ジャーナリストの本分~申報館記者日誌~ 

崩紫サロメ

第1話 亡命者の匂い

 西周が滅亡したのは、褒姒ほうじという絶世の美女のためだと言う。

 笑みを見せない彼女を笑わせるため、周王は愚行を繰り返し、やがては国を滅ぼした。

 本当の話なのかはわからない。だが。


 俺は目を伏せたまま顔を上げないわかい亡命者をもう一度見る。

 その端正なかおを覆うのは愁いというよりも諦念だ。


 だが、ふと自分の連想のおかしさに気付く。

 今俺の前にいるくらい美の結晶は、男なのだから。


 この男との出会いはつい三時間ほど前だ。

 除夕ということで、いつもより早く仕事が終わった。

 今日はただの除夕ではない。


 1900年12月31日。

 19世紀最後の一日だ。


 もとより中国で西暦を使うことは一般的ではない。

 だがここは上海で、その中でも俺たちが暮らすのは西洋人が築き上げた共同租界だ。


 同僚たちは南京路へと繰り出して行った。

 夜になると外灘わいたんに花火が上がるらしい。それまで、南京路にある行きつけの酒店で送年会、いや、送世紀会を行うのだとか。

 俺も行くつもりであった。

 だが、先に行ってくれ、と彼らに行った。

 俺たちの職場・申報館しんぽうかんは蘇州路にあり、南京路ならすぐなのだから。


 少しだけ、感慨に耽りたかったのだ。


 19世紀という時代を30年生きてきた。

 だが、新聞記者としては6年だ。

 俺の人生は19世紀の方が長いのかもしれないが、記者としての人生はおそらく20世紀の方が長いだろう。

 世紀の変わり目など、形式的なものにすぎないのだが、やはり何故か今までを振り返ってみたくなったりするものだ。


 無人の申報館はいつもより広く感じる。

 創立者アーネスト・メイジャーの写真と目が合った。

 そうだ、俺はこの変わり者の英国人に惹かれて申報館にやってきたのだ。

 あの頃のことを思いだそうと目を閉じたその時、誰かが申報館の戸を叩いた。


 明らかに、今日の船で上海にやってきたというような潮の香りのする青年だった。

 今日上海に入港したのは長崎からの一便のみだ。

 黒い外套に几帳面に切りそろえられた黒髪。

 一見日本の書生なのだが、何かが違う、と俺は直感した。


「申報館で記者を募集しているという記事を読み、来ました」


 ためらいがちに目を逸らしながら青年は言った。


 ほら、おかしい。


 確かに募集記事は出したが、それはもう半年以上前のことで、既に採用は締め切った。

 流暢な漢語を話すが、不自然なまでに正確な発音が外国人であることを物語っている。

 申報館で外国人であることはかまわない。俺だって外国人記者だ。


 だが、この男の様子には、追われているもの特有の所在なさを感じる。

 上海にはそういう人間が多くいる。

 だから、「亡命者の匂い」というのはすぐわかる。

 問題は、どこから来た、どういう種類の亡命者か、だ。

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