まさか申報館を舞台にした物語をカクヨムで読めるとは。
物語の舞台は1899年、19世紀最後の日を迎えた上海租界。あるユダヤ人の新聞記者が亡命者らしい美少年と出会うという内容。
世紀の変わり目、時代の転換点に生きる者たちは、なんと力強く、そして哀愁が漂っているだろうか。
感嘆すべきは著者の力量。オスマン帝国をメインテーマとして書いているだけはあり、しっかり下調べしている。(上海のユダヤ人がテーマとは……なかなかにコアな部分を突いてきた!って感じ)
あわよくば「上海租界のユダヤ人」というテーマをもっと深堀りして、義和団事変と絡めつつ、長編で読みたい!
ぜひ二人の物語の続きを!再見!
時は近代、19世紀から20世紀へと世界の空気が塗り替えられる、まさに激動の時代。
多くの外国人達が集まる国際都市・上海では、文化的・経済的なエネルギーが集うだけでなく、治外法権を盾とした言論の自由がまかりとおる独特の気風がありました。
そんな上海でイギリス人が創立した新聞社「申報館」で記者を務める主人公・金申叔。世紀が変わる瞬間の感慨に彼がふけっているところに、突然見ず知らずの東洋人の男が訪ねてきます。
美貌をもつその青年が追われる者であることを見抜いた金申叔は、かつて自分が書いた政治批判の記事に思いを馳せつつ、その青年の身の上を聞くことに。
自らの生い立ちや信念、ジャーナリストとして向かうべき道を思いつつ、青年を助けたいと考えた彼は、青年をこう言って誘うのです。
「20世紀を見に行こう」と――――
経済的あるいは政治的背景が人生に大きく作用した二人の男の出会いが、激動の時代の中で静かに描かれています。
家族を失い、国を失い、追われる身となった青年と彼を匿うことを決めた主人公。この時代のことですから先のことなどきっと誰にもわからない。
けれどもジャーナリズムを通して心を通わせ合おうとしている二人の間の空気はなんとも穏やかで一筋の光明が差しているような気がします。
硬質で読み応えのある物語ですが、読みづらいということはまったくなく、時代の空気感を楽しむことができる作品です。
アヘン戦争直後の清とか
激動にもほどがありますね。
この時期、ペンで戦う人たちは、
それこそ文字通りの命がけ。
文字に掛ける魂の重さが違う。
と、軽い魂でえへらへらと
語るわけですけれども。
つーか、歴史小説を書くって、
ある意味ではジャーナリズムではあるよな、
とかは思ったりします。
なぜ自分は、いまと言う
「主観的には固定された、
しかし客観的には
常に流され続けている視点」
から、過去と言う、
「次の一瞬には、今よりも
さらに遠くなり、霞んでいく
以前にあったこと」
を、眺めているんだろう。
そこを見ようとする、
自分自身気付けていない理由。
今とは、過去とは。
そこを解きほぐし、示すのが
ジャーナリズムなのではないか。
よくわかんないですけど。
金申叔と金申季は、
史記の昔と「今」とを接続させる。
その瞬間、無限に遠くなり続ける筈の
「あの頃」が、突然今と連結する。
多くの既存の価値観が
次々とぶっ壊されていった時代のはずです。
「天道、是か非か」なんて言葉、
むしろ二十世紀初頭の人間の方が
より強く思ったんじゃないでしょうか。
さあ、今日も歴史を抱えつつ、
「今」に在ろうじゃないか。
そんなとりとめのない事を思うのでした。
英国籍を持つユダヤ系の主人公ゴールドマンは、共同租界の置かれた上海で「申報」の記者をしている。この、家業と家族に屈託した思いを抱えた一人の「デラシネ」は、朝鮮より亡命して来た一人の青年と出会う。朝鮮の青年は謎めいた問いを発し――。
魔都とも称される近代「上海」を舞台にし、二人の若者が新しい世紀を迎える数時間を描き、流転の魂の哀しみと新時代の希望を感じさせる、手堅い歴史小説。なお、主人公の勤める新聞社「申報館」は実在していたものである。
これから彼等は上海に根を下ろして生きていくんだろうか、それとも再び流転していくんだろうか、と彼等の人生の続きをもあれこれ想像もできる。
最終話で語られる、ある人物が主人公に語った言葉がとても印象的で、ラストも余韻が残る。