ラーメンの香りのレインコート

四葉くらめ

お題:先生、レインコート、食いしん坊

 あの日の朝はどんよりとした雲が空を覆っていたのを覚えている。休日で、本来であれば家でダラダラとしていたというのに、宿題に必要な教科書を学校に忘れてしまったのだ。

「はぁ、面倒くさ……」

 私の家から学校までは約一時間。徒歩と電車の混合種目である。電車を出たときについぼやいてしまうのも仕方がないというものだろう。今日は休日であり、また時間も中途半端なため、駅から学校への道で制服を着ている人は私しかいない。学校の敷地内に入ると若干の学校感というものが出てくる。それは音楽室から聞こえてくる楽器の音だったり、校舎内を走っている野球部のものだったりのせいだ。

「あった、あった。これで任務完了っと」

 教科書を手早く回収し、後は帰るだけである。しかし、そんな私の鼻を何かの匂いがくすぐった。自然と目を瞑ると、その匂いがより正確に鼻の奥へとたどり着き、その匂いの元が脳内にイメージされる。

「ラーメン……」

 そうだ、ラーメンだ。この匂いはラーメンだ。別に有名でもなんともない、ごく普通のインスタントラーメン。しかもランク的には精々中の上レベルのインスタントラーメンである。しかし、その微妙なランクの匂いが寧ろ学校という場所に相応しい気さえして、気付いたら私の足はその匂いを放つ場所へと向かっていた。

 よく考えてみたら、いやよく考えなくともそろそろお昼の時間なのである。ま、まあ匂いを嗅ぐだけだから。うん、もうちょっと近くでこの匂いを嗅ぎたいだけなのよ。

 そう誰にともなく言い訳をしながら歩いていると私の足は数学準備室の前で止まった。そして、なんの遠慮も無く扉を開ける。

 ガラガラガラ

 扉を開けるとラーメンの匂いで口腔が満たされる。それだけで十分幸せな気分になれるのだが、やっぱり何かが足りない。いや、足りない物は分かり切っている、麺とスープだ。

「って、あれ? 水無瀬先生じゃないですか。ランク的には精々中の上のインスタントラーメンを食べてたのって水無瀬先生だったんですか?」

 部屋にいたのは水無瀬先生一人だったし、ちゃんと水無瀬先生の前には湯気を立て、まだ半分程度残っているインスタントラーメンが入っていた。

 水無瀬先生と言えば最近赴任してきた教師で、分かりやすくて若くてイケメンという女子高生にチヤホヤされる三拍子を持つ先生なのだ。実際、既に何通かラブレターを貰っているという噂すらある。まあその全てが玉砕らしいが。

「って、なんでお前が俺の食べてるラーメンのランクを知っているんだよ」

「そんなの匂いを嗅げば分かります。当然です。常識です」

 先生は私のクラスも受け持っているため、どうやら私のことも覚えているようだ。

「ああ、そういえばお前は学校一の食いしん坊とかいう話だったな」

 ……なんか嫌な覚えられ方をしていた。ま、まあそんなことはともかく。

「先生!」

「お、おう……?」

 私は先生の前に立ち座っている先生を見下ろして言った。

「それ、半分下さい」

「ふざけるな、断る」

 そんなぁ! ここまで匂いで私を釣っておいてお預けだなんて! なんて酷い先生なの!?

「いや、お前そんな世界の終わりみたいな顏すんなよ……」

「ふん、先生が焦らしプレイがお好みだなんて知りませんでした。軽蔑します」

「なあ、俺は何で軽蔑されてるんだ? っていうか女子高生が焦らしプレイとか言うな」

 どうやら先生は女子高生にピュアというものを求めているらしい。初々しい先生だ。

「はぁ、ほら。そこにまだラーメンも丼もあるから自分で作れ」

「わぁ、先生超やさしい! 愛してる♪」

「お前変わり身早すぎだろ。情緒不安定か」

 しかし、そんな先生の言葉は無視してとっととお湯を沸かし始める。早く沸かないかなーっと。

「そういや、お前はどうして学校にいるんだ。 確か帰宅部だったよな?」

「ちょっと教科書忘れちゃって取りに来たんですよ。そしたら教室から匂いがしてついフラフラと」

「ちょっと待て、お前の教室からどうやったら匂いを嗅ぎ取れるんだ? お前はあれか、 犬か?」

「やだなぁ先生。女子生徒に対して『お前を俺の犬にしてやる』だなんてはしたないですよぉ」

「ああ、とりあえずお前がはしたない人間ってことは分かった」

 ふむ、そうやって冷静に返されるとつまらないというか、すげない先生だ。

 そんなことを言い合っている内にラーメンができ、私も食べ始める。うん、やっぱり中の上だ。美味しいかと聞かれたら、「うん、そこそこ美味しいよ」と答える感じ。

「あー、雨降ってきたな」

 先生のその声に顔を窓に向けると確かに雨が降っていた。しかも結構強く降っている。

「げぇ、私傘持ってきてないのに……」

 うう、ツイてない。仕方ない、走って帰るか。

 しかし、そんな私を見て先生は一つ溜息をつき、立ち上がる。そして部屋の隅にかけてあったレインコートを私の肩に掛けてきた。

「これでも来てとっとと帰れ。仕事の邪魔だ」

 え、でも先生もこれ必要なんじゃ……。見たところ他に雨具を持っているようにも見えない。

「そんじゃ気をつけて帰れよ」

 しかし、先生がこう言ってしまったらもう遠慮することもできないだろう。

「あ、ありがとうございます」

 そう言って私は、レインコートをしっかり着て、数学準備室から出る。

 そのまま校舎を出て雨の匂いが香る外へと身を投げ出す。するとレインコートからは、まるで雨から私を守るように、ラーメンの香りがしていた。


   〈了〉

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ラーメンの香りのレインコート 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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