第21話 第四章 除霊は、技術にあらず、力にもあらず、芸術である(七)
試合を「しょっぱい」と表現していたが、鰐淵の声に安堵が混じっていた。
鰐淵が消えた。集団催眠が解けたと悟った。
近藤を見ると、近藤が涙を流し嗚咽を漏らしていた。
テープで区切られた空間に近藤を一人にして、出た。
近藤は泣き止むと泣き腫らした顔で、郷田の前に来て頭を下げた。
「主人もこれで、思い残すことはないと思います」
どうやら、依頼は完了したらしいが、わけがわからない。
龍禅が優しい顔で静かに尋ねた。
「鰐淵さんは、この部屋で亡くなられたんですか」
近藤が部屋を見渡して発言した。
「鰐淵は、この部屋でなくなりました。あの人は、リングに上がるために、ずっと病気と戦っていたんです。でも、所属していた団体が、破産して消えたんです。もう戻る場所がないとわかると、急に病気が進行しました」
一緒に試合をしたが、霊の存在をまだ信じられない。けれども、生きている近藤の気持ちは、汲まねばならない。
郷田は近藤に頭を下げて詫びた。
「鰐淵さん、試合がしたかったんですね。でも、だとしたら、悪いことしたかもしれません。最後の相手が俺で、しかも観客もいない試合なんて」
近藤が涙を拭いて、悲しそうに語った。
「最後に、あの人が零していました。もう一度、試合がしたい。贅沢はいわない。相手はド新人でもいい。会場は小さくても構わない。観客は一人じゃ寂しいから、二人は欲しい。二人いれば充分だって」
霊はまだ信じられない。だが、鰐淵の霊がいたとしたら、安堵した理由は理解した。
龍禅が呼びかけても出てこなかった理由は、おそらく龍禅が相手ではプロレスにならないからだろう。霊で人でも、興味がなければ、呼びかけに応じなくて当然。
郷田に替わって、ようやく出てきた流れも、想像できた。
鰐淵にすれば、わけがわからん連中が入っているので、最初は眺めている。
そのうち、鰐淵のテーマが流れ、興味を持つ。不恰好ながらリングらしき物が組み上がってゆくので、試合があるのかと、少し期待する。
レスラーかどうかわからない男が入場してきた。相手がレスラーかどうか試すと、体だけは作ってきている。どうやら、一般人ではない。顔を見ると知らない顔なので、新人らしい。
こいつは対戦相手なのかと考えていると、よくわからないが前説が始まった。前説らしきものが終っても、まだ試合だと思えないので鰐淵が出ていかない。すると、再度、前説が流れる。
そんな状況が四回も続くと、「これは、どうやら俺を待っているらしいぞ」と鰐淵が感じる。
そうなると、鰐淵のテーマ曲も流れっぱなしな理由も理解できる。あまりにも、しょぼいと思うが、二人とはいえ、客が入っている。
あれだけ、やりたかった試合の準備が整った。気が付けば、体は試合に出られる状態になっている。試合をやる最低限の条件はクリアーして、対戦相手と客が待っている。どうして、尻込みしていられようか。
全ては郷田の思い込みかもしれないが、だいたい合っている気がした。
近藤がもう一度、深々と頭を下げて礼を述べた。
龍禅が優しい顔で「みんなで後始末しましょう」と提案した。
ケリーと一緒に同意して、後片付けをした。片づけをしながら、近藤を視界の端で窺うと、近藤は泣いていた。
泣いている近藤に寄り添っている鰐淵の姿が見えた気がした。
片づけが終ると、龍禅はすぐに場を後にした。龍禅の優しさだと思った。
未練が消えた鰐淵は消える気がした。なら、最後は二人だけにしたい。
龍禅が運転する帰り車の中で尋ねてきた。
「これが、私の仕事なの。少しは、わかったかしら?」
龍禅の問いより、別の事柄が心を捉えていた。
「少し考えさせられましたね。鰐淵さんは、夢を追って途中で亡くなったでしょう。鰐淵さんは後悔してないんですかね。もっと、別の道を行っていれば、とか?」
ケリーが横で、少し怒った顔で意見を述べた。
「それはないです。何をやっても、危険や挫折はあります。もちろん、何かの理由で諦めなければいけない事態になるかもしれません。でも、受け入れるのも、避けるのも、本人が決めることです。大人とは、決められる人間です」
格闘技の道を諦めると決めた。だが、果たして、格闘技を諦めずに戻ったほうがいいのだろうか。
このまま、交通事故で亡くなったと仮定する。中途半端な郷田は、どうなるのだろう。どこにも行けない気がした。
とはいえ、今の陰陽師生活も、格闘技とは違う楽しさがあるのも事実だ。今、陰陽師を投げ出せば、格闘技を諦めた時のように後悔するかもしれない。
龍禅が郷田の心を読んだかのように、軽い口調で発言した。
「迷っているなら、迷ったらいいでしょう。人間は死んだら、成仏しなきゃいけない理由は一切ないのよ」
初めて聞く言葉だった。
龍禅が尼寺の尼僧のように語った。
「こうでなければならない、と思い始めた時点で、人間は他に決めるべき内容を考えずに放棄している。そんな状態で決断すると、何かを決めているように見えて、実質、決めていないと同義。なら、迷ったらいいでしょ」
「お言葉ですが、いつまでも決められないと、何も前に進みませんよ」
「鰐淵さんのケースは、どうだったかしら。鰐淵さんは、諦める決断をしなかった。だから、迷った。迷ったけど、ちゃんと郷田君が解決したでしょ。決めても、決めなくても、必ず結果は、やって来るの。ただ、人間は自分が決めたと思うと、耐え易い。僅かな違いよ」
まだ、納得がいかないと、ケリーが「そうですよ」と相槌を打ったので、すぐに突っ込みを入れた。
「ケリー。さっき、決められるのが、大人だって言ったよね」
ケリーが頷いてから、賢そうな口調で発言した。
「いいましたよ。ですが、大人になるのがゴールではないのです。大人になった時から始まるのです。ですから、ケリーもまだ道の途中なのです。迷いながら、歩いていかねばならないのです」
二人の会話はよくわからない。だが、決めるのに一年くらい時間の猶予があるのは、確かなようだ。なら、もう少し、陰陽師を続けてみよう。
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