが亡くなられた後、お義母さんが、トオルさんや妹さんたちと五人で暮らしていた一軒家から二間ふたまのアパートへ引っ越すとトオルさんから聞いて、私は驚きました。

 遺産相続の際、ご実家の名義はすでにお義母さんのものになっていたのも、ゆくゆくはそうするつもりだったのでしょうか。

 わが家も今年、中古ですが一軒家を購入したので。家を処分するというのはどういう心境だったのか、気になりました。やはり、トオルさんも妹さんたちも全員が経済的に自立し、共に暮らす人が誰もいなくなった一軒家というのは、さみしいものだったのでしょうか。


 話は戻りますが。お義母さんが住んでいたアパートの中はキレイに片付け、無事に解約手続きが済みました。契約時の連帯保証人がトオルさんだったことと、おおらかな大家さんがトオルさんとも面識のある方だったので、お義母さんがいなくてもスムーズに話が進んで良かったです。


 しかしながら、お義母さんの部屋にあったスペイン語の語学書やノートも、すべて処分したのですが。それで良かったのでしょうか?


 お義父さんが亡くなられ、初七日、四十九日、一回忌、三回忌と法要が終わった後。突然アパートへ移り住み、駅前の語学学校へ通うと聞いた時は、トオルさんと二人で、お義母さんがなにか怪しいキャッチセールスにつかまったのではないかと心配しました。長年連れ添った人を失った後の悲壮感がどんどん薄れていき、お義父さんがご存命でトオルさんと私が清水の実家へ遊びに行った時のような、明るくイキイキとしたお義母さんに戻ってきた頃には。お義母さんが楽しいのなら、それでいいよね、と。妹さんたち共々、納得しておりました。


 なので、スペインへ語学留学されると聞かされた時も、みんなで快く送り出すことができました。時々、スペインから送られてくるお義母さんからの葉書からも、留学を心から楽しんで、異国の地でもイキイキされている様子が感じられ、私たちはホッとしておりました。

 ですが、留学先で出会ったスペイン人の彼氏と再婚する、と連絡が来た時は。全員、凍りつきました。……』


 ふーっと、長いため息の後。

 見上げた空は、刷毛はけで薄く伸ばしたような筋状の雲が広がっていた。


 お義父さんが眠る青山家のお墓の前で、しゃがみ込んだお義母さんは、小刻みに震えていた。その震えは、だんだんと大きくなり、やがてのけぞるように笑い出して尻もちをついた。


「もー、おっかしい! そりゃ凍りつくわよね!!」

「そうですよ。というか、私がお義母さん宛てに書いた手紙を、朗読するの止めてほしいです」

「だって。あの人にあたしの現状報告するには、うまくまとめられている文だから。ちょうどいいと思って」

 褒めているのだろうか? でも私はあんまり褒められた気になれない。

「ふふふ。ごめんね。みどりさんだけよ、あたしの再婚報告にこうして反応してくれたのは。あとはみ~んな、無視。親子の縁、切られちゃったかしら」

「みなさん、お義父さんのことが大好きでしたから。お義母さんはもう、お義父さんのことは愛していないんですか?」


 トオルは、お義母さんが帰国すると連絡が来ても、会いたくないと言った。トオルの妹さんたちも同じく。結局、私だけがお義母さんのお迎えをして、一緒に青山家のお墓参りをすることになった。

 お義母さんと一緒に来日した、スペイン人の彼氏さん……じゃなくて、お義父さん? でもないか。お義母さんの再婚相手の、ミゲルさんは、日本語は全くわからない様子ではあるけれど、ずっと太陽のような明るく優しい笑みを浮かべて、私たちから少し離れたところに立っていた。トオルよりも若くて、トオルよりも背が高くてスリムで、真っ白なシャツが日に焼けた肌に似合う人だ。


「あの人のことは、ずっと愛してる。そしてミゲルのことも、私が死ぬまでずっと愛すわ」

「そうですか」

「そっ」


 頬を優しく撫でるように、お義母さんは墓石を撫でた。

 ふたりの男を愛する女の気持ちが、私には理解が出来なくて。

 お腹の前で組んだ手の、左手の薬指の指輪を何度も確認した。


「そういえば。いつ産まれるの、赤ちゃん?」

「来年の春の予定です」

「産まれたら教えてもらってもいいかしら?」

「私はかまいません」

「ありがとう。……みどりさんがここにいてくれて、ほんと嬉しいの。ありがとね」


 ミゲル! と、お義母さんがスペイン人の彼を呼んだ。

 ゆったりと時間をかけてお墓の前に来た彼は、お義母さんの手を握って、その場に片膝をついた。

 左手を自分の胸にあて、お義母さんにスペイン語で何かを言い、そして青山家の墓石に向かっても何かを言った。

 ミゲルさんは、きっと誠実な人なのだろう。わざわざ日本まで来て、結婚相手の元夫のお墓参りになんて来るなんて。と思ったのも束の間。

 なにやら感極まったふたりは、元夫のお墓の前で熱い抱擁とキスをした。

 私はスッと顔を横に向ける。トオルがここにいなくて、良かった。


 その後、空港へ向かうバス停の前まで私は見送りをした。

「今日はありがとう。会えて良かったわ」

 お義母さんとハグをして、ミゲルさんと握手をする。

「私の孫が生まれるの、楽しみにしているから。これから寒くなるけど、あたたかくして、体を大事にしてね、みどりさん」

「ありがとうございます。お義母さんもミゲルさんも、お元気で」

「ふふふ。私も良い報告があれば、みどりさんに連絡するから。楽しみにしていてね」

「良い報告、ですか?」

 あああ。これは。トオルには言わない方がいい予感しかしないと、女の直感がビンビン働く。

「女はね、ずーっと、女のままなのよ」

 もうすでに、ミゲルさんと同じ、太陽のような笑みを浮かべたお義母さんは「チャオ」と言って、私に手を振った。

 空港行きのバスが、新婚のふたりを乗せて旅立って行く。

 ポコン、と。お腹の下でシャボン玉が弾けるような感覚がした。


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