すなあく

化野生姜

プロローグ「革屋と紺屋」

暗がりの中、一人の老人が鼻をすんといわせる。


「…匂うな“革屋”…。」


そう言うと、頭部にバンダナを巻いた老人は前を見据える。


…机や椅子のバリケード。

窓一杯に積み上げられたそれらの奥に暗い木々が広がっている。


「…ああ、こちらに来るようだぞ“ほっかむり”」


相方なのか上等のレザーキャップを直した老人も前を見据えると

園芸用のスコップを握りしめる。


二人は白い壁を背につけ息をひそめる。

杖とスコップ、互いの武器を握りしめ、窓をにらむ。


…心もとないがそれしかない。

彼らのいる施設では武器らしい武器と言えるような道具を持つ事は

ゆるされなかった。


猟銃も、ましてや爪切り一本使うにも第三者の介助がいる。

そして、その介助者は監視員でもあった。


見回り、見つけ、仲間に知らせる。


…彼らに見つかる事は、自分たちの行動を制限される事に他ならない。

彼らの一人がいつここに来るかも分からない。


彼らは自分たちを見つけると、即座に取り囲み、

口を揃えてこう言うだろう。


それは幻だと。

あなたがたは夢を見ているのだと。

今起こっていること…そんなことはありえない。

彼らは異口同音にそう言うだろう。


年寄りにありがちなこと。

妄想の領域で起こるできごと。


…しかし、それは違う。

二人は自覚している。


例え、半ば呆けていようとも。

例え、目がかすれ、耳が遠くなろうとも。

今は違う。今だけは違う。

目の前で起きている、この出来事だけは…


…そう…まぎれようもない事実…。


「…なあ、“ほっかむり”。

 多少、音が鳴るかもしれんが一応伝言を残しておくぞ。」


そうして、レザーキャップの老人は後ろ手で壁に文字を刻みはじめる。

がりがりと部屋中に響きわたる音。

バンダナの老人はそれに対し、何も言わない。


それは、一見矛盾する行為。


監視の人間に見つかることを拒む彼らにとって

それは自分たちの居場所を知らせる行為でしかない。


…しかし、これは賭けでもあった。


自分たちが戦っているものを。

自分たちが今立ち向かっているものを。


この中の人間…たとえ監視の人間であってさえもこの事実を事実として

受け止めてもらいたいという想いが、そこには込められていた。


…そして十秒経ったころ

バンダナの老人が前を見据えると、大声で叫んだ。


「…こっちにくるぞ!」


「わかってる!」


そう言うと、二人はタイミングを合わせ、壁をけり、前へと飛び出す。

その勢いからか、彼らの着けている名札がはためく。

裏面に書かれているのは二人の名前と顔写真と…要介護3の表記。

表には「特別養護老人ホーム ニルバーナ」の大きな文字が踊っている。


…窓ガラスが、ひときわ大きく揺らぐ。

風もないのに、木々も窓も大きく揺れる。


…バリケードを作ったはずなのに。

机や椅子をくみ上げたはずなのに。


二人の老人は、歯を食いしばる。

それは恐怖によるもの。

今まで見た事の無いような存在に遭遇した際に見せる表情。


そして、勢いそのまま二人は窓へと突進して行き…


…後に残されたのは壁に書かれた四つの文字。

「すなあく」というひらがな。


その文字が誰かに読まれる頃、

二人の老人は、すでに息絶えていた…。

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