目次だけの本。
その執筆動機は、この記事でした。
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/180918/ent1809188442-n1.html《樹木希林さん、幻の書籍構想“目次だけ”の本 もし実現していたら… 》
「目次だけの本なら書けないこともない」と樹木希林さんが生前に話していたというのです。
私は、「ねこのおやつ」で自分が特に苦手としていたショートショート的な「とっても短いサイズの作品」に挑戦をしはじめていました。
次に苦手なのは、企画書であるとか構成とか目次とか、そういうたぐいの作業です。
プレゼン用にあらかじめ「構成だけ」を表現するとか、「仮でいいから目次だけ」といった状況は現実にあると思います。
ですが、書いてもいないものに、構成や目次で表現するなんてできない。それがこれまでの私の考えでした。
とはいえ、いまの時代、自分の表現したいことをすべて長編小説で表現しなければならないとしたら、書く私も大変ですし、読むみなさんも大変です。
だったら、目次だけの本を書いてみよう、と思いました。
これは、なにかの事情で、目次だけがかろうじて残された図書館のようなものです。私の本棚といってもいいかもしれません。
さまざまなジャンルの本の、目次だけが残っている状態。
それはどんな内容だったのか。
目次から想像するしかありません。
私は、いつか書きたい作品の中から、たぶん、自分では書かないだろうなと思うものを選んで、この「目次だけの本」という作品として表現しようと思っています。
どの本も、いい加減なものではなくて、私なりにちゃんと内容ははっきりしているのです。お話するだけなら、どの本についても、ちゃんと説明することができるはずです(たぶん)。
だけど、書かないし、書けない。
いつか、この中から本当に書いてみたいと思って、書き上げる作品があるかもしれません。
でも、そうなったら、たぶん、目次は変わってしまうだろうな、と思っています。
作品は生きているので、書いている間にも変化してしまい、あらかじめ予定されていた目次の通りにはいかないに決まっているからです。
もちろん、みなさんの中で、この目次にインスパイアされてご自身で本をお書きになるのはかまいません。
ただ、そのときは、途中で目次を大幅に変更しちゃってもいいので、とらわれすぎないようにお願いいたします。
スキーのスラロームや大回転のように、ちゃんと旗門(目次の項目)を通過しなければならないというような、窮屈なルールはありませんから。
作品になるときには、それはもう作者と作品の行きたい方向にどんどん行ってしまっていいのです。
ちなみに、私の想定では、目次から受けた印象のままのジャンルではない、ということだけは申し添えておきます。