あとがき

『ジャーナリストの本分-申報館記者日記-』、お読み頂き、ありがとうございました。


 私の創作は、16世紀オスマン帝国ものが多めですが、こちらは世紀転換期の上海共同租界を題材とした作品です。実は、もともとこちらの方が専門で、卒論で扱った申報館という新聞社を舞台に小説を書いてみようかな、と思ったものです。


 上海共同租界とは、阿片戦争後に、西欧列強との自由貿易のため、「外国人の街」として始まったものです。しかし、太平天国の乱などの戦乱から逃れるために中国人がここに移住し、「華洋雑居」の状態が続きます。


 また、治外法権が認められており、清の法律が通用しないため、独立国家のような状態になります(実際、1870年代にはイギリス人を中心に独立の動きもありました)。そんな上海共同租界には、色々な背景を持つ外国人や中国人が集まります。ここにあげた朝鮮の革命家・金玉均や、申報館の設立者アーネスト・メイジャーもそうです。


『申報』は近代中国最大の日刊紙となったのですが、それを始めたのがイギリス人であり、「治外法権によって守られた言論の自由」によって成り立っていた、ということに興味を覚え、卒論を書きました。あれから随分経ちますが、やはり、今でも上海共同租界は興味深く、また懐かしいです。


 創立者アーネスト・メイジャーの話を書こうかと思ったのですが、メイジャーにつては、卒論で完全燃焼した感じがあるので、その後の申報館を舞台としたフィクションを書いてみたいと思うようになりました。


 この主人公もそうなのですが、「上海のユダヤ人」というのは、修論のテーマでもあり、またそのあたりを舞台に小説を書こうかな、と思っているテーマでもあります。「上海のユダヤ人」はそれなりに大きな規模のコミュニティなのですが、この主人公のようにイギリス本国出身者は多数派ではなく、多くはオスマン帝国出身です(ユダヤ人自体が多いですから)


 様々な事情があって、上海にやってきてそれなりに助け合ったりしながら生きていたのですが、その運命を大きく変えたのがオスマン帝国の滅亡でした。


 というのは、オスマン帝国の後にできたトルコ共和国がカバーしているのが、旧オスマン帝国領のほんの一部で、多くは別の国になったり、委任統治領になったりいろいろなのです。


 オスマン帝国の偉い人たちにとってそれは、「自分たちの話」なのですが、上海生まれ上海育ちの「オスマン帝国臣民」にとっては遠い話です。遠い話なのに、現実問題として「トルコ人」にされたり、別の国の人にされたり、或いは無国籍にされたりして、コミュニティが分断されていく、理不尽な話なのです。少なくとも、「上海史」から「オスマン帝国の滅亡」を見ていた私には、理不尽で迷惑この上ないつらい話でした。


 が、その迷惑な話から目を逸らしてはならないと、オスマン帝国末期の歴史と、トルコ語・オスマン語を学ぼうと決め、今も続けていますが、創作としてはオスマン帝国全盛期の方にハマってしまいました。もし興味持って頂けたら、そちらもどうぞ(笑)


 20世紀上海研究の中で見ていた16世紀オスマン帝国は、眩しく完璧なもののように映ったのですが、やはり、完璧な時代や国などあるはずもなく、いつの時代の人も、それぞれのつらさの中で美しさや優しさを探して一生懸命生きているのだと、当たり前のことに気付きました。


 歴史小説というのは、事実をただなぞることではなく、その時代だからこその、しかし普遍的な人間の「より善く生きるためのもがき」を描き出すことなのかな、と思う、今日この頃です。





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ジャーナリストの本分~申報館記者日誌~  崩紫サロメ @salomiya

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