第6章「すなあく」

(1)


暗い木々のあいだを一同は歩く。

周囲は木々が密集し、日もささない。

足元は湿り気を帯びた石と苔に覆われ、

鳴鐘はすべる足元に注意しながら八飛に語りかけた。


「さっき、塞杖のせいで言いそびれたことがあったんだが、

 …聞いていいか?」


そうして、ひとかかえほどの大きな石をまたぐ。


「俺たちの調べた家…その中の物がほぼそのままの状態で残っていた。

 家具や、雑貨、服に至るまで…そっちが調べた時はどうだった?」


八飛は、うなずきもせずに安全靴で水を蹴る。


「…ああ、そうだ。俺たちも2、3軒別々に回ったが

 風化さえ除けば…ほぼそのままだった…。

 飯の茶碗がちゃぶ台の上に乗ったものまであってな。

 …この集落に入り込んだ悪ガキの仕業じゃなけりゃ、

 住んでいた人間は突然消えちまったと考えるべきか?」


「いや、それはないと思うが…。」


そうして、鳴鐘は周囲を見渡す。

いつしか周囲は木々に囲まれ、ひどく暗くなっていた。


浅く細い川の流れを無視して歩けば、

この森で永遠に迷ってしまうことは

必須のようにも思えた。


「…だとしたら、ぞっとしない話だ。」


そうして、鳴鐘は張り出していた枝を避けて歩く。

…正直、気分的に先ほどの村の気味悪さが拭えないでいた。


人っ子一人いない村。

生活感はそのままで住人だけが消えた村。


白金あぎとはあの村から出て行った人間のようだが、

そのときには果たしてどれほどの人間がいたのか…。


鳴鐘は、別荘で机の上に広げた家系図を思い出す。


…あそこの末端近くに書かれていた

人間の数はざっとみても50人弱。


確かにこの村に残っていた家の戸数から

換算するとちょうどそのくらいの数になる。


…しかし菜飯たちが現地に行ったときには

すでに二人しか人間は残っていないようだった。


そのあいだに何があったのか、

何を持って彼らはそこに住んでいたのか。


そんなことを考えているうちにいつしか周囲は

若木の密生する場所となっていた。


木々は似たような景色を生み出す。

水のおかげで上流は分かっているが、

ふとしたひょうしにどこまで歩けば

良いかわからなくなる錯覚を覚える。


そうして一行が木々を避けながら歩いていると、

ふいに目の前がいくぶんか開け、

人がかろうじて通れるだろうか…。


ツタに覆われたトンネルが姿を現した。


「すげえな。水はこっから流れてるみたいだぜ?」


気づけば、九条が石をくり抜いたであろうトンネルを指さし、

浅いながらも水が流れて来ている事を確認する。

それを見て塞杖も声を上げる。


「この石の材質…もしかして、これは防空壕かな。

 …そうだ!ちょっと、やっくん、写真!あの集合写真出して!」


そうして、塞杖が鳴鐘にねだり、

自分の背負っていたリュックの後ろポケットから

出した集合写真には、背景こそややぼけているものの

確かに近くにトンネルらしき穴の様子が見えていた。


「…この足元。ちょうど舗装されたみたいになってる。

 それに私達の足元も、同じような舗装の跡がある…!」


見れば、塞杖の言う通り、苔や石のあいだにわずかながら

均一の取れた石畳のあとがあった。


「…どうやら防空壕といい、この舗装具合といい、

 この中には何かあるようだな。」


そう言うと、八飛はヘルメットに取り付けた頭部のライトを点ける。


「…中に入るぞ。俺が先頭で殿しんがりは鳴鐘にまかせる。

 単独で水の深いところやはぐれて道がわからなくなる可能性も

 あるからな。念のため、腰のところを全員ロープ結んでおけ。」


そうして一行は、八飛、九条、塞杖、

そして鳴鐘の順で中へと入って行くことになった。


壁は湿り気をおび、いくぶんか苔やぬるりとしたカビが生えていた。


「ふえぇ〜、今なんか、壁のとこでビョンって跳ねた虫がいた〜。」


ライトを点けるとコオロギに似た何匹かの虫が飛び交い、

塞杖はそれを見て体をこわばらす。


「あー。たぶんそれカマドウマだ。気をつけないとこういう場合、

 ライトとかに刺激されて、天井とかに貼り付いているのが

 一気に飛び跳ねてくることがある。」


最後尾にいる鳴鐘は冷たくそう言い、塞杖は再び「ひいい」と

声を上げ頭に被ったヘルメットを深く被る。


そうして周囲を見渡した九条が苦言を漏らす。


「…つーかさ、何でこんなに入り口狭いのかね。

 防空壕なのはわかるにしても、こんだけ狭いと

 じいちゃんが猫車押して通るの無理じゃね?」


確かにこの狭さでは人ひとりがやっとこさ通れるくらいだ。

日記に出てきた猫車なんて通れるはずが無い。


…すると、先頭を歩く八飛がぽつりと言った。


「…別の出口があるのかもしれないな。

 確かにここが防空壕だとするのなら逃げ場を多く確保するために

 いくつもの出口をつくるのが定石だ。風のとおりも良いし、

 おそらくここ以外にもいくつかあるんだろう。」


そうして、そのまま八飛は歩いていったが、

ふいに2、3歩歩いたところで足を止めた。


「ん?どうした兄貴。」


思わず、後ろにいた九条が前を見る。

するとライトを前に向け、八飛は言った。


「行き止まり…いや、L字路だ。こっから数メートル先が

 壁になって右に曲がるようになっている。ちょっと行ってみよう…。」


そうして、一行はL字路に近づく。

すると、あと数メートルというところで塞杖が声を上げた。


「あ…あの川の源流って、ここから漏れだした水だったんだ。」


そして前に出てよく見ようとする塞杖を

鳴鐘は手綱を引くようにして引き戻す。


「あのな、うかつに動いてお前がこけたら皆に迷惑がかかるんだよ。

 …それにしても、こんな隙間から流れ出て、あの場所まで届くとは

 かなりの水量だな。」


それは、壁に横向きに入った亀裂。

高さはちょうど塞杖の腰ほどで隙間から流れる水は

音を立てて床へと落ちて行く、落ちた水は川を作り

トンネルの出口へと流れて行く。


「…でも、変だぜ?こういう湧き水ってのはもっと地下とかから

 くるはずだろ?壁から湧いてくるってどういうことだよ。」


そう、九条が疑問をぶつける鳴鐘はしばし考えこう言った。


「…もしかしたら、ここで壁にぶつかる事に意味があるのかも

 しれない。何しろ、ここに来るまでにあの死体から生えていた

 植物は一切見なかった。そう考えると流れて来た種はこの壁の

 向こう側からきたと考えるのが自然だ。」


その考えに対し、八飛も賛同する。


「…確かに、この周辺であの植物を栽培しているようなところも

 なかった。そう考えれば確かにそうなんだが…。」


そうして、八飛はひとことふたこと何か言おうと口を動かしたが、

やがてあきらめたようにため息をつくと先導するため歩き出す。


「…いや、これはあくまで推論だ。俺も実際に見るまでは

 話さない方が良いだろう。」


そうして、進もうとする八飛に九条がぽつりと

言ったのを塞杖は耳にする。


「…ったくよう、これだから黙りは困るぜ。

 これで言わなくて最悪の事態になったら

 誰がどう責任をとりゃいいんだか…。」


そして、一行は歩いて行く。

右の道へ、狭い通路へ。


周囲を満たしていた水は徐々に切れて行き、

次の角を曲がる頃には地面はすでに乾いたものへと変わっていた…。


(2)


一行はやや間隔の広くなったトンネルの中を歩いていた。

道は右へ左へといくつにも分かれ、行き止まりや迂回路にもいくつか遭遇し

その度に角の目印として鳴鐘が持っていたクギを打ち込むハメになった。


「…もう、随分と進んだね。ここ、どこだろう。」


そう、ぽつりと塞杖がつぶやくと、

九条が自分の腕時計を見て言った。


「なあに、正味30分程度だ。村からここまで30分、

 村から上にのぼるまで20分、そこから車で降りちまえば

 夕方頃には麓に着く。」


そう楽しげに言う九条に対し、逆に渋い顔をした鳴鐘は八飛に声をかけた。


「…ちょっと遅いかもしれないな。山はすぐに暗くなる。

 なあ、八飛さん。明日はあんたのお仲間も来るだろうし、

 ここで言ったん引き返すのはどうだろう。」


それに対し、八飛もうなずく。


「そうだな、今のところ道にも進展は無いようだし

 ここで帰った方がいいかもしれない。何しろ…。」


そうして言葉を続けようとした八飛が、突然固まる。


「…?どうした、八飛さん。」


その声に八飛は前を指さし、こう言った。


「…いや、今一瞬だけ明かりが見えた気が。

 …頼む、あと少しだけこの先に行かせてくれ。」


そうして数メートルも無い角の向うへと一行はやや急ぎ足で前へと進む。


そこから先は坂道のようになっており

鳴鐘は一瞬もつれかける足を必死に戻す。


そして、角を曲がった瞬間、鳴鐘は信じられないものを見た。


…そこは、何かの実験を行う場所のように見えた。

通路のような場所、そこにところ狭しと机と棚が並べられ、

本やビーカー、試験管やフラスコ等が並べられている。


「…なんだ、ここは…。」


気がつくと、いつしか八飛は縄を外しており、

周囲の棚へと歩いていた。


それを見て慌てたように九条も縄を外し、

鳴鐘もそれに習うかのように注意をしつつ自分の縄を外すと、

塞杖の縄も外し、周囲をゆっくりと見て回るにした。


…不思議な事に、机の上と棚の本はうっすらとしみは

残っているものの保存状態は良好のように思えた。


「なんだ、これ『食糧難の解消』『形質の変化』

 なんでこんな場所にこんな本があるんだよ?」


そう言いつつも九条は半ば楽しげに本の裏表紙を眺め、

奥へ奥へと進んで行く。


鳴鐘たちの近くにある机の上には何本かの並べられた試験管があった。

そのどれにも『Fe1012』や『Fe0816』などと書かれ、赤黒い液体の

入ったそれは、一部は机の上で破損したり一部栓が抜かれた形跡が

残っているものの、大まかな数はそろっているように見えた。


そして、その一本に塞杖が手を触れようとした時、

ふいに奥のほうから九条の叫び声が聞こえた。


「…おい!おい!何だよこれ、早く!早く来てくれ…!」


「どうしたの九条!何があったの!」


一番先に動いたのは塞杖で、鳴鐘もあとに続く。


そのとき一瞬だけ鳴鐘は見た。

八飛が模造品の銃を机の引き出しにしまい込み、

手を引き抜いたところを。


そして、その中にしまわれていたであろう古めかしい

リボルバーとそれに付属する弾丸を確認すると、

すばやく装填し、腰に着けたホルスターに入れるのを…。


しかし鳴鐘はすでに八飛に問う間も無く走り出していた。

そして通路に張られていたであろう、

幾重にも張られ、半ば破けたビニールをくぐる。


…そう、今はそんなことに構っている暇はない。

九条の叫びのもとが何なのか知らないと…。


そしてその先を見て鳴鐘は息を飲んだ。


…そこは水の溜まった広い空間であった。


周囲は広くドーム状にくり抜かれ、そこだけ見れば

まるで大きな石造りのホールの中に入ってしまった

かのような錯覚さえ覚える。


しかし、それは下を見るまでだった。

…それは浅い水の中に浮かぶ人間の死体。


半ば水に崩れ、

白く変色した、

男女も分からぬような残骸が十数体、

水の上に転がされている。


…しかし、それだけではなかった。


仰向けにされた死体。

その口から、何かがぞろりと生えていた。

青っぽい匂いをさせたそれ。

その正体を認めたとき、

鳴鐘は思わず2、3歩後ろに引く。


「う…おえ…。」


気がつけば、鳴鐘の横で九条が嘔吐いていた。

無理もない。自分たちはその植物を探していた。

しかし、こんな形で遭うとは思っていなかった。


…それは、ホウレンソウに似た植物。

それが遺体の口から…そう、全ての遺体の口から

ぞろりと生え、口元を覆っていた。


遺体で育った植物。

浅い水の中、遺体の口から生える植物…。


塞杖も恐怖のためか顔を青くし、2、3歩後ろに下がる。


水は湧き水なのか、死体の浮かぶ中心部から出ているようだったが、

嫌悪感が先に立ち、とっさに鳴鐘は隣の塞杖の方を見て…気づく。


…そう、なぜわからなかったのだろう。


塞杖のいる壁には亀裂が入っていた。


…おそらく、外に漏れだした水と種はそこから出た。

それは、高低差があるからこそ起きる現象。

そして水は川となり、あの場所に…

…遭難者の遺体の倒れるあの場所へと流れ込んだのだ。


鳴鐘は吐きそうになるのを必死に堪える。


だからこそ、あの遺体からはこの植物が生えた。

何も間違ってはいない、間違ってはいないが…。


…こんなおぞましいことがあっていいのか…?


鳴鐘の足はすでに震えていた。

この場所に、この栽培場ともいえる。

死体だらけの場所に。


…今も機能しているのか?

…でも、なんで?

…誰が、何の目的で?


そうして、その答えを探ろうと、誰かに助言を求めようと、

鳴鐘は首を動かし、今しがたここに来た八飛の方を見る。


しかし、八飛はその視線には気づかず、ただぽつりと言った。


「…ああ、『せっけん』。

 …これは死体からできる『石鹸』なんだ。」


その途端、鳴鐘の中であるうたがこだました。


『彼らは指ぬきと注意で探した。

 彼らはフォークと希望で追い立てた。

 彼らは鉄道株で命を脅した…


…それは詩。『スナーク狩り』に出て来る詩。

そして、その先。その先が重要だった。


 彼らはで魅惑した。』


鳴鐘は、グラリと世界がゆがむような感覚に陥り、

必死に体勢を立て直す。


…こんなことがあっていいはずがない。

…こんなものを信じる事自体、間違っている。

…間違っている、間違っている。


…はずなのに。


『それ』は、すでに匂っていた。


「あ…あの匂い。やっくん…これだよ。この、匂い…。」


そうして、ふらふらと前に出ようとする塞杖を

必死に押しとどめた鳴鐘は前を見る。


『それ』がやってくるのは気配でわかった。

匂いが、だんだんと強くなる。


奥の方から、少しずつ、少しずつ、

『それ』は近づいて来る。


そうして、鳴鐘たちの先。

一番近くの死体の方へと向かうと

『それ』の匂いはいっそう強くなり…。


「ひいっ」


塞杖は悲鳴をあげ、鳴鐘にしがみつく。

しかし鳴鐘も動けない。いや、動く事ができない。


…死体が、削れていく。

血も流さず、体液も出ずに。


頬が、筋肉が、口が、頭部が、骨が、

えぐれ、えぐれ、えぐれ、えぐれ、

際限なく、どこまでも、へこむように、

壊れ、崩れ、そして…。


次の瞬間、パンッという軽い音がしたかと思うと

びちゃりと水が跳ね、まだその空間に銃口を向け

リボルバーを握りしめた八飛が叫んだ。


「急げ、今すぐ塞杖さんとそこの倒れてる

 ウドの大木を連れて逃げろ。ここは俺が食い止める…!」


その瞬間、腕が軽くなる。見れば、塞杖が駆け寄り、

すぐそばで水辺に崩れ落ちた九条を引き上げている。


「やっくん、行こう。」


鳴鐘も慌てたように九条を背中におぶい、

先ほどの道を引き返す。


そして、崩れかけたビニールのところまで行き、

振り返りごしに八飛に叫ぶ。


「八飛、俺たちは先に行く!お前もこっちに来い!」


八飛は何も言わない。しかし代わりにもう一発銃を撃ち、

それに弾かれるようにして鳴鐘と塞杖は失神した九条を

引きずって走る。


長い廊下を進み、実験室のような廊下を進み、通路を通る。

二人と一人は走り、目印を読み、再び走る。


九条を背中におぶい、

塞杖の手を引いた鳴鐘の額から汗が流れていた。

しかし、それに構っている余裕は無い。


何しろ、あの場所には化け物がいた。

人の死体を貪り喰う、化け物がいた。

今は生きねば、生きて、ここから出なければ…!


いつしか耳には水の音が聞こえていた。

それは、あの壁から流れる音で間違いなかった。


そうして、鳴鐘は角を曲がる。

行きと反対に左を曲がる…そして…。


…鳴鐘は息を切らし、トンネルの外へと出た。


時刻はすでに夕暮れ時になっていたのか、

周囲の森が赤く染まっている。


…出口…そうだ、八飛。八飛は…。


そうして半ば九条を背中から降ろし、

塞杖から手を放し、後ろを見る。


…そのときトンネルの奥の方から何かがやってくるのが見えた。

それは、ややふらつく足取りながらも必死に体勢を立て直し

こちらに向かって来ていた。


彼は、片手にピストルを、片手にリュックサックを

重そうに持ちこちらにやってきた。


そしてこちらの姿を認めると、疲れた様子でこう言った。


「…何とかここまで追いついた。

 早くしないと日が暮れる。車まで…戻るぞ。」


鳴鐘はそれにうなずくと再びぬかる道を走り出す。

二人と二人、四人の逃亡。

その後を追うものは誰もいないように思えた…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る