キュッキュッ!
日頃から正直に生きたいと宣っている私ですが、だからといって、誰かを傷つけるような行動や発言をすることは、正直さの発露ではないように思います。
自分の頭の中で何を思おうが、考えようが、それは自由だと思います。
それが決して社会的には認められないようなことや、破廉恥なことだとしても、それすら許されないのなら、息苦しくて仕方がありませんからね!
ただ、それを表に出す場合には外面や立て前が必要といいますか、大いに役立ってくれるものだと思います!
外面や立て前が誰のために必要かといえば、自分以外の誰かであって、それを用いるのは自分以外の誰かの存在を認めているからこそです。
そんなものどうでもいい……そう思うようになってしまったら、もはやこの人の世の中で生きていく資格を失ったも同然だろうと思います。
こうした考え方は、生まれ方によっていかようにも変わると思いますが、そこで生きていく以上は、そのルールに従わなければなりませんし、それこそが生きるということなのだろうと思います!
そんな世の中を快適に生きていくためには、誰とでも仲良くする以上に、自分が過ごしやすい場所を見つけるというのも、大事なのだろうと思います
作者からの返信
埴輪様
コメント、ありがとうございます。
傍若無人では生きられないのが通例ですが、
たまに、それが許される方がいます。
それでも支えられ、必要される存在です。
我々は、そう言う訳には行きませんので、誰かに必要とされ、愛される存在である事に対して、磨き続け、努力しなければならないのだと思う次第です。
人はそんな簡単に変われない。
そうですよね、内面を磨くって相当な痛みを伴う困難な道だと思うのですが良く言葉にされますよね。それの意味するところは分かるのですが、性格を変えるってことでは無い気がしています。
作者からの返信
Askew様
コメント、ありがとうございます。
仰る通り難しいです。ハッキリ申し上げますが私も無理です。
心理学的に性格をすり替えることは可能らしいですが、根本は変わらないのが現実というものだと思うのです。
そもそも、
感情むき出しでは何も成立しないと考えてしまったりします。
後々、色々と恐いものです(子羊)。
子羊の皮を被っていても、中身を見透かす人は見透かしますし、
子羊と見て、そのまま接する人もいます。
それで良いのだと考える次第です。