第8章「ぶうじゃむ(前編)」

(1)


…その町外れにあるビルは、廃墟というにはまだ新しく、

現存するビルとしてはずいぶんと古めかしい造りをしていた。

足音はコンクリートに響き、冷たい音が二つ連鎖していく。


「…ねえ、本当にこんなビルに『指ぬき』さんはいるのかな?」


そう言うと、塞杖は階段を上る鳴鐘の腕をぎゅっと握る。


時刻は夜の7時半、少し早めに来たのは相手を待ち伏せ

できる可能性を考えての行動だった。


「やめろ、えみり。そんな風にくっつかれると邪魔になる。」


鳴鐘はそれに対し身をよじり、さらに歩を進めようとする。


「…わかったよ。」


すると塞杖は少しすねたように手を放し後ろに回った。


その様子があまりにも寂しそうだったので

鳴鐘は言葉を選んで補足した。


「…雨漏りでコンクリートが脆くなっているところがある。

 安全のため両手はいつでも使えるようにしておいたほうが

 良いといいたかったんだよ。」


「うん…。」


そうして鳴鐘たちは、一階、一階と順繰りに上がって行く。


…ビルは6階建てだった。

エレベーターやエスカレーターは壊れていて、

使えるのは奥にある非常階段ただ一点。


それにメモの指定では階数が書かれていなかったため、鳴鐘たちは

一階ずつしらみつぶしに探さねばならないこと覚悟をしていた。


「…うわ、ようやく4階の真ん中か。ずいぶん長い階段だね。」


そう言うと、塞杖は上を見てため息をつく。

階段の構造上、上の様子が見づらく、照明もないため

上階がどうなっているのかまるでわからない。


鳴鐘はそれに警戒する。


…もしこれが罠だったら、俺たちはいつでも迎撃される可能性が

あるってことだ…もっと装備をきちんとするべきだったな。


しかし泣き言は言っていられない。

鳴鐘は唯一の備えである安全靴を踏みしめる。


壁には『5F 1/2』の文字が大きく書かれ、防火シャッターのおりた

先は容易に中に入れないようになっていた。


それはどの階も同じことで、それだけに探索の時間を減らす事が

できていたが、これも罠だと思うとこれほど都合の良い袋小路は

ないようにも思えた。


「でも、便利じゃん。向こうさんが『私はここにはいますよ』って

 教えてくれているようなものだし。」


塞杖はそう言うと、のんきにうなずく。

それに対し、鳴鐘は首をふった。


「…でもな塞杖、もしこれが向うの思惑だったとしたら…。」


そうして、塞杖に注意をしようとした時だ。

…ふいに鳴鐘の足が自分の意図に反して動きはじめた。


「…!」


止めようとするが止まらない。

鳴鐘の足はぐいぐいと上への階段を進んで行く。


見れば塞杖も同じようにふらふらと上へと歩いて行く。

両手を前に出し、何かを求めるかのように歩いていく。

…その見てくれは、まるでリビングデッド。

しかしそれはこちらも同じ事。

気がつくと、何かを求めるように片手を出して歩いていた。


…自身の体が上へのぼることを強要していく…

…これは、いったい。

そうして、上を見た鳴鐘は気がつく。


…風が、ふいていた。

上階から下階へと吹き下ろす風。

その風に独特の匂いが混じっていた。


そう、鳴鐘は知っていた。

この匂い、この風味を。


…それは、あの防空壕の中で嗅いだ匂い。

もう二度と、あんな場所で嗅ぐものではないと感じていた匂い。


それがいま、上のほうから流れ、下り、

二人の鼻腔を刺激している。


「…どうしよう、やっくん。足が止まらないよ。」


見れば、塞杖は必死に足を止めようとあがいているようだが、

その意思はまるで体に伝わっていないように見える。


「…これって、何?あの、匂い、

『すなあく』のせいなの?」


半ばべそをながら階段をのぼる塞杖。

その光景はひどく滑稽だが、当人たちにとっては

死の行進以外の何ものでもない。


「…わからない。とにかく、俺たちが誘導されている

 ことだけは確かなようだ。」


必死に冷静をつくろうも、鳴鐘の心は穏やかではなかった。

何しろこの事態はもっと早くに予想がついていたはずだ。


…何でもっと早く『すなあく』の特性に気づかなかった。

アレの匂いや味による中毒性はもう痛いほどわかっていたはずだろう。

つぎに嗅げば、体が反応してしまうことくらいわかっていたはずだ。


しかし、後悔しても、もう遅い。

階段はもう残り少なくなっていた。

二人はいつしか6階のさらに上をあがり、

ついにはビルの屋上の階段をのぼっていく…。


見れば、屋上の扉は全開になっており、

外の夜風が吹き込んでいるのがわかった。


そしてあの匂い。

…『すなあく』の匂いが屋上から漂ってくる。


…なるほどな、相手もよくわかってる。風向きに合わせて

『すなあく』を嗅がせれば俺たちは勝手に来るはずだからな。


鳴鐘は内心舌を巻きつつドアをくぐる。


…そこは、広い屋上であった。

うちっぱなしのコンクリートの床にはところどころに雑草が生え、

以前の持ち主が緑化に務めていたのだろうか…今は無惨に枯れ果てた

植物のツルが鉄柵のところどころで茶色の枝をからませていた。


その、中心部に一人の男が立っていた。

それは、ひとつの紙袋に何かをしまう男。

薄汚れてはいたが、上物のスーツを着た中肉中背の男。


いつしか、匂いは消えていた。

それは男が紙袋の中に何かをしまったからに他ならない。


そして、男はこちらを見ると目を細めてこう言った。


「こんばんは、新しい『指ぬき』になる諸君。

 …私が現在の集落の生き残り…『指ぬき』の一人だ。」


そうして、男はくつくつと笑い、

次の瞬間、自分の目に指を入れる。


「…あ!」


ついでたどり着いた塞杖が声を上げる。


男の黒かった眼は、指を引き出したときには

青く光る瞳へと変わっていた。


「…そう、以前とは違うこの瞳ではいささか周囲から浮いてしまうからね。

 普段の生活を送るためにこの色は隠させてもらっているのさ。」


男はそう言うと、持っていた袋を下に置き、

中からごそごそとひとつのタッパーを取り出す。

その様子を見て、鳴鐘はひとつ気がついたことがあった。


「…あんた、政府の人間でも、

 ましてや元からいた集落の人間でもないな。」


その言葉に塞杖は「え?」と言い、

男は感心した素振りも見せず言葉を返す。


「…なぜ、そう思う?」


そうして、開けられたタッパーには何かが詰め込まれていた。


…それは、遠くからでもよくわかった。

何かを揚げたもの。おそらく『すなあく』を揚げたもの…。


しかし、その誘惑を必死に押さえながら、

すでに歩き出そうとする塞杖を押さえつつ、鳴鐘は答える。


「…簡単なことだ。政府の人間だったら事件の後に

 自分の事を知らせるようなメモは残さないだろうし、

 集落の出身だったら瞳の色を隠そうともしないだろう?」


そして鳴鐘は男をじっと見据える。


「それに、さっきの台詞…『以前とは違う』と言ったよな。

 それで、あんたが集落に対する誇りも執着もない人間。

 つまりは八飛と同じ、後天性の『指ぬき』になった

 人間ではないかと思ったのさ…違うかい、お兄さん?」


それを聞いた男はくつくつと笑ってから、やがてうなずく。


「…確かに、考えればそうだ…少し、口が滑ったかな。

 そう、私は後天的に『指ぬき』になった人間だ。」


そうして、妙に芝居がかった口調で腕を広げる。


「…私は、ある男のせいで『指ぬき』にされた身だ。

 …でも、私をこの姿にした男はすでに死んでいる。

 何しろ、ひどく世間ずれした人間だったからね…。」


そう言いつつも男の顔はしだいに歪んでいく。


「…まったく、集落の出身のくせに真実を知らず、

 自身のしていることを誇りとし、

 集落特有の野蛮な管理法を伝統と信じて疑わず、

 愚かにも人里に下りては死人を増やし続けた罪人…。

 …だからこそ、あいつは…死んで当然だったのさ。」


そう言って、男は笑う。

憎しみを込めながら、くつくつと笑う。


「…でも、私も『指ぬき』になった以上、そのしがらみから

 抜け出せなくなってね。いろいろ試す事も試したが…

 …もう正直、疲れてきているのさ。」


そうして男は…何かいるのだろうか

…周囲を見渡してからこう言った。


「ああ、『指ぬき』の仕事は『こいつら』の変異前、

 あの集落にいる『すなあく』の維持と管理だ。

 ようは死体を運び、植物を生えさせ、喰わせる仕事…

 もっとも、私は仕事を知った時点で嫌気がさしていてね。

 …それで君たちを代わりにしようと呼んだわけなんだ。」


それを聞いて、塞杖は押さえつけられていた

身を乗り出し、叫ぶ。


「…あたしたちを新しい『指ぬき』にすることに、

 何のメリットがあるっていうのさ!」


その言葉に男はくつくつと笑う。


「言ったろう?私は疲れていたと。

 しがらみから解放されたいと。それにもう断れないはずだ。

 …何しろ君たちは、もう『指ぬき』にからね。」


それを聞いて、鳴鐘はぞっとする。

いつしか、自分たちと男との距離が0に近くなっていた。

いや、それどころか自分たちは手を伸ばし、食べていた。

すでに、それを食べていた。


食べかけの揚げ物。

『すなあく』の揚げ物。


それは口の中で噛み砕かれ、嚥下され、すばやく胃の腑に収まる。

理性ではそれを食べる事を拒否しているにもかかわらず、

手や口はまるで別の意思を持ったように動き、

鳴鐘は次のそれを咀嚼せずにはいられない。


「酒もたっぷりとしみ込ませてある。

 …あとは君たちの幸運に任せるよ…。」


…気がつくと鳴鐘は男の手によって首筋に注射針を刺されていた。

中には黒っぽい液体が入っており、

隣にいる塞杖も同様に刺されている。


…俺は、何をされているんだ…?


そして、視界が二転三転し。

…ひどく、意識がぐらつく中で鳴鐘は気づく。


ビルの屋上から見える景色。

街のネオンに過ぎ行く電車。


しかしその中に、異常なものが含まれていることに。


そう、それは正常であれば決して見えるはずの無いもの。

それは、半透明でありながら大小様々の種類がいた。


羽を持ったもの、鱗を持つもの、小さいもの、巨大なもの、

雄と分かるもの、雌と分かるもの、植物のようなもの、

昆虫のようなもの、菌類のようなもの、鳥のようなもの…。


それらが、有象無象に飛び、這い、蠢いている。


「…これは…。」


ぐらぐらとする意識の中、思わず漏れた言葉。

その言葉に、男は静かに答えた。


「そう、これが、『すなあく』の変異体、『ぶうじゃむ』だ。

 …もっとも、どれも同じ姿をしているとは言いがたいがね…。」


そのとき、鳴鐘は気づく。

食べたショックで気絶したのだろう。

すでにコンクリートに伏した塞杖と…

…その横に寄り添うように動く巨大な生物を…


鳴鐘は理解する。


それは『ぶうじゃむ』だと。

彼女を獲物として認識していると。

そして、その巨体は巨大な口を大きく開けると…


…そのまま、塞杖を丸のみにした。


「え…みり…!」


鳴鐘は必死に駆け寄ろうとする。

しかし、足は思うように動かず、ぶざまに地面に倒れる。


すると、その声に気づいたのか先ほどの巨大な『ぶうじゃむ』が

こちらのほうを向き、じわじわと這いよって来る。


「う…わ…ああ…。」


逃げようにも逃げられない。

怪物はすでに口を開け、こちらに向かって来ていた。

巨大な、人間にも似た歯を見せ、鳴鐘にせまる。


…ああ、これまでか…。


鳴鐘は悟った。

自分はこれで最後だと。


そして、同時に後悔した。

塞杖を誘ってしまったことに。

彼女を巻き込んでしまった事に。


…ごめんな、えみり…。


そうして、鳴鐘は『ぶうじゃむ』に飲まれる。

そこは、音も、何もしない暗闇…。


…そして、静寂が訪れた。 


(2)


「…ねえ…ねえ、やっくん。起きて…!

 どうしよう、あたしたち変なとこにきちゃったよ。」


塞杖の声に鳴鐘が目を覚ますと、

そこは緑に囲まれた森の中だった。

その横で塞杖は地面に座り込み、泣きそうな声をあげる。


「…何か、気がついたらこんな場所にいて、

 どこだかわからないし…どうしよう。」


そうして、塞杖は不安そうに周囲を見渡す。

鳴鐘も半身を起こしてから周囲を見回し、そして気づく。


そこは山の斜面の一角のように見えた。

周囲は木々に覆われどの位置かは特定出来ないが

ずいぶんと山奥だと言うことはわかった。


「…何か、他に手がかりがないか?

 地形とか、他の山とか、そういうものを探せれば…。」


そう言いながらも、鳴鐘が立ち上がった時だ。

ふいに、自分の頭上を何かが走って行くような感覚に囚われた。


「あ…!」


そうして塞杖の声に上を見上げると、今、まさに、

一抱えほどの隕石がこちらに向かってくるのが見えた。


「塞杖…伏せろ!」


とっさに鳴鐘は彼女をかばい、上に覆い被さる。


ついで、爆発のようなすさまじい音。

地震のような揺れ、幾重もの木々が折れる音。

その音を聞いた鳴鐘は落下物による痛みを覚悟した。


「…!」


…それから、わずかな時間が経った。

…奇妙なことに痛みは感じない。

それどころか、周囲がやけに静かに思えた。


そして鳴鐘はおそるおそる身体を起こし…

…ついで、息を飲む。


周囲の木々があとかたもなく消えていた。

そこは巨大なクレーターと化し、生物はもとより

木々も一切失われた茶色の大地のみが広がっている。


いつしか塞杖も起き上がっていたが、鳴鐘と同じように

この光景を信じられない面持ちで見つめている。


「これって、隕石のせい…?

 でも、なんであたしたち無傷なの…。」


そうして、この状居に塞杖が戸惑いの声をあげている時だ。

…ふいに鳴鐘の頭の中で声が響いた。


『…これが、ワタシタチが来た日…。

 ワタシタチはこうやって、この星に来タ。』


慌てて周囲を見渡すもそこには塞杖しかいない。

しかし彼女もまわりを見て、必死に声の主を探している。


『ワタシタチは、隕石に乗って来タ。

 遠い遠い宇宙を旅し、漂い、この星に流れ着イタ。』


その言葉にぞくりとするものを感じ、鳴鐘はクレーターの中心部、

…先ほど落ちてきた隕石のほうへと頭を向け…。


そして、見た。


そこからズルリと這い出て来る生物を。

それは子供ほどの大きさをしながらも、

あの自分たちを飲み込んだものと同じ種類の生物…


…そう、『ぶうじゃむ』の姿で間違いなかった。


『当初、ワタシタチの名は「ぶうじゃむ」とは違った。

「すなあく」とも違っていた。ワタシタチの本来の名は

 人の発声器官で発音できるような名デハナカッタ。』


声は、たんたんと続ける。

それはズルズルと隕石から這い出てくると、

周囲を見渡すように身をよじる。


『ワタシタチの目的は至ってシンプル。対象となる

 惑星の生物と接触し、彼らにワタシタチの生きる

「道」…ある女性の言葉で「フォーク」を指し示して

 もらうのが目的ダッタ…。』


そして鳴鐘は気がついた。

自分たちがいるクレーターの端、そこから何者かが

こちらの様子をうかがっていることに。


…それは、青い目を持つ少女だった。


その容姿は鳴鐘たちが別荘にある写真で見た

良く似ており、鳴鐘は本人ではないかといぶかしんだ。


『彼女こそ最初の人間。彼女は好奇心にまかせ、

 ワタシタチのもとへとやってきた。』


そのとき、鳴鐘は知った。


今聞こえている、この声…。

これが『ぶうじゃむ』の声だということに。


そして今、自分たちが見ているものこそ

『ぶうじゃむ』の記憶だという事に…。


ついで少女の動向を見れば、彼女は両手に抱えた本を

取り落とさないようにして慎重にクレーターを降りて行く。


『幼いながらも好奇心にあふれ、

 恐れを知らないように見エタ…。』


しだいに近づくにつれ、彼女の服装がモンペに防空頭巾姿であること、

彼女の持つ本が、ルイス・キャロルの書いた『スナーク狩り』の本で

あることがわかった。


そして彼女は、隕石を見つけると、近くにいる生物には目もくれず、

その石をまじまじと見つめる。


『彼女は最初、ワタシタチの姿が見えないように見えた。

 むしろ、ワタシタチが乗って来た隕石にこそ興味がある

 ように思えた。』


少女は隕石を観察し、触り、隕石から熱を感じたのか

慌てて手を引っ込める。


『ワタシタチはこの状況から、まず彼女とのコンタクトを

 試みる事から始める事ニシタ。』


彼女は気づかない。背後にいる生物に。

今まさに大きく口を開けようとする生物に気づかない。


『彼女に「フォーク」が作れるか。彼女は管理が可能か。

 まず、ワタシタチは彼女を…彼女を調べることにシタ。』


…それはまさに、あっというまのできごと。

彼女の頭部を、その生物は丸呑みにする。


当然、少女は自分の身に起きた違和感に気づき、もがく。

しかし、その生物はさらにズブズブと彼女を飲み込んで行く。


首を、肩を、胸を、それと同じく少女は

体の動きが鈍くなり、腰の辺りまでいくころには

地面に倒れ伏せ、もはやピクリとも動かなくなった。


それと同時に彼女の周囲に画面のようなものが無数にあらわれ、

同時に再生される。


画面には飲み込まれたはずの少女がいて、

彼女は一昔まえの造りの庭で遊んでいたり、

母親だろうか…同じ目の色をした金髪の女性と話をしていたり、

別れだろうか、女性を泣きながら船を見送る映像が流れて行く…。


『ワタシタチは「フォーク」を示す存在と接触する時、

 まずそのを読み取ることからハジメテイル。

 今までの経歴、時間、思想…それらを読み取る事で

 今後の「フォーク」を作る能力があるかどうかを調査スル。』


そして、最後の映像。

彼女がひとり防空壕と思しき所でひっそりと座り込んでいる。

そのとき、ふいに外を一つの隕石が飛んで行き、

彼女はそれを見つけると追って行く…。


…そして、そこまで映像が流れた瞬間、

彼女を包んでいた生物は消え失せ、周囲の映像とともに少女の

まわりから溶けるようにしていなくなった。


『調べ終わると、ワタシタチは彼女を認めた。

「フォーク」を作り、管理する存在。

 血の流れ、鉄の道を作る種子として…

 彼女の言う「鉄道株」と呼ばれる存在として

 ワタシタチは彼女を…最初の「指ぬき」にシタ…。」


傷一つない少女は、むくりと起き上がる。


そして、先ほどの体験のためか、

自分の両手を見て、顔を触る。


『ゆえに、ワタシタチは彼女に彼女の

「フォーク」を問おうと姿を表わした…。』


そのとき、隕石から再び体型の違う…

今度は手で持つ事もできそうな、ひょろりとした

うなぎにも似た生物が姿をあらわした。


少女はそれに気づいたらしく、後ろを振り向き、見つける。

そして、最初こそ驚いた様子だったが、やがてこわごわと手を

伸ばすと、それに寄ってくるようにまねきはじめた。


『ワタシタチは欲していた。

 彼女がどのような「フォーク」を敷いてくれるのか。

 どのような「フォーク」を作ってくれるのか…。』


生物は、寄って行く。

彼女の呼ぶままに、彼女の痩せた腕が手招きするままに。

そして、その生物と彼女がふれようとしたときのことだ。


突然、彼女は、その生き物をわしづかみにすると、

…それを、ずるりと飲み込んだ。


それは、あっという間の出来事であった。


そして彼女は胃の辺りをさすると、

飢えた瞳を周囲に向け、さらに何か無いかと歩き出す…。


『…それが、戦時中に飢えていた彼女の選んだ

「フォーク」…ワタシタチを「食料」とみなした瞬間だった。』


声は、たんたんと鳴鐘の耳に響いていく。


『ワタシタチは「フォーク」を選んだものを裏切らない。

 そしてワタシタチは「フォーク」を作ったものに従う。

 ゆえに彼女の望む姿で、彼女の望む事をする事にシタ。』


…それから、周囲の風景がまるで倍速のように変化する。


日が昇り、日が沈み、石の周囲に草が生え、木々が生える。

そして隕石の中から草が生え、水が湧き、

再び隕石の中から半透明の生き物たちが出て来ると、

隕石から生える水と草を食み、しだいしだいに大きさを増していく。


…そこに、少女を連れた白衣の人間がやってくる。

大人たちはみな驚いた様子だが、そこから生える植物に

興味をそそられたのか採取し、持ち帰る。


少女は再び石の周辺を歩き回り、

もはや子牛程度の大きさになった生き物を捕まえると、

一人の男の元へ、それを連れて行く。


しかし、それが見えないのか、男は首をふる。

すると少女はちょうどその生物がいるところを切るように

手振りで指示を出し、男は半信半疑な表情ながらもナイフを

取り出すとそこにつきさした。


生き物はみじろぎもせず、ただそのまま倒れ伏す。


男も感覚が伝わったらしく、ぎょっとしたような顔をすると、

しゃがみこみ、再び手でそれを探り当て、ナイフをさらに突き立てる…

…そして、数分もしないうちに、やがて一つの肉の固まりを取り出した。


それが終わると、再び周囲の風景は変化する。


『ワタシタチは彼女の欲するように形を変えた。

 彼女たちの感覚に合わせ、より美味に、より味わい深く姿を変えた。

 彼女の周囲の人間は、彼女の好意に感謝し、ワタシタチを研究し、

 ワタシタチを増やす事に邁進シタ…。』


いつしか、鳴鐘たちは、あの見慣れた防空壕の中にいた。

そこはどこか煤けたような場所となっており、

ランプの明かりでかろうじて明るくなっていた。


…しかし、変わらないものもあった。

水に浮かぶ無数の死体と生える植物。

そして、それを貪る死体と同じ数だけの生物の姿…。


それを観察するのは数人の蒼い目を持つ研究員と一人の女性…。

…それは、あの少女の成長した姿で間違いなかった。


『…彼女は知った。ワタシタチを育てる植物は隕鉄よりも

 よりタンパクな環境で育つということを。その中でも、

 人だった存在から生えたものがより上質な肉を生み出す

 という事ヲ…。』


見れば、彼女の手にはボードがあり、そこには「食糧難の解消」と

見出しがつき、下部には「大日本帝国軍科学班・極秘資料」と

赤いスタンプが押されていた。


「嘘…でしょ…?」


気がつくと、

隣にいた塞杖が震えていた。


「…じゃあ、あなたたちは食料として生きていたの…?」


それに対し、声はいぜん、単調に答える。


『ワタシタチには感情も、意志もない。

 ただ「フォーク」に従い、「フォーク」に生きる。

 …ゆえに「フォーク」に分岐が起これば、それにも従ウ。』


そのとき、女性の立つ場所の近くの穴から

一人の子供がやってきた。


その子は彼女と同じ青い目をした少年で、

彼女のもとにやってくると着ている白衣にしがみつく。

女性は、その様子を見て子供の頭を優しく撫でた。


『…彼女はワタシタチを当初「すなあく」と呼んだ。

 そして、ワタシタチに関連する現象にすべて名をつけ、

「フォーク」や「石鹸」、自身を「鉄道株」と呼び始めた。

 そして、その管理はうまくいっているかのように見エタ…。』


そのとき、ふいに大きな爆撃音とともに防空壕の中が揺れ、

女性はとっさに子供をかばう。その出来事は数秒程度だったが

ようやく収まったときには天井から落ちた大量の土ぼこりが

視界を覆っていた。


そして、先ほど少年の出て来た穴から誰かがやって来る。

…それは、彼女らと同じく蒼い目をした研究者だった。

彼は、割れた酒ビンを片手に持ち、腕や頭部から血を流し、

足を引きずりながらやってくる…。


『ワタシタチは、ワタシタチを一定以上摂取したものたちに

 植物由来の酒を提供し「指ぬき」にする方法を教えていた。

 彼らはそのことに抵抗することも無くむしろ進んで摂取シテイタ…。』


男は、女性の前まで来ると、ふいにバランスを崩し、

そのままビシャリと水の中に落ちた。


流れ出る血はみるみる周囲の水に拡がり、浸かる死体

…そして死体の草を食む「すなあく」のところにまで届く。


『…そのとき、ワタシタチは知った。

「指ぬき」の血液がいかに良質な食料であるか。

「指ぬき」のタンパク源がいかにワタシタチに

 とって美味な存在であるかを…。』


ざわりと「すなあく」の表皮がゆれる。


そして、突然背からヤマアラシのように大量のトゲが

生えたかと思うと、それを周囲に飛ばしはじめた。


周りにいた研究員はその変化に気付き、一斉に逃げ出す。


しかし、その素早さからか、足や、背にトゲが刺さり

ささった瞬間に研究員は倒れ、動かなくなった。


その途端、「すなあく」の変異体はすばやく研究員に

覆い被さり咀嚼をはじめる…。


『ワタシタチは知らなかった…喰らうという事が何なのかということを。

 ワタシタチは知らなかった…生きるとはどういうことなのかを。

 だが、ワタシタチは知った…喰らうという事は生きる事なのダト…。』


今や、水の上を覆い尽くさんとするヤマアラシの群れは、

次々と研究員に襲いかかり、食らいつく。


中には青い目をしていない研究員もいたが、

その背に乗り上げた変異体はすばやく研究員の背から

何かを引きはがし、食らいつく。


『ワタシタチは知った。人という存在を。

 ワタシタチは知った。「指ぬき」ではないが、

 同じくワタシタチを摂取した人間から何か旨味を

 引きはがせる事ヲ…。』


そのとき、鳴鐘は一瞬だけ見た気がした。


男の背から引きはがされたもの、

その形が半透明ながらも男の姿と同じだった事に。


それを変異体が噛み砕くと同時に、

男はまったく動かなくなった…。


『ワタシタチは知った。ワタシタチは知った。ワタシタチは知った。

 ワタシタチは知った。ワタシタチは知った。ワタシタチは知った。

 ワタシタチは知った。ワタシタチは知った。ワタシタチは知った。

 ワタシタチは知ッタ。ワタシタチは知ッタ。ワタシタチは知ッタ…。』


もはや、壊れたテープのように声は同じ言葉をくり返す。


そして目の前の変異体は今まさに女性と

その子供のほうへと向かって行き…。


…唐突な、闇が訪れた。

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