第4話 第一章 陰陽師って美味しいの(四)

 頭を下げてからの十秒が、とても長く感じた。

 鴨川が座る気配がしたので、顔を上げた。鴨川がとても不機嫌な顔で、マフィアの親分が脅すような口調で尋ねてきた。


「まあ、一度は目を瞑ろう。だが、次はないぞ。正直に答えろよ。お前、陰陽師について、どこまで知っている」


 郷田は畏まって「まったく、何も、一切合財、露ほども、微塵も、知りません」と答えた。


 鴨川が「なんで、こんな奴を呼んだかなー」と言いたげな、悔しさと辛さが混じった表情をした。


「面接、落ちたな」と思うと、鴨川が呆れた口調で説明し出した。

「厳密に言えば違うが。陰陽師とは簡単にいえば、呪術師だよ」


「じゅじゅちゅ?」と郷田は口にした。

 鴨川がイラっとした顔で半ばキレ気味の口調で言い直した。


「違う! じゅ、じゅ、つ。赤ちゃん言葉にして、どうするんだよ。呪術だよ。呪術。魔術の一種だよ」


 正直、状況がよくわからない。なんで、豚カツ屋がマジシャンを募集しているか、経緯が不明だ。ラスベガスに出展して、観客の前で豚カツを揚げながら、手品を披露するんだろうか。


 油の傍でショーをするって、火事の可能性があって、とても危険な気がする。特に素人なら、大惨事になるかもしれない。


「すいません、俺、手品の経験ないんですけど」


 鴨川が口を開けたまま、天を仰いだ。次いで怒りを飲み込むような表情をした。最後に頭痛で歪むような顔をしてから、向き直った。

「あのね、郷田くん。手品は関係ないの。やってもらうのは、陰陽道。陰・陽・道、これ大事だよ」


 わけがわからなかったが、大事と念を押されたので「はあ」と頷いた。


 鴨川は馬鹿に物を教えるような、丁寧な口調で話し出した。

「陰陽師は平安の頃からある職業でね。昔は、政治家のために、天文を読んだり、占いをしたり、厄避けの祈祷をした人たちなの、ここまでは、いいかな」


 手品ではなく、本当に魔術師なのは、わかってきた。だが、なおさら、陰陽師が豚カツ屋とは関係ない気がしてきた。


 魔術や霊能力について、興味がなかった。知りたいとも思わなかった。唯一の接点があるとすれば、大学入学時に学生部から霊感商法や新興宗教について注意を促されたくらいだった。


 失礼とは思いつつも、首を傾げながら、率直に尋ねた

「すいません、社長。朧げに陰陽師についてわかりました。ですが、なんで、《カツの新影》で陰陽師の募集をしているんですか?」


 鴨川が渋い顔をして「話せば長くなるが」と口にした。

 もう、就職試験の雰囲気ではなかったので「失礼します」と立ち上がった。

 とてもではないが、就職試験でもないのに、老人の長話は聞きたくなかった。


「いいの? ここ聞かないと、日当の一万円が出ないよ」と鴨川が発言したので、すぐに正座で座り直した。


 一万円と言えば、バイト十時間分の金額だ。いくら話が長いといっても、十時間は話さないだろう。老人の話を聞いて一万円を貰ったほうが得だ。


 鴨川が呆れた顔で「君は悪い意味で、正直な人間だね」と発言したので「恐れ入れます」と返した。


 鴨川が過去を懐かしむ老人の顔で話し始めた。

「私の両親は、鴨川新影流陰陽道の陰陽師だったんだよ。でもね、私は家を継ぐのが嫌でね。十八で家を飛び出した。そうして、働いたよ。もう、我武者羅(がむしゃら)に働いた――」


 欠伸が出そうなったので、噛み殺した。

 鴨川が「え、もう、飽きたの? まだ、触りだよ」と注意したので、「飽きてないです」と取り繕った。


 鴨川があまり長くなると聞いてもらえないと思ったのか「もう、いいよ。途中は端折(はしょ)るから」と不機嫌に口にした。


 つい「お願いします」と正直に口にすると、鴨川は眉を吊り上げた。

「こいつは」と怒り出しそうになったので、慌てて頭をさらに一段低く下げた。

 鴨川が「どうしようもない奴だと」ばかりの顔をして、ぶっきらぼうに口にした。


「私は家を出て成功したんだよ。豚カツ屋でね。でもね、今の地位を得るまで、実家には一度も連絡をしなかった」


 鴨川がどこか辛そうな顔をして語った。

「成功すると、両親がどうしているか気になったよ。家を継げなくても、育ててもらった恩返しをしたいと思って調べた。そしたら、二人とも亡くなっていた。親孝行したい時には親はなしとは、よく言ったもんだよ。私には弟と妹がいたが、二人も亡くなっていた」


 郷田は黙って頭を垂れた。なんとなくだが、鴨川の辛さがわかった気がした。


 鴨川が苦い顔をして淡々と言葉を続けた。

「鴨川新影流陰陽道も、誰も継ぐ者がなく、絶えた。私が絶やしたようなものだよ。私の両親はね、陰陽師に誇りを持っていた。若い時は、あんな古臭い時代遅れのものと思った。だが、今なら、少しだけ、わかる気がするよ」


 鴨川が郷田をじっと見て、静かに思いの丈を語った。

「私は、もう高齢だ。いつ亡くなるかわからない。だから、両親へのせめてもの孝行として、一度は絶えた鴨川新影流陰陽道を復興させて、後の世に残したいと思ったのだよ」

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