第18話 ちくわぶ

 コバヤシがおれのアパートにやってきた。強烈な夕焼けだ。

「これ、食べる?」

 透明なビニール袋に入った茶色っぽい液体。その中にごろごろと漂っている灰色の筒状のもの。

「なに?」

「ちくわぶ」

「え?」

「おでん。作り過ぎてさ」

 どんだけ作り過ぎたのか。いま彼が手にしている袋の中だけでも、少なくとも五、六本の灰色の太く長いものが、うごめいている。

「これ、なに?」

「ちくわぶ」

「食べたことないな」

「だと思った。だから持ってきた。一度、食べてみればいいよ。おれなんて、おでんはこれだけでいいんだ」

「ちくわなの? 麩なの?」

「へへへ。どっちでもない。小麦粉。すいとんみたいなものなんだよ」

 コバヤシはそう言ったあと、「ところで」と急に話を変えた。

「君さ、ちくわぶも知らないようだけど、この前、動物愛護の話をしていたよね。ペットを捨てたり虐待するやつは許せないって」

「ああ、まあ」

 夕焼けは終わり空が濃い群青になる。

「飼ってるの?」と部屋の中を覗こうとする。狭いアパートだ。

「むりだよ。ここは禁止。それにこんな狭いところだし。面倒見れないし」

「もしさ。飼っているとするだろ。悪いやつに捕まって、そいつがおまえのペットを殺すって脅されたときさ」

「わけわからないよ」

「まあ、聞けよ。究極の選択だよ。悪いやつがさ、『ペットを助けたければ、おまえの体の一部を切断しろ』って言われたら、どこまでなら切断する?」

「えっ。なにそれ」

 アパートの玄関先で、ちくわぶを持って、そんな話をするコバヤシ。こんな変なやつだったのかと改めて驚く。本当に知り合いのコバヤシなのだろうか。なにがあったのだろう。

「な、おまえならどう? 足の指とかならいいかな? 手の指なら何本まで? それとも腕とかまでOK?」

「そんなの嫌だよ。どうしてそんなの選ばないといけないんだよ」

「ま、ちょっと考えてみてよ」

 そしてコバヤシは部屋に上がりもせず、ちくわぶを置いて帰っていった。

 ちくわぶは、好みに合わなかった。一口囓ってあきらめて捨てた。

「いる?」

 翌日、もう寝ようかと思った頃に、コバヤシがやってきた。

「どうしたの」

「開けてくれよ」

 ドアを開けたくない気持ちがあった。本当のコバヤシかどうかわからない。帰ってほしかった。

 だがこのまま部屋の外に立たせておくわけにもいかない。

 ドアを開けた。

「おでん、作り過ぎたから持って来た」

 コバヤシは左手を包帯でぐるぐる巻きにしていた。

「今度は、ちくわぶじゃないから」

 薄茶色い出汁の中を、なにか細長いものが数本、泳いでいた。

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ねこのおやつ 本間舜久(ほんまシュンジ) @honmashunji

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