第13話 第三章 陰陽師になりたくて(三)
早朝、夜が明けないうちに、日課のトレーニングをする。シャワーを浴びて、汗を流して、食事をとってから龍禅の家に行った。
龍禅の家に着くと、修業の一環として家事をする。
修行と称して家事をやらせる命令は、いかにもインチキ霊能者らしい。けれども、修行名目なら、社長から給与をせびれる。
どうせ、豚カツ屋に就職しても、店の掃除、洗い物、片付け、賄い作りはやらされる。
大きな違いは、豚カツ屋にはケリーがいないが、龍禅の家にケリーがいる。
ケリーは家事ができる男に好意を持っているようだった。なので、好感度を稼ぐために龍禅の家では、自宅にいるときより真面目に家事をした。
午後から、陰陽師の稽古となる。されど、稽古といっても、呼吸法を伴った座禅なので、中身はない。
「精神修養の基礎」と龍禅が謳っているが、どうも嘘臭い。嘘臭いが、手を抜くにはちょうど良いので、あえて不満は口にしなかった。
精神修養の後は独学となる。ここで、鴨川に貰った、役に立たない日本語の本が大活躍をした。
ケリーも俺もわからないので、一冊の本を眺めて、ああでもない、こうでもないと語り合う。
勉強の本なら読む気もしないが、ケリーと話す共通の話題のためなら、苦はない。むしろ、わからないほうが好都合だった。
わからないから、話が弾む。少し、わかると「さすが郷田さん」と褒められる。また、一冊の本を一緒に見るので、自然と距離も縮まる。
本が難解な内容だった事態に感謝するなんて、もう一生ないだろう。
楽しい時間が過ぎて、龍禅がイラつく頃に、家に帰る。帰りは、体を鍛えるために走って帰った。
この、今日一日を振り返りながら走るランニングが、また楽しい。
楽しい日々はずっと続けばいいと思った。そう思いつつ「うふふ」「きゃはは」と楽しい独学の時間中に、顔に怒りを貯めた龍禅が、大きな音を立てて襖を開けた。
「ちょっと、良い加減にしてくれないかしら」
ケリーとの話声が大きかったと思い、詫びた。
「すいません。独り者で、寂しい先生には、今を楽しむ若者の会話は、辛かったでしょうか?」
龍禅が据わった目をして口を開いた。
「いっておくけど、私は郷田君より五つ年上なだけで、そんなに年は離れていません。ケリーは、ちょっと席を外してちょうだい」
ケリーがそそくさと部屋を後にすると、龍禅が小言を続けた。
「郷田君の様子を毎日、見ていたけど、修行は全く進んでいないでしょう」
「そんなことありませんよ。三歩進んで、二歩下がる。着実に進んでいますよ」
龍禅が険しい顔で、当て付けるように言い放った。
「端から見ていると、亀のような速度で進んでいるようにしか見えないわよ」
「いいんですよ、亀で。先生はアキレスと亀の話を知らないんですか」
龍禅が「間違っている」と言いたげな表情で、疑問を投げかけるように聞いてきた。
「知っているけど、『兎と亀』の亀の話ではなく『アキレスと亀』の亀で、いいの?」
郷田は得意気に教えた。
「いいですか、先生。亀がいた地点までアキレスが進みます。すると、先に歩き出している亀は、元いた地点より先に進んでいます。アキレスが次に亀にいた場所まで行くと、また亀が少し進んでいる。でも、二人の間の距離は最初の時より確実に縮まっている。二回目より、三回目と、差は段々と小さくなる。何度も繰り返せば、差は、いずれゼロになる。つまり、亀はアキレスと並ぶんです」
龍禅が「やっぱり違う」と言いたげな顔で、指摘してきた。
「『アキレスと亀』は、そんな話ではないわよ。アキレスは亀に追いつけないパラドックスよ」
わからない龍禅に、郷田は持論を大きな顔をして説明した。
「馬鹿なセリフを言わないでください。差がゼロに近づくのなら、いずれ並ぶでしょう。つまり、亀の速度でも、アキレスより前からスタートすれば、いずれはアキレスのいた場所に並ぶ。つまり、亀の速度でも、亀より速いアキレスに到達するんです。違いますか」
龍禅が難しい顔をしていた。郷田にもわかるように『アキレスと亀』のパラドックスについて説明を頭の中で何パターンかシミュレートしているようだった。
結果、龍禅は頭を小さく振って、説明するのを止めた。
「郷田君にわかるように説明する行為は、おそらく、私には無理ね。わかったわ。亀のような速度は忘れてちょうだい。とにかく、全然、進んでいないわよね」
「それは、教え方が悪いからですよ。俺は、やる気ありますよ。もう、ずーっと陰陽道の勉強をしていたいぐらいですよ」
龍禅が眉を吊り上げて、非難がましい口調で即座に切り捨てた。
「それは、ケリーが一緒だからよね」
郷田は毅然とした態度で反論した。
「食事と一緒ですよ。美味しい食事とは、何を食べたか、が問題ではないんですよ。誰と一緒に食べたか、が大事なんです。勉強もまた、然りです。何を学んだかじゃない、誰と学んだか、ですよ」
龍禅が怒った顔で、郷田の反論を無視するように非難してきた。
「郷田君は本当に陰陽師やる気あるの?」
郷田はわからずやの龍禅に食って掛かった。
「なきゃ、ここに来ませんよ。龍禅先生はさっきから、何がいいたいんですか。俺には、サッパリわかりませんよ」
龍禅が怒った顔で、詰問口調で怒鳴りつけた。
「君は本気で陰陽師になりたいのか、って聞いているのよ!」
郷田は正直に気持ちを打ち明けた。
「そんなの、わかりきっているじゃないですか。陰陽師なんて、どうでもいいですよ」
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