焼身自殺-2
「――にしても彰良君、本当に大変だったね。お疲れ様」
もごもごとくぐもった声で労われて、彰良は曖昧に頷いた。
一列に並べられていた椅子が元通りに戻されたツツウラの自室で、彰良はここに案内された初日のようにツツウラと向かい合って座っていた。そして彰良の目の前で、ツツウラはごく当たり前のことのように菓子パンを頬張っていた。
もういちいち“え、もの食べられるんですか”とか“どこから持ってきたんですか”などと聞きはしない。人間以上の高位の存在だ、やろうと思えば食事くらい出来るだろう。酒が飲めてものが食えないわけがない。
そして人間を模しているのだから行こうと思えば買い出しにだって行けるだろう。彼等は死者でも生者でもないなら、彼岸と此岸の行き来も容易な筈だ。
テーブルの上に無造作に放られたレジ袋を片手で引き寄せて、ツツウラはその中をちらりと覗く。その拍子に袋に印字されたマークが見えて、よりによってそれが自分が勤めていた店のものであることに彰良は一瞬、反射的に顔を顰めた。
「彰良君も何か食べる? パンまだあるよ、いや、正直食べられるかどうか分からないけど」
「あー……大丈夫です。うちのプライベートブランド、そんな美味しくないし」
「え、そうなの……って、ああ、そうか、彰良君の元々の職場なんだっけ……ごめん」
「大丈夫ですよ」
ばつが悪そうに袋から手を離したツツウラに、彰良は同じ言葉を繰り返した。
「昨日――じゃない、夜に色々言われましたし、それくらいなら何とも」
日付的には今日の、まだ日が昇るよりも前の深夜。ウイに案内されるままに訪れた“駅”で遭遇した男に言われた言葉は、まだ記憶に新しい。それに比べたら、ツツウラによる何気ない好意で出来た質問など何の痛みもないに等しかった。
「月ヶ瀬凛太郎かぁ……うーん、彰良君が報告してくれた後、一応ウイ君と一緒にデータ見てみたんだけどさ。今まで来た履歴もないし予定にもなかったみたいだし、本当ただうっかり来ちゃっただけみたいだよ」
「やっぱりですか」
「数撃ちゃ当たるで死のうとして、今回とうとうこっちと波長が合ったんだろうね。いい迷惑だよ……」
ツツウラは、菓子パンの最後の一口を口に押し込んでから肩を落とした。
家までまた道案内をしてくれたウイと雑居ビルの前で別れた後、彰良は駅で遭遇した男――もとい、凛太郎のことをツツウラに報告していた。
あの後、自分は相変わらず寝具のない自室の隅で短い眠りについたが、ツツウラはウイと共に業務に勤しんでいたらしい。いい迷惑だよ、という愚痴には時間外労働への嫌気も滲んでいるような気がした。
「すいません、変な時間に仕事持ってきちゃったみたいで」
「彰良君のせいじゃないよ」
否定しながら空袋を片手で丸めて捨てたツツウラが、レジ袋から今度はサンドイッチの袋を取り出した。封を開けて、具が何かも見ずに取り出して角を食む。
「大体、ウイ君があんな時間に彰良君を連れ出すからうっかり会っちゃったんだよ。誰もいなくて何もされなかったなら、本人も気付かない内に“下界”に戻ってる筈だし」
ツツウラはそこで一度言葉を区切り、一回で噛み切れなかったらしくパンとパンの間から出てきたレタスを全て引っ張り出して口に含む。
そうだそうだ、このコンビニのサンドイッチに挟まるレタスは何かやけに萎びていて、大体どんな食べ方をしても一度で噛み切るのが難しいのだ。自分はそれが嫌になって買わなくなったなと、彰良はツツウラの食事を見守りながら懐かしく思う。
「だから俺最初に言ったんだよ、絶対フラグだからやめろって……ああいう変わったことをすると、絶対何か普段はあり得ないようなものと遭遇するんだって……」
憮然とした表情で愚痴を吐き出しながらサンドイッチを食すツツウラは、もう彰良を見ていなかった。話し相手への愚痴が徐々に独り言になって一人で完結する、彼特有の変化だった。
まだ袋の中に残っていた二つ目のサンドイッチに手をつけて、今度は中身を見てから口に運ぶ。薄黄色の卵のペーストが挟まったそれを半分ほど食べ進めてから、ツツウラは改めて彰良を見た。
「本当お疲れ様。何言われたか分からないけど、言われたこと、気にしないほうがいいよ」
「……平気ですよ」
彰良は、緩く頭を振って笑った。心配してくれるのはありがたいが、これくらいなら平気だ。慣れている――流石に自分の死に様を何度もつつかれたのは初めてだったが、ああいう言葉に含まれる棘の痛みは慣れている。
それに、自殺者を追い返す時点で何か言われるのは当たり前だし、噛み付かれるのも予想通りだ。仕事で嫌な思いをするのは、往々にしてあることだろう。
「それならいいけど……あ、」
いいけど、と言いながらも未だ心配そうな顔のツツウラが、ふと声を上げた。入っていた菓子パン達を抜き取られ殆ど膨らみを失ったレジ袋に、再三手を入れる。
そのまま特に探りもせず取り出して、特に見て確認することもなく、ツツウラは首を傾げる彰良に手にしたそれを差し出した。
「これ彰良君にあげるよ」
「……缶コーヒー?」
彰良は先程とは反対側に首を捻りながら、ひとまず差し出された缶コーヒーを受け取る。元々冷えていたのか温かいものが冷めたのか、缶の表面はひんやりと冷たかった。
「好きなんでしょ?」
「いや、まあ、好きですけど……何で知ってるんですか?」
あまりにさらりと当然のことのように言われて受け流しそうになったが、自分は何が好きだとかこれが嫌いだというのは一切話していない筈だ。顔を上げて、彰良は思わず聞き返す。
「えっ?」
「えっ」
食べ終えたサンドイッチの包みを空になったレジ袋に突っ込んでいたツツウラが、間抜けた声を出した。ついでに、彰良もつられて似たような反応で返す。
「何でツツウラさんが知ってるんですか」
「彰良君が言ってたから」
「……俺、言った覚えないんですけど…」
「忘れてるだけだよ。多分飲み物ならいけるだろうし、俺の奢り」
「どういう理屈ですか……でも、ありがとうございます。いただきます」
いつも通りに笑うツツウラ相手に、これ以上問いただすのは出来なかった。忘れているだけと言われてしまえば、それ以上の詮索のしようがない。だから、彰良は苦笑はしつつも大人しく礼を言った。
栓を開けて、飲み口に口をつける。舌の上を冷たいものが転がって、苦さと微かな甘みが味蕾を刺して喉奥へと流れていく。久々の味覚への刺激に危うく咳き込みそうになって、それを押し留めるように嚥下する。ごく、と喉が上下する感覚。飲み物を飲み干すだけの一連の動作が、ひどく懐かしいと同時にどこか他人事のように思えた。
どういう理屈かは相変わらず分からないが、ツツウラの言う通り飲むことくらいなら出来るらしい。彰良は、まだ懐かしい味の残る舌で唇を舐める。
「美味しい? コーヒー好きっていうことしか知らなくて、商品名見ないで買ってきちゃったからさ。それでよかったかな?」
「あ、別にコーヒーなら何でも」
「ならよかった」
まだ数日ぶりに感じた味に混乱しているのか、美味しいという肯定よりも先にその後の質問への答えが口をついて出た。
それでもツツウラは満足げに微笑んで頷き、ゴミをまとめたレジ袋の持ち手を結ぶ。
固結びにした結び目を持って、ツツウラは壁際のゴミ箱に向かって袋を放った。壁に当たり、ぽすりと気の抜けた音を立ててからゴミ箱に落ちる。
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