「ぶうじゃむ(後編)」
(1)
「やあ、起きたかい…どうやら君たちは
幸運な部類のほうだったらしい。」
男の声に鳴鐘が目を覚ますと、そこは先ほどの屋上であった。
しかし、悪夢は終わってはいないらしく、
以前、屋上や空には「ぶうじゃむ」たちの姿が見えていた。
そして、先ほど鳴鐘たちを飲み込んだものと同じものだろうか
…ひときわ大きいその個体は巨体をずるりと動かすと、
ビルの下へと降りて行く。
その様子を見て男はつぶやく。
「…ああ、一般人の生命エネルギー…ようは体力を
食べに行ったのさ。この土地にはもう十分に『ぶうじゃむ』が
密集している。匂いは誰しもが嗅げる状況…その中で、体内で
分解出来ず、溜め込む奴ほど奴らは好んで喰っていくからね。」
鳴鐘はその言葉に対し思い当たるふしがあった。
「…なるほど、それで年寄りが死ぬのか…。」
頭は以前くらくらするが、それだけは言えた。
…確かに老人になると代謝機能が弱くなる。
体内でものを分解する機能も弱るため、知らず知らずのうちに
体内に変異した『ぶうじゃむ』をためこみ、後に『ぶうじゃむ』
に付けねらわれ、体力だけを喰われて死んでしまうということか…。
男は鳴鐘の質問には答えなかった。
そして、塞杖が起き上がりつつあることを確認すると、
先ほどと同じように芝居がかった仕草で両手を広げた。
「…まあ、そのことは置いておこう。
それより、信じられないと思うが、君たちが見た夢はおおよそ現実にて事実だ。
私は以前、防空壕の中で『すなあく』と『ぶうじゃむ』の変化に出会っているし、
『大日本帝国軍科学班・極秘資料』とスタンプの押された本にもあっている。
…まあ、君たちも、あの場所に置かれた『食糧難の解消』ぐらいはすでに
見たんじゃないのかい?」
そう言うと男は塞杖と鳴鐘を順繰りに指さした。
「…そして、君たちがすでに『指ぬき』になっているがために
今後は『ぶうじゃむ』に襲われる危険もある…もっとも、
あれらがいつから『ぶうじゃむ』なんて呼ばれたかは私も知らないが…
それはともかく、不思議じゃないかね?自分たちが『ぶうじゃむ』に
飲み込まれ、そして未だに生きている事に。」
男は、懐に手を入れると一つの試験管を取り出す。
…鳴鐘はそれに見覚えがあった。
…『Fe0609』と書かれた試験管…
それは、あの防空壕の実験室で見つけたものと同じものだった。
それに対し、男はどこか得意げに説明する。
「…なぜかわからないが、コレを血液中に入れると
一定期間のあいだ『ぶうじゃむ』に襲われなくなるのさ。
私もあの男に騙され、逃げ出すときに偶然この試験管に
文字通りぶちあたってね。割れた中の液体が切り傷から
入った結果、こうして生きてられたというわけだ…。」
そして、そこまで言うと男はため息をつく。
「…しかしねえ、これは使うたびにだんだん消費量が
多くなる代物でね。最初こそ1本で済んだんだが、
次には2本、その次は3本と言った具合になっていく。
そして、これを使う事でまた弊害も多くてね…。」
そう言うと、男はポケットから突然折りたたみ式の
ナイフを取り出し、その刃を向ける。
「…しだいに出て来る空腹感がね、
自分をどうしようもなくさせるのだよ。」
そうして、男は唐突にナイフを投げた。
とっさに二人は避け、それは背後に立つ『ぶうじゃむ』に当たる。
…倒れる音もしない。
人ほどの高さもある『ぶうじゃむ』が床にくずれる際には
一切の音もさせなかった。
男はそれに無言で近づくと、慣れたように皮を剥ぎだす。
「…どこまで話したかな?
ああ、そうそう。弊害が多いという話だ。
それで私も困っていてね。何しろ管理という管理もできていない。
彼らが『ぶうじゃむ』になった時点で勝手に知性をつけ、
勝手に増えてしまうからなんだが…ああ、あんな感じだ。」
そうしてナイフでさし指さした先を見て、
鳴鐘たちは眉をひそめる。
…屋上の給水タンクに舞い降りる一体の『ぶうじゃむ』。
それは二股の首をしていた。
…いや、違う。それは今、まさに、分裂しようとしていた。
首から胸、胸から翼、メリメリと、ベキベキと本来なら
音がなるはずだが、無音でそれらは分かれていく。
そして、最後の尻尾までわかれると今や屋上で二体になった
『ぶうじゃむ』たちは翼をはばたかせ、空へと飛び立った。
「…ああして、『ぶうじゃむ』は広がって行く。
それを止める事はもう私にはできない。
だからこそ管理者である『指ぬき』は
その経過をただ観察するしか無いのさ…。」
そうして、男はちぎった肉を食べ始める。
生の『ぶうじゃむ』の肉をナイフでこそいで食べていく。
「もう、私もただの『すなあく』の肉じゃあ満足出来なくてね。
身体が『ぶうじゃむ』の肉しか受け付けなくなっているんだ。
気分が悪くなったら申し訳ない…。」
そう言いつつ、男はくつくつと笑いながら肉を放り込む。
その瞳は狂気に満ちていて、鳴鐘はどこか嫌な気分になった。
「…なにか、方法は無いのか?
以前はここまで増えなかったはずだろ?」
鳴鐘の言葉に男は頭を振る。
「…さあね、何しろ集落の出身は皆死んでしまったし、
調べるだけの資料はみんな探した…君たちは気づかなかった
かもしれないが、あの日、防空壕には私も行っていたのだよ。
もちろん、その後の顛末も知っていた…。」
その言葉に、塞杖は憤りの声を上げる。
「じゃあ、黙って見てたっていうの…?
九条が死んじゃったことも、八飛が襲われた事も、
知っていて、ただ見てただけだって言うの…!?」
すると、男は肉を食べる手を止めこちらを見た。
「…ああ、そうだ。あの二人は『指ぬき』になれる可能性が
確率的に低かった…『すなあく』はね、直接焼いたものだと
成分に違いが出て、死亡する確率がぐんとはね上がるんだ。
…それは、あの女研究者が書いた報告書に書かれていたこと
だったが…ともかく、あの二人と元・編集長に関しては、
本当に申し訳なく思うよ。」
「…元編集長…?」
それを聞いて、塞杖はぴくりと眉を動かす。
「もしかして、仲買さんが死んだのも…!」
それに対し、男は小さくうなずく。
「…そう、書類に書かれた実験が本当のものか、いくつか試してみてね。
彼はその中の不幸な一人だったと言うわけだ。」
塞杖は今にも男に殴りかかりそうだったが、
鳴鐘がそれを押しとどめる。
そして、男は、肉の咀嚼を止めると立ちあがった。
「言っただろう?あらゆる方法を試したと。
それで恨むのなら自由だ。私はそれを受ける覚悟はできている。
…でも、ダメなんだ。彼女の持つ資料をあたってもダメだった。」
…いつしか、イグアナにも似た『ぶうじゃむ』の一匹がその近くを
うろつきはじめていた。
「あの夢の中でも、どのようにして『ぶうじゃむ』を
消したかわからない。私達はただ、見守るしか無いんだ。
奴らによって、今後も増えていく奴らによって、
この世の中が埋め尽くされていく瞬間を…!」
男は声高に叫ぶ。
そこにはもはや先ほどの芝居がかった仕草はどこにもない。
ただの惨めな男の姿だけがそこにはあった。
…そのときだ。鳴鐘のなかでひらめくものがあった。
…夢の最後、どうして女性研究者を襲ったところで
唐突に映像は終わったのか。
…菜飯の日記、そこで白金あづねが消えた後、
どうしてここまでの被害が出なかったのか。
そして、同時に思い出す。
『鉄道株、…は全てを原初にもどす』
鳴鐘は、男にたずねた。
「…なあ、その中身…俺たちに注射したその試験管、
それを今までこの周囲にいる奴らに使ったことはあるか?」
それを聞くと、男はぎくりと表情をこわばらせ、
2、3歩後ろへと退く。
「…なにを、何を言っているんだ。貴重なものだとさっき言った
ばかりだろう。そう簡単に使えるものじゃあ…。」
鳴鐘はそれで確信する。
「…ということは確実にひとつは持っているんだな…頼む。
俺はそれでひとつ試したいことがあるんだ…。」
男は鳴鐘の説得に必死に頭をふった。
「…何を…!さては、独り占めするつもりだな!
せっかく命を救ってやったのに、私の寿命を削る気か!」
鳴鐘は弁明する。
「違う…違うんだ…ただ…。」
「いや、渡すものか、渡せるはずが無い…!」
そうして、男は背を向けて走り出そうとする。
しかし、懐に手を入れた男の言葉はそれ以上続かなかった。
なぜなら、先ほどの足元を這っていたイグアナの姿をした
『ぶうじゃむ』が、ふいに男の顔めがけ、飛びついたからだ。
「…ぐあ…!」
男は顔面を押さえ、のけぞるように倒れる。
はずみで手元から試験管が転がり落ち、
コンクリートの上を転がる。
イグアナ姿の『ぶうじゃむ』は男の鼻にかみつき、
その肉をちぎろうとする。
「そんな…まだ早…!」
そうして、男が試験管に手を伸ばそうとした時だ。
背後の柵から巨大な頭部を持った植物のような『ぶうじゃむ』が
姿をあらわした。そして、それは大きく口を開けると男を足元から
飲み込み、振り上げ、一気に飲み込む…!
「…!!」
とっさのことに塞杖は目を背ける。
しかし、それとは逆に鳴鐘の行動は早かった。
素早く転がった試験管に手を伸ばすと、
それを目の前の『ぶうじゃむ』めがけ、ぶつける。
試験管は植物のちょうど顔の部分にあたり、砕け散った。
…そして『ぶうじゃむ』はその動きを止めると、
黙したまま、頭を垂れ、そして…
「…やっくん!」
塞杖はその様子を見て声を上げる。
いつしか、動きを止めた『ぶうじゃむ』は細い糸のような触手を伸ばしていた。
それは、床を伝い、空へ届き、ビルとビルとの狭間を抜ける。
…いや、それだけではない。
その触手は周囲にいた『ぶうじゃむ』にも届いていた。
そして、その触手と接触した『ぶうじゃむ』も同様に細い糸のような
ものをだし、つぎ、その次へと『ぶうじゃむ』どうしが繋がって行く。
そのことに『ぶうじゃむ』は抵抗しない。
ただ静止し、その身体から周囲に糸を伸ばして行く。
「…『ワタシタチは「フォーク」を選んだものを裏切らない。
そしてワタシタチは「フォーク」を作ったものに従う。』」
いつしか鳴鐘はあの夢の文言をつぶやいていた。
その言葉に合わせるかのように糸は伸び、繋がり、そして…。
…約10分後、『ぶうじゃむ』は影も形も無く消え失せた…。
(2)
「…消えちゃったね。」
塞杖はそうぽつりというと小さくため息をつく。
…街には、もはや『ぶうじゃむ』の姿は無かった。
あれほどいた彼らは、みな、糸が繋がった瞬間に
塵となって消えてしまった…。
そして、ビルの隅まで見回した鳴鐘はため息をつく。
「ああ。だが、俺たちが正常に
戻ったということはないようだ。」
鳴鐘も、塞杖もすでにその瞳は青い。
暗闇の中で深い蒼色に染まっていた。
「『鉄道株、彼女の血は全てを原初にもどす』…か。」
鳴鐘はあの見えなかった文字を補完し、言葉にする。
「…結局、あの試験管の中身は彼女の血液だった…。
『Fe』は鉄…それは血液を意味し『鉄道株』の意味も持つ。
『0609』の数字は、おそらく採取した日、あの事件の後に
彼女が遺したものだと考えるのが正解だろう…。」
そうつぶやく鳴鐘に塞杖は聞いた。
「じゃあ、あの夢がとぎれてしまったのは…。」
鳴鐘はそれに対し、小さくうなずいてから答えた。
「…あれが『ぶうじゃむ』…いや『すなあく』の記憶だからだ。
だからこそ、彼女が襲われたときに記憶が飛んだ、何しろ
『鉄道株』である彼女の血液に触れ、原初に…変異体から
もとの『すなあく』に戻ってしまったからな。」
その言葉に、塞杖は思い出したかのように声を上げる。
「じゃあ…じゃあどうして白金あづねのときにも
あれほど騒ぎが大きくならなかったの?」
それに対し、鳴鐘は答える。
「…それは彼女が『鉄道株』直系の血筋を引いていたからだ。
ほら、あの家系図を覚えているか?
末端には白金あぎとの名があった。
…つまり、彼女の血が白金あづねにも流れていて、
それゆえに喰われた際に『ぶうじゃむ』の被害を知らず
知らずのうちに抑えられたというわけだ。」
「…そっか、善かれ悪しかれ彼女たちのおかげだったんだね。」
そうして、塞杖はほうっとしたように息を吐く。
「…でもさ、これからどうしよう。
これで本当に『ぶうじゃむ』はいなくなったのかな?」
それに対し、鳴鐘は首をふる。
「…わからない、ただもうこの街には
いないということだけは確かだ…。」
そして、二人はしばらく沈黙する。
郊外にあるためか、ふいに冷たい風が駆け抜けた。
それを感じてか、塞杖は少し身震いしてから鳴鐘を見る。
「…帰ろっか。ここにいても寒いし。」
鳴鐘もその言葉にうなずく。
「そうだな…なあ、塞杖。またいつものように事務所に寄っていくか。
…今日は自宅に帰っても寒いだろうから、ソファを使って寝ても良いぞ。」
その言葉に、塞杖はとたんに元気になった様子で鳴鐘の腕をつかむ。
「ホント!だったら今日の夕飯、やっくんが作って。
あたし、久しぶりにやっくんの作るオニオングラタン食べたい!」
「おまえな…。」
そして、鳴鐘はため息をついてから都心の方を見つめる。
…そこには日常があった。
街の明かりが煌煌とつき、人々が行き交い、歩き、ネオンが光り、
タクシーや帰りの車が道を走り、駅に電車が着く。
そのとき、肌寒い風が吹き上がり、
冷たい冬の風の匂いがした。
「…これが、本来の匂いなんだな。」
鳴鐘はそうつぶやく。
そして襟を立てると歩き出し…
…二人は、ビルの屋上をあとにした。
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