第1章「介護士、荒田希美」

                

(1)


「すみません、お話し出来る場所がここしかなくて…。」

そう言うと秋物のカジュアルな服装に身を包んだ髪の長い女性

荒田希美あらたのぞみは自分の鞄をにぎりしめる。


…そこはバス停。駅から少し離れているところにあるため閑散としている。

しかし、ベンチに座る荒田はひどく不安そうな表情をしていた。


「…まあ、大丈夫ですよ。こういうこともままありますから。」

そう言うと、男…探偵、鳴鐘矢付なるかねやづきはベンチの片隅に置いたトランクを見つめる。


…トランク内には外の音が漏れないようにスポンジがしきつめられおり、

中には介護職員用のジャケットと手袋、

「特別養護老人ホーム ニルバーナ」とプリントされたエコバッグ、

その傍らにはバスの音声の入ったテープレコーダーが今も再生されていた。


「…もう一度、伺いますが、このことに気づいたのはいつから?」

荒田は少し迷ったように視線を泳がせたが、静かに答える。


「二月ほど前…私の担当する女性…重度の痴呆の方だったんですが、

 彼女が、持っていた飲み物をかがんでいる私の首元にこぼしてしまったんです。

 …そのとき、衣服の首元だけ洗濯すれば大丈夫だと思って、スタッフの一人に

 声をかけて洗い場で汚れを落としたんですけれど…。」


そこで、彼女は言葉を切って少し唇を結んでからこう答える。


「そのあとすぐ、係長が私のもとにやってきて、こう答えたんです。

 『大丈夫かい?すぐに新しいジャケットを至急しよう。』…って。

 その後、慣れた様子で係長の手から新しい服が支給されて来たんですけど。

 そのとき、確かに『気をつけて。水に浸すと使えなくなる服もあるんだから』

 …って言われたんです…。」


「でも、変じゃないですか?私、今までいろんな施設回って来た口だから言える

 んですけど、介護職の服なんていくらでも汚れる要素があるんですよ。

 …でも、なんで洗っちゃいけないような服を支給するのかわからなくって。

 …にも関わらず支給されるものは基本盗難防止のために持ち帰りが原則で。

 ともかく、係長から代えのジャケットをいただいて…そのときでした。

 襟元に触れたときに変な感触がしたのは…。」


荒田は少し息を吸い込むと、こう続けた。


「最初、何かこう堅い感触があたったんです。異物のような。どこか四角くて…

 そのときデスクに座る係長が耳にイヤホンをしている事に気がついたんです。

 そう、あの右耳のイヤホンを!」


荒田はほとんど叫ぶようにそう言うと、慌てたように周囲を見渡した。


「…すみません。声を大きくしてしまって…ともかく係長が頻繁にイヤホンを

 していたことを前からおかしいと思っていたんです…。

 話によると週一の会議があってテープおこしをしているという事でしたが…。

 昼休みとかパソコンをつけていないにも関わらずしているときとかもあって、

 …何か、おかしいなとは思っていたんです。」


「…それで私、帰宅したときに、カッターを使ってそこを開いてみたんです。

 襟元の箇所を。そうしたらあったんです。四角く黒い機械のようなものが…。

 私、ぞっとして、すぐに警察に知らせようかと思ったんです。

 …でも、気づいたんです…支給されたものはもっとたくさんあったことを…。

 バッグとか、ベルトとか、もっとたくさん…それで…。」


彼女がそこまで話したところで、鳴鐘は口を開く。


「…そこであなたはネットで調べた私のアドレスに依頼のメールを送った。

 『施設で支給された服にいくつ盗聴器がしかけられているのか』と

 『それを仕掛けたのは誰なのか』という二つの調査を依頼した。」


その言葉に、荒田は大きくうなずく。

調査の期間は一週間。

彼女の合鍵を預かり探知機を使用して相手にバレないように探った。


「その結果、見つかったのは三つ、ひとつは先ほどのジャケットの襟元。

 もう一つは職員用の手袋の縫い口。そして最後は…。」


そう言うと、鳴鐘はベンチに置いたトランクを見る。

「…あなたが買い物に使っていた、ショッピングバッグの底布だった。」


その言葉に荒田はびくりと体をふるわせる。

正直、三つも見つかるとは思っていなかったのだろう。

鳴鐘は軽くとランクを叩くと話を続ける。


「…結論から言えば、この盗聴はターゲットを問わない典型的な愉快犯の

 ものだ。盗聴器は形状から察するに通販等で売られている一般的なタイプ。

 そして君の係長…玉串九条たまぐしきゅうじょうの動向を探らせてもらった結果、

 やはり彼が犯人で間違いないようだ。

 …そのとき、やや反則だが誤送を装い宅配便屋に変装して彼の部屋を覗かせ

 てもらったが、そのときの盗撮でいくつか興味深いものが写っていた…。」


そう言うと鳴鐘は二枚の写真を提示する。

それは高解像度で撮られた玉串の家の中とマンションの写真。

家の中の本棚には幾つもの人名の書かれたテープが並べられ、

奥には大きなアンプのような機器が写っている。

また、家の屋根には巨大なアンテナが張ってあり、

隣の家のアンテナとは明らかに形状も大きさも異なっていた。

 


「この聞きは通信の傍受の際の使われる事が多いものだ。

 それに部屋内のテープ、その文字の部分を拡大すると、

 君を含めた数名の女性の名前と日付が書かれていた。

 私は名前のあった事務の女性に写真を見せ、

 玉串の最近の動向を聞いてみたのだが…

 どうやら玉串は備品整理を積極的に引き受け、

 衣類などが置かれている倉庫にいくども

 足を運んでいたようだ。そして私は倉庫にカメラをしかけ…

 …この映像を入手した。」


鳴鐘はそう言うと、スマートフォンに入った一本の動画を見せる。

それは玉串が倉庫に入り、左右を見渡した後、すばやく袋に入った手袋を

入れ替える瞬間をとらえたものだった。


「…中を開けるとやはりというか、盗聴器が一つ入っていたよ。

 それもご丁寧に今までのと同機種でね…だが部外者である私が警察に通報

 するにはいささか信用が足りなくてね…だからこそ、君にお願いしたい。」


そう言うと、鳴鐘はトランクを軽く叩き、荒田に言った。


「これと、あの倉庫の映像を持って警察に行くんだ。

 そうしてここまでの玉串の不審な行動を話す、それでも信用出来ないなら、

 これを提出しなさい。」


そうして、鳴鐘がポケットから出したのは一つのテープ。

彼女の日付と名前の入ったテープだった。


「宅配屋として入ったときについでに拝借させてもらった。

 君はこれを玉串がポケットから落としたものだと証言してほしい。

 内容を聞けば君の生活を盗聴したものだとすぐにわかる。

 …無論、指紋がつくから私は聴いていないが…」


そして鳴鐘は腕時計を見つめ、ひとつうなずく。


「ふむ、三十分経過。

 録音されたバス内の雑音が、ちょうど終点真ん中あたりにきたころだ。

 そのあいだに君は証拠物件を持って警察に行くと良い。

 指紋は君と玉串のものしかついていないからばれることはない。

 請求書はメールで送ってあるから、

 後日、指定の口座に払っておいてくれ。」


そうして立ち上がる鳴鐘に荒田は言った。

「…あの!本当にありがとうございます!」


その言葉に鳴鐘はやってきたバスに乗り込み、こう答える。


「いや、客を取った以上、アフターサービスまできちんとするのがうちの

 モットーでね。客が、後腐れ無く終われるようにするのも仕事なんですよ…

 では、もう会う事が無いように…。」


…そうして、鳴鐘を載せたバスは走って行く。

鳴鐘がバスの席につくと、ぺこりと頭を下げた後、

近くの警察署へと歩いて行く荒田の姿が見えた。


…そう、物事は後腐れ無く終わるのが大事だ。

後に禍根を残すような仕事や生活にまた難が生じるようではいけない。


椅子に座り直すと、鳴鐘はまだ来たばかりのなじみのない町並みと

街路樹の銀杏並木を静かに見つめる。


そしてバスから降りて十分、鳴鐘は電車に乗り込むと都心まで移動し

途中の駅でスマホをいじる。やがて自分の口座に入金がされたメールを

確認すると、荒田の電話番号をはじめとし今回の件に関わる写真や動画を

すべて消していく。


「…荒田とか言ったかな?もう会う事も無いだろうな。」


無表情でそうつぶやくと鳴鐘は駅の近くにある事務所兼自宅にしている

オフィスビルに行き、五階のボタンを押す。


そうして、安堵のため息をつく鳴鐘を乗せたエレベーターは、

静かに上の階へと上昇して行った…。 

                  

(2)


…しかし、鳴鐘のカンは度々外れる…今回もそうらしい。

その一週間後、鳴鐘は再び荒田希美に会うことになる。


「一体、どうされましたか?」


 鳴鐘はそう言うと、事務所で向かいのソファに座る荒田に笑顔を向ける。

 しかしその内心は穏やかではない。


 …依頼人が再び来る。それは彼女から不安を取り除けなかったという事。

 …それはつまり、自分の責任…。

 基本、終わった依頼のデータは削除している。

 バックアップが無いために、もし依頼人が証拠の品を再び出してくれと

 行った場合、どうしようもない。


 そんな、内心焦る鳴鐘に気がつく様子も無く、荒田は言葉を続ける。


「…あの、実は前とは別件で、最近仕事で介護先の方が亡くなりまして

 …そのときにどうしても気になるものを見つけて…。それで…あの、

 これ、みていただけますか。」


 そう言うと、彼女はスマホをいじり一枚の画像を見せる。

 そこには、一枚の白い壁。

 真ん中にはひっかき傷がついている。

 …その傷を見て、鐘鳴はすぐに頭を切り替え眉をひそめる。


「す、な、あ、く…。『すなあく』と読めますね…で、この傷について

 何があったんでしょうか。」


 すると荒田は少し迷ったようだが意を決し、鳴鐘のほうを向く。


「…実は一昨日、私の担当していた痴呆の要介護3の男性が…

 二人亡くなりまして…といっても死因は心筋梗塞なのですが…。」


 そうして、彼女はバッグから老人の写真を出しながら話しを始める。


「名前は菜飯なめしさんと加賀かがさん。でも二人とも仲が良くて

 お互いのことを『革屋』とか『ほっかむり』とか、

 むかし彼らが働いていた場所に因んだあだ名で呼び合っていたんです。」


写真にはレザーキャップを被った男性とバンダナを巻いた男性が写っている。


「…菜飯さんは、輸入物の革製品を扱う店の経営者で、加賀さんは紺屋…

 …布や着物を売る店のお偉いさんだったんです。

 …あ、鳴鐘さんはそういうの知っていますか?

 …介護施設で働く方でも知らないひとが多いもので…。

 …ともかく、その二人が深夜の二時頃にホーム一階の娯楽室で死んでいる

 ところを私が見つけたんです。」


そこまで言うと、彼女の暗い顔がいっそう翳る。


「…見つけたときには、二人ともまるでバリケードみたいに窓に机や椅子を

 積み上げて、手にはスコップと杖を持って…死んでいたんです…。」


 そうして、言葉を切った荒田は悲しそうに目を伏せた。


「その日の宿直で、私が巡回していたんですけれど、

 他の人のお世話に時間がかかっちゃって、

 部屋に行ったら二人ともいなくなってて…。」


 そこまで言うと荒田の目に涙が浮かぶ。


「ほんの、十分程度だったんです。部屋に行く時間が遅れたのは。

 でも、行ったときにはすでにもぬけの殻で、机の上にメモがあって、

 下に行ってみたら二人とも死んでいて…。」


 そう言うと、荒田はぐずっぐずっと鼻を鳴らす。

 鳴鐘は近くにあるティッシュを手に取ると彼女に渡した。


「ありがどう、ございまず…。」


 そうして鼻をかんで少し落ち着いたのか、荒田は再び話を始める。


「信じられませんでした…たった二人のお年寄りが娯楽室の全机椅子を

 動かしてしまった事もショックでしたが、

 それ以上に二人の顔が土気色で冷たくなっていて…

 それで私、あわててスマホで救急車を呼ぼうとして…

 そして、気づいたんです。」


 壁に書かれた引っ掻き傷。

「すなあく」と書かれた文字に。


「…なんで、あんなことしたんでしょう…。

 …多分、気が動転していたんでしょうね。

 その傷を私、とっさにスマホで撮っていたんです。

 壁についた、スコップで書かれた文字を。」


「…そしてスコップを取って…壁についていた傷を…

 さらにひっかいて…私、壁を、傷だらけにしてしまったんです。」


 そこまで言うと、荒田は唇を震わせた。


「…なんで、なんであんなことしたのか…。

 そんなことよりも優先すべき事はたくさんあったのに、

 心臓マッサージとか、救急車をいち早く呼ぶとか、

 介護士として…いえ、人としてするべきことはあったのに…。」


 荒田はしゃくりあげると、再びティッシュを取り鼻をかんだ。


「…いえ、原因はわかっています…菜飯さんのメモ。

 …先程言いましたよね、机の上にメモがあったって…。

 それで私…たぶんそれでつい隠してしまったんだと思うんです。

 この紙に、ここに書かれた文字に…。」


 そうして、荒田は小さなビニール袋をバッグから取り出すと、

 事務所の机の上に置く。

 

 それを見た鳴鐘は小さく眉根を寄せた。


 それは一枚のメモ用紙。

 どこにでも置いてあるようなメモ用紙。

 そこには赤と黒の二重文字で殴り書きのようにこう書かれていた。


「匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う

 匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う

 匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う

 匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う

 匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う

 匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う

 匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う

 匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う

 匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う匂う」


埋め尽くされた文字。

赤と黒のおぞましい望みの羅列。

それを見て、鳴鐘は自分の背筋がうすら寒くなるのを感じた。


そうして、荒田は涙を拭うとこう言った。


「…私、なぜか確信したんです。

 私、このメモを隠さなきゃいけないって。

 壁の文字も消さなきゃいけないって…。

 バレたら懲戒免職とか、罰則を受けるとか、

 そんなことより、ともかくこの文字を、

 人の目に触れさせてはいけないって…。」


彼女の目は怯えている。

だがその瞳の奥には決意のようなものすら見えた。


「不思議な事に、今でも後悔していないんです。

 自分でも、内心驚いていて…でも、それでもいいんだって。

 あれで良かったんだって今でも思う自分がいて…。」


そして、その色はだんだんと困惑へと移り変わり…

やがてすがるような目で荒田は鐘鳴を見つめた。


「お願いです。お金はいくらでも払います…

 ですから、この二人のことを調べてくれませんか?

 本当にただの心筋梗塞だったのか調査してくれませんか?

 あの文字を撮った写真データも、メモもお渡しします。

 わかったら、警察にでも何でも行きますから…。」


そう言うと、荒田は再び嗚咽をもらし泣き始める。

その様子を鐘鳴はじっと見つめていた。


泣き続ける彼女を、さめざめと泣き続ける

今はおそらく彼女を…。


鳴鐘は、荒田にバレないように小さくため息をつく。

困った事に今までの彼女の言葉に嘘偽りは無いように見える。


…机に残されたメモ…

…壁に残された文字…

…それを書いた老人たちの死…

…そして『すなあく』という単語…


この依頼、引き受けるべきか、引き受けざるべきか、

鳴鐘はしばらく考えあぐね、そして…。

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