天道、是か非か

アヘン戦争直後の清とか
激動にもほどがありますね。
この時期、ペンで戦う人たちは、
それこそ文字通りの命がけ。
文字に掛ける魂の重さが違う。

と、軽い魂でえへらへらと
語るわけですけれども。


つーか、歴史小説を書くって、
ある意味ではジャーナリズムではあるよな、
とかは思ったりします。

なぜ自分は、いまと言う
「主観的には固定された、
 しかし客観的には
 常に流され続けている視点」

から、過去と言う、
「次の一瞬には、今よりも
 さらに遠くなり、霞んでいく
 以前にあったこと」

を、眺めているんだろう。

そこを見ようとする、
自分自身気付けていない理由。
今とは、過去とは。
そこを解きほぐし、示すのが
ジャーナリズムなのではないか。

よくわかんないですけど。


金申叔と金申季は、
史記の昔と「今」とを接続させる。
その瞬間、無限に遠くなり続ける筈の
「あの頃」が、突然今と連結する。

多くの既存の価値観が
次々とぶっ壊されていった時代のはずです。
「天道、是か非か」なんて言葉、
むしろ二十世紀初頭の人間の方が
より強く思ったんじゃないでしょうか。

さあ、今日も歴史を抱えつつ、
「今」に在ろうじゃないか。

そんなとりとめのない事を思うのでした。

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