「捜査官、玉串八飛(後編)」

(1)


…鳴鐘は、線の細い見るからに優男だった。


その隣で驚きつつもこちらを見る年若い女性…

…フリージャーナリストの塞杖海狸は片手に一枚の写真を持ち、

元々色の白い顔をさらに白くしその場に固まっている。


彼らが菜飯の日記を読んでここに来た事は明白であり、

八飛は自分の警察という立場を利用すれば、このまま彼らを

不法侵入の罪で捕まえることができることはわかっていた。


…しかし、それをしなかったのは彼らの前で警察の名を出し

この場について怪しまれたくなかったというのが一つ。


そして二人の持つ書類を含めた別荘の証拠物件を押収し、

弟とともに調査を行いたいというのがもう一つの理由だった。


…だからこそ、ここで別荘の管理者を装い二人を追い出せれば

首尾よく事は運べる…八飛はそう計算していた。


見れば、二人とも怯え、黙り込んでいるとはいえ、

八飛の言う事に不審がっている様子は無い。


…よし、あと一押し…。


そうして、八飛がもう一度声をかけようとした時だった。


「…悪いねえ、探偵さん。

 俺の兄貴…八飛警部が迷惑かけちまったようで。」


見れば、自分の弟、九条がドアにもたれかかり、

ひらひらと手を振って笑っている。


「ちょっと兄貴は警戒心が強くてさ。

 調査中に変な奴が入っていたからって

 モデルガン持ち出しちまったんだ。

 ま、休暇中の刑事の遊びだと思ってくれ。」


そうして2、3歩進むと八飛の手からひょいとモデルガンを

取り上げ、そのまま確認させるように鳴鐘へと手渡す。


「…え?双子?」


突然同じ顔をした二人の人間にとまどったのか、塞杖が声を上げた。

そのとき鳴鐘は顔をこちらに向け、八飛と九条の顔をとっくり眺め、

眉をひそめると銃を返しつつ、切り返す。


「玉串九条…そうか、お前に刑事の兄がいることは調査で知っていたが、

 …どうやら偶然俺たちを見つけて別荘に来た訳じゃあ無さそうだな。」


それに対し、九条は受け取りつつも、ふふんと笑う。


「ご明察。ちょいとこの別荘の持ち主に気になる点があってな。」


八飛はそれを聞き、ため息をつく。


…これでは何の意味も無い。

全てを自白しているも同然じゃないか。


そして八飛は弟の顔を見る。


…おそらく弟は気づいていたのだろう。

自分がこの二人に調査を止めさせようとしていた事に。

自分が独自でこの別荘を調査しようとしていた事に。


そして、同時に奴は考えた。

それでは情報が足りないと。

こちらだけでは人手不足かもしれないと。


そして思ったのだろう。

彼らに協力をあおごうと。

すでにいくぶんか調査をしている彼らから情報を得ようと

奴はそう考えたのだろう。


そこまで考えたところで、八飛は頭を横に振る。


…でもなあ、それは危ない考え方…一般人を巻き込むやり方だ。

俺だったら…そんなリスクを負うようなまねはまずしない…。


だいいち、万が一のことがあったらどうする?

保障は?安全は?

俺が倒れてしまうような事態になった場合、

誰がおまえらを助けるというんだ?


…だが、こうなっては仕方が無い。

情報は開示され、素性はバレてしまった。

こうなれば、互いに身分を明かすほか無い。


そして八飛は懐から出した警察手帳を開き、自ら言う。


「…そうだ、私は捜査一課の玉串八飛警部だ。

 といっても本日は休暇中でな。山に入っている最中に

 不審な車を見つけたもので後をつけさせてもらった。

 …これを通報するならしても良いが…どうする?」


そうして、八飛は鳴鐘のほうをみる。


…しばし、沈黙が流れた。


鳴鐘は何かしら考え込んでいるように見える。


…それもそうだろう。

目の前にいるのは自分が数週間前にブタ箱にぶち込んだ男。

そしてモデルガンとはいえ、脅しに武器を使う警部。

…俺たちを怪しまないわけはない。


そして、いつでも通報される覚悟で八飛が待っていると、

やがて鳴鐘は顔を上げ、用心深そうにこう言った。


「…いや、通報はしない。俺たちも黙って人の家に

 侵入したことには変わりないからな。」


鳴鐘は、八飛と九条の目を見る。


「かわりに、その調査に俺たちも混ぜてくれないか。

 俺は、探偵の鳴鐘矢付。こっちはフリージャーナリストの塞杖海狸。

 …俺たちは、別荘の元の持ち主が介護施設で発生する老人の怪死に

 絡んでいると考え調査をしていた。実際、資料も見つけている。

 それを提供するから協力させてくれ…。

 何も悪い話じゃないだろ?刑事さん…いや玉串八飛さん。」


それを聞き、八飛はため息をついた。

それは八飛が鳴鐘がおそらく言うであろうと

予想していたそのままの言葉であった。


見れば、弟はしれっとした顔をして天井を見つめている。


…こいつ、本当にわかってやっているのか?

一般市民を巻き込む事になるんだぞ?


そうして八飛は口をひらき、

もはや定型句とも言えるような台詞でこう言った。


「…わかった。じゃあその情報とやらをもらおう。

 こちらもできうる限り協力はするつもりだ。」


そして、ほんの少し目を細め、言葉を続ける。


「…ただ、これから先、何があるか分からない。

 だから、君たちの行動はこちらからある程度

 制限させてもらうと思ってくれ…いいな?」


そして「これでいいだろ?」と言わんばかりに

八飛は九条をにらみつける。


…正直、こういうほかなかった。

何しろこちらは刑事だとばれないようにしたせいで結果として

脅迫罪を犯してしまっているし、向うは向うで不法侵入を犯している。


そう考えれば、この先、調査なんか後回しにした告発合戦で

不毛な争いをするよりも、お互いに協力してしまうほうが

てっとり早く事が解決するのも確かなことであった。


そうして八飛は肩をすくめると懐からタブレットを取り出す。


…情報開示は弟に話した分でいいだろう。

警視総監の話は無しにして…鳳来の話はまあしてやってもいいかな…。


そうして二人に説明をしつつ、

八飛は気楽な様子を装いながら周囲を観察する。


…そこは別荘の中でも本の多い部屋だった。

だが、書斎と呼ぶにしてはいささか本が足りないような気もする。

見れば、本棚にはいくぶんか抜けもあり、何冊かの本が棚の中で

横になった状態で放置されている。

話をしつつも八飛は抜け目無く棚を見渡す。


…本か幾分か抜き取られている。どこか不自然だ。

ホコリのつもり具合からいって床に落ちた訳でもない。

もしや…自分に関係したを資料を隠す為か?


そうして八飛は視線を巡らし…ある一点を見つめる。


それは書斎の奥に設置された暖炉。

古めかしい、柵のついた華美な装飾もまったくない、れんが造りの暖炉。

そこにわずかに灰が溜まっている。


…菜飯の日記は夏の話。こいつを使うとは考えられない…とすると。


「お二人さん、ちょっと失礼。」


八飛は話を中断すると近くにあった火掻き棒を持ち、

軽く灰の中を探る。


「む…あったな。」


そうしていくらも探さないうちに

八飛は目当てのものを見つける。


…それは、燃え残った紙片の束。

炭化したそれは端のほうしか残らず、わずかな文字も読めなくなっている。


…白金あぎとの仕業と見て間違いないな。

奴はやはり資料をいくつか持っていて、

入院前にある程度始末したとみえる…。


そして八飛は、立ち上がると暖炉脇に火掻き棒を戻そうとする。


しかし、そのとき気がついた。

書類の端にこう書かれた文がある事に。


『…「フォーク」…枝道、分岐点の意…』


それはどこかから引用されたものか、

紙の上に鉛筆で殴り書きがされている。


「フォーク…分岐点…ねえ、」


それを静かにつぶやくと、

八飛は新たな証拠物件が見つかった事を説明するために立ち上がる。


…確かにここからは分岐点なのかもしれないな。

ここで俺が捜査をあきらめ、こいつらごと街に帰るべきか。

それとも更に深入りして戻れないかもしれない道を歩むか。

八飛は熟考しつつも説明をする。


二つに一つ。

しかしそこに三つ目の選択肢は無いように思えた…。


(2)


「…でもさ、結局この写真、何なんだろうね?」


そう言うと、塞杖は八飛に指定されたとおり会議と称した

報告会で屋外にあったテーブルの上に件の書斎で見つけた

写真を置いた。


そこには相変わらず9人の男性と1人の少女が写っており、

表の方は特に変わったようすは見られない。


九条はその写真を手に撮ると裏返し、

そこに書かれた文字を口に出す。


「…『鉄道株、…は全てを原初にもどす』か。

 『…』の部分が良く読めないが、

 誰か、この文章の意味わかるやついるか?」


そう言いながらまわりをみわたすも、

鳴鐘を除く誰もが首を横に振る。


鳴鐘も同じように文をじっと見つめていたが、やがて首をふると

手に抱えた大量の書類の詰まった本を机に置いた。


「…意味は俺もわからない。

 でも、俺が探した本の中にがはさまっていた。

 もしかしたら、何かしらのヒントになるかもしれない…。」


中には大量の数式や記号などが書かれたメモや紙片が挟まっており、

鳴鐘はその書類束の中から一枚の紙を取り出すと机の上に広げてみせる。


…それは人の名前が樹木のようにはり巡らされた図であった。


「いわゆる、家系図って奴だ。」


鳴鐘が指摘した通り、表題はだいぶかすれ断片的にしか見えないものの

「…村、周辺家系図」とかろうじて読むことができる。


「…ほら、この先端。一番下のところに「あぎと」の名前がある。

 逆に一番上には麦西有子むぎにし ゆうこと呼ばれる女性の名が

 頂点になっていて、そこから枝分かれがはじまったようだ…。」


そして鳴鐘は女性名をいくつか指さす。


「…さらに、この図を見て行くとわかることだが、

 女性名のほとんどに『金編』の字が使われる事が多い。

 …これは断定はできないが、『鉄道株』というのは

 単なる記号だけではなく、あの村の中で何か特別な

 意味合いがあるかもしれないな…。」


すると、八飛は組んでいた腕をほどいて頭を振る。


「『意味合い』ねえ…それを言うなら菜飯の書いた

 『すなあく』や『ぶうじゃむ』という言葉も

 随分意味ありげなものだと思うがな…。」


すると、それを受けてか九条がパチパチとタブレットを叩いて

菜飯の日記に目を通す。


「ああ、確かに変わった言葉が多い。

 『すなあく』に『ぶうじゃむ』『指ぬき』に『せっけん』

 まるで隠語のオンパレードだ。」


そうして、意味ありげなニタニタ笑いをしてみせるが、

八飛はそんな弟に対し、さらに掘り進んだ考えを提示する。


「…いや、話の中には旧日本軍時代の勲章や軍服が出て来ているし、

 集落が閉鎖的な環境だったとも考えられる。おそらく戦時中の思想が

 未だに村の中にあったのかもしれないし、だからこそ、外部の人間に

 漏れないよう村の中でしか伝わらない暗号めいた言葉が発生したと

 考えるのが妥当かと…。」


と、そこまで考えたところで八飛は気がつく。


戦時中の思想?

なぜだ?だってこの話は20年前のものだぞ。

とっくに戦争なんて終わっているはずだ。

なぜ今更になってこんな未開の地のような村が残っているんだ。


以前の八飛なら菜飯の書いた日記を空想の産物だと言って

笑い飛ばす事もできた。


しかし実際別荘に行き、研究者たちの写真や白金あぎとの

所有していた家系図を目にしたことで、どうもこの事態は

笑い事ではすませない何かがあるような気もしてきていた。


行政は何をしていた?

集落同士に何の繋がりもないなんておかしいだろ?


そして、八飛は思い出す。

先代の警視総監の話を思い出す。

『先生』と呼ばれた政治家の話を思い出す。


『あそこには人はいない。もしいたとしても、彼らは戸籍に入ってはいない。

 あの場所は、人の立ち入れる場所ではないのだから…。』


『…何も無い。あったとしても我々にできる事は何一つ無い。

 あの場所は自然だ。自然の掟の中にあるべき場所なんだ。』


戸籍に入れられない住人。

過去の軍事介入がほのめかされているにも関わらず自然と呼ぶ理由。


…なんなんだ?あの集落に何があるというんだ?


不審に思ったそのとき、

ふと家系図の上に記載されていた…村の文字に目が吸い寄せられる。


八飛は九条の持つタブレットを取り上げると

ネットから地図を読み込みだす。


そんなはずはない。


タブレットは地図を読み込む。

この山の地図を読み込む。

それを拡大し、八飛は周囲を探す。


拡大、移動、拡大、移動、拡大、移動、拡大、移動

拡大、移動、拡大、移動、拡大、移動、拡大、移動

拡大、移動、拡大、移動、拡大、移動、拡大、移動…。


だが見つからない。

八飛はもう一度家系図を見つめる。

白金あぎとが残したと思われる家系図の上、

うっすらとわずかに見える漢字を見つめる。


しかし、その漢字が見つからない。

…山のどこを探しても村の名前が見つからない。


そうして八飛はそこに書かれた漢字とタブレットを交互に見つめ…。


「…どうか、しましたか?」


気がつくと、八飛の顔を塞杖が覗き込んでいた。

その顔には不安が浮かび、八飛が何か言うのを待っているようにも見える。


八飛はそれに答えようと口をひらき…。

やがて、首をふってこう言った。


「いいや、何でも無い…ともかく、これ以上何も見つからないようだったら

 現地に行った方がいいかもしれないな。」


そうしてタブレットを消すと、自身の抱いた不安を払拭するかのように

八飛は先陣を切り、歩きだした…。


(3)


「…兄貴、俺思うんだけど兄貴はちょっと

 気負い過ぎなとこがあるように思えるんだよな。」


九条の言葉に八飛は何も言わずにハンドルを切る。


…車は、再び山道を登っていた。

しかし今度の道は狭く、足元は砂利道のため

何度も大きくバウンドする。


「さっきも何か見つけたんだろ?地図を一生懸命見てさ。

 でも俺たちにはそこんところは話してくんねえ…。

 情報の開示も全部じゃねえ。限定的なものしか出さねえ。

 それじゃあ何にもわかんねえよ。

 …市民の公僕だかなんだかしんねえが、

 守秘義務にもほどがあるぜ。なあ…聞いてんのか?兄貴?」


九条と八飛の服装は…鳴鐘たちも同じように用意していたが…

寒さ対策のパーカーに安全靴という出で立ちで、

後部座席にはライト付きのヘルメットとロープ、救急箱や

サバイバルナイフが入ったリュックサックが積み込まれている。


バックミラーを見ると自分たちの道をなぞるようにして

鳴鐘たちの車がついてきているのが見えた。


…それは庭を散策しているときに塞杖が見つけた裏道。


幅はちょうどワゴン車一台分ほどあり、落ち葉をのけると

大分雨で流れている物のわずかなタイヤ痕が見つかったことから

これが件の集落に続く道である事は容易に予想ができた。


…だが、それ以上の情報は別荘の中では見つけられなかった。


フロントガラスに一本の木の枝がぶつかり、八飛はしかめっ面をする。


暖炉にはあのメモ以外にもわずかに灰が残っており

そこに何か書かれている可能性もあったが

判読するには科研の協力が必要なのは目に見えていて、

あまりそちらに顔が広くない八飛としては勘弁願いたい

ものだと考えていた。


…だいいち、そんなことをしたら今日の俺たちの悪行が

周囲に筒抜けになっちまう…まあ、もとより警視総監や

件の先生には俺の行動が知られている可能性が高い

だろうがな…。


そんなことを考えていると、ふいに視界が開ける。

八飛は反射でブレーキをかけ、車を止めた。


「…どうやら、ここのようだな。」


…ゆるい斜面を下った先にあるやや広い窪地。


そこは暗い木々に囲われた小さな集落のように見えた。

いくつもの家らしき茅葺き屋根が背の高い草のあいだに

埋もれるようにして建っており、廃村色が濃く見える。


車から降りてまわりを見渡してみると、

おそらく遠い昔に繋がれていたであろう鎖や看板もあり、

そこに結ばれた、もはや形すらわからなくなりかけた

リボンのような布の残骸も発見した。


…ここで間違いないようだな。

これが、菜飯の見た光景。

悪夢のような体験をした集落とその境界線…。


八飛は車を降りるときに脇に抱えていたタブレットを起動し、

この場所の位置情報を探ろうとする。


しかし電波状況が悪いのか、

画面には『接続エラー』とそっけない文字が表示がされた。


「…ま、大体予想はついていたがな。」


そうしてちらりと後ろを見ると

ちょうど、鳴鐘たちの乗る後続車がやってきたのが見えた。


八飛はタブレットを操作すると、画面を消す。

そして鳴鐘たちと村のどこへ行くかを話し合うため、

車から離れることにした…。


(4)


…それから10分後。


「…ここかあ、本当に人がいる気配ないね。

 あ、トンボがいる。」


そう言いつつ、塞杖はグシャグシャと安全靴で草を踏み分け

ながら家の近くを歩いて行く。


民家の周辺は周りは塞杖の膝丈と大差ないほどの雑草に覆われ、

壁には色の変わったツタや苔が大部分を覆っていた。


「うげ、歩けば歩くほどバッタとか変な虫が飛びついて来るよ。

 やっくん、この場所ヤダ〜。」


そうして自分に近づく塞杖をすっと避けると、八飛とチャンネルを

合わせた無線機を持つ鳴鐘はひとつため息をついてみせる。


「だったら車に戻っていろよ。これからもっと訳の分かんない虫に

 あうかもしれないだろ?」


すると塞杖は鳴鐘の方を見て半べそで言う。


「ヤダ〜。だってやっくんと別々になったら

 あの九条とか言う変態がこっちにくるかもしんないじゃん。

 もしもの事があったらどう責任とってくれるのさぁ。」


それに対し、鳴鐘は頭をふると近くの民家へと歩いて行く。


「誰がお前なんかを…。それに、アイツは兄のほうよりは

 まともな人間だと思うぞ。」


「?」


その言葉に、塞杖は軽く首を傾げる。そうして草むらをかきわけて

いるとひび割れたコンクリートから幾分か雑草が生えているものの、

昭和風のレトロな玄関が鳴鐘たちを迎え入れた。


「さっき俺たち八飛に脅されたろ?

 …たぶんアイツは俺たちをあの別荘から追い出して、

 自分でこの事件について捜査しようと考えていた。

 そこまでは何となくわかるな?」


「うん。」


枯れたツタのからまる戸の立て付けは悪く、

二人で力を入れて引っぱる事でようやく開けることができた。


「…でもな、そうなると何であの場所に弟の九条までいたのか

 なおかつ、どうして俺たちを仲間に入れようとしたのか説明が

 つかないんだよ。何しろ、アイツをブタ箱にぶち込んだのは

 他でもないなんだからな。

 …恨んでいてもおかしくはないのに。」


塞杖はフンフンとうなずきながら土足で上がりかまちを上がる。

隙間から鳥が入りこんだのか、雑草の生えた畳の上には糞が点々と落ち、

老朽化が進み過ぎたのか、すでに天井の何枚かは落ちてしまっていた。


「…気をつけろよ。ここはあの別荘よりも保存状態が最悪だ。

 大分自然に戻っちまってる。」


そうして、抜けない床を慎重に探しながらも鳴鐘は話を続ける。


「まあ、考えられるのは保釈金を積んで出してもらったって言う線。

 それなら叱り途中で俺たちを見つけて、追っかけて来たってのが

 まともな話なんだが…どうも兄の対応を見ると甘い気がする。」


鳴鐘はそう言うと、もはや木枠だけになった障子をがたがたと開ける。


「…そして、俺たちに説明する手際が良かった事から、

 この事件について随分前から調べていた可能性が高い。」


見れば、和室も大分風化が進んでいたが、

タンスや棚はそのままの形で残されている。


「だから多分、施設で俺が見つけた盗聴器。

 あれは調査のために弟に仕掛けるように

 兄が頼んだ可能性が高いのさ…。」


そう言って、鳴鐘は慎重に抜けた畳のあいだをぬって歩いて行く。


「え?九条が潜入捜査してたってこと?でもバイトとかじゃなく

 係長の身分じゃなかったっけ、九条って。」


「…そんなもんは経歴の詐称と上へのコネでどうにでもなる。

 しかも、そういう軽犯罪なら兄が刑事だからもみ消し可能だ。」


そうして部屋の端までたどり着いた鳴鐘は、

まだ状態の良いタンスを見つけるとそこを開け、

カビと虫によってボロボロにされた女性物の着物を見つける。


「問題は兄の方が調査に対し直情的でしかも未だに

 何かを隠してるとこなんだが…にしても妙だな。

 確かに風化しているとはいえ、なんだか住人が

 夜逃げしたようなありさまだ。

 …あんまりしたくないが、無線で連絡してみよう。

 もしもし…?」


そして鳴鐘が通話をしている時だ。

塞杖はふと妙な感覚を覚え顔をあげた。


それは匂い。

何かの匂いが遠くから漂って来る匂い。


どこかで嗅いだ事のあるような。

記憶の奥底のような、でも近しいときに嗅いだ事のあるような匂い。


…なんだろう、これ。


いつしか塞杖は歩き出す。

匂いの元をたどるようにして。

廊下を曲がり、奥のほうへ、

そして、勝手口へと続くかまどの残る台所の方へと向かう。


いつしか足元にはカビが多くなり、苔の姿が目立っていた。

しかし、塞杖の足は止まらない。


匂いはだんだんと強くなる。

空気は湿り気をおび、青っぽい匂いも混じり、

足元が水を吸った苔を踏もうとも、もはや塞杖は構わなかった。


とにかく匂いの元をたどりたかった。

その先で、何をしたいわからずとも進んでいた。


そうして、匂いの根源が勝手口の向こうと知り、

ガシャガシャと左右に動かし、引き戸を開ける。


…そこは、湿地帯のようになっていた。

暗い木々に囲まれ、地面には川の水が溢れたのか大きな石と

ぬかるむような水たまりがいくつもできていた。

そして、苔の群れが石の上を覆うようにして生えている。


…そのとき、匂いがいっそう強くなる。

そしてそれが足元からするとわかり、塞杖は下を見て…


次の瞬間、塞杖は大きく息を吸い込み

周囲に響くような悲鳴をあげた。


そこには死体があった。

白く、湿地の水の中でふやけかけた死体。


ややうつむいた顔の原型はほとんどなく、チェックの服に

ジーンズ姿であり、男とも女とも判別しがたいその姿が

水の中に半ば沈みながら横たわっている。


匂いはすでに消えかけている。

かわりに、下から腐臭が漂ってくる。

肉の、腐った匂い。酸っぱいような、甘ったるい匂い…。

そして、今にも腰が抜けそうになった塞杖の隣から…声がした。


「…バックパッカーの成れの果てか。惨いもんだな。」


気がつくと、ハンカチを鼻にあてた鳴鐘が隣に立っている。

その横では八飛と九条も同じようにハンカチを鼻に当て

死体を眺めており、八飛は軽く塞杖をどかすと死体に近寄った。


「死後数週間ってとこか。…にしても虫もついてないとなると

 ちょっと妙だな…失礼。」


そうして、近くの木から太い枝を折ると、

手慣れたように遺体をひっくり返し、八飛は首を傾げる。


「…?なんだ、この植物。ホウレンソウの仲間にも似ているが、

 普通こんなとこには生えないな。」


それを見て、塞杖はウッと口元を押さえる。


…今まで横を向いていたからわからなかったが、

仰向けになった今なら分かる。


死体の口から、ぞろりと植物が生えていた。


青菜にも似たそれは死体の喉元に根を張っているらしく、

それを棒で突いて確認した八飛はため息をついてみせた。


「…まったく、今日はいろんなことが起きるな。

 根っこは基本地面から出ているもんだと思っていたが、

 こいつは人間のやわい皮膚と粘膜を利用して生えてやがる。

 そしてこいつの出す匂いに反応してか虫も来ない。

 気持ちわりい…塞杖さんもよくこんなとこに…。」


それに対し、塞杖は必死に首をふって否定する。


「ないないないない、ちがうから!これ違うから!

 こんなもんに興味があって近づいた訳じゃないから、

 …そう!なんか匂いがしたの。美味そうっていうか、

 嗅いだ事あるっていうか、それで近づいて…!」


「…え?死体が美味そうって…。

 塞杖さん、ちょっと好感持ってたけど俺引いちゃうぜ。」


そう言って、九条がドン引きしたような顔を見せる。

それを聞いて塞杖はさらにパニックになった。


「違うもん、違うもん!なんかコレとは違うの。

 なんかこのドアの向うからして、でも開けたら匂いが消えてて

 それが、ここ数日間に嗅いだ匂いとそっくりで…。」


すると調子に乗ったのか、九条がからかい口調で続ける。


「ええ〜、それもっとまずいじゃん。

 何なに?塞杖さんの家って大丈夫?死体置いてない?」


そうしていると、しびれを切らした八飛が二人に声をかけた。


「…九条、いいかげんにしろ。一応人が死んでるんだ。

 それに、塞杖さんもそんなにパニックにならない。

 今はこの状況について詳しく調べる方が先決なんだから。」


「へいへい。」


「…はい。」


そうして二人が静かになると、

八飛は死体に近寄りしばらく調べることにした。


見れば、足元には水が溜まってはいるが、

いくぶんか緩く流れているようにも見える。


そして、八飛が流れの元を辿ろうと目をやると、

鳴鐘がぽつりとつぶやいた。


「…どうやらこの植物。この辺りに生えていないところを

 見ると川の流れに沿って流れて来た種が成長したようだ…。

 確か、菜飯の日記には老人が菜っ葉に似た植物を満載した

 車を持ってくる場面が登場していたはず…。」


それを聞くと、八飛は、ふうんとうなずいた。

…やるじゃないか、この男。


そしてそれに習うかのように立ち上がり、

日記の内容を思い出す。


「そして老人は森から来ていたと…。」


そうして、鳴鐘と八飛は前を見る。


そこにはうっそうと茂る森が見えた。

森の奥からは小川だろうか、さらさらと水の流れる音がする。


「…見に行く価値は、あるようだな。」


「…玉串さん、いいのか?死体がここにあるんだぞ。

 通報とかは…。」


鳴鐘はもっともなことを言うが、

警視総監の話があった以上、ここに警察は呼べない。


その理由を八飛は詳しく説明する事も考えたが、

イタズラに不安をあおるような真似をしたくもないとも考えた。

それに何よりもここで引き返してしまえば重要な証拠を見逃して

しまうような、そんな感覚が刑事のカンで渦巻いていた。


結果、八飛はこう答える。


「…ここは圏外だ。通報したとしてもこの細い道、警察が全員

 来るまでには夜中になっちまう。それよりもここで状況証拠を

 しっかりととっておいて、夕方までに山を下れば明日には

 なんとかなる。このまま進んだ方が得策だ。」


そして八飛は歩き出し、しぶしぶながら鳴鐘もそれについていく。


塞杖と九条はその様子に顔を見合わせ、

やがて同じように二人の後についていく。


…水に浮かぶ死体。

それを残し、四人は歩いて行く。


…そうして彼らの姿が森に消える頃、

ぱしゃりという水を跳ねる音がしたかと思うと

死体の顔の肉がわずかに削ぎ取られた…。

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