とある凄惨な犯行現場

「ただいま……うっ!」

 午後六時十五分。自宅である真田さなだ宅へ、平良たいら(会社員・三十七歳)が帰宅。

 平良はすぐ、自宅の異変に気付く。


 普段は整理整頓され綺麗な玄関に、あらゆるものが散乱している。靴箱は全開。中に入っていた靴の多くは土間に投げ出され、靴箱に戻されたものも、ベージュ色のパンプスと紺色のスニーカー、サンダルと皮靴など、左右も前後もバラバラである。


「おーい! 沙耶さやちーん!」

 平良は、妻である沙耶(専業主婦・三十二歳)の名を呼んだ。

 すると、くぐもった声で「たいちゃーん……」と返事があった。

 平良はおそるおそる靴を脱ぎ、玄関から居間へ続く廊下を進む。


 廊下の電気を点けると、そこもひどい状態だった。玄関ではおさまらなかった靴が、縦や横や、ひっくり返ったりしながら置かれている。

 居間へ続くドアは、半開き。部屋の灯りはついていない。街灯の明かりが見えるので、カーテンも開かれたままのようだ。


 妻に遭ったのだと、平良は直感する。

 妻の沙耶は、あまり視力が良くない。外が暗くなり、それに合わせて部屋の中も暗くなると、すぐに電気を点ける。それに電気をつけると外から家の中が見えるのを嫌がるので、必ずカーテンを閉める。妻はどのくらいか前の時点から、それが状況にあるのだ、と。


「沙耶ちーん、どこ……うわっ!」

 平良は居間に入ってすぐ、何かを踏み潰した。

 ぶちゅっ、という音と、靴下が濡れる感覚。

 何を踏んだかわからない不快感に苛まれながらも、すぐに居間の電気を点けるため、平良はその場で靴下を脱いですり足で部屋の真ん中へ移動した。そのわずかな距離でも、固いもの、柔らかいもの、濡れたもの、ザラザラするものが、平良の足に触れた。


 ようやく居間の電気を点け、平良はその凄惨な部屋に血の気が引いた。

 色とりどりのブロックと、巻き散らかされたタマゴボーロ。オレンジジュースの紙パックがテーブルの上で倒れ、ダイニングチェアを通じて床を濡らしている。

 そして真田一家が寛ぐ、皮製のソファの上。蜜柑の皮を千切れるだけ千切って、握り潰して、ぐちょぐちょにして、満足して寝たらしい仁葵にあ(幼児・一歳十ヶ月)が、うつ伏せでよだれを垂らして寝ていた。なぜか、下半身は何も履いていない。


「たいちゃーん……」

 沙耶の悲痛な声は、さらに奥から聞こえた。

 居間の先、ダイニングキッチンのさらに奥に、真田家の浴室とトイレがある。

 平良が床に散らばったものを飛び越えてそこへ行くと、トイレのドアの前にはダイニングチェアが斜めに立て掛けられ、妻の沙耶がトイレの中でしくしくと泣いている。


 平良は、外開きのトイレのドアノブにがっちりとハマっていたダイニングチェアを除ける。

 ドアを開けると、床に座ってうな垂れていた沙耶が、平良の姿を見て安心し、また泣きだした。


 嫌な事件だったね、と言いながら、平良は沙耶を抱きしめて、慰めた。

 その後ふたりは、むちゃくちゃ掃除した。


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