「ばんだあすなっち(後編)」

(1)


「…あんた、今までいったい何をやっていたんだ?

 それに、その瞳は…。」


鳴鐘の質問に、八飛はどもることしかできない。


「…なんで、おまえら…。」

舌のろれつがまわらない。


無理もない。

先ほどまで八飛はたっぷり酒を染み込ませた

肉を喰い、倒れ、這い、逃げ出していた。


休み無しで動かした肉体はとっくに限界に達し、

みっともないほどよれよれの姿になっている。


「…最初、煙の方向に走って行ったが、

 アンタが逃げた可能性も考えてな。

 携帯のGPS機能でつけさせてもらった。」


そう言って鳴鐘は未だ位置情報を知らせるスマホ画面を

八飛につきつけ…やがて眉根をよせる。


「…弟さん、大丈夫か?なんか、様子がおかしいぞ?」


八飛はそれを聞き、ひやりとする。

そう、自分の背にはすでに死んだ弟がいる。


しかしそれを知られたら死体遺棄とも疑われかねず

八飛は今自分が崖っぷちにいることに気がついた。


「い…いや…これは…。」


そうして、何とか弁論しようと口を開けた時だ。

…自分の耳元に、なにかざわりとした感触が当たった。


「うわ!」


髪の毛とも、肌とも衣類とも違うその感触に、

八飛は思わず背負っていた弟を取り落とす。


そうして慌てて振り返り…八飛は気づく。

弟の…九条の口から出ていたあの舌。

その形状が変わっていることを。


…それはすでに舌ではなかった。

口元から出た紫色の舌のようなもの。


それは先端からまるで開いた花のようにベラリと

左右にわかれ、その内側は鮮やかな緑であり…。


…これは…いったい…。

そのとき、鳴鐘の声が八飛の意識をこちらに戻す。


「…これは…水の中の死体から出ていた植物。

 なんで、八飛…これはお前の仕業か…?」


鳴鐘の言葉に八飛はあわてて答える。


「…そんな…!そんなはずはない。

 俺たちは酒をかけた『すなあく』を喰っただけだ。

 酒で焼いた、『すなあく』を喰っただけだ。

 なのに、なのに何で弟の口からこんなものが…!」


そのとき八飛は思い出す。

車の中で使ったあの清酒。透明な、瓶に入った酒。

それが本来、なんと呼ばれていたかを…。


…そうだ、俺はあの酒を知っていた。

日記に書いてあったじゃないか。


草の匂いのする酒。

『すなあく』の共にする酒…。


「あれが…『ばんだあすなっち』…。」


今や九条の口から出た葉は今や完全に開ききり、その様子は

あの水に浮かぶ死体から出ていた葉と寸分も違わなかった。


「だが、だが…。」


そうつぶやきながら八飛は後退する。

そこは家々の明かりも届かない場所。

暗い木々の近くに八飛は近づく。

そうして自分の両の手を見つめながら八飛は嘆く。


「…なぜだ?なぜ俺はこうして生きている?

 アイツと同じものを俺も喰ったはずだ。

 アイツと同じものを飲んだはずだ…。」


ふらふらと、後悔と自責の念にさいなまれながら

八飛は後退する。


「同じ双子のはずなのに、同じ血を分けた兄弟なのに、

 なんで、こいつは死んで俺は生きているんだよぉ…!」


八飛はホルスターから銃を取り出し

自分のこめかみに当てる。


「ばか!やめろ!」


とっさに止めに入ろうとする鳴鐘を八飛は言葉で制す。


「動くな、動いたら撃つ!」


涙を流しながら八飛は叫ぶ。


「…もう、無理なんだよ!

 もとからこの事件、捜査をしても意味が無かったんだ…。

 知ってたか?あの村は政府の極秘事項で隠匿された村だと。

 昔から、人があの場所に行くと帰って来れない村だと…!」


その言葉に、鳴鐘と塞杖は絶句する。


「…俺は証拠が欲しかった、行方不明になった鳳来のためにも知りたかった。

 どうして村で人がいなくなるのか。どうして未だにその村があるのか。

 …しかし、もう無理だ。証拠は俺たちが喰ったうえ、弟は死んじまった。

 俺はこのまま豚箱入りだ!できる事は何も無い…もう、無いんだよ…!」


そして、八飛はぐいと引き金を引く。


…八飛は、これで終わりだと思った。

最後の一発の弾丸…それは自分の死によって使われる。


…しかし、そう思った八飛の腕がふいに軽くなる。

同時に体がバランスを崩し、八飛は地面に前のめりに倒れていく。

そして、地面に倒れた八飛は見た。


「…俺の…手?」


…そう、目の前に落ちているもの。

それはリボルバーを握る手首。

自分の手首で間違いなかった。


「なん…で…?」


そうして、続けて肩の痛みが襲う、

八飛はその原因を見ようとして…息を飲んだ。


自分の腕を、半透明の巨大なヤマアラシのような

生き物が噛み付いていた。


それは目も、耳もなく、ただただ巨大なその歯を

八飛の腕にくいこませズブズブと喰い進めて行く。


「…うぎゃああああああああぁ!!」


八飛は叫んだ。

周囲に聞こえるように、

危険を報せるかのように叫ぶ。


…そう、叫んだ理由。

それは恐怖の為だけではない。


…どこからわき出したのだろうか。

いつしか、八飛は複数の生物に食いつかれていた。

それは大小さまざまでありながら、足や、腰や、

今やほぼ全身が飲み込まれ、喰われていく。


…そんな、そんな。


目の前の鳴鐘たちはこの状況に頭がついていかないのか、

ただただ呆然とこの光景を見つめている。


見れば、弟の死体にも複数の生物が、走り、群がり、

グチャグチャと喰い進めている。


…一体、なんだ。なんなんだ!この光景は!


体の血の気が引き、意識が薄れていく。

しかし、鳴鐘たちの行動を見ていた八飛は気がつく。


…そうか、見えていないのか『コイツら』のことが…。


意識がゆっくりと沈んで行く中で八飛は悟る。

彼らの視線がすべて八飛のほうを向いていることに。

走り行く怪物に目もくれない事に。


まぶたがゆっくりと閉じられ、この出来事が実際は

ほんの一瞬の出来事であることを八飛は痛感する。


…なら、しかたねえかな…。


見れば、リボルバーにくっついていた手首も

すでに消え、残されたのはただ一丁の拳銃だけ。


…こいつら狙っていたのは、俺たちだけだった

…なら、いいかな…。


そうして、八飛は目を閉じる。

そして残された八飛の首は

見えぬ生物によってひと飲みにされた…。


(2)


「…ねえ、やっくん。今、何が起こったの…?」


困惑する塞杖の言葉に、鳴鐘も言葉が出ない。

…何しろ、この状況をうまく説明出来る自信がない。


八飛が自殺しようとした時、ふいに腕が消え手首だけが残された。

次いで、腕だけでなく胴や、腕や、手足が消失した。

最後に、手首も、首も…そして弟である九条までも消え失せた。


血も、肉片も残っていない。

残っているのは、ただ一丁の拳銃のみ…。


「ねえ、やっくん。一体…。」


そうしてさらに言葉を続けようとする塞杖の腕をつかむと、

鳴鐘は走り出す。


「え…?」


鳴鐘は走る。しゃにむに走る。

暗い公園を抜け、住宅街を通り、繁華街…。

とにかく明るいところへ、人通りのあるところへと逃げる。


これ以上、あの場所にいられなかった。

これ以上、あんな危険なところに塞杖を置けなかった。

そして駅まで走っていくと、塞杖がその手を振り払った。


「やっくん、痛い!」


そこで鳴鐘はハッとする。

見れば塞杖は今にも泣き出しそうな顔をして立っていた。


「落ち着いて…とにかくお互いに落ち着いて話をしようよ…。」


そこまで言うと、緊張の糸が切れたのか

塞杖はその場にしゃがみこみ、ポロポロと泣き出す。


時刻は深夜。人通りがまばらになったとはいえまだ人目がある。


「何で、なんでこんなことに…。」


そうしてグズグズと鼻をならす塞杖に、

鳴鐘は考えた後、そっと手を伸ばす。


「…悪かった。とにかくいったん事務所に戻ろう。

 話は、それからだ…。」


「…うん。」


そして、塞杖は鳴鐘の手を取る。

…お互い、疲れきっていた。

あまりにも多くの出来事が起き過ぎていた。


鳴鐘は空を見上げる。

いつしか、空に上がっていた白い煙はもう見えなくなっていた…。


(3)


事務所に戻ると鳴鐘はコンロに火をいれてやかんをかける。


そうしてちらりと席をみれば、ソファに座った塞杖はタブレットを

パチパチと操作し少し疲れた顔でこう言った。


「…なんか、車両火災のニュースが消えてる。ツイッターで調べても

 住宅街でも人が騒いでいたとか、拳銃が落ちてたとか、

 そんなニュースひとつもない…。」


鳴鐘は棚の中からコーヒー缶とドリッパーを取り出し、

セットしたフィルターの中に缶の中身をあける。


「…そうだとしたら、警察が火災車両のナンバーから

 八飛の車だと知って回収したのかもな。近隣住民が

 騒がないのは、単に情報が遅れているか、見つかった

 時点で警察が口止めしているかどっちかだろう。

 …ともかく、八飛の言う事が本当なら、今ごろ警察は

 上層部からの指示で隠蔽工作に走り回っているさ。」


そうして鳴鐘はお湯が沸いた事を確認すると、コーヒーをゆっくりと

ドリップし、最後のひとしずくが落ちるまで待つ。


それを塞杖は遠くで眺めてから、ぽつりと言った。


「…ねえ、あの話、本当なのかな?

 村が隠蔽されているとか、人が帰って来ないとか…。」


その言葉に対し、鳴鐘は首をふった。


「…わからない。とにかく今の俺たちにできることは何も無い。

 わかったことは警察の内部事情と『すなあく』の脅威だけだ。

 とりあえず、ここに警察がこない以上、しばらく静かに…

 …塞杖、泣いているのか?」


その言葉に、塞杖は赤くなった目をごしごしとこすると

必死に首をふった。


「…ううん、泣いてないよ。でも、まだ気持ちの整理がつかなくって。

 …あの二人が…目の前で死んじゃった事に実感が湧かなくて…。」


鳴鐘はそれには答えず、ドリッパーからサーバーを外すと

マグカップにコーヒーを注いでいく。


「…まあ、二人の人間が消えてしまった事は事実だからな。」


そうして、片方のマグカップを塞杖に

渡すと鳴鐘は先に飲んでみせる。


すると、その様子を見ていた塞杖はそれに習うかの

ように一口飲んでほうっと息を吐く。


「…よかった、半分だった味が戻ってる。」


そうして、少し落ち着いたのか

ゆっくりとコーヒーをすすりながら話しを続ける。


「…あの植物、八飛は九条の口から出た植物を

『ばんだあすなっち』って言ってたけど…

『すなあく』と関係あるのかな?」


鳴鐘はスマホを取り出すと日記のページを読む。


「…日記には集落の男が勧めた酒を『坂田の砂地』と呼んでいた。

 これをスナーク狩りの話と合わせて考えると『ばんだのすなち』

 とは、弁護士を狂気に陥れた怪物『バンダースナッチ』と考える

 のが自然だな。」


それを聞き、塞杖はおそろしそうに身震いをする。


「…げえ、あたしあの怪物って、物語に出て来る弁護士の見た幻覚だと

 思ってた…だって仲間が来たときにはすでに怪物がいないみたいに

 書いてあったじゃん…それにあたしたちの見てきた植物だって変だよ。

 何しろ『すなあく』と一緒に口に入れると気を失って…見えない

『何か』が見えるようになるみたいなんだもん。」


その言葉に鳴鐘はうなずく。


「…確かに、白金あづねも、消失する前の八飛も

 何か見えていたような素振りを見せていた。

 それに、白金だけじゃない。八飛のあの瞳…。」


そこまで話すと塞杖は身を乗り出した。


「そう、あの夜の中で光っていた八飛の瞳。

 あれは青色で間違いなかったよ!」


しかし、そう言った塞杖はふいにストンと座り込み

考え込むように額に手をあてる。


「でも、なんで?なんで九条はあんな姿に…

 あの防空壕の水辺の死体みたいになっちゃったのかな?」


それに対し、鳴鐘は首をふる。


「…わからない。何か違いがあるのかもしれないが…。

 それに、どうして不可視の存在が街に蔓延しているのかも

 わからないし、老人のみ襲う理由もわからない…。」


そうして、コーヒーの残りを自分のカップに注ぐと

鳴鐘はため息をついた。


「…まあ、どちらにせよ確かな事は、

 俺たちの捜査が振り出しに戻っただけだという事だ…。」


それに塞杖もうなずく。


「確かに、わかんないことだらけだよ…。」


そう、塞杖がつぶやいた時だ。

…玄関から、軽いチャイムの音が鳴った。


「…警察、かな…?」

「しっ…!」


鳴鐘は素早く塞杖の口元を押さえると、

その場にいるよう塞杖に身ぶりで指示し

単身、玄関の方へと向かう。


奇妙な事に向うに人はいるはずなのに、

玄関は物音一つしない。


…おかしい、妙に静かだ。

警察なら、名乗るはず。

それが無いということは…。


そうして慎重に鳴鐘はドアを開ける。


…そこにあるのはただ薄暗い廊下だった。

電灯がチカチカと点滅をし、わずかな明かりを求めた

蛾がその上を飛び回っている。


しかし、それ以上のものはなにもない。

人も、足音も何一つ無いように思われた。


そうしてドアを閉めようとしたとき、

鳴鐘は一枚の紙が足元に落ちている事に気がついた。


それはうす黄色く変色した古い紙であり、

拾うと、真ん中に短くこう書かれていた。


『廃ビル、「マネージメント・ケア」に明日夜8時に来い

「すなあく」について教える。—指ぬきより—』


鳴鐘はそのメモを見つめながら

ドアの前で立ち尽くすほかなかった…。


(4)


「…『指ぬき』って日記では集落の男が白金あづねに言った言葉だよね。

 確か話だと『まだあんた「指ぬき」になって無いのか?』…ってやつ。」


そういうと、塞杖は一杯のモーニングティーを飲む。


「…ああ、そうだな。」


鳴鐘は時計を見つめる。

時刻は朝の7時。


結局、あの出来事のあと警察や妙な投函はなかった。


しかし、鳴鐘は警戒を怠らずその夜は塞杖に自分のベッドを

貸すことにし、自分はソファで眠り朝を迎えていた。


「…おそらく、これも何かの符号なんだろう。

 死体になる人間を『石鹸』と言う所なんだからな。」


そう言ってあくびをしてから鳴鐘は気づく。

塞杖が何か思案げな顔をしている事に。


「…どうした、何か思うところでもあるのか?」


そのことに塞杖は顔をあげ、少し憂鬱な顔をするとこう言った。


「…いや、もしかしたらさ。このメモを残したのって

 日記に出て来た子供かもしれないって思ってさ…。」


「…ああ確かに。無くはないだろう。」


鳴鐘は生返事をする。


確かにその可能性は無くはない。

…いや、むしろ高い方だ。

何しろ集落の事情を知るものは少ない。


政府の一部の人間と自分たち、そして事件の当事者であった

集落の男の息子くらいなものだからだ。


…しかし、今彼がどうしているかはわからない。

何しろ自分たちが集落に行ったときに姿は一切見ていない。

本来なら生きているかどうかすらも怪しいところだろう。


そんなことを考えていると、

ふと塞杖が悲しそうな顔をしている事に気がつく。


「…でもさ、そうなるとなんでその子

 …もう大人かもしれないだろうけれどさ

 …あたしたちに、どうしてこんなメモを

 渡したんだろうって思ってね…。」


…確かに。それは言えていた。

どうしてはこんなメモをしたためたのか。

どうしては自分たちと接触しようとするのか。


怨恨?同情?

村の中で孤独のあまり友人を作りたいという願望?

そしてどうしてこのタイミングで接触しようと言いだしたのか…。


そうして鳴鐘は考えた後、もう幾度となく

言ったかもわからない答えを言う。


「…わからない。ともかく行けば答えは分かるさ。」


その言葉に塞杖は何も言わない。

そして無言でテレビをつけた。


…そこでは平凡なニュースがやっていた。

今が行楽のシーズンだとか、芸能人の誰それが不倫だとか結婚だとか

そんな他愛無いものばかり…昨日の出来事も、火事のニュースも、

まるでなかったかのように番組はすすんでいく…。


それを見つめていた鳴鐘は、

何となくだがこうつぶやいていた。


「…これが、世の中なんだな…。」


「へ…?」


きょとんとする塞杖に対し、鳴鐘は立ち上がると肩をまわす。


「悪い、塞杖。メモの時間までまだ余裕があるからな…。

 ちょっと疲れたし軽くシャワーを浴びてから昼まで寝る。

 えみりも眠くなったらソファで寝てていいぞ。

 時間になったら報せてくれると助かる…。」


そうして、ひとつあくびをすると鳴鐘はテレビを消し、

別室にある自分の寝室のドアを開ける。


そして、足を止めると塞杖につぶやいた。


「なあ、えみり。今の俺たちの見ている世界と

 周りの世界、どっちが正しいんだろうな…。」


塞杖はしばらく考えた後、何か言おうと口を開ける。


「えっと、たぶんだけれど…。」


しかし何か言う前に鳴鐘はドアを閉めた。


彼女の言う事がなんであれ、

答えになっていないことは確かだ。


そう、この世界は不条理だ。

本来あるべき事には目をつむり、

別の出来事で覆い隠される。


「…結局、世の中ってそう言うものなんだろうな…。」


鳴鐘はそう言うと、着替えのシャツを出そうと

クローゼットを開けた…。

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