服薬自殺-2
現世を此岸とした場合の彼岸に当たるこちらの世界は、基本的に此岸の時間帯や街並みをそのまま映しているという。だからきっと、この地方都市の風景は現世にも存在しているのだろう。
そしてそれらを反映している以上、日は落ちるし暗くなれば明かりは灯るし、また日が昇って昼が来る。
夜道を等間隔で照らす街灯の下を歩きながら、彰良はこういうことかと一人納得した。
「……彰良君、眠くない?」
慌てて横を見る。隣を歩くウイが、首を傾げてこちらを見上げていた。
「あ、はい……全然」
「そう? それならいいんだけど。無理はしないでね」
柔和に笑むウイの言葉がそれ以上続くことはなかった。会話と言うには短すぎるような応酬が途切れる。
無理はしないで、と言われても、全然眠くないのは事実だった。
肉体という生命活動を行う為の器がない今は、睡眠に意識を集中させない限りは眠くならない。つまり寝ようと思えば眠れるが、全く気にしなければいつまでも行動できるわけだ。
だから、日付が変わって所謂丑三つ時に近しい頃でも、日中と変わらず活動することが出来る。
そしてそんな夜更けに、彰良はウイに連れられて歩いていた。見せたいものがある、と告げられたことを思い出して、一人首を捻る。
わざわざ日が没してから外に出たということは、恐らく夜間にしかない何かがあるのだろう。あるいは、やはり規則違反は許せないからと強制的に何らかの処理を行われるか――部屋を出る間際のツツウラの様子からして、後者はないと思いたいが。
……そういえばウイに手を引かれるまま彼の元を後にする時、「今このタイミングで外に出るとか自殺フラグだからやめて!」「今日夜中から忙しかったんだし明日でもいいだろ!」という叫びが聞こえたなあ、と、全く関係ないことを考える。
「……ごめんね。日中じゃ見せてあげられないから、明日に持ち越すよりは今日見せてあげようと思って」
思考を見透かされた気がして、彰良は軽く肩を跳ねさせる。
「あと、ツツウラさんが居るとどうしても説明が長くなっちゃうし」
冗談めかした言葉は、文字通り彼女なりの冗談なのだろう。ウイは肩を竦める。
「だってあの人、話長いでしょ」
「メチャクチャ長いですね」
間髪入れず同意する。全くその通りで、ツツウラは初日から今まで本当に話が長い。話す速度が遅いとか無駄に横道に逸れるとかではなく、言葉の選び方と話し方が異様に冗長だ。
それがどうやら、自分という人間相手だからというよりは彼の性格であるらしいと知って、彰良は頬を緩める。
「だと思ったよ。……いや、きっとヒト相手だから余計長くなってるかも……」
「でも、たまに簡潔に話してくれるんですよね。いつもああならいいのに」
「本当その通り。仕事の連絡もああだから……あの人の代わりに謝っておくね、ごめんね――あ、ここ右に曲がるよ」
「いや、別に特に怒ってないし嫌でもないんでいいんですけど……」
律儀な謝罪にいやいや、と手を振りながら、言われた通り右に曲がる。
今頃、部屋に取り残されたツツウラはどうしているだろう。人を模している彼等にも“噂されているとくしゃみが出る”とかいう迷信が通じていたら、くしゃみでもしているかもしれない。
「……彰良君、本当にあの人にうんざりしたら言ってくれていいからね?」
「あー……ありがとうございます」
こちらを見上げるウイの顔つきが、これは冗談ではないのだと暗に示していた。だから何となく軽い言い方はしづらくて、ぎこちなく礼だけ口にする。
それが逆に怪しかったのか、ウイは彰良をじっと見つめていた。それならいいけど、という雰囲気ではない。逆に、何か言いたいことがあるなら言え、とでも言うような。
つい先程浮かんだ“思考を読まれているのではないか”という疑惑が、再び彰良の脳裏によぎる。もしかしたら本当に彼女には筒抜けで、あるいは彼女が人の考えを予測することに長けていて、自分が何をどう考えているかなんてお見通しなのではないか。
初めて会ったときの言動からして人の思考を覗けるわけではなさそうだし、完全な妄想だ。だとしたら後者、彼女は人間という種の機微に敏感なのだろう。
誤魔化す必要もないかと、彰良は一瞬の逡巡の後に口を開いた。
「……あの、ウイさん、ツツウラさんのこと嫌いなんですか」
彼のこととなると、言動がどことなく刺々しくなる。規則違反に怒っていると言われたらそれまでだが、怒りというには妙な違和感があった。
「いや、嫌いじゃないよ」
「え」
あっさりと否定されて、彰良は首を捻る。
友達じゃないのは確か、という彼女の言葉。そして「友達ではないし自分もそう思う」というツツウラの同意。互いに嫌い合っているのかと思ったら、どうやらそうではないらしい。
「仕事の価値観は合わないし、ツツウラさんの勤務態度はすごくイヤだけど、あの人自体が嫌いなわけじゃないよ。そういうものじゃない?」
「そういうもの、ですか」
「うん。強いて言えば個人での相性が合わないだけ。気が合わないってことは別に、相手そのものが嫌いになってるわけじゃないから」
そこで一度言葉を切ったウイが、いたずらっぽく口元を綻ばせた。
「彰良君もそうじゃない? 別にツツウラさんのこと、自分が知ってる全部が好きなわけじゃないでしょ」
「……まあ、確かに、言われてみれば」
ああ、確かにウイの言う通りだ。まだ共に居た三日、四日分の情報しかないが、その要素全てが笑顔で受容できるものではない。いちいち説明が冗長なのもきっと時には苛立つし、自殺者に見境なく激昂するのは悪癖と称して差し支えない。
何より、彼は人間が自ら命を絶つ行為の意味を知らない。自殺者が出なきゃいいけどと言いはしても、それは残業を心配しての言葉だ。
悪意も嫌味も混じらない純粋な『何で死ぬんだろうね』という疑問を、その何で死ぬか分からない死に方をした自分にぶつけるときの、そしてそれをまあいいやで流すときのツツウラの笑顔は、確かに好きではない。
しかしそれらは全て、彼という存在を構成する個別の要素でしかないのだ。確かに受け入れ難いものではあるが、それでもそれらは彼がそういう嫌悪すべき存在だと結論づけるものにはならない。
「……確かに、そういうものですかね」
「そうだよ。……あ、ここ左」
満足げに首肯したウイが、街灯が照らす次の角を指差した。
大人しく隣について歩いて、明かりのない住居や雑居ビルの外壁と電柱の横を通り過ぎる。時折、遠くの大きめの建物や階数のある住居の窓から明かりが漏れていた。そこにいるのも“会社”の社員達で、今も各々の仕事に勤しんでいるのだろうと、何となく考える。
そうして道なりに進んで、曲がった角が見えなくなった頃、彰良は自分からウイに話しかけた。
「そういえば俺、どこに連れて行かれてるんですかね」
「輪廻」
またあっさりと、それこそ今日の授業何? と問われて科名を答えるときのように言われて、彰良は顔を顰める。
「転生しませんって言ったじゃないですか、帰りますよ」
「させないよ、ちょっと見るだけ見せるだけ!」
「見るだけって、そんな目で見えるもんなんですか?」
抑えきれない疑いが、声に乗って彰良の口から出ていく。
輪廻。輪廻転生管理会社の社員達が魂と共に管理する、人が生まれて死んでまた生まれる、転生の為の概念そのもの。見るだけ見せるだけと言われても、些か信じられなかった。
全くもう、と拗ねたように頬を膨らませるウイが腕を伸ばし、道路の先を真っ直ぐに指し示す。
「あと少しで駅に着くから。そうしたら見えるよ」
「……分かりました」
「い、いや本当に何もしないからね?」
「……大丈夫ですよ、信じてますから」
どうやら、改まって確認されるくらいには不信感が顔に出ていたらしい。狼狽えるウイに苦笑してから、取り敢えず念を押しておいた。
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