連載中の長編小説「ブラッドシティ」はなにしろ半世紀も前の時代設定で、いろいろと不思議な描写や言葉が登場するはずです。そこで、これから何回かにわたって、少し、そのあたりのことを解明してみようと思います。
ただしネタバレはありません。
なお、「ブラッドシティ」は厳密な時代考証をするタイプの作品ではありませんが、当時の社会、世相を反映している作品となっています。
●はじめに
ここに登場する人物は誰なのか。謎です。著者なのか、それとも……。
●おっかねえ
カメラ
当時は一眼レフ、二眼レフが主流で、手持ちのコンパクトなカメラはまだあまりなくとても高価でした。シャッター音も大きかったはずです。
東海道新幹線
東京駅から新大阪駅まで。当時は国鉄。1959年(昭和34年)着工、1964年(昭和39年)完成です。当時は「弾丸列車」とも呼ばれていました。また開業後の最高時速は210キロでした。現在は270キロです。
Y市
横浜市かもしれません。
米軍基地
厚木基地でしょうか。
O鉄道
小田急線?
S鉄道
相鉄線?
チャッチャッチャ!
「おもちゃのチャチャチャ」(野坂昭如作詞、吉岡治補作詞、越部信義作曲)。1959年(昭和34年)に登場していた曲ですが、この小説では1962年(昭和37年)8月にNHK総合テレビの幼児音楽番組『うたのえほん』で知られるようになってからのことが混在しているようです。「鉄腕アトム」のことを考えれば、小説の前年にヒットしていた可能性がありますね。
誘拐事件
よく知られている吉展ちゃん誘拐殺人事件は 1963年(昭和38年)に起きています。このほか少年誘拐ホルマリン漬け事件(1957年)、雅樹ちゃん誘拐殺人事件(1960年)、狭山事件(1963年)、女子高生籠の鳥事件(1965年)など。
誘拐を扱った映画『天国と地獄』は1963年に公開されています。
おっかねえ
実在しないテレビドラマからの流行語らしい。少なくともこの頃から、テレビやラジオなどから、子供たちが真似る傾向は強くあったはずです。
紅白歌合戦
テレビ中継は1953年から。
ハイそれまでョ──クレイジーキャッツの植木等が映画の中で歌い、大ヒットしました。
鉄腕アトム
アニメ作品として1963年(昭和38年)元旦の夕方から放送開始していました。この小説では、もしかするとその第一回放送のことを話しているのかもしれません。
V、A、C、A……
歌手の弘田三枝子がカバーして紅白歌合戦などでも歌っていた「ヴァケーション」の中に出てくる歌詞ではないでしょうか。ヴァケーションの綴りをテンポよく歌うフレーズが人気でした。
当時は、テレビCMで「SONY」などアルファベットの綴りを覚える子供たちがいっぱいいました。第二次大戦中は「敵国」だったこともあって、アルファベットの苦手な親たちも大勢いたことでしょう。
なお小説の中では「美枝子」が登場していますので、そうした意味合いもあったのかもしれません。
凧揚げ
正月の遊びとして、コマ回し、羽根突き、凧揚げは、まだ実際に存在していたはずです。正月、冬休みなど空き地などでいくつも凧が空を舞っていたのです。
●はしたない
町の裕次郎
石原裕次郎は、初期は映画スターであり、多くの人の憧れでした。この作品の頃は、当時独占していた大手三社による映画制作状況から脱しようともがいていた時期でしょう。
当時は憧れの対象がステレオタイプ化しており、野球なら長嶋茂雄、スターなら石原裕次郎など、いくつかのパターンがあったようです。
しかも、当時はひとつの流行が数年続くことも多く、長く幅広く浸透していく傾向がありました。
天才
この頃から教育熱心な人たちが増えて、自分の子供が天才ではないかと期待する親もたくさん登場するようになりました。また、登場人物の中で絵画教室に通っている話も出てきますが、ピアノ、そろばんなどの塾が盛んになっていき、ピアノの天才少年少女、暗算の天才など、さまざまな天才が話題になっていたのです。「ちびっこ●●」といった企画も多数ありました。
このあと「現代っ子」といった言葉も登場し、子供の教育は社会的なテーマとなっていきます。
米軍住宅
現在ではかなり縮小されていますが、この作品の時代は、朝鮮戦争の休戦直後であり、中国、ソ連(現・ロシア)の勢いが増していく中で、むしろ日本での米軍の存在は大きくなっていく傾向がありました。これがベトナム戦争まで続きます。
多くの軍人が日本に駐留したので、その家族のための住宅も多数ありました。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫
「三種の神器」と呼ばれ、1950年代後半から各家庭で欲しいものとして、憧れの対象でした。小説の舞台は60年代なので、モノクロのテレビや洗濯機ぐらいはかなり普及していたはずなので、それがない家は一般的な水準からすると貧しいと見られることもあったはずです。
シミーズ
正式には「シュミーズ」でしょうが、当時は多くの人が「シミーズ」と日本語風に呼んでいたようです。当時、主に女性の下着として一般的でした。
ついでに当時の服装について触れると、洋服の多くは手縫い、または家庭でミシンや編み機を使って家族の服も作っており、裁縫教室、編み物教室も人気でした。月賦でミシンを買う人も大勢いました。
素材はウール、コットンが主で、化学繊維も普及しつつありました。
いずれも、重ね着しなければ寒いのが現状でした。子供たちは、毛糸のパンツを重ね履きしたり、腹巻きをすることも、珍しくありませんでした。
映画
戦前に最初のブームが起きた映画ですが、第二次大戦中は壊滅状態。禁止もされていました。そのため戦後、いっきに海外からの映画が流れ込む中で、しだいに勢いを取り戻し、第二のブームが起こり、1960年代は映画の作品点数を含め、日本の映画のピークとなりました。このため小説の背景としては、日常的に映画を見に行くのは珍しいことではありませんでした。地方都市でも繁華街には映画館があった時代です。
市電
当時、公共交通機関としてY市(横浜だとして)には、国鉄、私鉄のほか、市電、バス、トロリーバス、タクシーがありました。なかったのは、地下鉄ぐらいのものでしょう。
ちなみに横浜市営地下鉄の開業は1972年です。なお、もしY市が横浜なら、京急(京浜急行)もあったはずですが、小説の中にはいまのところ、それらしい描写はありません。
つづく