津々浦々-2

「そうだ。彰良君を転生させなきゃいいんだ」

「…………は?」


 今何て言った? ただでさえ今までの情報過多に停止しかねなかった彰良の頭が、今度こそ固まる。

 名案を思いついた会社員のように、あるいは悪戯を思いついた子供のように。ツツウラは満面の笑みを浮かべていた。


「彰良君、俺のお手伝いしてよ! 今日俺が見つけたのは彰良君だけだから、転生保留にしておけば俺も定時で帰れるよ!」

「いや何言ってるんですか、無理ですよ! ただの人間にそんなことできるわけないでしょ!?」

「お茶汲みとか、買い出しとか、そういうのでいいから!」

「バイトに何でも頼む上司みたいなこと言わないでください! ……第一、今ここで俺を保留にしたって先延ばししてるだけじゃないですか! 俺以外にだって自殺で死ぬ奴は山程いるのに!」


 突拍子もない提案に、彰良は死んでから初めて声を荒げた。

 自分を転生させずに放っておくことで、今日を無事に終わらせるのは可能だろう。明日も放置して、明後日も放置して、そのまた次の日も見ないふりをして。そうすれば、その都度彼は残業を免れるだろう。

 だがそれは、問題を先延ばしにしているだけだ。嫌な仕事を延期したところで、絶対にいずれは自分が対応しなければいけなくなる。

 そして嫌なものというのは、延ばせば延ばすほど行動に移すのが難しくなるものだ。

 自分よりも高次元に居る筈のツツウラが、そんな簡単な理屈を理解していないわけがない。

 事実、ツツウラは彰良の言い分で口を閉ざしていた。それもそうか、といったような表情で腕を組む。


「……分かったら、さっさと“仕事”済ませちゃってくださいよ、こうして押し問答してる間にも、時間は延びて」

「じゃあ、こうしよう」


 彼に話を遮られるのは、もう何度目だろう。

 人の話を聞け、と怒鳴ろうとして、彰良はツツウラを睨みつける。

 睨んだ先の彼は案の定、笑っていた。


「君には、俺がこれから残業しなくてもよくなるような仕事をしてほしい」


 先程よりは具体的になった。とはいえ、問題の解決には程遠い。


「……具体的には?」

「例えば、書類の整理とか、掃除とか――」


 お茶汲みや買い出しと何も変わらないじゃないか。確かに、そういう雑務をこなすことで、彼が自殺者の対応に回る時間は増えるのだろうが。彰良は思わず舌打ちする。

 その音が届いたのか否か、ツツウラは続けた。


「あと、自殺したニンゲン達を追い返したりとか」

「……え?」


 予想していなかった、これこそ予想していなかった“仕事”だった。

 そういえば、確かに数分前、彼は「もう帰せないし」だの「帰した方が逆に危険だし」だのと言っていた気がする。

 彰良は、どういうことだと問うことはしなかった。予想外の言葉だったとはいえ、その後に続く説明は、薄々予想がついた。


「多分、“下界”でも、よくあるんじゃないかな。臨死体験とか、奇跡の生還とか……」


 彰良は頷く。

 一度生死の境を彷徨った人間が、奇跡的に生き延びてから語る死の片鱗。それはツツウラと出会って間もない頃、自分が疑ったことだ。


「あれ、実際ちょっとこっちに来ちゃったニンゲンなんだよ。病気とか怪我とか……えっと、あと、戦争? とかで。そうして、俺達がたまに追い返すんだ」

「……帰していいんですか、そういう人達。自殺者以外の魂じゃないですか」

「予定は予定であって、確定ではないよ。俺達の仕事は輪廻転生の管理で、自殺者とそれ以外の魂の選り分けじゃないし……」


 予定――世界と輪廻の予定は予定であり、常に変動しうるものだということか。だから、確定ではない。そして彼等の仕事もまた、魂の選別ではない。だから時折、予定を変えて助かる人も居る。という解釈で、いいのだろうか。

 情報が多すぎだ。常識外の情報を多量に受け取ったせいか、重く感じる頭に手を当てる。


「だから、自殺してここにきたニンゲンの、まだ助かりそうかなーってニンゲンを、追い返す仕事をしてほしい。そしたら、俺もその分残業が減るから!」


 ツツウラは笑顔で両手を叩き、そう締めくくった。彼の行動理念は結局はそこに帰結するらしい。

 彰良はその笑顔を見て、目を逸らす。

 嫌です、と、たった四文字の拒絶を喉から捻り出そうとして、何も言えずに口を噤む。

 この男が、今更「嫌です」と言ったところで自分を処理してくれるとは思えなかった。何が何でも自分を“こちら側”に引き込むつもりだからこそ、ここまで説明したのだろう。でなければ、一介の自殺者でしかない自分に接触するわけもない。

 言い換えれば、そこまでする程に自分を必要としているということだ。

 それに少しばかり嬉しさを覚えてしまったのは、まだ自分が死んだときの感情を引きずっているからなのか。

 ツツウラの顔をまた見て、俯いて、顔を上げて――彰良はもう、目を逸らさなかった。


「……期間は、どれくらいですか」


 それは今の彰良が言える、精一杯の了承だった。

 ツツウラが一瞬、呆けたような顔をした。二度、三度瞬きをしてから、今度は喜び露わに破顔する。


「本当に、本当にいいの!? ありがとう、これで今日はゆっくり出来るよ、ありがとう!」

「え、あ、ちょ」


 今にも飛び跳ねて踊り出しそうなツツウラが、彰良の手を掴んだ。

 戸惑う彰良のことなど気に留めず、がっしりと両手で握り締めた手をぶんぶんと上下に振る。

 されるがままになりながら、彰良はふと、温度がないなと思う。温度、血が通った人間の温かさ。心臓が止まった人間の冷たさ。どちらもないのは、彼がそもそも生死の範疇にないことを如実に示していた。

 どれほど手を握られていただろうか。掴まれたときと同じく、唐突にツツウラの手が離れた。


「いや、本当にありがとう、嬉しいよ、俺達にもそういう感情の動きはあるから……って、そうじゃないな、期間だっけ」


 呟いて、ツツウラが瞑目する。うーん、と数秒ほど唸ってから、彼は目を開けた。


「じゃあ、まずは、三百六十五日」

「……まずっていうのが何か引っ掛かりますけど、一年ですね」


 まさか、その一年を勤め終わった途端に「契約の更新お願い! もうちょっと手伝って!」などと言われやしないだろうか。……彼の性格からしたら有り得そうだ。少しだけ不安になるが、やっぱり嫌ですと言うことはしない。

 死んで尚仕事で引き止められるなんて、とは思うが、ここは死後の世界だ。いつだって、“本当の意味”で消えることができる。それだけでも、十分すぎるくらい気持ちの逃げ道がある。


「それじゃあ、」


 切り出したのは彰良の方だった。

 一呼吸置いて、今度は自分から手を差し出す。


「これからよろしくお願いします、ツツウラさん」


 生者の温かさも死者の冷たさもない男は、それでも生者のように笑って頷いた。


「よろしくね、彰良君」



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