服薬自殺-3
周囲の建物が徐々にその密度と大きさを増していく中、ウイに導かれて交差点を右に曲がった彰良の目にまず飛び込んできたのは、眩しすぎるくらいの光だった。今まで街灯とまばらな窓の明かり以外の光源を見てこなかった網膜を焼かれて、立ち止まった彰良は反射的に目を閉じる。
顔の前に腕をかざし薄目で再度確認した光の先は、確かにウイが称した通りに“駅”の形をしていた。出入り口付近にある筈の駅名はなく、煌々と明かりを湛える見た目とは裏腹に車も人影も全くない。ただだだっ広い空間に、駐車場と駐輪場と花壇とベンチと、時刻表が剥がれたバス停があるだけだ。
数度瞬きを繰り返しながら“駅”の様子を窺って、彰良は視界が慣れてきたあたりでようやく腕を下ろした。
「……ウイさん、見せたかったのってこれですか」
「これではあるんだけど、本当に見せたいのはあともうちょっと……あと二十分くらいかかるかな」
暗がりに慣れた視界を焼き尽くすような光を直視して尚、ウイは表情一つ変えずに前を向いていた。ううん、と唸って、再び一歩踏み出す。
入り口に来ただけでは目的は達成されていないらしい。それもそうかと、彰良も駅の敷地内に足を踏み入れる。
「今は……一時四十二分だから、二時になったら見られるよ」
「ウイさんが言ってた輪廻ってやつが?」
「そういうこと」
二時になったら見られるもの。駅。肉眼で捉えられる輪廻。敷地内を突き進みながら腕を組んでしばらく考えて、ああなるほど、という閃きを込めて彰良は声を上げた。
「……なんか、察したような」
「彰良君、結構色んなことを察してくれるよね。助かるのは助かるけど」
「仕事柄、そうなっちゃったんですかね」
冗談めかして笑って肩を竦めるが、あながち完全な冗談でもなかった。事実、“生前”は常に客の気配と言動で様々なものを想定していたから、そういう曖昧なものを取り敢えず掴むだけ掴むことが上手くなったのかもしれなかったから。
まだ死んで一週間と経っていないのだから当然ではあるが、当時培われた癖は抜けないし叩き込まれたやり方と考え方は消えない。
彰良はふと、自分の胸元に目を落とす。洗ったばかりだった緑色のエプロンの左胸部分で、名札がどんよりと頭を垂れていた。
「……まあ、おかげでこの世界の仕組みとかも割と受け入れやすかったんで、いいんですけどね」
自分の常識から外れた世界で、自分の常識から外れた情報で予測することが出来る。完全な理解ではなく小手先の誤魔化しだとしても、この状況では好都合だった。
「無理はしないでね」
「大丈夫ですよ、もう癖みたいなもんだし……」
案じてくれるウイに返事をしながら、彰良は駅の出入り口前の石畳に足を乗せた。歩行者用に余裕を持って作られているのだろう、そこだけ今まで歩いてきたアスファルトよりも階段一段分ほど高くなっていた。
彰良と同じく石畳に乗ったウイが、固く閉ざされた出入り口の扉には目もくれずに辺りを見回す。
「まだ時間あるからどこか座って待とうか、入り口前まで来ちゃって何だけど」
制服の襟に毛先が乗るくらいの長さの髪を揺らしながら座れる場所を探す彼女に倣って、彰良も駅に背を向けた。
確か、ベンチか花壇か何かの近くを通りがかった筈だ。車も人影も遮蔽物もないおかげで明るい空間を見渡そうと、首を右に捻る。
駐車場、随分遠くに花壇、その傍に暗い色のベンチ。流石にまた向かうにしても遠いのでそれは除外して、左を見る。駐車場と駐輪場と、ただそこにあるだけのバス停。雨を避ける為の庇が、石畳の歩道の上に設けられている。花壇とベンチが、駅の構造上こちら側ではそこそこ近場に位置していた。
「……あ、左の方が近いみたいですね」
「みたいだね、行こう行こう」
ウイもそれに目を付けたらしく、肩越しに彰良を振り返ってからアスファルトに下りた。
彰良はその後を追って一歩進んで、もう一歩踏み出しながら見渡せる限りの範囲で視線を巡らせる。やはり互いに見つけたベンチ以上に近しいものはない。
右を見る。何もないし誰もいない。左を見る。ウイが、革靴の底で軽快に地面を蹴っていた。再び右に目を向けつつ下ろした片足が、少し色褪せたアスファルトに触れる。
駅の出入り口に背を向けた状態で、更に正面から見て右側には車も何もない。そこには車一台止まっていない駐車場と、手入れされているのかされていないのかよく分からない花壇と黒いベンチしかない。
彰良は一度前に向き直って、数秒と経たずについ先程確認した側を見た。
「待って」
鋭い制止の声が重なった。ウイも勘付いたのだろう、足を止めて彰良と同じ方角を睨んでいた。
中途半端にアスファルトと歩道の石畳を跨いでいた足を揃えて、彰良は眉を顰める。
自分の見間違いかと二度確認してはみたが、どうやら見間違いではなかったらしい。暗い色のベンチが、右側だけやけに黒く見えたのは。
「……誰か居ます」
「……うん、これは居るよ。今来たみたい」
何かいるではなく、誰か。すんなりとそんな言葉が出た。そしてその“誰か”に聞こえないようにか、声を潜めたウイが頷く。
今来た、という説明だけで、彰良はベンチの付近に“居る”誰かが何者なのか把握した。彼女達がそういう言い方とこの鋭い緊張感で示すのは、きっと自分が対応する人間だろう。普通の、言わば自殺以外の死によってここに来た人間達に対する態度はまだ見たことはないが、この空気には覚えがある。
「様子見てきますよ、多分俺の“仕事”でしょ」
「あ、待って。私も行く……あ、あれ?」
ウイの返事と、そして何やら怪訝そうな疑念を背後に聞きながら、彰良は黒く陰るベンチへと歩き出した。
小走りに近い速度で近づく内、三人は座れそうなその場所に陣取っている誰かの輪郭が徐々に明瞭になっていく。どうやら相手は、ベンチの上に仰向けで寝そべって片腕を宙に投げ出しているらしい。
二人分の足音にも顔を向けず起き上がりもしないという事は、寝そべった体勢の通りに眠っているのだろうか。あるいは余程周囲を気にしないだけだろうか。
どちらにせよそばに寄って声をかけようと、彰良はだいぶ縮まった間合いを今度こそ小走りで詰めた。
腕を伸ばせば肩に触れられるくらいの位置で足を止めて、少しだけ腰を折る。
横たわっていたのは、まだ若い男だった。黒い長袖のシャツと黒いスラックス姿の、黒尽くめの男。固く閉じた瞼と対照的に僅かに開いた口元は、正に寝顔と表すのが正しいような表情を作っていた。
「……いや、嘘だろ……」
眠っている。この、普通に生きてきた一般人ならば一度は取り乱しそうな常識外れの世界で堂々と眠っている。
妙な笑いが混じった驚愕が、独り言として彰良の唇から漏れた。
「あ、彰良君、その人」
ぱたぱたと軽い足音と名を呼ぶ小さな声。駆け寄ってきたウイに見えやすいよう一歩ずれて、彰良は男を指差した。
「寝てます」
「その人、自殺――え、寝てるの?」
「起こしていいですかね、触っていいか分かんないんですけど……」
「……い、いいんじゃないかな。ごめんね、私もあまり夜の勤務になったことないから分かんない……」
ううん、と首を捻るウイに「分かりました」と返して、彰良は男の肩に手を乗せた。そのまま数秒ほど待ってみるが、特に変わった様子はない。
先日は、自ら死を選んで思い直した人間の魂に自殺を完遂した自分が触れていいものかと躊躇ったものだが、どうやら悪影響は及ぼさないらしい。彰良は一安心して、男の肩を軽く揺すった。
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