第15話 かえだま

「こんばんは」

「どちらさまでしょう?」

「えっと。無料の替え玉なんですが」

「え?」

「ですから、あなたの替え玉なんですけども」

「意味がわからないんですけど」

「そのまんまです。ご注文いただいたんですけど。あなたの替え玉」

 ドアフォンの画面に、おれそっくりの男が映っていた。

「便利にお使いいただけるんですけどねえ」

 替え玉はおれそっくりの声で言う。

 ドアを開けてはいけない! 心の中で強く叫ぶおれがいた。

 それなのに……。

「いやあ、ありがとうございます。助かります。みなさん、なかなか入れてくれないものですから……」

 そりゃそうだ。頼んでもいないのに、突然、自分のクローンが現れるなんて。

 やつは、おれのようにここをよく知っているようで、後ろ手にドアをしめ、鍵をかけ、靴を脱ぐ。汚れ方、減り方までそっくりな靴が二足。

「注文、してないんだけど」

「ああ、ご注文はあなたではない? ちょっと待ってくださいよ」

 よれた背広はまさに、さっきまで自分が着ていたものとうり二つ。その内ポケットから紙を出す。

「ご依頼主は、この方ですけど」

 書類はコピーだ。署名欄に、あの女の名とサインがあった。

「奥様ですよね?」

「離婚している」

「そうでしたか。わたし、あなたにそっくりですけど、なにもかも知っているわけではありませんので……」

 こうして私と替え玉の共同生活がはじまった。

「今日は私が行ってきてもいいですか?」

 やつは、うずうずしていたようで数日後に、ようやくおれが許可したら、うれしそうに小躍りしながら会社へ行った。

 楽ちん楽ちん……のわけがなかった。心配だ。どうせ、おれは会社でもろくな働き手ではない。先日、おれが寄付したキャットフード「ねこのおやつ」で大量の猫の毒殺事件が発覚し、渦中の人になってしまってからは、余計に会社で阻害されている。

 それを送りつけてきた女は行方不明。離婚のきっかけは、性格の不一致。いたたまれない日々にピリオドを打ったはずだった。

 それなのに……。

 ねこのおやつの次は、替え玉だ。

 彼女の狙いはなんだ?

 替え玉ビジネスがいつの間にか世の中に誕生していたのも驚きだった。

「ご本人様のみにしかお渡しできないことになってるんですよ」とやつは言っていた。たとえ依頼が元妻でも、彼女がおれの替え玉を受け取ることはできないシステムなのだ。

「顔認証は通りますが、指紋認証はダメです」みたいなことを言う。

 入出国の審査には通ってしまう。

 替え玉はおれのパスポートで世界中を旅することができる。

 行方不明の彼女は、もしかして、替え玉と接触するのではないか。ここに奪還しにくるのではないか。いや、彼女に、おれとやつの区別はつくのだろうか。間違えて、おれを奪還したらどうなるのか。

 そもそも替え玉だ。別れた理由が性格の不一致だったのに、なぜ、もうひとりのおれが必要なのだろう。

 元妻と替え玉が共謀しておれを殺せば、替え玉は、おれの生存を証明し続けるだろう。おれは死んでいないことになる。

 じゃあ、おれの死体は誰だ。

 これじゃあ、まるっきり落語じゃないか。

 無言で替え玉が帰ってきた。

 不機嫌そうにスーツを脱ぎ、「なんだ、風呂、わいてねーじゃん」と言いながらスイッチを入れて半裸のまま冷蔵庫から缶ビールを取り出し、「ふあっ」と言いながら飲み干し、「部長がさあ」とグチ。

 まるで自分を見ているようだ。

 スーツや靴下は脱ぎっぱなし。ろくに手も洗わない。外でついたニオイをそのままに、家庭を蹂躙して歩くモンスター。

 それが、おれなのだ。

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