有為転変-6
「……俺はさ、別に彰良君のこと苦しめたくてやったんじゃないんだ。それにほら、元はと言えば全部俺の勝手な都合だし、これ以上辛い思いするくらいなら……その、だから」
早口でまくし立てるツツウラが、髪の隙間から彰良を見遣る。
「……巻き込んでごめん、」
一拍ほどの間。後に続けられるものを、彰良は改めて言われずとも知っていた。ウイが言ったことと同じことを彼も言うのだろうと知っていた。
だからだろうか。頭で考えて表現を選ぶよりも先に、思ったことが口をついて出たのは。
「俺の意思は、どこにあるんですか」
まだ彰良の思考は、分析して理解して納得するか妥協するか或いは反発するか決定するところまで冷静になり切れていない。自分で出した結論さえ言えないまま、二手から“最善”とされる選択肢に向かって背中を押されるのは、言いようもない焦燥感を生み出した。
「いきなり早く転生しろって言われたって、いくらそれが正論でも今この場で受け入れられるわけないでしょ、」
ウイに伝えようとした思いが、刺々しさを孕んで溢れ出す。別に怒りたい訳でもないのに、いや怒りはあるのかもしれないがそれをぶちまけようと思っているわけではないのに、口先だけが勝手に次々と台詞を作っていく。
「俺は……俺は、ツツウラさんが言ったから、ここに」
「……ごめん、本当に」
「……私も、気付けなくてごめんね」
違う、謝ってほしいわけじゃない。自分がどんな顔をしているかなんて分からないが、もしかしたら自分より悲痛な面持ちで謝罪してほしいわけじゃない。
彰良は片手で額を押さえ、軽く首を振る。
考えろ。結論ではなく、言いたいことを考えろ。今結論を出さなくてもいい。混乱の最中で最善の選択を取ることは出来ない。“人間”である自分には不可能だ。
ツツウラが提案したことだとしても、受け入れたのは自分自身だ。そして承諾した理由はあの瞬間からずっと覚えている。言語化することは容易い筈だ。だから。
「……俺は、ツツウラさんが放っとけなくて」
人間という生き物よりも上に座する、きっとこの感情を向けられることなど想像したこともないだろう彼等の目は、自分をどう認識しているのだろう。
逃れようもなく注がれる視線を一身に受けながら、彰良は先程とは違い自らの意思で選んだ言葉を組み立てていく。
「ツツウラさんが仕事でしんどそうにしてるのが、最初っからずっと放っておけなくて……俺もそういうのを知ってるつもりだったんで、余計に」
あてがわれた仕事に嘆く苦しみと、無遠慮に増えていく仕事に喘ぐ苦しみを、彰良は知っている。
知っていたし、覚えていた。死ぬ瞬間のフラッシュバックなどなくても、骨の髄まで叩き込まれた思いを忘れたことはない。あまりにも当たり前のこととして慣れ切っていたから、改めて意識しなかっただけだ。
そしてそれを土台とするこの感情は、きっと一番近しい単語で説明するならば、
「もしかしたらこれ、同情……かもしれないけど、それでも俺は自分で選んだからここに居るんですよ。なら、ここに残るかどうかだって、俺が」
同情。明確に口にした瞬間、その意味と響きに一度息が詰まる。それでも伝えなければと詰まる息を声にした意思の最後は、もう聞こえないくらいの囁きになって消えていった。
意図せず俯いていた体勢はそのままに、彰良はただ膝の上に置いているだけだった片方の手を握り締める。
「……彰良君がいくらそう思っていても、ここに居ればそれだけ彰良君が苦しむことになるんだよ」
頭上から聞こえたウイの声は、この状況でも優しげだった。まるで幼子を諭すような響きでもって言われて、彰良は顔を上げる。
「俺はまだ、それは嫌だとも何も言ってません」
「……嫌じゃないの? 私もツツウラさんも、もうこれ以上彰良君に辛い思いをしてほしくないけど」
「まあ、嫌じゃないわけではないですけど、しょうがないじゃないですか……こっちにいたらそうなっちゃうなら」
存外、はっきりと言い切れたことに彰良は内心で安堵する。
一度思っていることを粗方出力できたからか、口と頭が回るようになってきた。ウイの双眸を体ではなく目で受け止めて、彰良は続ける。
「こっちにいる以上、何か思い出してまた苦しむのが避けられないなら、文句言いませんよ」
「……本気で言ってるの、このヒト」
ウイがまるで、初めて見る奇怪な動植物に向けるような顔で瞠目した。
ああ、思考もまとまってきたし、その為の回路も回ってきた。彰良は、額を押さえて重い頭を支えていた手を離す。
「あ、あのさ彰良君。君が覚悟してるとかそういうことじゃなくて、彰良君がここにいるのは俺が規則違反したからで……」
「だからですよ、まず一年やってくれって言ったのはツツウラさんでしょ……」
「いや、本当それはそうだし謝っても償えないことだから、俺が言えたことじゃないんだけど」
「じゃあ悪いんですけど、ちょっと黙っててくれます?」
「ウイ君みたいなこと言わないでよ……」
横から助言してくれたツツウラには申し訳ないが、まだ彼にも話を出来る余裕は戻ってきていない。
だから手短に、しかし本気で申し訳ないと思って言ったつもりだったが、少しきつかったか。ツツウラが肩を落とすのを尻目に、彰良は未だ固まっているウイに再び告げる。
「ツツウラさんとの契約期間は一年です」
つい数日前、初めて来たこの場所で初めて出会った彼に初めて持ちかけられた手伝い、もとい仕事。頼まれた期間は一年間、この数日を差し引いてもまだ、三百六十日以上は残っている。
当初は引っ掛かりを覚えた一年という期間でも、その間はここにいるつもりだった。それこそ、何があっても。
それに、と彰良は、ツツウラから説明されたことを記憶から引っ張り出す。
「……それに、自殺者の魂は“予定外”なんですよね」
「そう、だけど」
「なら、俺が対応して帰し続けたら、その分ウイさんの仕事も楽になるんじゃないですか?」
自殺者の魂は、輪廻転生の予定にはない。
本来予定された流れに突然横入りする魂の対応で勤務時間が伸びるから、自殺者が来るたびに自分達は残業になるのだと、ツツウラは言っていた。そして自分は、それを解消する為に残っている。
それはそうだけど、と言い淀むウイが、彰良から目を逸らした。
「俺はここにいるつもりだけど、フラバが起きても文句を言うつもりもない。ツツウラさんは残業しなくていい。ウイさんは仕事が増えずに済む……それでも、ダメですか?」
普通に考えたら駄目に決まっている。二人口を揃えて言う通り、規則違反だ。
今までの口振りからして、ウイはツツウラとは違い仕事に誇りと熱意をもって取り組んでいる。仕事が楽になるという誘惑など、彼女からしたら逆効果だろう。
だとしても、言いたかった。明瞭に饒舌に語れるほど、これを言いたかった。自分で決めたいのだと、そして決めた結果はこれだと意思表示したかった。
それに恐らくウイは、人間に対してはある程度好意的だ。彼女は規則違反ということよりも、自分が苦しむことを避けたいという方針で話を進めている。
勿論建前かもしれないし、もしこの予想が合っていたとしたらそれを利用することになる。心苦しいが、受け入れてくれる可能性が僅かでもあるかもしれないなら賭けてみたかった。
ダメですか、という問いへの答えは、しばしの沈黙で得られなかった。
呆然とするウイが、数度ツツウラと彰良を交互に見る。落ち込んでいたツツウラが今度は頭を抱えてウイと彰良を交互に見る。彰良はそのどちらからも顔を背けず、ただ黙っていた。
「……俺は、俺はだけど。彰良君が決めたなら、何も言わないよ。……俺は言える立場じゃないし、正直、もう無視して押し付けたくないし」
頭を抱えていた手を下ろしたツツウラが、静寂の果てに口を開いた。表情はまだ明るくないが、それでも彰良を真っ直ぐに見据えて言い終える。
何かを自分自身に確認するように頷いたツツウラがちらりとウイを見る。つられて彰良もそちらを向いた。
苦悩するような顔で黙り込むウイが、これまでの柔和な雰囲気には似つかわしくない荒々しさで自らの頭を掻く。
「……私は反対だけど、彰良君がここにいるって言うなら、それも尊重したい――ああもう、するよ」
乱れた茶色の髪の下で、ウイは盛大に溜め息をついた。
「ひとまず私も、彰良君が決めたなら何も言わない」
「ウイさん、」
「ただね」
いいんですかと聞き返そうとした彰良を、ウイが掻き乱した髪を整えながら遮った。
「ツツウラさんの違反も彰良君の言い分も、支部長には言う」
「……ここまできたら支部長からの罰則とか怖くないし、俺はいいよ」
「俺も、別に……」
諦めたように力なく笑うツツウラに同調して、彰良も頷く。
支部長には言う、それがどういう結果になるのかは分からないしそもそもその支部長とやらも知らないが、今はそれでもいいと思えた。
「……ああもう、まさか自分が規則違反することになるなんて思わなかったよ……」
「……すいません」
「いいよ、もう。多分、彰良君も何言われても譲らないでしょ」
「はい、まあ」
肩を落としていたウイが、ツツウラと似た諦念を滲ませて苦笑した。
貫き通した以上は、もう謝ってもいられない。彼女が自ら設けたタブーを踏み越えたように、同じくまた新しく覚悟を決めなければ。
彰良は隣で座るツツウラの顔を見上げてから、そっと片手を差し出した。
「……彰良君?」
「……一応、改めて」
伸ばされた手の意味を測りかねたらしいツツウラが首を傾げたが、すぐに合点がいったらしい。諦めを消して、しかしぎこちなく笑う。
「悪いけど、これからもよろしくお願いします」
「……こちらこそ、悪いけど、よろしく」
彼の温度のない手を、彰良は確かめるように握り締めた。
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