有為転変-3

 これは何だろうか。

 朝の気配に意識を引き上げられた彰良がまず思ったのはそれだった。


「――“死した人間の魂を、適切且つ特別な理由なく二十四時間以上放置してはならない”! はい!」

「死した人間の魂を、適切且つ特別な理由なく二十四時間以上放置してはならない!」


 これは、一体何だろうか。やけに騒々しい。


「“此れには例外は認められず、総ての魂は原則として二十四時間以内に転生の処理を行わなければならない”!」

「此れには例外は認められず、総ての魂は原則として二十四時間以内に転生の処理を行わなければならない!」


 寝起きの鼓膜に、遠慮容赦なく突き刺さる二つの大声。

 その内容も何故こんなことをしているのかも理解できなかったが、その声がかなり幼い少女のものと、もうすっかり聞き慣れた男の声だということはすぐに分かった。

 彰良は、ひどく重たい瞼を僅かに持ち上げる。


「じゃあ次、社訓! “生の営みと死の巡りを保つ事こそが、我々の使命である! 我々は総ての生命を愛し、全ての世界を導く為に存在し、輪廻転生の管理により我々自身を調律する”!」

「生の営みと死の巡りを保つ事こそが、我々の使命である! 我々は総ての生命を愛――ゲホッ! ちょっ待っ、ムリ、マジで待っ……」


 盛大に噎せる声。待って、とも言い切れずにまた咳を繰り返す男の息絶え絶えの訴えに、少女のあからさまな溜め息が重なる。


「残業で怒るときくらいの大きさで!」

「もういいだろそれは!!」

「それくらい!」


 薄く開いた瞼の向こう、まだ霞む視界でも二人分の人影が見えた。

 一体何をしているんだろうか、と再三思って、彰良は体を起こすべく腕を動かした。視界が横になっているということは、きっと今自分は床か何かに寝そべっている。

 ひとまず起きなければ――と、彰良は自らが横たわっているであろう何かに手をつこうとして、しかしその手が何の手応えもなく空を切った。

 え、と彰良が戸惑うよりも先に、手を支えにして起き上がろうとしていた体が傾ぐ。

 慌てて立て直そうとするが、そもそもが今自分がどういう状況か分からないのだから足掻きようがなかった。先程空ぶったばかりの手で何かを掴もうとして、また無意味に空を掻く。

 結局、鈍い音を立てて、彰良は背中から床に転げ落ちた。どしん、と背中に感じる衝撃。ついでに頭にも、ごつんという音と共に背中以上の痛みが走る。

 それとほぼ同時に、二人だけの唱和も途切れた。


「いっ……」

 

 痛い、という三文字さえ出せなかった。落ちた拍子に打った後頭部を、体を支えきれなかった手で押さえる。


「あ、彰良君大丈夫!? 今頭打ったよね!?」

「あ……頭っていうか、全体的に……」


 酷く咳き込んでいたツツウラが、彰良のそばにしゃがみ込む。

 確かに頭は打ったが、頭が一番痛いだけで打ったのは背中を中心としたほぼ全身だ。彰良は何とか言葉を返して上体を起こす。


「ツツウラさん、さっきから何してるんですか……っていうか、俺何でこっちの部屋に……」


 未だ痛む頭をさすりながら、彰良は自分の肩を支えるツツウラを見上げる。

 昨晩、自分は普通に、前日と同じく眠りについた筈だ。それなのに何故こちらの部屋に移動していて、しかも椅子の上に寝かせられているのか彰良には理解できない。


「え。何、って……これは、何ていうか……」


 彰良の肩に手を置いた状態で、ツツウラは視線を泳がせる。結局、上手い説明も出てこないままに後ろを振り返った。


「ウイ君、説明手伝って貰ってもいい? やっぱり覚えてないみたいだし」

「結局、やっぱり一人で説明出来ないんじゃないですか……」

「二人居るなら二人で説明したほうが早いよ」


 呆れた、と嘆息する、ツツウラとは全く別の声に、彰良はようやく他にも人影を捉えていたことを思い出した。

 黒いスーツに包まれた肩の向こうに、茶の髪が垂れる黒い学生服の襟が見えた。セーラー服だ。長袖――冬服だろうか。女子用の制服を纏った、随分と小さな痩身の、きっと体型からして中学生くらい。痛い思いをして尚ぼんやりしている彰良の頭は、ツツウラにウイと呼ばれた少女をそう認識した。

 「それもそうですけど」と返したウイが、ツツウラの隣に来て屈む。


「……大丈夫? 結構、痛そうな音がしたけど」

「あー……もう、大丈夫です」

「それならよかった」


 自分は寝呆けていたのと事態を飲み込めなかったせいで気付かなかったが、余程派手な音がしたらしい。心配そうに顔を覗き込まれて、彰良は取り敢えず頷いておいた。


「……ツツウラさんの知り合いですか?」


 後頭部から離した手で椅子を掴み、ツツウラの支えから抜けながら彰良は尋ねる。

 誰ですかと問わなかったのは、ウイの今までの口振りと雰囲気から、人間ではないことが薄々感じ取れたからだった。死んでまだ三日と経っていないが早くもこの状況に慣れつつある彰良にとって、彼女が持つ雰囲気が

普通の人間と違っていることくらいは感覚で分かった。


「知り合い……というよりは、同僚かな。まあ、友達じゃないことは確か」

「うん、確かに友達ではないね、ウイ君は。俺も友達じゃないと思う」


 表情を和らげたウイの冗談めかした台詞に同意して、ツツウラは腰を上げた。床についていた膝を払って、彰良を寝かせていた椅子に腰を下ろす。


「彰良君も座りなよ」


 隣の椅子を手で叩いて示され、彰良は大人しくツツウラの横に座る。ウイも話途中に居住まいを正した二人の行動を咎めず、彰良が腰を落ち着かせた所で自らも立ち上がった。

 立ったウイの顔が、座っている彰良の目線と殆ど同じ高さにくる。


「改めて、初めまして。“輪廻転生管理会社”日本担当のウイです」

「……初めまして、米田彰良です」


 凛と背筋を伸ばして立つウイが差し出した手を握る。案の定、ツツウラの同僚であり“同胞”であることを示すように、彼女の細い手にも温度はなかった。

 繋いだ手を軽く揺らして、どちらともなくすぐに解く。

 そのまましばし、ウイは俯きがちに口を噤んだ。どこから話を切り出したものかと逡巡しているように視線を巡らせてから、再び彰良を見る。


「彰良君は、どこまで知ってるんです?」

「俺? えっと……」

「一応、ここのことと俺達のことと“会社”のことと、自殺のことは軽く話したよ」


 先を越され、ウイが自分に尋ねたのではなく彼に問うたのだと彰良は気付く。

 ツツウラの答えに異論はない。事実自分はこの世界が死後の世界で、彼等が人間よりも上の存在で、彼等が人間社会でいう“会社員”で、自殺は彼等にとっても輪廻にとってもかなりの大迷惑だ、ということしか知らない。その情報だって断片的だ。それでも、生前は宗教にも心霊にも興味の無い一般人の頭には十分すぎたが。

 ウイが一人、納得したように数度小さく首を振る。

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