閉じると見せかけて。への応援コメント
僕は「他人に聞こえないように言葉にすると願いは叶う派」です。他人に言った瞬間に達成したと脳は勘違いをするそうなので、決意表明等は人には言わないでおきたいです。しかし、自身の言葉によってフィードバックされているのも事実。それを考えると人様には伝えず、言葉にはする。派です。今の所。
でも、定まっていないので、寂しくなったら叫んでしまうかもですね笑
作者からの返信
Askew様
コメント、ありがとうございます。
言葉にする、しないは正直迷います。
脳の機能もさることながら、言霊なる概念もありますので本当に迷うところです。
とりあえず、脳内より外に出るからには汚い言葉・表現にならないよう、自身の言動に対して責任を持つことが、私の現状です。
決意表明や願いも含めて。
ところで。
この場をお借りするのは大変心苦しいのですが、
企画に参加していただき、ありがとうございました。
Askew様と作品とご縁が出来て、感謝しかありません。
また、Askew様の所へお邪魔する予定なので、その時はよろしくお願いします。
Game.への応援コメント
昔、ファイナルファンタジーがオンラインになった時はトラブルの続出でした。ゲームソフトは返品不可でしたから、オンラインゲームと知らずに買った人は損したと思います。スターオーシャンなんかもオンラインで人気がありました。普通に通信費用が五万とかかかってたのを記憶しています。
かまいたちの夜はやりつくしました。影絵というのはある意味画期的でした。昔の小説で、人物描写ができていないことを、かまいたちの夜みたいなんて普通に言ってました(笑)
今では当たり前のオンラインゲームも、昔は色んなドラマがあったなと懐かしくなりました(^-^)
作者からの返信
小森日和様
コメント、ありがとうございます。
出始めの通信費は、ダイヤルQ2時代を思い出させる強烈な料金設定のイメージでした。
某ゲームライターさんは、公私半々でプレイしていたところ20万前後の請求額だったそうで。
しかも、上司のカードで。
恐ろしい話です。
まさか、小森塾長からFF11や、かまいたちの話が出るとは。私の中に新たな一頁が刻まれました。
あの影絵方式は、私の中では絶賛でした。
最新作では影絵ではないので、グレてしまい未プレイです。
真・かまいたちの夜は、小説家がテーマだったので、別の意味で勉強になりました。
視覚情報ありきの部分もありましたが、あのネタや悲哀は、作家を目指す方にプレイして頂きたい。
なんて思いました。
とりあえず、日本のゲームは素晴らしいと誇りに思いながらも、今後を憂いている次第です。
歌を聞いて、涙する。への応援コメント
歌はいいねぇ、以下略。
私は歌を聞いて小説のアイディアを閃いたり、イメージが広がったりすることがよくありますし、物事の本質をズバリと捉えた歌詞に出会うと、はっとさせられます!
公開中の作品で言えば、「ノンフィクション」は平井堅の「ノンフィクション」がなければああはならなかったでしょうし、結果的には、あの曲ノベライズしたような作品ではないかと、今では思っています。
当時、よくラジオから流れてくる「ノンフィクション」を聞いて気にはなっていたのですが、執筆中にこの曲を聴いた時、思わずネットで歌詞を検索し、レンタルショップで曲が入ったアルバムを借りてからは、リピートに次ぐリピートで、一気に書き上げたという、今思うと不思議が執筆体験でした!
それを耳にした人に行動を起こさせる……私の場合は小説の執筆でしたが、それが音楽の持つ力ですし、それは音楽に限らず、小説、映画、ゲームといったものが持つ力でもあり、それがあるからこそ、お金を払ってでも欲しいと思うのだろうと思います!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
こんな事を言うと、怒られそうですが、
何故、妄想の産物でもある芸術で商売が成立するのか考えてしまった事があります。
磨いた石ころの宝石も同じ事かもしれませんが、
結局、そこには価値を見いだし、対価を払う誰かが存在するからです。
五感に触れるものは、それぞれが培った引き出しや経験に栄養を与えてくれるものかもしれませんね。
占い。への応援コメント
私も毎週参考にしている占いがありますが、システムとしての占いは本当にあなどれないと思います!
それこそ、科学だって饅頭の薄皮みたいなものだと思いますしね!
また、占いに限らず、「~しないと~になる」「~するためには~しなければならない」といった、自分の行動を縛ろうとする言葉には、常に注意するようにしております!
「~しないと~になるかもしれない」「~するためには~した方がいいかもしれない」……ぐらいの拘束力なら構わないですし、自分のためを思って言ってくれているなら大変ありがたいですし、参考にしたいところですが、それをするかしないか、決めるのは常に自分でありたいものです!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
御託を並べていますが、
興味津々なのは事実です。はい。
必ず当たるものではない所が、変えられる余地、
努力や積み重ねだと感じます。
それが縛りであったり、みっともないと言われないための、自身を律するものなのかもしれません。
苦労は、いつでも傍にある。への応援コメント
「目の前にある事象は、何とかしなければ先がない。ただ懸命だった。」……これは、本当にそうだと思います!
だから、苦労話は今だからできることであって、現在進行形の苦労話は、誤解を恐れずに言えば、まだ大丈夫、乗り越えられると、他でもない自分自身が感じていることであって、平たく言えば愚痴ということになるのだろうと思います!
母は私の話の種になればと苦労話を話してくれますが、それは苦労話というよりも、いかにして生きてきたかという、人生哲学のようにも感じます!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
経験談は、本当に貴重で、その機会はとてもありがたいです。
まさに、生き残る知恵だと思います。
降りて来る。への応援コメント
どんどん書いてもいいのよ!
ときさんは立派な物書きなんですからな!
私はネタを得るには「気付き」が大事なのではないかと思います!
もちろん知識は大切ですが、それの持つ意味や、それらの繋がりに気付いた時にこそ、それが自分のものになったということなのではないかと!
未加工の知識なら、その信憑はともかく、ネットで簡単に手には入ってしまうものですから、それらをいかにして自分のものにしていくか。
気付くために必要なことは、「なぜ?」という問いかけなのではないかと思います!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
気付きと何故。
奥深いご意見を頂きました。
ありがとうございます。
今は便利な世の中で、本当に短時間で知りたい情報が手に入り、考える前に調べてしまう
外付けハードディスク世代(脳)と呼ばれても仕方がないですよね。
それでも、得た知識には変わりなく。
だからこそ、正しい情報なのか。
得るべき知識なのか。
取捨選択も重要なのかなとも、ふと感じる次第です。
感覚で生きるのか、計画を立てて生きるのか。への応援コメント
私は感覚で生きてきたんだなぁと、しみじみ思います!
お陰で誰かのせいにすることなく生きてこれていますが、共感してくれる仲間が作りくいというのも感じています。
その一方で、作りにくい分、共感して頂いた仲間との繋がりは強いのではないか……そんな、自惚れにも似た気持ちを抱いているのは事実です!(もちろん、ときさんも仲間だと思っております!)
生きているということは勝っているということで、だから楽しい……とは、私が好きな小説「敵は海賊」に出てくる言葉ですが、生きているということが何よりも素晴らしいことなのだろうと思います!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
埴輪先生の仲間に入れて頂けて、光栄です!
誰かのせいにするのは、本当に残念ですよね。
加えて、
○○だと思っていた(分かっていた)んだけど、実行しなかったとの言い訳も、
なかなか残念な感じだと思うのです。
勝ち負けは、分かりやすい事柄ですが、
勝ちにこだわりすぎても敵を作る原因にもなりますし、
強すぎる思いは、得てして利用されてしまいます。
世の中、難しいと思うところです。
それでも、生きている=勝ち
と言う考えは、カッコ良いなと思います。
感覚で生きるのか、計画を立てて生きるのか。への応援コメント
これはまったくもってその通りですね。
八住さんの考え方、生き方に対する態度は、すごく共感できます。
作者からの返信
関川二尋様
コメント、ありがとうございます。
しかも、共感までして頂けるなんて、光栄です。
ありがとうございます。
汚い言葉。への応援コメント
汚い言葉は確かに耳を塞ぎたくなりますよね。
これで思い出すのは、私の好きな作家が、小説の中に汚い言葉を使わない理由について語っていたことです。
この作家が言うには、大事なことを伝えたいなら、汚い言葉を使って耳を塞ぐ理由を与えてはならない、なんてことを言ってました。
これは私も今も心に銘じています。
まぁ言葉だけではなく、話の内容もそうですね。
作者からの返信
関川二尋様
コメント、ありがとうございます。
最近は、汚い言葉に共感される方々が多いのか、
作品にしても、会話にしても耳をふさぎたくなります。
が、それも流れや現実なので、受け止めておくべき情報の一つだと思います。
江戸時代の政策ではありませんが、
濁りすぎても、清すぎても人は生きて行けない。
言葉も作品も、そうなのかもしれません。
何故、突然このような事を言い出したのか。への応援コメント
小森さんの作品は私もすごく楽しむと同時に参考にさせていただいております。自分の学んだ成果、勉強してきたことを、惜しみなく語ってくれる人はなかなかいませんよね。
しかも読みやすいのだから、素晴らしい先生です。
作者からの返信
関川二尋様
コメント、ありがとうございます。
小森塾長には、本当にお世話になっています。
しかも、分かりやすく、惜しみなく伝えて下さるので、素晴らしい方ですよね。
経験者は語る。への応援コメント
ラジオは私も愛聴しております!(というか、テレビが見られませんからね……!)
どんな情報を発信するか、そして、それを誰に向けて発信するか……それも大事なことだろうと思います!
どんなに面白い小説も、その存在が読者に知られなければ読まれることはありませんし、幸運にも読まれるチャンスが訪れても、読者が満足する出来でなければ、その先はありません。
ただ、とにもかくにも小説……情報がなければ成功も失敗もないことを考えると、書き続けていくしかないのだなと、改めて思いました!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
ラジオ、良いですよね。
共感して下さって、ありがとうございます。
発信・受信はセットなので、本当に重要だと思います。
憶測の範疇で恐縮ですが、
ビートたけ○さんが事務所を移籍したのは、小説を書くためではないか。
と、にらむ芸能リポーターが、そのようにコメントしていました。
数々の分野で受賞歴がある方なので、
次に狙うとするなら、それではないかと。
芸人の又吉直○さんが権威ある賞を取った際に、反応していた事による見解だとか。
小説離れが著しい中、牽引役になってくれたら。
・・・と、他力本願な事をチラリと思ってしまったのは内緒です。
継続は力なり。
私も好きな言葉です。
汚い言葉。への応援コメント
これだけ色々言葉があるのですから、汚い言葉を発している人は、その中から敢えて汚い言葉を選び、発しているかと思うと……悲しくなりますわ!
汚い言葉を使ったり、愚痴や不平不満を言うことで解決するならば、私はありとあらゆる汚い言葉を駆使し、愚痴や不平不満をぶちまけると思いますが、そんなことありませんからね!
私の言葉が美しいかはともかく、一目でそうと分かる汚い言葉は使わないように心がけたいものです!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
言葉と言うのは、使い分けが可能でも、日頃から使う言葉に染まるものです。
ここに出て来る知り合いは、ネット用語にも反応します。
許される相手、場所、場面はありますが、
決めの場面に、重要な局面で、そんな言葉が出てしまっては品位に関わるからです。
本当に、厳しい知り合いです。
経験者は語る。への応援コメント
ある大企業の会長のお話です。
液晶というものが世に出始めた頃、マスコミの取材を受けた会長と記者とのやりとりですが、記者が「液晶テレビの次に何を作りますか?」と尋ねたところ、会長は「本を液晶で読めるようにする」と答えてました。
今では当たり前ですが、当時の技術、価値観からしたら不可能な話で、記者も困惑してました。そんな中、会長はまだ存在しないタブレットをあたかも持っているかのごとく、エアプレイしてました。
実際に、世の中の開発され普及したものの大半が、凄まじい努力と苦労の結果に生み出されているかと思います。
今は努力を嫌う傾向がありますが、どんな舞台であれ、そこに立って活動するには、やはり努力は切り離せませんね。これは太古の時代から続く一つの真理だと思います。
何でもいいから、一歩前に進む努力をすること。立ち止まっている者が見る景色と、動いている者が見る景色は違う。価値観の違いは、そういうことから生まれるのでしょうね(^-^)
作者からの返信
小森日和様
コメント、ありがとうございます。
貴重な情報をありがとうございます。
他人にとっては夢物語でも、本人のビジョンには映っている何よりの証明だと思います。
堀江氏も、十年前。
多くの人々がスマホを持ち、街を歩く姿なんて想像も出来なかったと。
その現実を、誰が想像できたのかと。
そう、仰っていました。
一年先さえ、何が起こるか分からない。老後の事も考えないようにしている。
と言う方がいらっしゃれば、
十年先の自分を想像して、今、努力を積み重ねるべき。
そう助言される方も、いらっしゃいます。
価値観の違いがあるからこそ、想像する事に意味があるのだと思います。
価値観が同じなら、何かが生み出される事はありませんし、
価値観の統制こそ、恐るべき世界の一つだと感じます。
何故、突然このような事を言い出したのか。への応援コメント
ときさんも一緒に、皆で幸せになりまっしょい!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
返信が遅くなってしまい、すみませんでした。
幸せの形は様々で、人によっても千差万別です。
拙作に触れていて頂いた方々が、
気付き、辿り着いて下さる。
そのようなキッカケになれば。
そんな、大それた事を考えたりしてしまっております。
何故、突然このような事を言い出したのか。への応援コメント
ご紹介ありがとうございますm(__)m
八住さまに紹介されると、身が引き締まる思いです。と同時に、脈絡なく書き散らかした作品を反省しつつ、もっと上手く伝えられないかと思案しております。
日々勉強ですね。人との交流で気づかされる大切さ。私も大切にしたいと思います!
作者からの返信
小森日和様
コメント、ありがとうございます。
返信が遅くなってしまい、大変失礼致しました。
塾長。
恐縮しているのはこちらの方です。
文字で伝える難しさは、日々つのるばかりです。
勉強・試行・実行あるのみだと感じます。
今後、更新するエピソードにも書きましたが、
世が世とは言え、環境端末と意思さえあれば自らの意見を発信出来ます。
作品という妄想を、世に出せます。
いくら芸術、学術に昇華されたジャンルとは言え、
創作世界は、作者の妄想に過ぎないのです。
ある編集者も言っていたそうです。
読者は、妄想に金を出している。
凄いよね。
…と。
脳内に存在している妄想、あるいは伝えたい強い情報を、世に表現する一つの手段です。
下劣な表現になりますが、○慰行為を見られているようなものです。
話しがそれてしまい、恐縮です。
私は、塾長のような経験もありませんし、技術的なテクニックもありません。
なので、
専門的な分野は塾長達にお任せし、
私は私が感じたなりの角度で、気付いた事を
つらつら語って行こうと思います。
好きな物を語り、意見を発信するのは、ある意味恐い世の中ですが、
反応が返ってくるシステムは、創作の世界に新しい切り口を与えてくれる、きっかけになると思われます。
塾長とお会いでき、勉強させて頂ける機会は、本当にありがたいです。
今後とも、よろしくお願い致します。
運とは何かを問い掛けられる。への応援コメント
科学は乱暴にいえば、誰が実験しても同じ結果が出るから、そういう法則をがあるんだろうと認めることだろうと思います。
ただ、百回、千回ならそれで通用しても、一万回、十万回、百万回……それだけ繰り返しても通用するものなのかどうか、それは誰にも保証できないものだと思います。
そう考えると、「こうすればこうなる」と多くの人が信じている科学も、その確実性を突き詰めれば、オカルトとそう大差がない領域へと行き着いてしまうのではないかと思います。
説明はできないけれど、確かに存在する何か。
数千年前はまさに神のみぞ知るような法則を見出し、利用するまでいっている人類ですから、あと数千年もすれば、もっと「こうすればこうなる」という法則が増えることになるかもしれませんね!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
ゲーム話になって恐縮です。
そのゲームに、
痛烈にオカルトを大否定し、科学を押し付ける登場人物が出て来るのですが
「この世にあるのは、解明された科学と、これから解明される科学だけよ!」
このセリフが印象的でした。
語ると長くなるので我慢しますが、
ホラーや科学知識の入口は
『流行り神』シリーズだと言えます。
私はホラーが好きですが、書けないのは『流行り神』シリーズ、
『かまいたちの夜』、
『零』を、超える物を創造できないからです。
もし、機会があれば埴輪先生にも『かまいたちの夜・11人目の訪問者』に目を通して頂きたいくらいです。
過信と自信の違い。への応援コメント
ときさんの文体は個性だと思いますし、紡がれる作品もときさんにしか書けないものだと思いますので、どうかその個性を大事にして欲しいと思います!(とはいえ、この文体を貫かなければならないというわけではなくて、型にはめることさえしなければ、自然と研ぎ澄まされていくものではないかと思います!)
私は中学校の国語の先生に「これは『ひ』じゃない」と、テストの答えが合っているにも関わらず、回答用紙に書いた平仮名の『ひ』が文字として認められずに減点された過去があり、自分の字の下手さを実感しました!
……それはそれとして。
自信を持つことと謙虚であることの違いは難しいものの、決して両立できないものではないと思うので、自分を卑下することなく、正しく謙虚でありたいものですな!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
埴輪先生らしいエピソードだと感じました。
正しいと感じられた事に対し、意見が言える。
羨ましいです。
全ては、感謝の先にある事だと思い、このエピソードを公開しました。
特別な人は、実は居ないのかもしれません。への応援コメント
その人の人生を経て発せられた言葉は重みがありますな!
名言をいくらでも借りてこれる時代だからこそ、自分の言葉というものが大事なのだろうと思います。(それがたとえ過去の偉人が発した名言であろうとも、自分がそれをどう発するかによっても違いがあると思います!)
特別な人が特別な経験をしてきたように思えるのは、きっと、それらの経験からちゃんと何かを得てきたからではないだろうかと思います。
単に面白さ、奇抜さ、困難さでいえば、それらの人よりよっぽどな経験をしてきた人も沢山いるでしょうが、そこから何も得ようとしてこなければ、それはやはりそれだけのことで終わってしまうのではないかと思います。
「~があれば」……そう思う時こそ、自分には何があるのか見つめ直す時なのかもしれません。(このところ、「お金があれば」と考えていた私は、お金がなくてもできることを改めて考えるようになりました!)
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
結局、人は必要なモノに囚われ、比べて不満を重ねる場合が多いです。
不満はマイナスを呼ぶだけの要因でしかないので、視点や価値観を切り替える必要もあると思うのです。
そのきっかけになるのは、いつも誰かの言動や情報だったりします。
話を聞く。伝えるために話す事は、とても大切だと改めて感じました。
それが可能であるからこそ叶う状況ではありますが、
外部からの刺激は、本当に重要です。
磨きましょう。への応援コメント
キュッキュッ!
日頃から正直に生きたいと宣っている私ですが、だからといって、誰かを傷つけるような行動や発言をすることは、正直さの発露ではないように思います。
自分の頭の中で何を思おうが、考えようが、それは自由だと思います。
それが決して社会的には認められないようなことや、破廉恥なことだとしても、それすら許されないのなら、息苦しくて仕方がありませんからね!
ただ、それを表に出す場合には外面や立て前が必要といいますか、大いに役立ってくれるものだと思います!
外面や立て前が誰のために必要かといえば、自分以外の誰かであって、それを用いるのは自分以外の誰かの存在を認めているからこそです。
そんなものどうでもいい……そう思うようになってしまったら、もはやこの人の世の中で生きていく資格を失ったも同然だろうと思います。
こうした考え方は、生まれ方によっていかようにも変わると思いますが、そこで生きていく以上は、そのルールに従わなければなりませんし、それこそが生きるということなのだろうと思います!
そんな世の中を快適に生きていくためには、誰とでも仲良くする以上に、自分が過ごしやすい場所を見つけるというのも、大事なのだろうと思います
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
傍若無人では生きられないのが通例ですが、
たまに、それが許される方がいます。
それでも支えられ、必要される存在です。
我々は、そう言う訳には行きませんので、誰かに必要とされ、愛される存在である事に対して、磨き続け、努力しなければならないのだと思う次第です。
過信と自信の違い。への応援コメント
私の好きな言葉に、『実るほど、頭を垂れる稲穂かな』というのがあります。
以前働いていた会社で、イケイケで上に上がれ上がれと勢いづいてた時に言われた言葉です。
この意味が、あの時わかっていればなあと、今でも時々思います(^_^;)
作者からの返信
小森日和様
コメント、ありがとうございます。
素敵なお言葉、ありがとうございます。
いついかなる時にも、声をかけてくださる方のありがたさ。本当に尊い存在です。
しかし、
伝える側も、受け取る側も通じ合うケースは多いか少ないかと問われると、圧倒的に少ないです。
それでも、結果的に塾長に届き、反省の糧になった事は何よりの財産だと思います。
どうぞ、大切になさって下さい。
生意気かつ、失礼な物言いになってしまいました。
ご容赦下さいますように。
チャンスです。への応援コメント
私が尊敬している方の一人に、ある会社があります。
名前は伏せますが、遠い昔、食品偽造が明るみに出てマスコミが叩いていた頃、同じくして食品の安全を守っていた会社です。
お客様からの声に基づき、何と、一斉に全国の売り場から商品を撤去するという判断を即座にした会社です。
今では当たり前ですが、当時は誤魔化しが横行し、お客様の声やクレームも聞き流す会社も多かったと思います。
そんな中、損失額数億円になるとも言われる商品全撤去を、誰も注目していないのにやったわけですが、その会社としての精神には衝撃を受けました。
当時は大手の消費期限偽造が大きく取り上げられてましたが、その陰で、きっちり安全を守っている会社があると知り、以来、会社の規模で物事を判断するのを止めるようになりました。
尊敬という点では、まさにその会社の精神には未だに尊敬の念を抱いています(^-^)
作者からの返信
小森日和様
コメント、ありがとうございます。
クレームは、宝の山だという方もいます。
今では当たり前の事でも、草分け的存在はいつの時代も奇異に受け取られますが、
後の常識や規範になる場合もあるので面白いと感じる次第です。
企業の姿勢は、人の思いでもあると感じます。
社員を大切にする企業。お客様の姿を第一に大切にする企業。
小森塾長の着眼点には、いつも凄いと思ってしまいます。
気付きました?への応援コメント
ときさんにとっては辛い季節が到来していたのですな……!
それを思うと、一年とは本当にあっという間だと実感します!
諦めない限り、そのことを考えている限り、物事は続いているものだと思いますので、無理して書いたり読んだりするよりも、今できることをやっていけばいいのではないかと思います!
お大事に!
私と私の作品の紹介もありがとうございます!
先生らしいことは何一つできていない私ですが、そう思って頂けるのは嬉しい限りです!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
手を見ると思い出す。埴輪先生との出会い。
ロドストで出会った方々にも、優しいお言葉や対処法を教えて頂いた事を。
お気遣いも、重ねてありがとうございます。
FF14を休憩し、そろそろ一年になろうとしています。
本当に月日の流れは速いです。
ここまで来ると、焦りようもないので、愚直に行こうと思う次第です。
作品コメントにある通り、またもや勝手に紹介・リンクを張りましたが、ご容赦下さい。
きっかけ その2への応援コメント
絵画が着想の根底にあったんですな!
表現方法は異なっても、絵画も小説も同じ芸術であるということで、繋がっているのだろうと思います!
何を感じ、思うかは個人的な領域に属するものだと思いますので、他者がなんと思ったところで、そう思ったという事実は揺るぎませんし、それ以上に大切にすべきことはなのではないかとも思います!(それを他者にも押しつけようとすると、ややこしいことになるわけで……!)
原典を知るということも大事ですが、原典から触発され、より発展させた作品もあるわけですから、一つの作品として向き合っていきたいものです!
作家を志すには圧倒的に読書量が乏しい私が小説を書けているのは、それでも読んできた作品達、無数にある過去の名作があったからこそ生まれた作品品であり、それを通じて過去の名作にも触れられているからではないかと思うこともあります!(ゲームも然り)
もしそうでなければ、現代の作品は過去の名作を越えることができていないということであり、なんとも寂しいことにもなりますからね……!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
作家は、何気ない風景。
灰皿に置かれたタバコ一本を見て、十以上のアイデア、ネタを浮かべると言います。
それが全て使える物とは限りません。
日常生活の中、何気ない風景に、ヒントは潜んでいるようです。
原典を知る。本物を知る。真実を知る。
残念ながら、私も感じるだけのにわかなので、絵画そのものの物語は込められませんでしたが、あの二枚の絵画は私の感性にストンと入ってくれました。
いつの日か、二枚の絵画(レプリカ)を置ける身分になりたいです。
きっかけ その1への応援コメント
何事も遅すぎるということはないと私も思います!
もちろん、成果や結果を求めるならば、旬を逃さないということは肝心だと思いますが、何かを始める理由は、きっとそういうことだけじゃないのではないかと思います!(「小説を書いている」=「プロの小説家を目指してる」と、発想が飛躍する人が少なくないように感じております。)
小説を書くことが自身の幸せ、また、読者の幸せにつながると思うのならば、幸せになることを恐れず、どんどん幸せになってしまえばいいだろうと思いますし、それは決して、不可能なことではないと思います!(読書は作家と読者がいないと成り立たないものですから、少なくとも、二人以上の幸せには貢献しているのではないかと!)
私がカクヨムを始めた理由は、近況ノートの最初の方を漁れば出て来そうな気もしますし、折に触れて書いているような気もしますが、今は「やってみたかったから」……それに尽きるのかなという気もしております!(カクヨムがサービスを開始するタイミング的が自分にとっては申し分なく、縁を感じたということが、やってみようと思ったきっかけだろうと思います!)
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
今ある状況は、その人に必要な事だと言います。
縁も、引き合うものらしく、
埴輪先生らしいエピソードだと感じ入りました。
「カクヨム」様を巡って、気になった一つが
「カクヨム」様で活躍される作者様の最終的な目的です。
お礼や感謝、恩返しの決意、今後にかける気持ちと共に、
その中で感じた、差し出がましい思いが重なり
『次は、何をしようかな?』を更新した次第です。
これから先の更新内容は、
不快な内容が含まれるかもしれません。
ご意見・苦情は、お気軽にコメント欄に書き込んで頂けると幸いです。
気付きました?への応援コメント
交流もまたカクヨムの楽しさの一つですね。
感性が同じ人だったり、感性は違うのに話が合う人だったり、そういう人と、それこそ共通の話が出来るというのは何にも代えがたいものがありますね。
それこそみんなで一緒に楽しめる、というのがカクヨムの魅力であるとしみじみ思います。
作者からの返信
関川二尋様
コメント、ありがとうございます。
私は、「カクヨム」様しか利用していないので比べられませんが、
作者様から直接返信が来たり、交流が持てる現状は素敵なシステムだと思います。
企画次第では、一つの作品を作り上げる連帯感も共有できる所も、素晴らしいと思うのです。
何より、違う世界に触れられる空間が素敵過ぎます。
きっかけ その1への応援コメント
こっそりと私がカクヨムに来たわけを。
私は細々と公募を続けておりましたが、一次落ちが多かったのです。それで自分の物語が面白いのか分からなくなってしまいました。
公募だと下読みの人、一人しか読んでないと思うのです。ジャンル違いに投稿としているのかも、なんて不安がすごくありました。
だからカクヨムで感想を頂けた時、というか反応があった時はすごく嬉しかったですね。それがきっかけで目的ですね!
作者からの返信
関川二尋様
コメント、ありがとうございます。
積み重ねていらっしゃったからこそ、
関川様の芯がある素敵な物語なのだと感動しております。
公募と言えば、「カクヨム」様でもご活躍の、小森日和様を思い浮かべる次第です。
小森様、関川様をはじめとして、素敵な作者様と作品に出会えたのが、何より嬉しい出来事でした。
仰るとおり、作品に対する反応があるシステムは、
何よりの励みになりますよね。
この辺りは、公募にはない味わいがあるのでは。
と、妄想が広がります。
閉じると見せかけて。への応援コメント
私はもう言わずもがな、「言葉にする」派ですな!
ただ、なんでも言葉にすれば良いというものではなく、ちゃんと言葉にしようとすればするほど無口になっていくといいますか……本当、対応に困るような軽口ならいくらでも出てくるんですけどね!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
先生は、言葉にする派と。メモメモ。
ですよね。宣言すると、聞いて下さった方々が証人になってくださいますし、
言ったからには、果たそうとする気概も生まれますし。
ただ、先生が仰るように、言葉と決意のバランスとか、
言葉の重みを知るが故に・・・と、言う場合もありますよね。
私も、その辺りは気を付けたいです。
第3回カクヨムWeb小説コンテスト。への応援コメント
コンテンストお疲れ様でした!
あれもこれもと手を出すと全てが中途半端になってしまうこともありますので、一つ一つ、丁寧に積み上げていきまっしょい!(この丁寧という言葉が、ときさんの売りではないかと思います!)
私もときさんにとっての「白の遣い手」のようなライフワークとして書き続けられるよう作品を書きたいと思い、それに向けてあれこれと考えております!
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
先生も、お疲れ様でした!
その前に、土下座したいです。
月末の予定が狂ってしまい、期間中に先生の『ネスト』を読了出来ないばかりか、レビューまで間に合わなかった始末!!
申し訳ない気持ちで一杯なのです。
重ねて申し訳ないのですが、きちんと読了後にレビューさせて下さい。
本当にすみません!
さてさて。
丁寧=一つの事にしか集中できない。
これがバレてしまったので、のんびり新作に取りかかるとして。
(開き直りにもほどがある!)
やはり、損得関係なく技術や、誰かの目に触れてもらえる機会は大切だと思うので、ライフワーク的な物語があっても良いですよね!
(と、先生には同意を求める)
先生のライフワークの物語。楽しみにお待ちしております。
磨きましょう。への応援コメント
人はそんな簡単に変われない。
そうですよね、内面を磨くって相当な痛みを伴う困難な道だと思うのですが良く言葉にされますよね。それの意味するところは分かるのですが、性格を変えるってことでは無い気がしています。
作者からの返信
Askew様
コメント、ありがとうございます。
仰る通り難しいです。ハッキリ申し上げますが私も無理です。
心理学的に性格をすり替えることは可能らしいですが、根本は変わらないのが現実というものだと思うのです。
そもそも、
感情むき出しでは何も成立しないと考えてしまったりします。
後々、色々と恐いものです(子羊)。
子羊の皮を被っていても、中身を見透かす人は見透かしますし、
子羊と見て、そのまま接する人もいます。
それで良いのだと考える次第です。