第5章「捜査官、玉串八飛(前編)」

(1)


塞杖はタブレットに表示された日記を読み終えると

助手席で小さく身を縮こめる。


「ふーん、これホントの話かな。やっくん。」


そしてシートベルトを少し調節し、隣の運転席に座る鳴鐘のほうを向く。

時刻は昼どきで山の紅葉は黄色に赤にきれいに色づいていた。


そんな光景を横目で見つつ、

鳴鐘はハンドルを握りながら素っ気なく答える。


「さあな。俺もそんなものを見た事が無いからな。

 だが、白金あづねが行方不明になったというのはまぎれも無い事実だ。

 塞杖、昨日メールで送った画像があるだろ?見てみろよ。」


そう言われ塞杖はぱちぱちとタブレットを操作し、

鳴鐘からのファイル…「01〜04資料写真貼付」と

書かれた資料を順に開いて行く。


「『01』から見ていけ、それでわかるから。」


…始めは、行方不明者の記事と思しき新聞の切り抜き画像だった。


日付は20年前、

タイトルには『銀行家、山で遭難か?』と書かれている。

そして下には「行方不明の白金あづねさん(35)」と名前が

表記され、どこか澄まし顔の女性がそこには写っていた。


「…20年前、捜索願が会社から出され警察は白金あづねを探した。

 近くの村の自警団も協力し、ヘリコプターも出動する騒ぎだった。

 …でも結局、それは徒労に終わった…次を開け、塞杖。」


指示された通り、塞杖は「02」と書かれた画像を開く。

そこには、『白金さん、捜索を断念』という見出しとともに

山を下りる十人以上の捜索隊の姿が写っていた。


「…二週間経っても彼女は見つからなかった。

 山だけでなく周辺地域も捜索がされたが結果は打ち切り。

 今も彼女は不明者リストに載せられたままだ…。」


鳴鐘はさらに「03」と書かれた画像を開く。

そこには先ほど写真に写っていた女性に目元の似た

男性の画像が映し出された。


「それは彼女の父親、白金あぎと。

 数多くの融資で名を挙げた資産家だ。

 20年前から肺がんをわずらっていたが、

 娘が姿をくらます二ヶ月前に死亡した。

 …だがな、調べてみると一つおもしろい

 事が分かったんだ。」


そして鳴鐘は自ら片手を伸ばしてタブレットをタッチし

「04」のファイルを開く。


それは1枚の戸籍謄本と見知らぬ男性の写真。


謄本には『白金あぎと』と書かれ、

身分事項欄には名の変更日、

名のところには『総五郎』と書かれている…。


「…白金あぎとは、一度改名している。

 白金総五郎、それがあぎとの前の名前だった。

 …しかし、件の白金総五郎の写真を探ると

 この似ても似つかない男性の写真しか出て来ない…。」


「?」


首を傾げる塞杖にハンドルを握る鳴鐘はそっけなく答えた。


「つまり、『白金あぎと』は戸籍を『白金総五郎』から

 手に入れた可能性があるっていうことさ。」


「え…?」


鳴鐘は、静かにバックミラーを調節する。


「…どのようにして手に入れたかの経緯は分からない。

 ともかく、調べてみたら写真の『総五郎』は改名前の

 数年ほど前に姿を消し、逆に『あぎと』はいろいろな

 場所で目立つようになっている…つまり彼らは何らかの

 方法で実質的に入れ替わったと見るべきなのさ。」


それを聞き、塞杖は不安そうに鳴鐘を見る。


「…う〜んと、つまり『白金あぎと』が他人から

 戸籍を手に入れていたことから考えて、

 今までの『あぎと』っていうのはつまり…。」


「そう、彼がどこから来たのか、どのような人生を送っていたのか

 知っている者は白金あづねと日記に書かれていた集落にいた男

 ぐらいだったということだ。…まあ、早くに亡くなった

 あぎとの妻も知っていたかどうかは聞く事ができない以上、

 グレーなところだけれどな…。」


そうして鳴鐘は口をつぐむ。


塞杖も腕を組んで考えこむと、再び「03」の画像をひらき、

「白金あぎと」を名乗った男性の写真を見つめた。


その瞳はきれいな青色をしており、

塞杖が昨夜から読んでいた日記に出て来る

青い瞳を持つ人間を連想させた。


…それを見つめ、塞杖はぽつりとつぶやく。


「…うーんと、つまり『あぎと』は戸籍を取った後、

 また改名して、名前だけ前のものに戻して…。

 …じゃあさ、あの集落の出身はもう誰もいないのかな。

 あの場所には…もう人っ子一人いないってこと?」


その言葉に、鳴鐘は肩をすくめてみせた。


「…わからない。ただ、菜飯の日記には

 小さな子供がいたという記述があった。

 その子がもし大きくなっていたのなら

 …村にはまだ、人がいる可能性がある。」


その言葉を聞くと、塞杖は不安そうに鳴鐘を見あげる。


「…でもさ、ありえる?

 電気も通っていないような場所に未だにいる住人てさ。

 よほどのメリットでも限り住んでいる意味ないと思うよ。

 やっぱ創作じゃない?…この日記。」


そう言いながら塞杖は保温瓶のふたを開け生姜湯を飲む。

中には鳴鐘によってはちみつが垂らされており、

塞杖はそれによって自分の心が落ち着くのを感じた。


「…だから、何ていうかさ、今から集落に向かうにしても

 もうちょっと調べてからとかでも遅くはないし…。」


そう歯切れの悪い事を言いつつも塞杖は車窓から空を見上げる。

そこは雲一つない青空で、車内は差し込む日によって暖まり、

まさに絶好の行楽日和であった。


「…あーあ、これで集落に行っても何にもなかったら良いのに。

 ただのピクニックでもあたしは悪くないと思うな。」


そうしてちらりと塞杖は後部座席を見て、

鳴鐘が昼食用にと作ったクラブサンドイッチと

デザート用に作ったバナナのクレープ包みの

入ったバスケットを眺めた。


鳴鐘は、そんな塞杖の様子をちらりと見てからハンドルを切った。


「まあ、これを食べる機会に恵まれるよう

 さっさと集落を見つけないとな。

 そうしないと、このまま引き返すハメになる…。」


そうして鳴鐘の車が下につもる落ち葉をはね飛ばした時だ。

…塞杖は紅葉の中にひときわ目立つ一軒の別荘を見つけた。


「…もしかして、あれじゃない?別荘って。」


そうして塞杖は身を乗り出す。


…それは、緑の屋根を持つ一軒の大きな別荘。

鎧戸の閉められたその建物はところどころにツタが生え、

外壁はいたみのためか一部分が剥げかけていた。


だが、その建物は老朽化こそしているとはいえ

威厳と風格を未だに残し、塞杖は下から見上げると

その堂々とした雰囲気に小さく息を飲んだ。


「日記の時間から換算してもちょうどこの位置か。

 …よし、えみり。このあたりで車を止めるぞ。」


そして鳴鐘は車のエンジンを切ると、降りて周囲を散策し始める。

塞杖もそれに習い、のんびりと歩きつつも建物の外観をとっくりと

眺め始めた。


「うっへぇ〜、直せばマジで良い別荘じゃん。

 今からでも借り手がつけば補修出来るのに。」


そして塞杖は鎧戸に近づき、窓の隙間に入りこもうとツルを伸ばしながらも

ついに叶わず秋の風に果ててしまった茶色のツタを見つめる。


そうして周りを見れば、手入れされていればきれいだったであろう庭は

荒れ放題で、もうここ数十年は誰もこの場所に足を踏み入れていないで

あろうことは誰の目にも明らかであった。


「…中に入ってみよう。

 別荘の所有者がカギを当時から代えていないのなら、

 オーソドックスな方法でこじ開けられるかもしれない。

 …えみり、お前は車を戻ってここまで動かせ。

 俺は裏手に回っているから。」


そうして鳴鐘は車の後部座席から工具を取り出すと裏手へと歩き出す。


そして塞杖が車を寄せてやってくる頃には

工具箱の中から出したのであろう二本の棒を器用に使い、

勝手口のカギ穴をこじあけようとしていた。


その手慣れた様子を見て、塞杖はあきれつつ声を上げる。


「…っていうかさ。

 やっくんこういうこと、なーんか慣れてるよねえ。

 大学時代バイトで覚えたって言ってたけど何してたのさ。

 そのくせ勉強は真面目だったし…。」


すると早くもカギは開いたらしく、鳴鐘がノブを回すと

カチャリと音がして、簡単にドアは開いた。


鳴鐘はドアを半分ほど開けると中を覗き、

やがて安全性を確認したのか塞杖を中へと入るように手招きをする。


「ん?バイトのことか?ゼミの先生が紹介してくれたんだよ。

 当時の俺は苦学生だったからな。先生が心配して高額稼げる

 探偵業者をいくつか紹介してくれたんだ。」


中はうす暗く、先に入った鳴鐘はスマホのライトで足元を照らす。

塞杖は鳴鐘の話を聞きつつも立て付けの悪いドアの隙間から

身をよじって入っていった。


「げえ、あの心理学の教授ぅ!?

 それにそこで紹介された探偵事務所って…

 やっくん、それ絶対、犯罪の片棒かつがされたんだよ。

 不幸な話なんだよ、やっくん。」


その言葉を受けた鳴鐘はあきれたようにため息をつく。


「…いや、えみり。俺が聞いた話ではお前だって

 教授の紹介で元編集長の仲島さんと仲良くなったんだろ?

 そう、人を無下にするもんじゃ…。」


「ええい、うるさいうるさい!あたしあの爺い超嫌い!」


そう言うと、塞杖は床がボロくなっているにも関わらず地団駄を踏む。


「ゼミのときにはさんざん無茶な実験に付き合わせてさ、

 きっとあたしのこと、面白おかしいモルモットぐらいにしか

 思ってなかったもん!」


そう叫びつつむくれる塞杖に対し、鳴鐘は肩をすくめてみせた。

 

「…えみり、あんまり大声出すな。外に聞こえる。」


そうして二人は足元をスマホのライトで照らしつつ廊下を歩く。

必然的に先頭は鳴鐘で殿の塞杖は不安そうにキョロキョロと

あたりを見渡し、ゆっくりと歩いていった。


「中はずいぶんと傷んでいる。床、踏み抜くなよ。」


鳴鐘の言う通り、床はささくれが目立ち、壁は剥がれ、

空気はどこか淀んでいた。


しかし二人以外に動物や人が中に侵入した痕跡はなく、

時計や本棚といった家具類はそのままの状態であり、

塞杖は保存状態はそれなりに良いほうだとも感じていた。


「…今更なんだけどさ、やっくん。

 あたし、やっくんが行くのは集落だけだと思ってた。」


塞杖はホコリを吸い込まないよう、

口元にハンカチをあてつつ鳴鐘についていく。


鳴鐘は馴れた様子で丈夫な床の上を歩いていき、

書斎と思しき部屋の中へと入って行く。


「まあ、別荘に人がいれば俺もそのまま行くつもりだったんだがな。

 …いないのなら話は別だ…。」


そして二人とも部屋に入ると、まず鳴鐘は近くの本棚の本を引き出し、

軽くホコリをはらってからぱらぱらとめくりはじめる。


塞杖もそれに習い、引き出しや戸棚の中を開けていくことにした。


…そうして、十分ほどたった頃だろうか。

塞杖が書斎の奥にある何番目かの机の引き出しを開けたとき、

ふいに一枚の写真が床に落ちた。


塞杖はそれをすぐに拾い、目を丸くする。


「あ、やっくん。何か変な写真が出て来た。

 数人の白衣の人と…あと、真ん中に女の子がいるよ。」


「ほう、どれどれ…。」


そう言いつつ、鳴鐘は本棚から見つけたのだろうか

大量の難しそうな書類の詰まった本を片手に持ち、

中を覗き込む。


…そのセピア色の写真には

9人の男性と1人の少女の姿が写っていた。


男性たちは皆、研究者のような白衣に身を包み、

中心には十代ほどだろうか…

黒い髪に色まではわからないが

色素の薄い瞳を持った少女が立っていた。


そして写真を裏返すと、そこには一言、


『鉄道株、…は全てを原初にもどす』


…という妙な文言が書き添えられていた。


「…なにこれ、何かの新興宗教かな?

 中央は、何だかかすれて読めないけれど…ねえ、どう思うやっくん…。」


塞杖は表を上げ。

そして…顔を引きつらせた。


…鳴鐘は今、答えられる状況にはいなかった。


両手を上にあげ、頭部には拳銃が突きつけられている。

…そして、その後ろに立つ見知らぬ男は二人に対しこう言った。


「動くな、ここは俺の別荘だ。」


塞杖は恐怖からか、思わず鎧戸の近くに歩み寄る。

そのとき窓の向うでは、かすかな車のエンジンの音が聞こえた…。


(3)


…鳴鐘たちが集落へと向かう日の朝…。


留置所から一人の男が出所した。

男は、ここ数日の勾留の為に無精ひげが生え、

よれよれのシャツに寝癖がひどく目立っていた。


そして男は、視線をあげると

目の前に停まる灰色のワゴンに目を付け、

その助手席へと滑り込む。


そしてシートベルトを締めていると

運転席から声がかけられた。


「…で、九条きゅうじょう、あの施設はどうだったんだ?

 何かつかめたか?」


その言葉に…ひげと寝癖を除けば自分と瓜二つの顔を持つ男に対し

九条は軽く肩をすくめると、こう言った。


「何も変わらない。このひと月のうちに老人が二人死んだ、

 それだけだよ。八飛はちとび兄貴。」


八飛と呼ばれた男はそれを聞いて車を発進する。

そうして一つ目の信号にさしかかったところで九条は一つ伸びをした。


「あ〜あ、捜査一課の兄貴を持つと弟は苦労するよ。

 私用の情報網だとか何とかいいやがって潜入させてさ。

 捕まるなんてありえねーし。もみ消してくれるってマジ?

 ってゆーか、やってらんねーよ。こんな仕事。」


そう言うと九条はダッシュボードを漁り、

シェービングクリームとカミソリを取り出すと

バックミラーを調節し、自分のひげを剃り始めた。


八飛はそれを見ると静かにミラーを直し、

ハンドルを握り直しながらぽつりと言った。


「留置所にいるあいだお前に言っていなかったんだが、

 そろそろ弁護士の捜査に本腰入れようと思ってな。

 上の方に一週間の休暇届を出した。

 …よかったら、お前も一緒に回ってくれ。」


それを聞くと九割がたひげを剃り終わった九条は

目をぱちくりとさせ、やがてにやりと笑った。


「ふうん、兄貴がそういうなら一緒に行くよ。

 俺もどっちかっていうと、どっかの施設で潜伏するより

 兄貴みたいに足で稼ぐほうがやりたかったもんでね。」


「そうか…で、お前をあの場所にぶちこんだのは誰だ?」


そう聞かれると九条はおもしろくなさそうにふんと鼻を鳴らし、

最期の一剃りを終える。


「…荒田って女が探偵を雇ったんだ。鳴鐘探偵事務所。

 俺の家に宅配屋を装って入って来たが、ダミーとして置いて

 おいたテープを証拠品として押収していったよ。

 …ま、こっちの狙いはバレてないからいいんだけどな。」


「…探偵か…ものになりそうか?」


それに対し、九条は肩をすくめてみせる。


「さあな。でも一般人ならまずわかんねえな、あの変装。

 ただどっちかっていうと…泥棒のほうが向いてるぜ、アイツ。」


そうしてウェットティッシュで顔を拭うと、

九条は一言「ああ」とつぶやいた。


「…そういえば、老人が二人死んだと言ったけどよ。

 俺、連行される直前までそこにいただろ?

 で、気づいたんだけど、なんか、こう壁に違和感があったんだよ。

 無数に引っ掻き傷をつけたような感じでさ…。」


「ふうん…となると九条。お前なんか紙を持ってないか?

 メモ用紙でも鼻紙でも良いが…。」


そこまで言うと、九条はふふんと笑った。


「あるぜ?でっかいやつでさ、

 ただ上から鉛筆でこすってあるがね…。」


そして九条は懐から八つ折の紙を出すとそれを八飛の前で振る。

それを見ると八飛はスーパー銭湯の駐車場に車を停め、

九条の持つ拓本を受け取ると交換に五枚の万札を渡し、短く礼を言った。


「…これは迷惑料だ。近くに服屋もあるし、

 人前に出れるような格好にしてこい。

 残りは好きにしていい…今回も巻き込んで悪かったな。」


それに対し、九条はひらひらと手を振った。


「…別に、俺だって半ば好きでやっているし、

 風呂から上がったらまた次の話をしてくれるんだろ?

 兄貴の話、楽しみにしているぜ。」


九条はそう言うと、五万円をズボンの尻ポケットにいれ

楽しげに銭湯へと入って行く。


それを見た後、八飛は八つ折にされた拓本を広げ、

ぽつりとつぶやいた。


「…細かい線が多いな。

 ひとまず、そこから消して行くか…。」


そして、八飛は作業に取りかかり始めた。


(4)


「いやー、さっぱりしたあ。」


そう言うと助手席に座る九条はつるりとした自分の顎をなでる。

近くの服屋で買ったのか、今まで着ていた服は紙袋にしまわれ、

灰色のズボンに薄青色のシャツを着たジャケット姿になっていた。


「…また無駄遣いしたな。」


車のエンジンをかける八飛に対し、九条は後ろ手で腕を組む。


「使っていいって言ったのは兄貴だろ?

 それにもう俺の金だし好きにさせろよ。

 …で、何が分かったんだ兄貴。」


それに対し、八飛はダッシュボードを軽く叩く。

九条が見てみれば、中に一枚のタブレットが入っていた。


「拓本についていた引っ掻き傷の大部分を消去した。

 大体が意味のない線ばかりだったが、

 その中で文字をなしていたのはこの4文字だけだった。」


画面には先ほどの拓本を画像化したものが映し出されていた。

そして九条が画面をタップすると、その中央に赤い文字、

他の傷の中から浮き彫りになった4つの文字が表れる。


「す・な・あ・く…『すなあく』?」


首を傾げる九条に対し、八飛は嫌そうに答える。


「そういう怪物がいるんだよ。『不思議の国のアリス』の作者、

 ルイスキャロルの書いた小説の中にな。そいつは正体不明で、

 なおかつ種類の中には人を喰う奴までいるって話だ。」


その言葉を聞き、九条は片手でタブレットを

持ちながらお手上げのポーズをした。


「施設で死んだ老人は、みんな心筋梗塞で死んだはずだ。

 関連性なんかあるもんかよ。」


「…ま、フツーならそう思うわな…。」


そうして八飛は次の画像を見るように九条にうながす。

そこにはでっぷりとした一人の男の画像が大写しになった。


「名前は『菜飯健司』、昨日の夕方にこいつが麻薬所持で捕まった。

 父親は『菜飯川蔵』…お前も気づいていると思うが施設の死亡者の

 一人息子だ。」


「…この件との関連性は?」


「今のところわかっていない。

 父親が輸入業をしていたそうで、麻薬はそこから入手したらしい。

 …ただな、家捜しした部下がなかなか興味深い資料を押収してな。

 お前が風呂にはいっているあいだにメールで送ってくれたんだよ。

 次の資料だ、見てくれ。」


そうして、九条は資料を読み込んで行く。

それは菜飯の父親の日記。

白金あづねとその失踪をめぐる事件がそこに綴られていた。


「…マジかよ。こんなもん、ありえるわけねえだろ?」


八飛はハンドルを切りながら山道へと入って行く。


「…かもな、でもおもしろいとは思わねえか?

 施設の老人がまるで病気のように次々と心筋梗塞で死んで行く中、

 この菜飯だけはダイイングメッセージを残している。そしてアパートに

 残された日記には壁に書かれた字と関係する事件のことが書かれていた。

 …これを調査しても、俺は時間の無駄だと思わないがな?」


車は山道に入ると、さらにスピードをあげ、紅葉の葉を蹴散らして行く。

九条はスピードに乗り切れず身を縮こめるとぽつりとつぶやく。


「…兄貴、俺になんか隠しごとしてねえか?

 こんなにアクセル踏むってことは何かわかってんだろ。

 老人の怪死事件について上と話し合った帰りにも、

 兄貴はこんな感じでスピードあげて帰って来たもんな。

 …なんだよ、言ってみろよ…俺たち双子だろ?」


それを聞くと八飛は少しだけスピードをゆるめ、こう言った。


「…部下から聞いたんだよ。どうも俺たちよりも先回りしている

 奴がいるらしい。そいつは介護士の荒田や菜飯にも接触し、

 仲島元編集長の死亡現場にも居合わせたそうだ。仲間のくれた

 防犯カメラの映像によると、この山に上って行ったらしい。」


「ほほお、で、俺たちはそいつを追っていると…

 …それは身の程知らずというか、バカというか。

 で、誰だい。そいつ。」


そう言って、半ばからかい口調で言う九条に対し、

八飛は声を低くしてこう言った。


「名前は鳴鐘矢付…お前を捕まえた男だよ。」


(5)


それから15分後。


八飛は鳴鐘たちの車のタイヤ痕から彼らが白金あぎとの別荘に

入った事を確認すると弟に車に残っているように指示を出した。

そして車の後部座席から自前のモデルガンを持ち出すと、

それを懐にしまう。


「…おいおい、兄貴何考えてんだ?」


そういう弟の九条に対し、八飛は何も言わずにドアを閉めた。


こういう場合、中に侵入している人間はたいがい警戒心が強い。

だからこそ、下手に動き回れば逃げられてしまう事を八飛は知っていた。


そして歩き出そうとしたとき、八飛の中で一人の人物の顔がよぎった。

それはかつての相談仲間…鳳来延行。


…奴も、油断していたのかな…。

そんなことを八飛は一瞬考える。


しかし、それ以上は時間の無駄だとわかっていた。

八飛は考えを振り払うかのように軽く頭をふる。


…八飛は以前から行方不明である弁護士の鳳来廷行を探していた。


刑事事件の際に被告人が弁護士を雇うのは当たり前の事だが、

鳳来は高齢犯罪者の弁護を担当しており、成績はまずまずで

八飛はそんな彼の仕事ぶりには一目置いているところがあった。


…そんな鳳来がひと月前、

偶然居合わせた飲み屋のカウンターでぽつりとこう言った。


『なあ、最近…老人の死亡者数が異様に増えているんだ。』


その疑問に八飛はあたりまえのように返す。


すなわち、亡くなる人間は亡くなると。

高齢化社会の今、たまたまその時期に来たのではないのかと。


しかし、鳳来は首をふると言葉を続けた。


『時期とか、そう言うことじゃない。

 …ちょうど、国の依頼で高齢者施設にいるお年寄りと

 自宅介護をしている家族の犯罪率について調べる機会が

 あったんだが、そこで妙な事に気づいてな…。』


そうして、鳳来はウイスキーのロックを一口飲む。


『施設で亡くなる老人の人数が、

 ここ数日、全体的に高くなっている。』


続いて二口め。


『…俺も最初は、あからさまに笑ったよ。

 死因だって心臓発作だし、ただの偶然だと、間違いだとおもったのさ。

 …でもな、どこか引っかかるものを感じる。

 …そして、試しに調べる施設数を増やしてみたんだ…。』


最期のウイスキーをぐいと飲み

空になったグラスの中の氷をカラリと鳴らすと

鳳来はどこかしら不安な表情で言葉を続けた。


『…そしたらな、わかったんだよ。年齢や、性別、職業、

 施設の所属、すべて関係なく、ある一定の範囲の年寄りが

 みんな倍数形式で亡くなっていたことに…。』


八飛はその話を聞いていた。

黙って、聞いていた。

鳳来はさらに続ける。


『…ある場所を中心として施設で亡くなる人の数が広がっていたんだ。

 でも、その場所の特定をするにはまだ情報があいまいだし、施設で

 死んで行く人を止める手だても見つからない…今のとこ手詰まりだった。

 …でもな、最近思うんだよ…なにも施設だけではないんじゃないかって。

 他の場所でも年寄りは亡くなっているんじゃないかって。

 そう思うと、俺は不安で不安で…。』


そうして、今にも酔ってカウンターにつっぷしそうになる鳳来に

八飛は黙って二人分の会計を済ませ、外に出る際に肩を貸す。


鳳来もわかっているのか、もうそれ以上は話さずに出口まで

引かれて行く。


そうして暖簾をくぐったところで鳳来は腕を外し、八飛に頭を下げた。


『…すまない、つい愚痴っぽくなってた。ここから先は大丈夫。

 俺一人で帰れるさ。明日までにまだ、調べるものがあるからな。』


そうして、まだ酔いの冷めない鳳来はゆっくりと体勢を立て直すと

八飛に自分の分の代金を渡し、そのまま背を向ける。


『…でもな、俺はこの調査を止めたくはない。何かしらの真実に

 たどり着くまで調査する…もしかしたら、近いうちにアンタを

 頼るかもしれない。そのときはまた、よろしくな。』


そうして、最期に一度こちらを向き、へらりと笑いかけると、

鳳来は闇の中へと歩いて行った…。


そのときの光景を思い出しつつ別荘までたどりついた

八飛は、軋まぬようにドアを開け、中へと滑り込む。


…結局、そのまま鳳来は姿を消した。


事務所の中は鳳来が引っぱりだしたのだろう書類が

引き出されたままで、おそらく鳳来の最期の言葉から察して

調査に何かしらのめどがついた事は容易に予想ができた。

 

…八飛は後悔した。

鳳来を助けてやらなかった自分がいかに愚かであったか。

あの日の鳳来についていかなかった自分がいかに馬鹿であったか。


そして八飛も調査を始めるこにした。

鳳来よりも、ましてや鳳来の知人であった元編集長の仲島よりも

遅れをとるかたちではあったが、八飛は時間の合間を見つけては

鳳来の資料や最近の介護施設で出される死亡者数の統計調査、

果ては等高線から一番離れた場所にある介護施設に弟を送り込み

内部情報を提供してもらうなど積極的に活動した。


そして調査してから二週間ほど経った頃だ。


…ふいに八飛は警視総監に呼び出された。


「…玉串警部、君の活躍は聞いているよ。

 なんでも、一人で介護施設の老人の死亡者数について

 調べているようだね…しかも、発生原因のまで

 特定しているというじゃないか。」


それを聞き、八飛はいぶかしむ。

老人ホームでの死亡調査は八飛の個人的な調査だ。

ゆえに外部に漏らす事などほとんどなかったはずなのだが…。


「…本音を言うとね、そういうのは福祉や医療関係の問題であって、

 我々のような市民の公僕が行う仕事ではないと思うんだよ。」


そう言って、警視総監は机の上をトントンと指で叩く。

それを聞いて、八飛は眉根をよせる。

なぜ?どうして?個人的な調査なのに?


すると、警視総監は八飛のほうを向いてこう言った。


「…もしかして、弁護士の鳳来延行くんの捜査もしているのかな?

 彼が施設について調べていたことを君が継いだ形になるのかな?」


八飛は答えない。

沈黙が答えであることを八飛は示したかった。

そうして、しばらく黙っていると警視総監は長いため息をつき、こう言った。


「だったら話しておいた方が良さそうだね。

 昨夜のことだ、私は懇意にしているある先生から相談された。

 どうやら施設の死亡者数に関して聞き回っている人間がいるらしい。

 最初は弁護士であったが、次はジャーナリスト、そして、今は君の

 管轄下にある人間とその弟だ…とね。」


そして警視総監はあらかじめ湯のみに入ったお茶を飲む。


「私は素直に先生に聞いたよ。

『先生は、この問題に対してどうしますか。』

 すると、先生はこう言ったんだよ。

『このご時世、死は自然なこと…受け入れろ』と。」


警視総監は湯のみを置いて指を組む。


「…20年前のことだ。先生は当時中堅の市議会議員であり、

 私はキャリア上がりで生活安全課の警部補をしていた。」


八飛は何も言わない、総監の話を静かに聞く。

総監は一冊の薄く青いファイルを取り出すとそれを机の上に置いた。

背表紙には20年前の年号と「特殊失踪関係:捜索関係」と書かれている。


「これは、特定失踪者の捜索を行った際にが行方不明になる

 特殊なケースがあった場合にのみ作られるファイルだ。

 …本来は非公開だが今回は特別に見せてあげよう。」


そうしてファイルは渡され、八飛はファイルの中身を読み始める。


…そこにはいくつもの事件とそこで行方不明になった捜索者の履歴が

載せられていた。しかし、その横にはすべて付箋が付けられており、

『滑落で死亡』や『斜面で死亡』と注釈がついている。


しかし、ある場所で八飛の手が止まった。


それは「白金あづね」の捜索に参加していたと

思しき数人の男性の履歴と写真。


その彼らのほとんどには付箋はついておらず、

ついていたとしても…


「…ここで見つかった人間のほぼ全員が現在も療養施設に行っている。

 みな山の中で正気を失った状態で発見されおり、現在まで、何が

 あったのか、他の仲間はどうしたのかも言えない有様だ…。」


そして総監は再びトントンと机を指で叩く。


「そしてちょうどこの時期。私は上司である当時の警視総監に呼び出された。

 今の君のように、この場所で総監と話をしたんだ。

 …私は君の持つファイル…当時私が管理していたこのファイルを手に持ち、

 …隣には、当時市議会議員である『先生』が立っていた。」


そうして指を組むと、総監は感慨深そうに話を続ける。


「当時の警視総監は我々に言ったよ。

『…このことは、他言無用。この事件に関しては忘れるように』と。

 最初、私は何の事だか分からなかったよ。当時の私はまだ若造。

 事件があればただ下からの報告を聞き、書面に書き写していくだけ

 の仕事だったからね…しかし、先生は違った。

 その顔は蒼く、明らかに何かを知っているようにも見えた。」


総監はそう言うとすでにぬるくなった湯のみを手に取る。


「…しばらくしないうちに先生は言った。

『…捜索隊に秘密裡に資金を提供したことは謝ります。

 私は、ただあぎとの娘さんがいなくなったと聞き、

 彼が病気で動けない事を考え、いてもたってもいられず…。』

 …しかし、総監はその言葉をさえぎると首をふった。

『そうだね、友人を助けるのは大切な事だ。

 …しかし、君は知っていたかね?

 白石あぎとが経歴を詐称していた事に…。』

 …『先生』は明らかに戸惑っていた。

 恐らく知らなかったのだろう。

 自分の友人が自分を騙し続けていた事に。

 そして総監はさらにこう続けた。

『きみは懇意にしてもらっていたようだが、彼は身分を偽っていた

 どこから来たかも、どういう人生を辿って来たかもわからない人間だ。』

 呆然とする『先生』に、総監は続けた。

『…ああ、そうだ。今から十年以上前にも同じようなことが起きた。

 あの山で人が行方不明になり、捜索隊が出されたが、帰って来たのは数人。

 しかも、未だに言葉が話せないか、もう既に天寿を全うした人間もいる。

 …我々はこの事態を重く見て、あの山の一部に有毒性ガスが含まれる地帯が

 あると結論付け、今日まで立ち入り禁止とした。

 …それ以上の理由は他にはあるまいて。』

 すると、辛抱たまらず先生はこう言った。

『どうしてですか?彼から聞いた話で、あの山に集落があると聞きました。

 どうしてそんな人のいる場所を立ち入り禁止にしたんです…!』

 その言葉に、総監は冷たくこうあしらった。

『あそこには人はいない。もしいたとしても、彼らは戸籍に入ってはいない。

 あの場所は、人の立ち入れる場所ではないのだから…。』…とね。」


そこまで話すと、総監はもう冷たくなったお茶の最期の一杯を飲んだ。


「おそらく、当時の総監が私を呼んだのは口止めのつもりだったのだろう。

 …だが、『先生』はあきらめなかった…独自で調査を行ったとも聞いた。

 そうしてほんの数年前の事だ。私は先生と会う機会に恵まれた。

 『先生』は少々痩せたものの、市議会議員から政治家の顔になっていた。

 私は当然のように聞いた…すなわち、あの集落の話はどうなったか…と。

 すると、先生はもはや上手になった作り笑いを見せながらこう言ってきたよ。

『…あそこには何も無い。あったとしても我々にできる事は何一つ無い。

 あの場所は自然だ。自然の掟の中にあるべき場所なんだ。

 人は死に、自然に埋もれ、消えて行く。それと同じ事。

 …そこに、我々が介入する余地などないのだよ…。』

 それ以上、『先生』は何も語らなかった。

 何を聞こうとしてもはぐらかされた…今もその状況に変わりはない。

 この現状を話しても、先生は変わらず主軸になるべきことを何も言わなかった。

 …恐らく、先生は何かを知っている。知っているが故に話さないのだ。

 あの場所に関わる事は禁忌のようだ。

 そして、関わった人間は皆正気を失うか死んでしまう。

 …私が言えるのはそれだけだ…。」


 …それを聞いて八飛はしばらく考え、こう尋ねた。


「総監、突然で申し訳ないのですが、

 一週間ほど休暇をいただいてもよろしいでしょうか。

 総監の話を聞いていますと、この話は具体性に欠けるような気がします。

 私が、この目で原因を確かめてからでも遅くはないと思うのですが…。」


その言葉に、警視総監は何も言わない。

しかし、その沈黙こそが「イエス」であると八飛は感じた。


…おそらく、総監も気になるのだろう。

あの場所に何があるのか。どうなってしまうのか。

間接的ではない、生の情報が欲しいのだと…。


そして確信を持った八飛は警視総監に一礼すると部屋を退出し…

…その足でつい今しがたまで書いていた自身の休暇届を部署に提出した…。


…八飛は廊下を歩きながらも何となく思っていた。

『先生』のいうあれは作り話だと。

本音を覆い隠すための方便であると。


…八飛は知っていた。

総監のいう『先生』というのは市議会議員から政界に食い込んだ

古参の政治家であるという事を。警視総監を含め、上にいる連中が

この事態に沈黙を貫いているという事を。


そうする理由を、八飛は何となく分かっていた。


…少子高齢化には現在も歯止めが利いていない。

子供の出産数は年々減少の傾向に辺り、逆に高齢者の数は年々増すばかりだ。


それに対する、社会保障も、施設も、人員も、何もかもが足りていない。


実際、老人ホームやデイサービスでさえ、

介護認定を受けた老人のうち条件が整わなければ

受け入れられないことだってままある。


できなければ自宅介護になり、介護にあたる家族は時間を削られつつも

自分の身内の…もはや己さえ忘れかけた身内の世話にあたり、

結果、将来への体力と精神力を削られる日々を送る事になる。


…その社会が正しいとは思わない。思わないが…。


そして八飛は休暇中この事件について捜査を完遂することを誓った。

できうるかぎりの情報を集め、この事件の原因究明を行うと。

それは自分の刑事としての誇りと名誉をかけて行うべき仕事だと。

それが友人である鳳来のためでもあると八飛はそう考えていた。


…幸いにして、八飛を慕う後輩や同期は積極的に情報を流してくれた。

八飛が休暇中にも関わらず、情報をいくつも流してくれた。

仲島の死の事も、菜飯の息子の事も、そして、白金の別荘の事も…。


…やがて、八飛は別荘の廊下を歩き、ゆっくりとドアを開ける。


書斎には二人の人間がたたずんでおり、

男性は鳴鐘、女性は塞杖という名であることがわかっていた。


そして八飛はすばやく鳴鐘に近づくと、モデルガンを頭につきつける。


「動くな、ここは俺の別荘だ。」


…八飛は考えていた。

この事件は、自分が解決しなければならない問題だと。

ゆえに、他人はこの件に巻き込んでは行けないと。

そのために、少々荒っぽい事をすることになっても構わないと。

八飛は覚悟を決めながら銃口を突きつける。


同時に、鎧戸の向こうで弟の乗る車のエンジン音が消えた…。

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