第17話 おはぎ

 あなたは、ちょっと目が疲れてきたのでディスプレーを遠ざけて、目頭やこめかみをすこし指で揉んでみたりする。

 なんだ、この「ねこのおやつ」は。さっぱり意味がわからない。ねこのおやつがなにかしら問題になっているような気もするのに、まったく関係のない、あるいは関係なさそうな話も混じっている。

 こういうものを書く連中の頭は、いったいどうなっているのだろう。もう少し今後の国のあり方とか、経済に貢献する方法だとか、誰かを助けたり援助できる行動とかにその頭を働かせてみてはどうだ、などと思う。

 そして、そんな風に思える自分を、あなたはうれしく思う。自分としてはとても普通で、まっとうな世界に生き、日々、なにかの役に立つことに脳ミソの大半を使っているから。

 だからといって、世の中の誰よりも人の役に立っているなどと思い上がることもなく、誠実に普通にまともにまっとうに生活をしている。正しい道があるとしたら、その道のほぼ中央付近を進んでいる自信はあるし、そうありたいと願っている。

 なんというすばらしい人生だろう。かわいそうだが、「ねこのおやつ」を書いたりしているような人生に比べたら、何百倍もいい人生だ。この道を選んでよかった。

 あなたはチャイムが鳴って、少し驚く。

 こんな時間に誰が来たのだ。

 オートロックのマンション。液晶画面に馴染みの宅配便マークをつけた帽子。見えにくいがその風貌はこの地域を担当してくれている人に見える。何度か、荷物を受け取った。

「はい」

「お荷物です」

「えー、こんな遅くに?」

「すみません。時間指定で、夜の十時から十二時の間にお届けするようにとなっていまして」

 もうすぐ十二時。日付が変わる。

「おかしいな」とあなたは思う。そんな時間指定、できたのだろうか。世の中は、自分が思った以上に便利になっているし、サービス競争も終りがない。

「ご苦労様」と言いながら、ロックを解除した。

 ハンコを持って、あなたは玄関で待つ。エレベーターがすぐに来たとすれば、そろそろ来るはずだが、なかなか来ない。

 十二時。今夜も眠れないのかな、と少しあなたは不安になる。

 眠気がまったく感じられず、つまらない小説をネットで読んでしまった。つまらないなら、眠くなってもいいはずなのに。

 荷物を受け取ったら、薬を飲もうかな。以前、思い悩んで医者に相談したら処方された薬があった。

「それほど強くない薬ですから、気軽に使ってみてください」と若い女性の医者は言うのだが、眠れる薬、というだけで抵抗を感じているあなたは、とても気軽には利用できない。二度ほど試して、朝もボンヤリしていたのが不快で、それきり利用していない。

 朝はスッキリ起きたい。一日を無駄にしたくない。なにしろあなたは、正しい道の中央付近を進んでいるのだから。ボンヤリしたりうっかりしたら、道を外れてしまうかもしれないのだから。

 まだ来ないのかな、と思ったときにドアのチャイム。

 ホッとしてドアを開けると、見慣れぬ男が箱を持っていた。残念ながら見知ったドライバーではない。

「ご苦労様」とそれでもあなたはちゃんと礼を言い、箱を受け取る。

 ドアを内側からしっかりロックし、「誰からだろう」「なんだろう」と思いながら、キッチンにある白い丸テーブルに荷物を置く。

 キッチンのメインの灯りをつけると、弁当箱ほどの段ボールの箱は、思った以上に黒ずみ汚れていた。

 荷物の扱いが酷いじゃないか、これはまっとうな運送業者とは言えないぞ、とあなたは少し機嫌が悪くなる。

 剥がれかけたラベルを見る。

 差出人は企業名。微かに仕事で付き合いがあったところかもしれない、という気はするものの自信はない。

 品名は「おはぎ」とある。

 こんな夜に時間指定をして届けるものが「おはぎ」とは……。

 あなたの常識的な価値観からは逸脱している。

 しばらくあなたはイライラしながら荷物を眺める。宛名に間違いはない。しかし、なにか間違っている気がしてならない。

 あなたは迷う。

 食べ物だから時間指定をしたのだろう。この時間でなければならないのは、もしかしたら賞味期限の問題かもしれない。だとすれば、すぐに冷蔵庫に入れるべきだろうか。この段ボールは汚いのですぐにでも捨てたい。そうすると中身を取り出さないといけない。もしもなにかの間違いで私のところに届いたのだとしたら、開けてしまうのは問題だ。

 あなたは仕事関係のものが置かれている机に行き、手帳を開く。手帳を見るために少し度の強い眼鏡に変えて、その場所を明るくするために別のライトもつける。

 いま使っている手帳。昨年。一昨年……。しばらく数冊の手帳を眺めるが、差出人の企業名は出てこない。

 しょうがなく、パソコンの前に戻る。くだらない小説を消して、ブラウザで検索する。

 似た名の企業は出てくるが、ズバリの企業は出て来ない。

 荷物のラベルに戻る。電話番号がある。こんな夜中にかけていいものだろうか。誰かいるのだろうか。

 いや、夜中の時間指定をして発送したぐらいだから、当然、誰かいるべきだろう。

 あなたは電話をする。

「はい」

 女性が出た。落ち着いている。企業名を正確に名乗った。

「荷物が届いたのです」

 すると相手は少し声が明るくなって、あなたの名前をフルネームで正確に告げ「指定した時間に届いたでしょうか」と言う。

「ええ。ギリギリでしたけど。これ、私、貰っていいものですか?」

「もちろんです。ご当選されたのですから」

「え? 当選?」

 最近、宝くじは買ったものの、なにかの懸賞に応募した記憶がないので、あなたはかなり警戒する。詐欺だ。物を送りつけて代金を請求するアレだ。

 あなたは心しなければ、と自分に言い聞かせ、しっかり相手の正体を暴いて警察に事情を伝えなければと正義感にかられる。

「はい。と申しましても、応募されたことはないとお思いでしょうね。実は『ねこのおやつ』をお読みいただいた方の中から、無作為にプレゼントをお届けするキャンペーンで、当選されたのです」

 なにを言ってるんだ、こいつは。あなたはますます怪しむ。

「当社は委託されておりまして、個人情報を漏らすことなく、閲覧者を特定し、自動的に抽選して、当選者を決めております。あなた様の情報はどこにも漏れません」

「そっちは知っていますよね」

「発送した直後にデータは消去しています。送付した伝票の控えがこちらにありますが、このお電話を終えたあとにシュレッダーにかけます」

 そんなこと、信用できないじゃないか、とあなたはかなりイライラしてくる。

「中身はなんですか」

「おはぎです」

「さっぱりわからない。怖くて食べられないですよ」

「どう処分されるかは、あなた様の自由です」

 女の声はしだいに冷たくなる。

「それではお楽しみください」と勝手に電話が切れる。

 なんという失礼な。

 これは警察に相談すべきだ。

 かといって、朝までこの箱をここに置いておくのも気持ちが悪い。中身が腐っていやなニオイがしても困る。

 その前にもう一度、いまの女性に確認をしておこう。リダイヤルする。

 今度はしばらく呼びだしたのち「この電話は現在使われておりません」と機械の声になってしまう。

 自分の身にこんなことが起こるなんて。

 あなたはどうしてそんな仕打ちを受けなければならないのか、と少し恨む。すぐさま恨んだところでどうにもならない、もっと現実的でまっとうな行動をすべきだ、と気付く。

 開けて確認してしまおう。

 伝票は証拠だから残す。カッターでテープを切って箱を開ける。

 伝統の味「おはぎ」。

 そんな文字がデザインされた包装紙。

 これは見たことがある。あなたは、三重県の伊勢の方面で名物となっている菓子を思い出す。出張に行けば必ず買って帰ったものだが、それに似たデザイン。

 段ボールから出して、ラベルを探す。残念ながら、伝票と同じ社名と電話番号。住所は都内。賞味期限が先ほど日付が変わったばかりの今日になっている。

 警察官立ち会いのもとで中身を見るべきかもしれないと思いつつ、中身を見れば確証が掴めるのではないかと包装紙を丁寧に外していく。

 折り箱が出てくる。蓋を開けると、びっしりとおはぎが詰められていた。

 あまりにも当然すぎる結果に、あなたはむしろ怖くなる。「おはぎ」と書かれた荷物の中身がそのとおりの「おはぎ」であるなんて。あまりにも当然すぎるではないか。

 毒物である可能性が高いので食べることはできない。そのままビニール袋に入れて密封して冷蔵庫に入れた。

 明日、警察に届けよう。知らない人から食べ物をもらってはいけない。子供の頃からしっかりと身についている常識だ。

 あなたはそのとき、久しぶりに眠気を感じた。

 この感覚、久しぶりだ。眠い。眠れるかもしれない。いまを逃してはいけない。あなたは眠気を大事に抱えるようにしてベッドへ潜り込む。過去には似たような眠気があっても、ベッドに入ったとたんに目が冴えてしまうことも多く、がっかりしたものだが……。

 すばらしい。なんという幸福。あなたは、すうっと息を静かに吐き出すように、眠りについた。何年ぶりだろう。これほど気持ちよく眠れるのは。

 どのぐらい眠ったのだろう。

 目は開かないのだが、朝日を浴びている感じ。暑い。いや熱い。全身が燃えるようだ。荒い息をするが、ヒューヒューとそのたびに聞いたことのない音がしている。

 暑いのはなにかが自分にまとわりついているからだ。この気持ち悪いものはなんだ。

 あなたは昨夜、眠る前に起きたことを思い出す。奇妙なことがあった。夜間に時間指定された宅配便。中身は……。確か「おはぎ」。その送り先に電話をしたが要領を得なかった。そうだ、警察に届けるのだ。急がなければ。

 自分にまとわりつくものを引き剥がす。なにかべとべとしたもの。指にいっぱいつく。指をしゃぶると、あんこのように甘い。なんだこれは。

 あなたは夢中になって全身、顔から頭から、まとわりつくものを手で剥がしていく。

 熱い。痛い。目が開かない。

 ベッドからおりて、長年暮らした部屋なので見えなくても洗面所へ行ける。

 手も足も痛い。なったことはないが、痛風だろうか。リュウマチだろうか。どこもかしこも熱くて痛い。焼けるようだ。

 洗面所。そこはヒンヤリとしていて、少しは気落ちがいい。顔を洗おうか。いや、このままバスルームに入ってシャワーを浴びよう。冷たい水を全身に浴びれば少しは気持ちもよくなるだろう。

 あなたは洗面所の横にあるドアを確認する。通常、そこは開けたままだから。

 ユニットバスにつかまって、シャワーの位置を確認する。水を出す。勢いよく冷たい水が飛び出す。

 気持ちがいい。冷たくて。ベタベタしたものが流れていく。

 石鹸の位置がわからず、とりあえず頭から水をしばらく浴びて楽しむ。

 やっと目が開きそうだ。目が開かなかったのはなにか、べっとりとくっついていたからだ。それが流れ落ちていく。

 あなたは目を開ける。

 バスルームの鏡に、あなたの姿が映る。

 なんだ、これは。

 あなたは愕然とする。

 理科室にある人体解剖模型のような、自分の姿。目がおかしいのか。

 それが、あなたの最後の記憶となる。


 数日後、あなたと連絡の取れないことを怪しんだ取引先の社員が警察に連絡し、彼らがドアを破壊して部屋に入り、バスルームのあなたを発見する。

 バスルームから寝室まで、べったりと血のあとが続き、ベッドは大量の血で染まっていた。

 流しっぱなしのシャワーによって、あなたの血液と皮膚の大半は排水溝に流れてしまっていた。

 あなたは、どうすればそんなことができるのかわからないのだが、自分の皮膚をすべて剥ぎ取って死んでいた。その皮膚の断片がベッドからバスルームまで点々と落ちていた。

「薬物の摂取によって、幻覚を見たのかもしれませんね」と主張する専門家もいたが、真相はわからないままだった。

 冷蔵庫の中に残された賞味期限の切れた「おはぎ」に関心を持つ者はいなかった。

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